2009.11.21 Saturday
文化資源としての<炭鉱>展 目黒区美術館
先日来、JR目黒駅に目黒区美術館の「文化資源としての<炭鉱>展」のポスターが出ていて気になっていたのだが、やっと鑑賞できた。
目黒区美術館はJR目黒駅から権之助坂を下り、目黒川を渡って川岸の遊歩道を歩いた先にある。訪ねたのは初めてだ。小さな公園もあって、区民・サラリーマンの憩いの場となっている。

本館・新館、2つの建物を使っての展示で、Part1-<ヤマ>の美術・写真・グラフィック、Part2-川俣正コールマイン・プロジェクト〜筑豊、空知、ルールでの展開に分かれており、さらに東中野の映画館(ポレポレ東中野)でPart3−映像の中の炭鉱の、計3部構成だ。目黒区美術館の入館料は800円。

この展覧会がすごいのは、炭鉱を文化資源ととらえたところだ。資源ではあるが、それを<文化>にまで昇華した発想がすごいと思った。普通は<産業>であろう。
もはや日本の炭鉱は死に瀕している。炭鉱と聞いて、普通の人は暗い・怖い・過酷な労働・低賃金・落盤事故・荒くれ男・労使の対立くらいのイメージしかないのではないか。石炭を見たことのない子供たちも増えている。
かつて石炭はエネルギーの源だった。発電、蒸気機関(動力)、暖房など、石炭なしには今の発展はありえなかった。しかしその石炭を採炭する鉱夫は最底辺の労働者ではなかったか。
その炭鉱から生まれた、絵画・彫刻・写真などを一堂に集めたのがこの展示だ。
向井潤吉・土門拳などの一流作家の作品もあるのだけれど、むしろ特筆すべきは、絵心のある炭鉱夫が描いた、素朴で稚拙な、坑内や鉱夫の仕事ぶり・生活ぶりを表した絵画である。これが実にすばらしい。絵の中に細かい字で書き込まれている説明文もすべて読み込むほど、見入ってしまった。
多くは夫婦2人一組で坑道に入り、漆黒の闇の中でわずかな明かりを頼りに粉じんにまみれて採炭し、それを運び出すさまざまな姿が、活写されている。
特に明治期は保険もなく労働衛生管理の概念もなく、ガスや出水への備えや知識もなく、公衆浴場はあったものの混浴で、しかも油交じりの汚い湯で、真っ黒のまま入るためドロドロで、それはそれは凄まじいありさまだったようだ。
ともあれ、日本の(世界の)近代化を支えた石炭、そして石炭を土俵の外に出した石油も、終焉が近いと言われる。その近代化を陰で支えた鉱夫(鉱婦も)たちの姿に接し、深い感謝と尊敬の思いに浸った。
目黒区美術館はJR目黒駅から権之助坂を下り、目黒川を渡って川岸の遊歩道を歩いた先にある。訪ねたのは初めてだ。小さな公園もあって、区民・サラリーマンの憩いの場となっている。

本館・新館、2つの建物を使っての展示で、Part1-<ヤマ>の美術・写真・グラフィック、Part2-川俣正コールマイン・プロジェクト〜筑豊、空知、ルールでの展開に分かれており、さらに東中野の映画館(ポレポレ東中野)でPart3−映像の中の炭鉱の、計3部構成だ。目黒区美術館の入館料は800円。

この展覧会がすごいのは、炭鉱を文化資源ととらえたところだ。資源ではあるが、それを<文化>にまで昇華した発想がすごいと思った。普通は<産業>であろう。
もはや日本の炭鉱は死に瀕している。炭鉱と聞いて、普通の人は暗い・怖い・過酷な労働・低賃金・落盤事故・荒くれ男・労使の対立くらいのイメージしかないのではないか。石炭を見たことのない子供たちも増えている。
かつて石炭はエネルギーの源だった。発電、蒸気機関(動力)、暖房など、石炭なしには今の発展はありえなかった。しかしその石炭を採炭する鉱夫は最底辺の労働者ではなかったか。
その炭鉱から生まれた、絵画・彫刻・写真などを一堂に集めたのがこの展示だ。
向井潤吉・土門拳などの一流作家の作品もあるのだけれど、むしろ特筆すべきは、絵心のある炭鉱夫が描いた、素朴で稚拙な、坑内や鉱夫の仕事ぶり・生活ぶりを表した絵画である。これが実にすばらしい。絵の中に細かい字で書き込まれている説明文もすべて読み込むほど、見入ってしまった。
多くは夫婦2人一組で坑道に入り、漆黒の闇の中でわずかな明かりを頼りに粉じんにまみれて採炭し、それを運び出すさまざまな姿が、活写されている。
特に明治期は保険もなく労働衛生管理の概念もなく、ガスや出水への備えや知識もなく、公衆浴場はあったものの混浴で、しかも油交じりの汚い湯で、真っ黒のまま入るためドロドロで、それはそれは凄まじいありさまだったようだ。
ともあれ、日本の(世界の)近代化を支えた石炭、そして石炭を土俵の外に出した石油も、終焉が近いと言われる。その近代化を陰で支えた鉱夫(鉱婦も)たちの姿に接し、深い感謝と尊敬の思いに浸った。























