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幻の飲み物「どりこの」と どりこの坂 大田区田園調布
亡くなった叔父の手記を久しぶりに読んでいたら、次の文章が目に留まった。

旅順にいた頃の飲み物は、ミツヤ(三矢)サイダーかドリコノであった。家でも飲んでいたのだが、裏の副官の大島さんの家で、おばさんにドリコノをもらって飲んだのを覚えている。とてもおいしかったが、西宮以降どこで探してもドリコノは見つからない。私にとって幻の飲み物である。

はて、 どりこの とは何だろう。

ドリコノポスター.jpg

前後の説明をすると、祖父が旅順陸軍要塞司令部の参謀として転勤し、当家は昭和10年(1935年)8月から日支事変が始まった昭和12年(1937年) 8月まで、当時の日本の租借地である旅順(りょじゅん)にいた。現在の中国大連市旅順口区である。
旅順は日露戦争の激戦地で、当時も今も戦績巡りの地である。
戦争が色濃くなり、合わせて祖父の転勤で内地の西宮に移ったのだ。

叔父は昭和7年(1932)生まれでまだ幼く、サイダーやジュースを飲まされちやほやされていたのだろう。
ちなみに三ツ矢サイダーは私も幼いころから飲んでおり、水色の透き通ったガラス瓶に入っていた。飲むと炭酸でゲップが出た。
今ではアサヒ飲料からペットボトルに入って売っているので久しぶりに飲んでみた。

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だが、この「ドリコノ」が気になる。叔父が幻の飲み物と言い、私も知らないし、戦前生まれの母に聞いても知らないと言った。

そこで調べてみると、とんでもないことがわかった。

まず、ネット検索で「どりこの」とひらがなが正しいと知った。
Wikipediaにも項目があり、要旨を書く。

どりこのは昭和初期に大日夲雄辯會講談社(今の大手出版社である講談社)から発売されていた、滋養強壮を謳った清涼飲料水であった。当時の講談社は出版以外にも多角経営をしていた。
つまりどりこのは今のオロナミンCドリンクやリアルゴールドなどをはじめとするエナジードリンクの類だったのだろう。

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医学博士の盒狭太郎氏は疲労回復の研究を行っており、ブドウ糖の補給が最も効果的であるというドイツの高名な生理学者、アーノルド・ドーリック氏の論文にヒントを得て、5年の歳月をかけて含糖栄養剤を発明し、関与した人々のイニシャルから「どりこの」と名付けた。

特許公報『特許第七四八四三號 含糖榮養劑ノ製造法』
どりこの特許.jpg


色は琥珀色で、カルピスみたいに水で希釈して飲んだ。それでも非常に甘い飲み物で、当時は砂糖が貴重だったから評判が評判を呼び、三越資生堂パーラーで売られるようになった。

昭和4年(1929)、当時講談社の社長だった野間清治が盒凝,鯔れ試飲したところ気に入り、野間は高橋と販売契約を結んで「大日本雄弁会講談社商事部(当初は代理部)」から全国での販売が開始された。一ビン450cc入りで1円20銭と高価で、今なら数千円だろう。

どりこの広告

野間は大々的に宣伝をする。自社媒体はもちろん、全国の新聞に全面広告を出した。女優、歌手や美人画、作家、医者や政治家、料理のレシピなど、ありとあらゆる方法でどりこのを宣伝した。
「個人の感想です」なんて書かなくてよい時代、飲んだ人から「医者から見放された瀕死の病人が生き返った」などの投書をそのまま掲載する、「私も効きました」の効能広告も頻出した。
当時の日本は人口7500万人程度で、流通や交通、マスメディアも今ほど発達していなかったのに、年間220万本を売り上げるほどの大人気商品だったそうだ。

どりこの広告

巨大看板から高額景品まで用意したこれほどの飲料なので、叔父が外地の旅順で飲んで内地の西宮以降(その後の転勤先は浜田、金沢、東京)では飲んでいないと言い、茨城県にいた母も知らないというのは腑に落ちないが、それはそれでしょうがない。

どりこの広告

また、のちのチキンラーメンもそうであったように模倣品も続出したが、効き目がなかったりまずかったりで淘汰された。どりこのには疲労回復の確かな効能があったのだろう。

軍からも重用されていたどりこのだが、戦火は激しくなり、サトウキビが統制されて昭和19年(1944)、どりこのは原材料配給が滞って生産中止になった。

戦後、1954年(昭和29年)に、盒暁郢里蓮屬匹蠅海痢廚寮渋い鮑導したが、独占販売を結んだ講談社との関係は失効していた。そのためどこからか頼まれると受注生産していたが、1970年(昭和45年)盒暁郢里了爐砲茲蠕源挫羯澆箸覆辰拭1979年(昭和54年)には、三越百貨店で盒暁郢里留が製造した「どりこの」復刻版が発売されたが、4年ほどで販売終了した。
その甥も亡くなり、一子相伝で口伝のどりこのの製法は知る人がなくなり、本当に幻の飲料となってしまった。

だが、ないものねだりは人の常。そのどりこのを追い求めた人がいる。
ルポライターの宮島英紀氏は8年の歳月をかけて、当時まだ存命していた高橋博士の甥や講談社などに取材して、最初はブログで、そして角川書店からそれをまとめた「伝説の「どりこの」 一本の飲み物が日本人を熱狂させた」を出している。

どりこの本.jpg

宮島氏の活動については、こちらでも読める。
珍無類な言葉に取り憑かれ、8年もの歳月をかけて、「どりこの」の謎を追いつづけた『伝説の「どりこの」』の著者・宮島英紀氏

また、特許公報や論文などから製法に迫った人もいる。
幻の含糖栄養剤「どりこの」の製造法を探る
出る杭は打たれるのも常で、庄司吉宗氏のようなどりこのの効能に反論する人も出てきた。

宮島氏の取材と同じ2010年ごろにデイリーポータルZで榎並紀行氏がレポートしている。
幻の飲料「どりこの」を追う

北海道芦別市のみなみさわ菓子舗には「どりこの饅頭」が売っている。先代の発案で当初は本当にどりこのが練りこまれていたらしい。もちろん今は味を再現しているだけだ。2015年くらいの記事なので、まだ売っているだろうか。


そして、もう一つ、どりこのエピソードに花を添える情報があった。
東京都大田区田園調布に「どりこの坂」があるという。
東急多摩川駅の北にあり、多摩川園ラケットクラブの脇、田園調布一丁目26番と51番の間の坂道で、地図で赤く塗った西から東への狭い上り坂(一方通行)がどりこの坂だ。

どりこの坂地図

盒暁郢里住んでいた近くの坂道で、当初は「池山の坂」だったが、だれともなくどりこの坂と呼ぶようになったという。

坂の上から。
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坂の上の碑。

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"昭和の初めごろ、坂付近に「どりこの」という清涼飲料水を開発した医学博士が屋敷を構えたので、誰いうとなく「どりこの坂」と呼ぶようになったといわれている。それまでは、池山の坂といっていたという。"

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坂の下にも小さい碑がある。

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坂の途中は狭くて曲がっている。

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登りきる直前、右側に坂上の碑がある。

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坂の上は豪邸がそびえていたが、一つ脇の家の表札に「盒供廚箸△辰燭里如△△△修Δ覆里なと思った。

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| 日記・つぶやき | 17:16 | comments(0) | - |


Windows10が起動しないときの直し方
4月に買ったばかりのwindows10パソコンが起動しなくなった。
前夜に、マウスが固まってしまったので正しいシャットダウン行為をしないで電源を切ったのだが、あのときからすでに調子が悪かったのだ。
マウスのUSBを抜き差ししてマウスは動くようになったけれど、パソコンが起動しなければ何にもならない。

電源は入るのだが、そのあとのログインというか、パソコンとして立ち上がらない。
リターンキーを押すと、普通はPINコードを入れる窓が出るが、それが出てこない。
窓が出るときもあり、PINコードを入力しても、グルグル回っているだけで先に進まず、結局果てる。

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どうも「自動更新」をしたのがいけなかったのかもしれない。パソコンが使えないと仕事も遊びも何もできないので困った。

Windows7は電源ボタンを長押しして強制終了させると、次に電源を入れたら黒いセーフモードになってリカバリーできた。しかし10は電源を強制終了しても、また普通の壁紙が現れる。
そこでスマホでネット検索をすると、トラブル解消にはいろいろなケースがあるのだが、次のようにしてみた。

まず、電源の強制終了を何回か繰り返す。するとそのうち青い「回復」という画面になる。これが出るまで電源強制終了を繰り返さなければならない。

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詳しい修復オプションを表示する」をクリックまたはリターンキー。

トラブルシューティングのメニューになる。
「このPCを初期状態に戻す」
「詳細オプション」
の2つが出るので、詳細オプション。ちなみに初期状態にしてもこれまでに入力したデータは消えない。

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詳細オプションが6つ出てくる。
更新してシャットダウン」を数日前にしたので、更新プログラムがなじんでいないのだろう。それ以前の状態に戻すことにした。
「システムの復元」をクリック。

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そうすると、パスワードを入れる窓になった。
windows10のユーザー登録に使ったメールアドレスに対応したパスワードで、先日、何度やってもエラーになるので変更しており、メモっていたのだがそれを入れても違うと出る。

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心当たりのパスワードを繰り返すこと十数回、ずいぶん前のじゃないかと思うようなパスワードがヒットした。これはこれで問題だ。
システムファイルと設定の復元」の、別デザインの画面が浮かび上がった。

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元に戻す日付が一覧で出てくる。新しいパソコンだからか、1つしか出てこなかった。

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この、数日前の状態に戻してあげることにする。

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これをすると、もう元には戻せない。だが覚悟を決めて、進むしかない。

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システムの復元には数分かかる。

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そろそろ終わります。

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終わったので再起動する。

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やっと、PINコードを入れる窓が現れた。そして反応した。



「ようこそ」がグルグル回り、起動しました。

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復元されました。

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ただし、二つばかりソフトウェアが開けなくなった。一つはおまけで付いていたアンチウィルスソフトで、アンインストールしたので開けなくて構わない。

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ただ、もう一つはおまけのDVDソフトで、なんで開けないのかわからなかったが、代替アプリはいくらでもあるので構わないことにする。

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以後、正常に動いている。

だが、パソコンが起動しなくなるトラブルはめったにないので、どんより気分が悪い。おれおれ詐欺にあったら、こんな気分になるのだろうか。
私だから結果的に直せたが、普通の人ならどうするのだろう。
| パソコン・インターネット | 18:41 | comments(0) | - |


萬画家石ノ森章太郎展 世田谷文学館 に行く
世田谷文学館はよく漫画をテーマにした企画展を行う。手塚治虫、浦沢直樹、そして今回は石森章太郎の展覧会だ。
萬画家石ノ森章太郎展」は6月30日まで。

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石ノ森章太郎というか、私の中では石森章太郎なのだが、小学生のころもっとも影響を受けた漫画家だ。手塚治虫が漫画の神様なら、石森章太郎は漫画の天才だった。
なぜなら繊細で美しい絵、ストーリー漫画からギャグマンガ、そして抒情的な実験漫画、まんが日本経済入門など、実に多様で多彩な漫画を300作品以上発表した。
映画を意識したであろう、大胆なコマ割が特徴だった。
60歳で亡くなっており、手塚同様短命だったが、これだけの業績は普通の人なら120歳まで生きても残せない。

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私は少年サンデー、マガジン、キング、ジャンプ、チャンピオンなどの漫画雑誌は買ってもらえなかったので、文房具屋の木原君ちで毎週読ませてもらっていた。ありがたいことだ。

中でもサイボーグ009は9人の世界各国の人造人間たちが死の商人と戦う壮大な漫画で、何度も似顔絵を描いて、自分の中で妄想していた。

石森章太郎は宮城県の出身で、石巻市には石ノ森萬画館

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生地の登米市には石ノ森章太郎ふるさと記念館がある。

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役所の縄張りかもしれないが、記念館が2つもある作家は珍しい。
特に石ノ森漫画館は川の中洲にあって、東日本大震災で津波をモロにかぶって大変だったが、復興した。
どちらも訪れていないので、仙台出張でもあれば行ってみるのだが。

今回の展示は原画や複製原画が多数使われており、サイボーグ009の
「きみはどこに落ちたい?」
「能力は加速装置だけではないだろう」「あとは…勇気だ」
などの名セリフの原画も展示されており、学芸員の能力が高いのが分かる。

館内では009のスタンプラリーが行われており、全員分をコレクションしました。メルカリに出ているかな。
009は最後にまで出てきて石ノ森先生も持て余して結局絶筆になったのだが、創作ノートや息子への口述で、なんとか完結した。

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一方で、仮面ライダーは今もって大人気だが、私の年齢はすでにカバーしきれておらず、初回のストーリーを始めて読んだ。

ちなみに、1階奥のコレクション展では仁木悦子の肖像を開催している。仁木悦子は世田谷区のごく近所に住んでおり、「猫は知っていた」で第3回江戸川乱歩賞を受賞した。
4歳の時に胸椎カリエスになり寝たきり生活で学校にも行っていない彼女は、兄による家庭教師で童話作家(筆名:大井三重子)として、そして推理作家として活躍した。なんと素晴らしいことか。
墓所は川崎市生田の春秋苑である。

これまで世田谷文学館にはバイクで行っていたが、バイクを手放したのでプリウスで行った。地下に運転手ごと乗ってエレベーターで降りる駐車場があり、無料だった。ありがたや。

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夏のような陽気で、入り口のアヤメが咲いて、鯉が泳いでのどかだった。

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気分がリフレッシュできて、戻ってから仕事もはかどった。

  
| 日記・つぶやき | 19:11 | comments(0) | - |


鉛筆ホルダーを買う 短い鉛筆の補助軸
筆記具に鉛筆を愛用している。30年前からパソコン(ワープロ)を使って字を書いているが、アナログなところを残している。
鉛筆だから使えば使うほど短くなる。本来、捨ててよいのだろうが、まだ芯が根元まであるし、捨てる気にならない。貧乏性である。
しかし短くなると持ちにくくなり、きれいに書けなくなる。
そこで、朝ドラに出てくる貧しい子供のように鉛筆ホルダーがないか、Can★Doで探したら、筆記具コーナーにあった。108円。

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PENCIL HOLDER ゴム付補助軸とある。
ゴムは消しゴムになるのだろうか。

胴体部分がネジになっており、緩めて鉛筆を差し込み、締めると固定されて持ちやすくなる。

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だが、金属表面がつるつるしているので、滑って持ちやすいというものでなかった。これはザラザラさせるとか、工夫が必要だろう。それだけ加工賃がかかるが、何とかしてほしい。いや、短い鉛筆を使い続ける人はそんな贅沢を言っていられないか。
滑り止めの太さ調節を兼ねて輪ゴムを巻く人もいるようだ。
Amazonを見たらステッドラー(ドイツの製図器具メーカー)の鉛筆ホルダーは1200円以上した。これは使いやすいと思う。

鉛筆が短くなるのは鉛筆を削るからだ。かつては電動式鉛筆削り器を使っていたが、置き場所をとるので、手動式に変えた。

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これは文具店で買った300円くらいしたものだが、ラチェット機能が付いているので、鉛筆を一定方向にぐるぐる回さないで、時計反時計時計反時計…と回せば削れる優れものだ。しかも鉛筆を差し込む穴にフタがあって、転がしても削りカスが出てこない。

どこまで鉛筆を短く使えるか、チャンレンジするか。

  
| 日記・つぶやき | 20:15 | comments(0) | - |


トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美 国立新美術館
国立新美術館で開催されている「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」に行ってきた。東京は5月20日までだが、空いていた。

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オスマン帝国全盛期の至宝170点が東京と京都で公開される。京都国立近代美術館は6月14日からだ。
トルコは大変な親日国として知られる。そしてムスリムの国でもある。代々木上原のわが国最大のモスクである東京ジャーミィはトルコ政府によって建てられた。

私はトルコに行ったことがないが、できれば一度行きたかった。トプカプ宮殿美術館、アヤソフィア寺院、カッパドキア…、世界遺産を含めて日本人好みの施設が多く、トルコ料理は世界三大料理に数えられている。

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宝飾品はトルコは東西文化の十字路と言われるように、中国や中近東、そしてヨーロッパの文化も汲んでおり、どこかで見たような、そして新鮮な感動に襲われる。

特にチューリップはトルコを象徴する花として、各所にモチーフとして使われているし、東京ジャーミィのタイル装飾にも使われている。

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しかし王様に仕える女奴隷たちは寵愛を受けようと日々美しさに磨きをかけていたという。
つまり王様は、今日はこの子、明日はあの子と、エロDVDを選ぶように好みの女の子を選んではあんなこともそんなことも毎日のようにしていたわけで(個人の妄想です)、うらやましい。

王様の服も展示してあったが、ものすごく大きくてよほどの体格だったのか、そう見せようとしていたのか。

その後は二子玉川まで行って、頭の痛くなる手続きをしてきた。
王様の暮らしとは無縁であった。

それはそうと、6月4日までラマダーンなんですね。それと、東京ジャーミィにハラールマーケットという店ができたんですね。すっかり疎遠になって申し訳ありませんです。
| 日記・つぶやき | 18:47 | comments(0) | - |


丸の内のランチ:インデアンカレー
昼時の丸の内をうろついていたら、東京ビルTOKIAの飲食店街の看板が目に留まり、目を凝らして仔細に見たら「インデアンカレー」が目に留まった。

カレーのインデアンは帯広の名門ではなかったか。ついに東京進出を果たしたのか。
安くておいしい帯広ならではのカレー店なのだ。
地下に降りて店の前まで行き、期待して入ってみた。

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カレーが750円とは東京では安いほうだが帯広では高い。地域によって物価が違うから、これは仕方ないだろう。
カレーを頼んだ。
ちなみに辛さは選べるのかと聞いたら選べないという。それはそれでいい。

カウンター越しに見ていると、店員はご飯を重さも測らず上手に盛り、楕円体に形を整えてカレールーにお玉を突っ込み、2・3回かき混ぜていたがおもむろに掬い上げると一気にご飯にかけた。何の躊躇もない。

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ご飯の上に均等にルーがいきわたり、それは見事だ。
上に肉片が少し乗っているのがミソなのだろうが、この肉片の乗り具合も見事というしかない。

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カレーは甘かった。少なくとも最初はそう思った。甘いカレーだ。
しかし食べてしばらくするとズシンと来た。辛さが後になって喉奥からこみ上げるのだ。
これは素晴らしい。味わい深いというか奥行きがあるというか、一口で二度おいしいというか、辛さが二段階のカレーはありがちだけれども、最初に「甘い」と思わせておいて実はスパイシーなカレーは珍しい。

付け合わせにキャベツの酢漬け(ピクルス)が付いて、舌休めになる。

これは帯広のインデアンじゃないな。

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そもそも札幌にも店を出していない。

店員に聞くと帯広とはまったく無関係で、大阪とのこと。

大阪のインデアン(今回の丸の内で食べたもの、上のロゴ)。



帯広のインデアン(下のロゴ)。

ロゴが似て非なる。
丸の内店は常連さんだろう、卵を載せてもらったりルー多めにしてもらったり、メニュー表も見ないでテキパキ注文する客が多かった。そのたびにお玉一掬い一気がけを披露していた。すごい。

これはどっちもおいしい。最後は好みの問題だが、どっちも推薦します。
ごちそうさま、ありがとう。



| グルメ | 18:48 | comments(0) | - |


富士宮市のランチ:さわやか富士鷹岡店 ハンバーグ・ファミレス
5月8日に富士芝桜まつりに行った際、ぜひ寄りたい店があった。それが「げんこつハンバーグのレストランさわやか」だ。

特に御殿場インター店はGW中は数時間待ちもあり得るほどの人気店で、この日も1時間待ちだった。そこで富士宮まで南下して、富士鷹岡店まで行ってきた。待ち時間0分。まさに急がば回れである。

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山小屋風の内装のファミレスで、広いテーブルに案内された。
メニューを見るとハンバーグ以外にもいろいろあり、要するにファミレスなのだが、特にげんこつハンバーグが名物なのでそれにする。
ステーキ類もある。

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テーブルに紙が置かれるが、これは油跳ねを防御する役目も担う。

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大きなナイフとフォークは店員がハンバーグを鉄皿の上で"調理"をするためのものだ。
焼き加減はジューシーに仕上げてくれるという。

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鉄皿に乗ってハンバーグがやってきた。げんこつ大である。ビッグボーイは「大俵ハンバーグ」と言っているが、ようはそういうものである。



大きなげんこつハンバーグを、おねいさんが手際よく大ナイフで半分に切る。
中はまだ赤いので、それを鉄皿に押し付けて、オニオンソースをかけて"最終調理"だ。



ジュージューと油が飛び散るので、紙ナプキンを盾にしつつ写真をスマホとニコンD810で撮影するのは至難の業である。

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おねいさんが戻った後、二つに切られたハンバーグをさらに小さく切ると、まだ中は赤いので鉄皿に押し付けた。

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食べてみると、かなりスパイシーで調味料をふんだんに使っているのが分かる。だからといって辛いとかしょっぱいのではない。おいしいハンバーグだ。

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ちなみにライスは別だ。スープやサラダのセットもいろいろなパターンがあったが、ライスだけにした。
ライスは大盛でもよいほど、ごはんが進む。

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赤い部分もそのうち適度に焼けてきて、もっとも赤いままのレアでも食べられるのだろうが、あとはお好みだ。

鉄皿に残ったソースにも肉のうまみがにじみ出ているので、ごはんを鉄皿に載せて食べてみる方法もあったのだが、やめておいた。

さわやかチェーンは静岡県内にしか店舗がないようだが、それもまたいい。
おいしくて行列ができるのがよくわかった。ごちそうさま。
| グルメ | 17:55 | comments(0) | - |


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