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8ミリビデオテープを分解する
昔、ビデオカメラはビデオテープで撮影していたが、テープメディアが再生できなくなる時期もすぐだろうと、8ミリビデオテープミニDVビデオテープで撮影していた映像をハードディスクにダビングを始めている。
VHSテープは40年も経っているのでビデオデッキで再生や巻戻しをすると、テープが切れることすらあって、幼い子供たちを撮影したテープが切れたらいやだなぁと、恐る恐るダビングをしていた。

しかしいやな予感はあたり、よりによってハワイ旅行に行った8ミリビデオテープが再生中に画面が乱れて止まってしまった。
テープを取り出すとテープが出たままになって「よれて」いる。

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8ミリビデオテープ、ミニDVテープとも、テープが露出しないように裏表をカセットケースが挟み込むようにして保護しているのだが、文鎮はそのケースの蓋部分を開けるためのものです。

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オーディオカセットはリール部分をくるくる回すとテープが中に戻り、鉛筆を入れてくるくる振るようにして戻すワザもあった。が、ビデオカセットテープはそれができないストッパーか何かがあるみたいで、戻らない。

やむなく、ケースを開けてテープを戻してみることにした。VHSは何度もやっているが8ミリビデオテープは初めてで、もしこれで壊れたら幼い子供たちとのハワイ旅行の思い出も永遠に見られなくなる。

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まず、テープ保護の蓋が戻ってしまうのを防ぐためにセロハンテープで蓋を固定した。

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ネジは丸印の5箇所で止まっている。テープ保護の蓋は右のオレンジ四角で囲ったところが開閉レバーなので、これもセロハンテープで止めて開く状態にした。

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ネジは小さいが、どれも簡単に外れた。

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産まれて初めて8ミリビデオカセットを分解した。

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テープはねじれているように見えるが、リール部分でねじれた状態で再生されてしまい固まったようで、ねじれを直した。家事用ゴム手袋をはめて、ピンセットも使いながらテープに指紋が付かないように気をつけた。指紋や汚れが付くと、ビデオヘッドをいためる可能性があるからだ。

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カセットを分解した状態だとスプリングの作用でリールが浮いてしまいうまく戻せないため、通常テープを見るようにひっくり返して蓋をしてネジを締めた。

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8ミリテープはVHSより薄くて小さくて、どうなるかと思ったがなんとか元通りに戻せた。
再生してみると、よれてしまった部分はきれいに再生されないためそこはもうあきらめることにして、後半部分は再生されたのでダビングした。

このテープはフジフイルム製で、SONY製と比べてノイズが多い。フジも何本も使っているので、このあとのテープが健全なのか不安が残るが、古いものから順にダビングしているので、だんだんと新しくなっているので、きれいに再生できると願っている。

フジフイルムの8ミリビデオテープは後半でも画像が乱れた。

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念のため、よじれた部分以降をもう一度再生してダビングしたら、今度はきれいに再生されたので、テープとヘッドの状態にもよるのかもしれない。

テープに埃がついていたり、カビていても再生が乱れるし、それがビデオヘッドにも悪影響だから、念のため8ミリビデオ用のヘッドクリーニングカセットを買った。

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ヨドバシカメラで即日配達はすばらしい。


このハワイ旅行は湾岸戦争で国際線がガラガラになったので、コンチネンタル航空が一人往復5万円の当時としては格安で業界向けに販売していたチケットだ。オアフ島のホノルルの裏側のタートルベイヒルトンにレンタカーで行って泊まったけれど、ほとんど雨でさんざんだった。
ANAが5月からA380を就航するので、久しぶりにハワイに行ってみたいけれど、どうなることか…。

  

| 家電・AV | 22:02 | comments(0) | - |


韓国のクイズ番組はパクリか 1988年11月
1988年11月、発売間もない日韓共同きっぷで陸路水路で韓国に行った。
ソウルのホテルでテレビを見たが、当時クイズに熱心だった私はクイズ番組を探して見ていた。クイズに興味のない汽車旅仲間の同室者はさぞ迷惑だっただろう。
2つのクイズ番組を紹介します。

장학퀴즈(奨学クイズ)は今もホームページがあるということは、30年以上に亘って続いているクイズ番組だ。これはすごい。Youtubeで見たら規模も大きくなっているようだ。

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見た目はクイズグランプリ。問題が文学歴史や科学のように分類されており、文字で出題される。
題名に「奨学」とついているから学生向けのクイズ番組なのだろう。

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回答者5人もクイズグランプリに同じでセットも似ている。このときはクイズグランプリのパクリと思った。

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↓ ↓ これがクイズグランプリです。もはや知らない人のほうが多いだろう。

クイズグランプリ
クイズグランプリ

もう一つ、퀴즈 아카데미(クイズアカデミー)はYoutubeに映像が上がっているがホームページはないからすでに終わっている番組だ。調べると1992年4月に終わったらしい。少なくとも4年は続いたのだ。

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これは題名どおりかなりアカデミックなクイズで、たとえば英語で出題される。これはすごいと思った。日本なら最近のクイズ王戦、頭脳王戦といったところだろう。

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挑戦者は二人一組なので、これは高校生クイズだ。

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ということは、日本がパクッたか。

韓国のクイズ事情や言葉はほとんどわからないので、わかる人がいたら教えてください。

韓国にもクイズ王がいるんだね。日本同様、新聞や本を読むのがクイズの勉強の基本みたいだ。
| クイズ | 21:15 | comments(0) | - |


日韓共同きっぷで行く韓国の旅 1988年11月
今から31年前の1988年、ソウルオリンピックが開催された。日韓の航空便が満杯になってしまったので、発足間もないJRは韓国国鉄関釜フェリーを使った陸路での交通ネットワークを活かすべく「日韓共同きっぷ(韓日共同乗車券)」を発売した。このきっぷは2015年に廃止されたが、発売間もない1988年11月に鉄道仲間と利用してきたので、その模様を採録してみる。意外にもスチール写真がなく、8ミリビデオの映像だけ残っているのでキャプチャする。

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11月3日、早朝の新幹線で東京から日韓共同きっぷの出発地である新大阪に。

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新大阪から日韓共同きっぷを使ってJR西日本自慢のウエストひかりに乗る。普通車だが左右2人掛けのグリーン車並のゆったりしたシートだった。
食堂車はビデオルームになっており、ビュッフェは軽食を食べられずに駅弁を買った。

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新幹線は関釜フェリーの出発地である新下関には止まらず小倉まで行った。もちろん知ってのことである。

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小倉から門司に出て、関門海峡を渡る渡船に乗って下関に戻ったのだ。

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そして下関駅を訪ねて…

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準鉄道記念物の下関鉄道桟橋跡を眺めた。関釜・関門の鉄道連絡を担っていた次代があったのだ。

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日韓共同きっぷの関釜フェリー用引換券を乗船券に変えるが、料金表を見ると2等Bで8500円だった。

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関釜フェリーは夜行便で、青函連絡船の座敷席を髣髴させるもので、毛布で自分の領域を作って寝た。食堂があるのだけれど、翌朝は下関で買ったパンをもそもそと食べた。



翌4日朝、釜山の波止場に着いて、帰りの航空券を受け取りにJAL釜山支店に行くが、JALがなかなか見つからなかった。そのため、10時の列車で慶州(キョンジュ)に行こうとしていたが、間に合わなかった。



航空券やホテルは、当時日本旅行に勤めていた篠原さんのお世話になったはずだ。今のようにインターネットで海外のホテルや海外発の航空券を簡単に予約できる時代が来るなど、予想も妄想もしていなかった。

帰りの航空券を受け取って釜山駅に行く。

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この日は釜山郊外に泊まる予定なので釜山で丸一日時間がある。慶州に列車で行けなくなったのでバスで行く方法もあったけど、鉄道仲間のためバスに乗る案は却下され、あくまで列車でどこぞに行くことにして、近くの蔚山(ウルサン)に行くことにした。

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当時のJTB時刻表には韓国国鉄の時刻表もおまけについていた。
蔚山は行って帰っただけ。喧騒な街だった。今から考えれば時間のムダだったろう。

そして釜山郊外の東莱(トンネ)温泉ホテルに泊まった。ベッドの部屋もあるけれど、あえてオンドルの部屋を予約した。

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床暖房が効いて暑くて暑くて下着一枚になった。
夜、部屋を間違えたフリをしてマッサージ女がやってきたが当然断る。

5日、釜山駅前に公衆電話があったのでテレホンカードを使って日本に電話をしたらかかった。そりゃそうか。

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釜山駅から特急セマウル号でソウルに向かう。新幹線のKTXは2004年に暫定開業した。つまりセマウル号は在来線の特急なのだ。

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食堂車がついておりハンバーグ定食を食べたが、普通においしかった。ライスも日本のコメのように粘り気のあるものだった。

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ソウル駅に着いた。オリンピックを開催した都市のゲートウェイ駅だ。

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この駅は日本が作った京城駅だった。日本統治時代のものがまだまだ残っていた。

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夜、一番の繁華街の明洞に食事に行ったらデモ隊が出ていた。なんのデモかわからない。火炎瓶を投げるので機動隊が催涙弾を撃った。すごい臭いでくしゃみ・鼻水・涙でべちゃべちゃになった。
夜のニュースでやっていたが、それがなんだったかわからない。後にも先にも催涙ガスを浴びたのは最初で最後である。

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7日は丸一日ソウル見物だ。
景福宮(キョンボックン)の門の奥に立派な石造りの建物があった。国立中央博物館、元の建物は朝鮮総督府である。
この建物は1995年に爆破解体された。

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そして蚕室(チャムシル)総合運動場に行くと、レイルウェイ・ライター種村直樹氏一行と出合った。この旅の模様は「韓国気まぐれ列車」に書かれているが、どうして私たちが別行動していたのか、今となってはすっかり忘れた。

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スチール写真で唯一残っているのは、おそらく種村氏が撮影してくれたビデオ撮影をしている私である。



ソウル金浦空港から、小松経由新潟行のJALで帰国した。

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ソウルを出る直前にあわただしく乗ってきたおっさんが「これ、名古屋行きですよね」というので乗務員があわてていた。

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夕刻の新潟空港に着いて、新幹線で帰京した。


その後、韓国には仕事で行ったし、子供たち二人を連れて行ったりもした。馬場浩士君と対馬から船で釜山に行き、KTXでソウルにも行った。かつて祖父が暮らした釜山西部の鎮海にも行った。

しかし今の韓国は国際国家の体裁をなしていない。慰安婦、徴用工、自衛隊旭日旗、レーダー照射と日本に何をしてもいいと思っている。これは日本がいつも韓国を許してしまう姿勢も影響している。バカなガキだからしょうがないと思ってのことだが、バカだから本来の姿が見えず日本を甘く見てしまっている。
バカにつける薬はないから、日本は韓国に対して経済制裁を含めた毅然とした態度をとらなければならない。
私が韓国に行くことはもうないだろう。

  
| 旅行・鉄道 | 18:35 | comments(4) | - |


小室周也さんの墓参をする ウルトラクイズ皆勤賞
2016年4月14日に亡くなった、アメリカ横断ウルトラクイズ皆勤賞で知られる小室周也さんの墓参をした。1983年の第13回ウルトラクイズで、皆勤賞シードでオーストラリアまで行った人だ。

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小室さんとは1978年の第2回アメリカ横断ウルトラクイズのハワイのアラモアナホテルで同室になって以来、40年近い付き合いだった。

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小室さんは若いころに世界80カ国を踏破、そしてウルトラクイズ皆勤賞の二つは健康の賜物と思ったが、病魔に襲われて67歳で亡くなってしまった。

お父さんが立てたという、立派なお寺の立派な墓にご両親とともに眠っている。
以前から墓参をしたいと願っていたが、ようやくその機会が来た。

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今日は昨日の小雪からどんな天気になるか心配したが、打って変わって晴れて暑いくらいの陽気になった。
奥様とお孫さんの案内で、やっと墓参できた。

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私はヒマになったら小室さんと一緒に、ウルトラクイズでサイパンからハワイに向かうときに経由した、ポナペ島やトラック島に行きたいと思っていた。このことは話していないけれど、どの島を経由したのか二人で話したことがあるので、もし島巡りを提案したら一緒に来てくれたと思う。

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島といえば、一緒に対馬に行った馬場浩士君も2016年12月21日に亡くなってしまった。
昨年5月、一人で対馬を再訪する予定が手前の壱岐島で息絶えてしまった。

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ともに旅をした友が亡くなってしまい、ヒマになっても旅をする機会を逸してしまった。

いや、墓参のアポは昨日とったのだが、今日の未明にを見た。それが、小室さんちに行ったら、小室さんが出迎えてくれた夢だった。義弟の杉山眞さん(1981年の第5回ウルトラクイズ準優勝)と、たぶん森田敬和(第10回優勝)がいたと思う。夢の中の小室邸だ。
そうしたら、玄関に、敬和と小室さん、杉山さんが一緒に出た「クイズ100人に聞きました」の写真が飾ってあった。
ああ、そういうことか、小室さんはまだ家にいるのだった。

小室さん、トラック島に行こうよ。
| 日記・つぶやき | 19:13 | comments(0) | - |


第12回アメリカ横断ウルトラクイズ グアムどろんこクイズを見る
今から31年前の1988年は新宿の会社から神田の会社へ転職した年であり、海外旅行4回を含めてあちこちへ旅行をした。すべて自腹での旅行だ。

2月、小田急トラベルのマレー半島縦断鉄道の旅に参加。
4月、鉄道を乗り継いで東京から会津へ。
5月15日、新宿の会社を辞めるので、たまった有給休暇消化で青函トンネルと瀬戸大橋の旅へ。奈良シルクロード博。
5月22日、有休消化で家族でハワイへ。
7月、家族で群馬県榛名湖へ。
9月、第12回アメリカ横断ウルトラクイズご一行と同じANAでグアムへ。どろんこクイズを見る。
11月、日韓共同きっぷで関釜フェリー経由セマウル号でソウルへ。


今から振り返っても面白かったので、当時の写真やビデオを引っ張り出して、昔の旅を小出しに採録してみたい。

まずは9月のグアム旅行だ。

ビデオカメラは6月に買った8ミリビデオカメラのSONY CCD-F340。スチールカメラはカメラマンの金田憲明さんからもらった、フジの防水カメラだった。このカメラはハワイや伊豆でも活躍したが、外装の防水のゴムがベタベタになり、一度無償で交換してもらったが、その後、海に行く機会も減って処分した。

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第12回アメリカ横断ウルトラクイズと日程を合わせ、幼い子供をつれてグアムまで行った。当時のグアムはハワイと並んで日本人向けのリゾート地だった。現在、グアムはほとんど中国人韓国人に占拠されており、日本からの便は少ない。しかも隣のサイパン島は日本からの直行便がなくなった。
神田の会社に転職したばかりだったが、こんな休みを認めてもらえた。時はバブル絶頂期だったのだ。

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9月3日、成田発グアム行きの全日空NH11便の機材はトライスターだった。
成田空港の37番ゲートはじゃんけんに勝ってはしゃいでいる挑戦者が目立った。もちろん一般乗客もいる。

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機内前方はスタッフと挑戦者の席になっており、機材のために椅子を倒して全日空をあげての協力体制だった。

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翌9月4日は早朝からリーフホテルの海岸で○×のどろんこクイズ会場が作られていた。私は挑戦者たちより早く到着し、福留功男アナに挨拶をした。

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グアムは挑戦者数もスタッフの数も多く、やぐらを組んでの撮影もしている。

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第12回ともなればグアムのどろんこクイズは名物となっており、熱心に見物する人もいれば、無関心の人もいる。

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この、犬を連れたおっさんはテレビにも写った。

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○×クイズなので正解のほうにマットを敷く。挑戦者が封筒を選ぶと福留アナが
「□□さんは▽番の札を選びました」
とアナウンスすると、○×ゲートの裏の篠崎プロデューサーが問題番号と照らし合わせて○か×のどちらに正解のマットを敷くか指示をする。

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今から考えるとこのマットはとても大きく、体操競技用か特注ではないか。そもそもグアムまでの輸送がタイヘンだったと思う。○×ゲートは分解して現場で組み立てるが、このマットは丸めてもかなりの大きさだ。

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現場では、泥に落ちた敗者に水をかけるけれど、その水も大きなバケツに入れて会場の砂浜に運ぶのがタイヘンだと思う。砂だからバケツを台車に乗せられないし、近くのホテルからホースで供給するのかもしれないが、十分なロケハンと準備が必要だ。

クイズのシーンはファミリー劇場で再放送もされたから割愛するとして、ギャラリーたちはバブル絶頂期のおねいちゃんたち。みんな元気でかっこいい。
水着のデザインは全般的にハイレグで、今の、貧乳を隠すフリフリつきの水着よりもかっこよく見える。

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セパレートや蛍光色も人気があった。

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パックリ割れた背中もきれいに見える。この子は一人で、かなり近くで見物していた。当時テレビ朝日でキャスターをしていた小宮悦子さんに似ていた。連れがいる気配がなかったので、何しにグアムに来ていたのだろうか。

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国内の海岸同様、ナンパしている日本人も多かった。

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放送ではわからないが、クイズの途中30分くらいの休憩を挟んだが、スタッフたちもたいへんだっただろう。特にマットを置くスタッフは暑くて重くてご苦労だった。翌日は休暇をもらえたのかな。

ちなみに我が家が泊まったグアムプラザホテルは増築工事中で部屋からは工事現場が見えるだけ。
ラッテストーンや恋人岬などの定番観光地をレンタカーで回った。満車ばかりで、やっと借りられたレンタカーはクーラーがなかった。
今から思えば「若さ」がすべてを楽しくしてくれていたのだと思う。
| クイズ | 19:04 | comments(0) | - |


駒込のランチ:100時間カレーB&R 駒込店
駒込で昼時になった。駒込はかつて同僚夫妻が住んでいて、訪れるのは30年ぶりくらいだ。
ランチを何にしようか、やはり未知の土地の時はネット検索をしてしまう。

ランチはラーメンやカレー店がヒットするが、カレーを久しぶりに食べることにした。
100時間カレーB&R 駒込店がヒットして、100時間も煮込むとはどういうこと?と思っていってきた。
100時間カレーAMAZING 駒込店 (アメージング【旧店名】100時間カレーB&R)という表記もあったが、店の看板はB&Rだ。「アメージング」など、どこにもなく、現店名がB&Rじゃないのか?

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駒込駅前でチラシを配っている男がいて素通りしたが、あとで気づいたがこの店の人だった。チラシはクーポン券がついていて、トッピングがサービスになるようだったので、チラシをもらえばよかった。

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カウンター5席と二人掛けテーブル2卓、4人掛け1卓の狭い店。
メニューから牛筋カレーの中辛を頼む。甘口、中辛、辛口、そしてハヤシもあるでよ。
大盛などの量の違いもあり、初めての客は説明を受けてもどうしたらよいのか悩んでいた。私はこういうときは基本的にフツーのものを頼む。

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カレールーは基本のものがあって、チキンカツやら牛筋やらを載せるタイプだ。カツは揚げる音が聞こえたから、注文のつど調理しているのだろう。

カレーは中辛といえども、酸味が強くてコクがあり、辛かった。辛口を頼んでいたら、かなり苦労したと思う。

ちまちまとカレーをごはんにかけていたが、ドバッとかけてみる。

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ごはんはやや固めに炊いてある。もう少しやわらかくてもよいと思う。しかし大昔にどこかの駅のカレーのごはんがベチョベチョだったので閉口した。どんぶり物やカレーみたいに汁をかけるごはんは固めがよい。

普通盛りでも量はほどよく、中辛でも十分に味のインパクトがあった。ポイントカードもあったけれども、一生かかっても貯まらないのでもらわなかった。
| グルメ | 20:13 | comments(0) | - |


8ミリビデオテープ、ミニDVカセットテープのHDDへのダビングを始める
テープ式の記録媒体が急速になくなっていくので、ごく近い将来に見られなくなるとの懸念から、ビデオテープからHDDへのダビングを始めた。

自宅に箱に入れて保管してあったミニDVカセットを使う家庭用ハイビジョンビデオカメラのSONY HDR-HC3は数年ぶりに取り出したら電源がまったく入らなかった。ソニーに修理部品がないのでやむなくヤフオクで落札した。より新しい後継機種でもよかったが、使い慣れているHC3を落札した。私のは無傷で、こちらは傷が付いていたけれど、完動したのでどうして自分のが動かなくなったのか、残念である。

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8ミリビデオはビデオカメラのDCR-TRV10を箱に入れて保管していたが、やはり電源が入らなかった。保管の仕方が悪かったとは思えず、これも残念だが、8ミリビデオデッキ+VHSビデオデッキを残しており、これが動いた。

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友人の結婚式で20分くらい話しているバカが写っていた。

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HC3はiLinkケーブル(IEEE1394ケーブル)でBlu-Rayビデオデッキと接続する。



このiLinkは数年前までパソコンにもBlu-Rayビデオデッキにも付いていたが、これも急速になくなっている。2015年に買ったBlu-RayビデオなのでギリギリiLinkがついていた。
しかしパソコンのiLinkは音はパソコンから出るものの映像が取り込めず、以前はミニDVカセットの映像を取り込んで編集していたのに、Windows7のアップデートで使えなくなってしまったか?

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私のHC3はおろかにもカセットテープをいれたまま保管しており、電源が入らないのでテープが取り出せなかった。SONYに頼むと送料を含めて5000円ほどでテープを取り出してくれるのだが、どのみち電源が入らなくて壊れているのだから、お金がもったいないので自分でカメラを分解してテープを取り出すこととして、取り出した。最後は、小さなスプリングをはずしたらケースがパカッと開いた。

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テープがビデオヘッドに絡み付いていて、多少シワになったけれども、うまく取り出せた。思ったとおり、2013年4月の埼玉県秩父市の羊山公園に芝桜を見に行った映像が残っていて、最後の部分の画面がシワで乱れたけれども、ほかのシーンは正常にHDDビデオデッキにダビングできた。

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8ミリビデオテープで家族を撮影した映像は55本だった。

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順番にダビングしていくしかないが、最初のテープにビデオカメラを貸してくれたエロ鈴木と、その後ろにまだハゲていないハゲ鈴木が写っていた。



ほかにも大木一美さんちでクイズごっこをしている森田敬和や水野文也、水津康夫さんもほかのカットで写っている。森田も道蔦岳史も家に遊びに来て子供をあやしてくれた。

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そしてよちよち歩きの子供がかわいい。ずいぶん遊んだし、かわいがった。もっとかわいがればよかった。



ミニDVカセットテープは33本あった。こちらは2000年から2005年はスタンダード画像、2005年以降はハイビジョン撮影になっている。

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2009年のハイビジョン撮影で、息子にゴルフを教えるお父さん。自分は出来ないくせに、オヤジは息子にゴルフを教えたがる。

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全部をダビングするのにかなりの日数がかかるし、それまでに機械が壊れないように祈るや切。

| 家電・AV | 19:44 | comments(0) | - |


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