CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
Amazon左








マウスコンピューター/G-Tune






MOBILE
qrcode
自作の曲をMuseScoreで楽譜にしてもらう
高校生から大学生のころ=1970年代は、シンガーソングライターが作って歌うフォークソングが大ブームだった。私も感化され、歌を作詞作曲し、ギターで弾いてカセットに録音した。そのテープが出てきたのでデジタル化した。

DSC01728.jpg

私は楽譜は読むのも書くのもできないが、先のブログ記事を読んだ五十嵐貞喜さんが「MuseScoreというソフトがあります。楽譜が作れます」というので試してみたら、自分で音符を配置していかなければならなかった。作曲の素養がある人の支援ソフトの位置づけだろう。試しにやってみたが、思うとおりに行かない。
すると、五十嵐さんが採譜してくれるというので、10代の私が歌っているMP3を送った。

ms-1.jpg

このソフトは再生もしてくれる優れものだが猫に小判、豚に真珠。鼻歌を歌うと楽譜にしてくれるソフトがあるらしいが、それでないと無理。
すると五十嵐さんから伴奏アレンジまでしてくれた楽譜が届いた。ありがとうございます。
楽譜はクリックすると大きくなるので、ピアノの先生は弾いてみてください。

あき> 作詞:いなこ 作曲:北川宣浩
Capo=2
C     Dm
どんぐりが落ちた

C    G7
木から落ちた

C  Am  F G7  C
頭の帽子を忘れていった

DSC01742.jpg

あき-1楽譜.jpg

NAO2> 作詞・作曲:北川宣浩
高校の後輩の尚子は巨乳だったが、社会人になってつきあった尚美は貧乳だった。NAOというタイトルは時期的に尚子からつけたのかもしれないが、歌詞の内容は無関係。ほとんどが同じフレーズの繰り返しで手抜きではないが、そういう気持ちだったのだろう。
Capo=2
Am   F   G      Am
ぼく ぼくは 見つめていたんだ

Am   F   G     Am
でも ぼくは 知っていたんだ

Am    F     G      Am
あの子は あいつを 見つめているのを

Am    F     G      Am
あの子は あいつを 見つめているのを

あの子は ほほえんで いたかな?
もう見れなかったんだ あの子のこと
でも きっと ほほえんでいた
でも きっと ほほえんでいた

 C    G      Am
 ぼくには わかっていたんだ  

 C    F       G    Am
 こうなるのは どうしようも ないことさ

あの子は ぼくに何か言おうと
したみたいだったけれども
けれども 僕は窓の外を見ていた
けれども 僕は窓の外を見ていた

窓の外はもう秋だったんだ
窓の外はもう秋だったんだ
夏は終わってたんだ とっくの昔に
夏は終わってたんだ とっくのむかしに。

DSC01740.jpg

NAO2
↑クリックで拡大

MIWA1> 作詞・作曲:北川宣浩
結構難しいメロディで、五十嵐さんも伴奏を作るのを難航した。絆創膏が軟膏。

CM7   Am7  CM7  Am7 Dm7  F CM7
昼下がりの 小さな公園で 僕と君の手は ひとつに

CM7   Am7  CM7  Am7 Dm7  F CM7
風そよいで 木の葉は 囁き なぜか 君の目は涙が

F      G   G      Am
言葉は何もいらない 二人いるだけでいい

F    G    CM7
ひとつの幸せを つつんで

去りゆく人の淡い想い出は 今は砂にうつるその影
時は流れ 夢の小径を さまよい歩くひととき
過去は今捨て去られ 二人未来にとびたつ
あしたへの道を求めて

DSC01735.jpg


↑クリックで拡大

秋の雨> 作詞・作曲:北川宣浩
詩の内容と違って軽快な曲。
Capo=2
Em  G  Em  G  D7

G  Em    G
秋の雨 つめたく

   Em    G
夕暮れの街 ぬれてる

   D7      G
君の吐く息が 白く見えるよ

青いカサ 二人で
水たまり ブーツで
カサに落葉が ちょこんとのって

風の中 もみじが
ひとしずく つかんで
夢のおわりを つげていったよ

   Em       G
君の手紙が にじんで読めなかったのも

  Bm    D7  G    Em
きっと 雨のせい 涙じゃ ないんだ

G  Em  G  Em  D7  G

DSC01734.jpg
 

↑クリックで拡大

秋の雨のメロディを聞く。五十嵐貞喜さんがMuseScoreで制作。


堕ちた男のバラード> 作詞・作曲:北川宣浩
実に暗くゆがんでいる歌詞だが、私の中身は当時と変わっていない。吉田拓郎っぽく、ギターをかき鳴らして怒鳴るように歌った。
Capo=2
Am    Em Am      Em 
ひねくれ男が 電信柱によりかかり

Am   Em  F E7 Am
1年間のヘドを吐いている

人をうらやみ 人をおとしいれ
そして自分をなぐさめて

負け犬男が 電信柱によりかかり
昔の女を 呼んでいる

あのくちびる あのむね
いましがた かりそめの
1年間のヘドは 足にふりかかり

ひねくれ男の 黒い涙は
自己の正射影の やみの中

夢を追い求め 夢に酔いしれて
そして夢に つぶされて

DSC01745.jpg

楽譜堕ちた男のバラード-1.jpg
↑クリックで拡大

カシオトーンで弾いてみたが、右手と左手がうまく連動しない。左手は1つの鍵盤を押すだけで和音(CとかFとか)が鳴るんだけど、うまくいきませんでした。

DSC01816.jpg

こうしてみると、1970年代から1980年代にかけての20年間、高校生から大学生、そして新米社会人を過ごす中で、私の人生を決定づける才能が開花した。
作詞作曲をしてギターで歌える
イラストを描く
クイズ番組で優勝する


そのあとの人生はこの感性ならぬ慣性・惰性で動いていたと思う。
ましてや今は「あがって」しまった。
人生の終着駅が見えてきて、昔のオレは偉かったと思うしかない。

| 日記・つぶやき | 10:40 | comments(0) | - |


PayPayに初チャージ
電子マネーの競争が激しく、オリガミペイは二束三文で買収されたし、セブンイレブンのナナコPayd払いは会員獲得を急ぐあまりセキュリティが緩くて、不正引き出しが相次いで大変な状態だ。ナナコPayは廃業に追い込まれた。

そんな中でも先行組のPayPayはYahoo!のグループの強みを活かして、他をリードしている。PayPayしか電子マネーが使えない店があり、やむなく登録した。そんなPayPayも初期には不正が相次いでいた。

クレジットカードと紐つけて使っていたが、6月の消費税還元5%をやっていた時、500円のランチを食べて25円の還元があった。いまどきあたりガムも買えない。やむなくセブンイレブンのATMでチャージができるというので、やってみた。

そもそもがセブンのATMを使うのが初めて。店で見ているとかなりの人が利用している。銀行で下ろしたほうが手数料がかからないのに(時間によってはかかることもある)、なんで使うのだろう。やはりそこにある便利さだからだろう。

ATMのメニューに「電子マネー」とあるのはナナコやSuicaなど。「スマートフォンでの取引」がPayPayやd払いのチャージだ。これに気づくのに2回エラーを出した。わかりにくい分類だ。

ようやくチャージ画面になり、1000円をチャージすることに。
画面に出たQRコードをPayPayでスキャンすると4桁の数字が出て、それをATMのテンキーで入力すると認証された。1000円札を入れるとあら不思議、1000円がチャージされて1025円になった。



これで数百円単位の買い物ができるようになったので、セブンイレブンでちょっと買い物をした。
次回は「足りない分は現金で払う」ことにして0円にしようと思うが、またはした金がおまけで付くこともあるだろうから、なかなか0円にならないと思う。

PayPayを使うのは、ホームセンターとコンビニくらいで、何万円もの買い物にPayPayを使うことはないと思う。PayPayのクレジットカード払いだって限度額を月5000円のサイテーにしているので、もしもの時も大きな被害はないはずだ。
| 日記・つぶやき | 20:14 | comments(0) | - |


シンガーソングライターになれなかったよ
マルチオーディオレコーダー/プレーヤーを買ったので、レコードやカセットテープのアナログ音源をUSBメモリーに録音している。カセットテープは自作の曲をギターで弾いて歌っているものも含まれている。

DSC01727.jpg

私が高校生から大学生に至るころは、吉田拓郎に代表されるニューミュージック、自分で作詞作曲して歌うシンガーソングライターがブームで、若者(死語)は大きな影響を受けていた。
音楽雑誌は各種出ており、シンガーソングライターがアルバムを出すと、全曲の歌詞やギターコードが掲載されていた。

DSC01730.jpg
DSC01731.jpg

これは高校の文化祭の後夜祭で、部活(写真部)のメンバーと「人間なんて」を熱唱している写真だ。残念ながら音は録音されておらず、文化祭全体でいろいろ写真を撮ったはずだが、ネガも紙焼きも残っていない。

DSC01728.jpg

この時は即興でピック(ギター演奏用の爪)がなく手で引いていたので気づいたら指が血だらけだった。そのときの弦が残っていた。錆に見えるのは私の血でDNA鑑定をしてみるがよい。

DSC01733.jpg

私はギターを買ってギターコードを覚え、C F G7 の基本コード進行も覚えた。C♭とかG♯とか、わけのわからない押さえ方をするコードもあったが、ほどなくCFG7に移調(転調)して、カポ(カポタスト)というギターのネック(棹)のフレットを抑える道具を使って、キーの高さを原曲に合わせる技を発見した。

そして作詞作曲をした。シンガーソングライターに憧れていたのだ。
これらの曲を歌っている音源が発掘され、USBメモリに録音し、久しぶりに聞いた。
なんと多重録音されており、ギターのコードをかき鳴らすのと、アルペジオ、メインボーカルとバックコーラスまで自分でこなしている。これは英会話の練習用に買ってもらったLL(language laboratory)のカセットレープレコーダーの、先生の発音を聞いて自分の声を録音する機能を応用している。LLラジカセについてはこちらに詳しい

秋の雨> けっこう気に入っていた。
DSC01734.jpg

<MIWA1> 美和、または三和というのは女性の名前だ。三和子という後輩がいたけど、特に付き合ったわけでも気があったわけでもない。

DSC01735.jpg

貧困の詩> 泉谷しげるの「白雪姫の毒リンゴにインスパイアされて、そのメロディーで歌う。
DSC01736.jpg

反戦歌1> 当時はまだ学生運動が華やかなころで、たいていは反戦だった。反戦歌も多くラジオから流れていた。
漢文の授業中に作っていたようだ。
DSC01739.jpg

NAO2> 当時、尚子という後輩が僕に気があったのは知っていたが、尚子はそのうち同期の健一路が好きになった。しかし彼は尚子のその気持ちを知っていながら、気がなく冷たくしていたので尚子は体調を崩してしまった。社会人になってから尚美という女の子と付き合ったが、このNAOはこれらの女の子とは関係ない。フィーリングで付けたタイトル。
DSC01740.jpg

あき> 高校の同級生 いなこ が詩を書いてぼくが曲を付けた。いなこは性格がよかったけれど、付き合うルックスではなかった。
DSC01742.jpg

堕ちた男のバラード> 50年前も今も、精神構造はまったく変わっていない。
DSC01745.jpg

こうやって過去を振り返ってばかりいる。
| 日記・つぶやき | 18:31 | comments(0) | - |


オーダー本棚を組み立てて設置する
本は増える。
捨てる本や雑誌もあるが、捨てがたい本もあり、片付けていると見入ってしまい時間だけが経ち、何も片付かない。

これが最後と、幅1cm刻みのオーダー本棚を組み立てて設置した。



左右はこれまで使っていた本棚で、その間隔に収まる67cm幅の本棚をオーダーして、今日届き、早速組み立てて取り付けた。

いろいろネットで調べると、楽天市場で幅を1cm単位でオーダーでき、高さも数種類から選べる本棚があった。


 


既存の2つの本棚の間は68cmあり、ここにぴったり入る本棚として、67cm幅の、やや背の低い本棚を注文した。幅のほかに色や棚の間隔などをカスタマイズできる。ネット注文に慣れない人はある程度決まった寸法のお勧め本棚があるが、私の場合は既存の本棚の間に収める必要があり、このショップで注文した。

DSC01662.jpg

棚などはすべてバラバラの状態で、プラスドライバーが必要となる。ほかに木槌があると便利だ。一人で組み立てたけど、手伝いが一人いると捗る。

DSC01663.jpg

組み立て説明書があり、それに従って組み立てていく。だいたいが説明書を読まないのだが、今回はちゃんと読んだ。この説明書の優れた点は、一番最初に組み立ての概念図があることだろう。

DSC01664.jpg

最初に左側を組み立てて、次に右をはめ込んでいく。木は反るからぴったりはめるのは難しい。それにしても、1cm刻みのオーダーを10日くらいで納品するシステムは素晴らしい。

DSC01665.jpg

木工用接着剤が付いており、ぴったりなくなった。

DSC01667.jpg

組み立てた本棚を間にはめるとピッタリ。さすがだ。

DSC01669.jpg

右側と左側の本棚は異なる種類だけど、ぴったりはまった。調子に乗って間隔ピッタリの68cmにしていたら、はまらなかっただろう。木のゆがみがあるので、上と下とでは間隔が異なるので、多少の余裕をもった。もし緩くてガバガバだったら転倒もしやすくなるから、補強として古雑誌を挟み込もうと思って用意していたが、不要だった。

DSC01671.jpg

棚は3cm間隔で自由に設置できる。爪を取り付けて、

DSC01672.jpg

本の高さごとに段をまとめて並べていく。これらの本はかつては床置きしていたかわいそうな本たちだ。

DSC01673.jpg

地震による転倒を防止するため、ホームセンターでL字アングルを買って左右の本棚に取り付け壁に固定した。

DSC01675.jpg

文庫本やDVDは前後二列に置けるのでもう少し本は入るけど、もうこれ以上は本の置き場所がなく、本はこれでおしまいにしたいけど、無理だろうな。
| 日記・つぶやき | 15:38 | comments(0) | - |


徘徊老人の一歩手前か
余裕のある時は午前中に散歩に出かけている。いくつかコースがあるが、一番ポピュラーなのは隣の駅まで線路伝いに歩き、線路を越えて別の道で戻ってくるルートである。3km程度で1時間以内で歩く。遅いペースだ。

昨日もこのコースを歩いたのだが、帰り道にあるお寺の境内を通過した記憶がない。たいていは、花が咲いていたとか、寺男が掃除をしていたとか、何か記憶に残っているものだが、昨日の散歩の、特にお寺の記憶がない。

DSC01516.jpg

そこで、今日は一つ一つ確認するように目に止めて歩いた。

赤い花がきれいな背の高い木。名前はわかりませんがよく見かけます。

DSC01515.jpg

お賽銭をあげてお祈りしたので、今日の寺の記憶は鮮明だ。ウォークマンから米津玄師のLemonが流れていたが、イヤホンを外し、帽子を取ってお祈りした。
白いTシャツの男がいた。参拝者でもないようで、何なのだろう。そう言われると私も何なのと思われるだろう。

DSC01518.jpg

昨日の記憶が全くなく、おそらくウォークマンを耳に考え事をして歩いていたから記憶がないのだろうと思った。駅前に戻ってからの記憶はある。

だが、もしかして、これは徘徊老人の一歩手前なのではないか。老人が徘徊するのは意識した散歩から足の向くままに歩いてしまい、気づくと知らない場所だということではないか。
しかも自宅に着いて散歩アプリを止めるのを忘れてしまい、夕方まで歩いていたことになっていた。

DSC01520.jpg

かつて祖母は実家に行く途中に道に迷った。歩いて行けるほぼ1本道で、最後に曲がる角が分からなくなったのか。
幸いにも警察官に保護されて、父が交番に迎えに行った。祖母は現在の記憶がなく「祖父の陸軍の階級」を言ったらしい。その妻だからなんとかしろと言いたかったのだろう。若かった40年前の記憶は鮮明だったのだ。
認知症なんていうあいまいでいい加減な用語はなく、老人性痴呆症、ボケ老人と言った時代だ。

そのトラウマが少なからずあり、何か物忘れをすると、ボケてきたのか、認知症かと思ってしまう。

土曜日に粗大ごみを回収センターに廃棄に行ったとき、自分のスキーシューズが車になかった。あ、ガレージの別の場所に置いていたから積み忘れたのだと、慌てて「忘れました、取りに戻ります」と戻ってみると、ガレージにない。
なんと、車の後部座席の下に置いてあった。ドアを開ければすぐにわかったが、トランクルームだけ開けてスキー板などを急いで出したので見えなかったのだ。

そもそも椅子の下に置いたことを忘れている。まったく忘れていた。
慌てていたせいもあるかもしれないが、オレオレ詐欺は慌てさせるところから始まる。
再び回収センターに行って何食わぬ顔で係員にシューズを渡した。

記憶力は人五倍あったはずなのだが、実に情けない。

さらに、さきほどテレビの裏の配線を確かめて立ち上がろうとしたらよろけて、壁に肘をついてしまった。壁紙がエンボス加工なのでざらついており、肘の皮が剥けた。
だから、道路で何かに躓いて車道側によろけることも近々あるだろう。

知能も身体も明らかに衰えた。顔も写真を見るとマリオネット線(口の左右から下に伸びる皺)がくっきりと出ている。ずいぶんと老けた。
酔った種村直樹氏に「かわいい、かわいい、北川君」と言われたのも40年前だった。
人は老いても40年前のことは昨日の出来事以上に鮮明なのだ。

だから若い人たちに混じりたいし、若い人と同じだ、自分は若いと錯覚してしまうが、鏡を見るとあれから40年経った老人なのだ。

人生100年時代といい気になっている人たちがいるが、己を知ることが大事ではなかろうか。あるいはそれを無視して若い気ごころを持つべきなのだろうか。
| 日記・つぶやき | 18:17 | comments(0) | - |


正露丸の匂いがしみこんだザックとウィンドブレーカー
押入れの衣装ケースにしまっておいたザックとウィンドブレーカーを処分した。
どちらも旅行に愛用していたが、今から15年ほど前に正露丸と一緒にしたまましばらく衣装ケースに入れていたら、次の旅行の時に取り出すと、正露丸の匂いが布に染みついていたのだ。

何度か干したが15年経っても効果がなく、いまだに正露丸の匂いがする。代替えのものがあるので、処分することにした。
そういえば、最近旅行に正露丸を持っていかない。以前はこれがないと困ったのだが、この10年ほど正露丸ナシでも旅行に行って帰ってきている。ほかの薬が必要だけれど。

ザックビクターのVHSビデオテープを買いに買ってシールを集めてもらったものだ。手に入れたのはおそらく80年代だったのではなかろうか。

DSC01510.jpg

上下二段に分かれている、珍しいタイプだった。



当時のVHSビデオテープに限らず、カセットテープやベータマックスには録画した番組名などを記すシールが添付されていた。そのシールの余白に点数の入った小さなシールがあり、それを集めてもらったものだ。今となっては何枚集めたか、それがいくらかかったかわからないが、壁一面にVHSビデオテープがあるのだから、100巻はくだらないと思う。

このザックはビデオ撮影に出かけるときに使うイメージだった。上下二つに分かれているのは上にカメラ、下に機材なのだろうか。

ポケット部分にJVCとVHSのロゴがあるが、このポケットはVHSテープがちょうど入る大きさだった。今回、中を見たらティッシュが入っていた。

DSC01512.jpg

難を言えば、肩に背負うベルト部分がペラペラだったことか。切れることはなかったが、何となく不安だった。

DSC01511.jpg

同じ衣装ケースにあったのが、L.L.Beanのウィンドブレーカーだ。
これにも正露丸の匂いがしみこんでいた。この写真では青に見えるが、緑色だ。撮影の蛍光灯の影響で色が変わって見える。タグの写真の緑色が正解だ。

DSC01507.jpg
DSC01509.jpg

折りたたんで胸のポケット部分に裏返すようにしてコンパクトにしまえる便利なもので、秋口の旅行に重宝した。
LLビーンは90年代のまだネット通販が一般的でないときに通販で愛用しており、アメリカまで国際ファクスをして国際郵便で購入していた。

DSC01508.jpg

このウィンドブレーカーを着ている写真を探したが見つからなかった。

もう一つ、ウェストポーチが出てきた。これも別のものを使っており、もう使わない。

DSC01506.jpg

中に宝くじのノベルティで貰ったバンドエイド(サビオ)が入っていた。
どうやら使わないで済んだらしい。



****
ウィンドブレーカーはL.L.Beanのサイトを見たら出ていないので廃番になったようだ。便利だったので洗濯して使うことにした。
大鵬薬品によると、正露丸の匂いが繊維の中までしみこんだら洗っても落ちないそうだ。多少、臭いが緩和されたが、やはりまだ匂う。

  
| 日記・つぶやき | 20:19 | comments(0) | - |


「日本のナイチンゲール」会津の瓜生岩子をご存じですか
会津が生んだ女傑と言えば新島八重(山本八重)が有名で、NHK大河ドラマ「八重の桜」にもなったが、八重が教えを乞うたと言われるもう一人の女傑がいる。その人は「(日本の)社会福祉の母」とも「日本のナイチンゲール」とも呼ばれた瓜生岩子(うりゅう・いわこ)だ。

106492669_298871597831485_2205385231795659086_n.jpg

岩子(岩ともいう)は1829年(文政12年)2月に、現在の福島県喜多方市熱塩に生まれた。熱塩は市町村合併前は熱塩加納村と呼ばれたところだ。老鉄道マニアには廃線になったローカル線の日中線が脳裏に浮かぶかもしれない。

1974年、終着駅の熱塩駅。モノクロ写真をAIでカラー化した。



日中線の廃線跡はサイクリングロードになっている。

で、瓜生岩子だ。
彼女は幼いころ、医師である叔父の家に預けられ、行儀作法を見習いながら実践的な哲学や堕胎防止の啓蒙を学んだ。
結婚し、夫と呉服屋を始めるが夫が病に伏せ、幼い子供たちと商売の世話、親の介護などをしていたが、夫が死亡。岩子は深い喪失感にかられた。
岩子は「尼になりたい」と思ったが、戊辰戦争が勃発し、会津は戦場になりそれどころでなくなった。岩子はこのとき敵味方の区別なく傷病兵の看護にあたった。戦死者には野菊をたむけた。
明治維新後、岩子は学校を開く。しかし翌明治3年、会津藩は陸奥国に移動され、岩子の学校も閉校、次々と襲う悲劇だが、それにも負けず岩子は逆に貧民救済事業を学ぼうと、上京する。
そして東京市養育院に招かれ、子供たちの世話をする。これには渋沢栄一が動いてくれたという。

後藤新平と無料の診療所を全国に作ろうとしたり、台湾の貧民を救済しようと、長男を台湾に送ったりもした。
岩子のエネルギー、特に貧しく傷つき困っている人に尽くす姿勢は「驚愕」するほどだ。

まだ社会福祉とか、ましてや女性の社会的地位がなかった時代。しかも富国強兵殖産興業で福祉などに目が向けられなかった時代に、岩子は率先してその礎を築いたのだ。

今、コロナの時代で患者や医療関係者とその家族への差別があからさまに行われている。令和になってもそうなのだから、150年前はいかほどであったか。岩子は自身の不幸も顧みず、人々のために尽くしたのだ。

岩子の墓は菩提寺の熱塩の示現寺にある。その墓石の揮毫(きごう)は渋沢栄一の筆という。


107527042_630797331123083_3314693558191048412_n.jpg

岩子はあまり知られていないが、岩子の生涯を小説風に描いた本に「炎は消えず 瓜生岩子物語(廣木明美)」がある。

DSC01491.jpg

また、子供向けの親子で学ぶ偉人物語に「瓜生岩子」がある。

地元では小中学校で必ず学ぶ人だし、東京の浅草寺にも篤志家が作った銅像がある。

いまこそ瓜生岩子をもっと知って、彼女の生き方に学ぶべきだと思います。


  
| 日記・つぶやき | 20:19 | comments(0) | - |


| 1/171PAGES | >>