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切手コレクション 郵趣趣味
レイルウェイ・ライター種村直樹氏は子供時代から特殊切手、一般には記念切手と呼ばれているが、それを集めるのが趣味だった。
切手を集める趣味は、半世紀前はごく普通の子供たちがやっていたし、大人たちでも珍しくなかっただろう。

なにより郵便が身近だったことだ。遠方の人との連絡は手紙がメインだった。電話も普及していたが、長い話を伝えるのは手紙のやり取りだった。

貯金も、銀行はあったが国家事業の郵便は絶大な信頼があり、郵便貯金は誰もがごく普通に預けており、利率の良い定額貯金は10年預けると福利で倍に増えた。10万円を預けると10年後に20万円になっていたので、これはおいしかった。

種村氏は団地の向かいにできたマンションの購入資金にするため、記念切手の多くを売ったというが、それでも事務所にはまだ多くの特殊切手がシートのまま保存されている。

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これらはいずれは処分されるのだろうが、私も小学生の頃は記念切手を集めていた。
そして友達同士で切手カタログを見て、いくらになったか調べて計算していた。

そんな切手帳が押し入れの奥から出てきた。

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ただし、切手カタログの値段はシートになっているものの1枚の金額で、バラになっていたら二束三文という話をいつの日にか聞かされた。あるいは切手商が販売する上代価格でもあった。
小学生の小遣いでシートが買えるわけがなく、郵便局でばら売りされていたものを1枚2枚と買っていただけだ。あるいはデパートの切手展などで即売されていた昔の記念切手をなけなしの小遣いをはたいて買い、いくらになっているか楽しみにしている子供の夢を奪うような衝撃の事実だった。

中にはシートの切手も出てきたが、いくらなのだろう。高校生以上になればシートでも切手を買えた。
とはいえ、査定することも、ましてや増税や郵便料金値上げでちょっと前の切手との差額に使うことも考えられない。

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今も郵便局に行けばさまざまな記念切手が売られている。中にはシール状で剥がして貼ればいいだけの切手もある。

私は種村氏の影響で普段の郵便物に記念切手を使っている。受け取った人がほっこりすればいいなと思っている。
| 日記・つぶやき | 22:52 | comments(0) | - |


住宅街に咲く花
暖かい日が続いている。今日は上着がなくても平気なほどの陽気だ。
界隈の梅もほぼ見ごろになり、梅の木を植えているお宅も多いので、散策してみた。
かつて我が家にも梅の木があって、虫が出たり梅酒をつけたりしていた。
これは1974年(昭和49年)のうちの梅の花。これが最後で、家の建て替えのために伐採された。



さて、令和の界隈をSONY Cybershot RX100M7をぶら下げて徘徊すると、各所で立派な梅の木が開花している。

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その隣のお宅も開花しており、おばさんが掃除をしていたので声をかけて写真を撮らせてもらった。

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このお宅はの花も咲いているようだ。いや、こういう梅かもしれないが。
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おばさんにお礼を言って先に進む。人に声をかけるのは先の「鉄の流儀」写真展で小竹直人先生の教えである。旅の師匠の種村直樹氏も元新聞記者らしくどんどん人に声をかけて"取材"していた。

今日の撮影テーマは「住宅街の花」と自分で決めたので、周辺の状況を含めて撮影している。

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しばらく歩くと、角が更地になっていた。
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ここは私のお気に入りの大きな古い家で、かんきつ類の実がなってアクセントになっていた家だ。
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2019年撮影。

なんとまぁ残念なこと。駐車場と合わせて無粋なマンションになるのだろう。

これはではないか?。大学のグラウンド脇のピンクの花。

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歩くと次々に梅の花に遭遇する。

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この花は白だがちょっと黄色っぽい。こういう品種なのだろう。
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散歩する人の目を慰めてくれるので、こういう木や花を育てている家はありがたい。

白い椿の垣根。わざと道路を入れて住宅街の雰囲気を出したつもりの写真だ。

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散歩コースのおなじみの更地。夏は色とりどりの花が咲いていたが、今は白いこの花。建築計画の看板が立って、いよいよ工事のようだ。

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2019年4月撮影。
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濃いピンクの花。
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かんきつ類が成っている。
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立派な建売住宅が完成していた。
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更地になっているときの写真。
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この郵便局の角は材木倉庫だったのだが取り壊して更地になっていた。
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建売住宅がほぼ完成していた。奥を先に作り、手前は奥が出来てからの建設だった。
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道をふさぐような大きな梅の木。
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アップにすると花は可憐だ。
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私はあまりアップにしないで、全体の雰囲気で撮るほうだが、テレビを見ていると、花も人の顔もかなりアップで撮影しているので、最望遠にして撮ってみた。

花の名前がわからなくて恥ずかしい。撮影するとAIで花の名前を教えてくれるアプリがあるらしい。
| 日記・つぶやき | 14:26 | comments(0) | - |


せたがや梅まつりに行く 羽根木公園
恒例のせたがや梅まつりに行ってきた。小田急線梅が丘駅下車の羽根木公園が会場で、650本の梅の木が植えられている。
羽根木公園のは、昭和42年(1967)、当選した区会議員55名が55本の梅の木を植えたのが始まりらしい。地名は梅丘で最寄り駅は小田急線梅が丘だが、梅の木を植えたのは地名にちなんでの後付けである。

いつもは休日に行っているが、今日は平日で、しかもまだ始まったばかりで7分咲き。かなり空いていた。

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その分、園内は広々としており、ゆったりと鑑賞できる。カメラはニコンD810で、休日とは比べ物にならないほど自由にアングルを考えて撮影出来た。

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白い花が多く、赤い花がちらほらと。

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ピンクの花は少ない。歌碑のうしろにピンクの花。

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今日を狙ったのは抜けるような青空だから。

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園内に日本家屋がありお茶をたててくれるのだが、休日しか営業していない。だが、日本家屋に梅の花はよく似合う。

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大きな欅もあり、梅の花、青空とのコントラストが美しい。

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梅の木はみんな同じでなく色の違いのほかに種類も違っていて、この木は八重野梅だが白加賀というのが多かった。梅酒になるらしい。

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実は小田急線を入れて撮り鉄をしたのだが、右側に車両がチラリとみえるが、説明しないと見えない。距離がありすぎてピントが合わな過ぎた。

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真っ赤な椿の花もちらほらと咲いている。

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知らない鳥もいた。メジロもいたし、世田谷区にはまだ野鳥がやってくるのだ。

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売店も空いていたから、梅大福という甘い梅の実が中にある大福をいただいた。お茶がサービスでありがたかった。

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そういえば、昔住んでいた家には梅の木があり、毎年梅の実が出来て梅酒や梅干しにしていた。梅の木は大きいから、今の都会の普通の家で植栽するのは厳しいだろう。
| 日記・つぶやき | 18:34 | comments(0) | - |


過去のブログ記事をJUGEMに取り込む
このブログはJUGEMというシステムを使っている。その前はyaplog、その前は@niftyのココログというブログシステムを使っていた。

yaplogからはデータが残っているが、それ以前はシステムを切り替えるときに特段の保存をしないで消して(消えて)しまい、次のブログシステムに移ったと思っていた。
しかし死期が近づくと昔が懐かしい。あの頃は何をしていたっけ、と過去のブログ記事を読みたくなった。

そこでインターネットアーカイブで調べると、私のような者のブログでも一部が残っていた。それを手動で日付は当時のもので取り込んだ。
さらに本棚のDVD-RAMに消したと思っていた過去のブログ記事を保存してあった。

これらを手動で1記事ずつこのブログシステムに取り込んだ。
パソコンなら画面左の年月別の目次を、スマホなら一番下にさがって「アーカイブ」をタップすると、年月メニューが出てきます。



2002年3月から2004年7月までが今回取り込んだ過去のブログ記事である。それ以前は、ブログシステム自体がなかったはずだ。ただし、1990年ごろからパソコン通信をしていたので、日記ではないけれど、その投稿記事がどこかに残っているかもしれない。また2005年12月からはyaplogに書いており、それはすでに取り込んだ。8月〜11月は特になにも書いていなかったようで空白期間だ。
で、私は約18年分の行動がネット上に残っている人のわけ。

今回取り込んだ2000年初頭は、家庭では子供たちが中学や高校にあがり、夏は北海道、冬はスキーに家族旅行に出かけており、仕事はオフィスが神田から目黒に移転して、日々楽しく過ごしていた。公私ともに充実していた。

●2002年3月〜5月 @nifty日記システム

20020503-最近の北川宣浩---web.archive.org.jpg
 
●2002年6月〜2004年7月 @niftyココログ

初期のデザインテンプレート
200312北川宣浩-今日の出来事-_-December-2003-バックナッバー---web.archive.org.jpg

後期のデザインテンプレート
20040609.jpg

●2004年12月〜2005円10月 yaplog

イけてるモノ・コト---yaplog.jp.jpg

●2005年11月〜現在 JUGEM




過去の記事の写真はパソコンに保存してある元の写真を利用したものが多いが、ショックなのは一部の写真がなかったこと。消してしまったのだろうか。ランチの写真などは別にどうってことないからと、ブログにアップしたら消したのかもしれない。つぶれた店も多いので、こういうのはちゃんと保存するべきだと思うが、後の祭り。

2002年ごろの記事はまさに「日記」で、たんたんと出来事を書いているにすぎず、仕事のことも割とはっきりと書いているが、、yaplog以降は読者の存在を意識し始めた。仕事についてはあまり書かないようにしている(これでも)。

小学校の時分、日記をつけるように担任の先生から指導されており、作文力がついたらしいけれど、あまり良い文章ではないと思っている。もう文体も性格も変えようがないけれど、今後も続けていく所存です。
どうぞよろしくお願いいたします。
| 日記・つぶやき | 23:15 | comments(0) | - |


バレエを鑑賞する アリーナ・コジョカル Bunkamura
この歳になって生まれて初めてバレエを鑑賞した。
自分の意志ではない。札幌の旧知が切符が余ったのだろうか、渋谷のBunkamuraオーチャードホールアリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト2020のチケットを買ってくれないかと連絡が来た。

バレエなどガラでもない。しかしほかに行く人もおらず、結局行くことになった。

アリーナというので、さいたまスーパーアリーナみたいな会場かと思ったら、アリーナは人の名前だった。アリーナ・コジョカルは世界的に有名なプリマらしい。



バレエはクイズ的知識で、プリマドンナ、トゥシューズ、チュチュ、白鳥の湖、くるみ割り人形くらいしか知らない。それで充分でもある。しっかし、最近はあまり外に出ないし、同じことばかりやっていても衰退するだけなので、いい機会だから鑑賞することにした。

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オーチャードホールも初めてで、結構広くて遠くて双眼鏡を持ってくればよかった。実は持ってこようと思ったのだが、"のぞき"と思われたくないので家に置いてきたら、会場ではオペラグラスの貸し出しをしていたので、持ってくればよかった。
さらには、どんな服で行けばいいかもわからず、スーツにネクタイがドレスコードだったら面倒なので、元千葉県会議員の水野文也君に電話をして聞いたら「フツーでいいっすよ」というので、ごく普通の服で行った。水野君のご子息はロシアでバレエ劇団に入っているのだ。

〈アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト2020〉
Aプログラム 上演作品と出演者

「バレエ・インペリアル」
振付:ジョージ・バランシン 音楽:ピョートル・チャイコフスキー
ヤスミン・ナグディ‐フリーデマン・フォーゲル
中川美雪
宮川新大 - 生方隆之介
金子仁美 - 秋山瑛
東京バレエ団

「海賊」
振付:マリウス・プティパ 音楽:リッカルド・ドリゴ
菅井円加、オシール・グネーオ

「エディット」(新作世界初演)
振付:ナンシー・オスバルデストン 音楽:エディット・ピアフ
ナンシー・オスバルデストン

「ABC」
振付:エリック・ゴーティエ 音楽:フィリップ・カニヒト
ヨハン・コボー

「マノン」より 第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン 音楽:ジュール・マスネ
アリーナ・コジョカル、フリーデマン・フォーゲル

「ドン・キホーテ ディヴェルティスマン」
振付:マリウス・プティパ  音楽:レオン・ミンクス
ナンシー・オスバルデストン、菅井円加
オシール・グネーオ、キム・キミン、ヨハン・コボー
東京バレエ団
※アリーナ・コジョカルの出演については当日の発表とさせていただきます。

指揮:井田勝大
演奏:シアターオーケストラ トーキョー
ピアノ:今泉響平(「バレエ・インペリアル」)
※「ABC」、「エディット」は録音音源での上演となります。


アリーナさんは前の公演で怪我をしてしまい、負担の少ない演目に変更したので、冒頭に本人が出てきてお詫びを述べていた。
最初の大勢で踊るのは、シンクロしておらず、なんだこれはと思った。こんなもので幼いころから泣きながら練習しているのかとも思った。そして体育や運動会のイヤな思い出が脳裏に浮かんだが、それは日本人の前座だったようで、そのうち上手なガイジンの真打が出てきて、これは素晴らしい、マネできないと感心した。

だが、バレエはクルクル回ったり高くジャンプしたり、足を広げたりの芸で、これで多様性を持たせるのはたいへんだなぁという感想である。

このために札幌から鑑賞に来る人もいるのだから、世の中はわからないものである。

| 日記・つぶやき | 22:57 | comments(0) | - |


正常眼圧緑内障、ではない
加齢に伴い、目は老眼になりモノが見づらくなる。
さらには白内障や緑内障を患う人も多くなる。白内障は手術で治るが、緑内障は治らない。視野が狭くなり、最悪、失明する。

あれは神田の眼科だったから神田に勤務していた20年ほど前になる。
目がかゆいので、いつもの結膜炎と思って眼科に行ったら「正常眼圧緑内障」と診断された。緑内障は眼圧検査や眼底検査で発見されるが、自覚症状がほとんどないため、あっても加齢と思われがちなので、ある程度の年齢なら定期的な検査が欠かせない。
毎年、健康診断で眼圧も測定していたのにとイヤな気分になった。

その後は点眼薬で緑内障の進行を遅らせていた。この目薬は冷蔵庫で冷やすもので、長らくビールとともに冷蔵庫にあり、毎日冷たい目薬を差していた。

2004年に会社が目黒に移転して、神田の眼科とおさらばになった。緑内障は気になったがなにしろ自覚症状がないのでほとんど放置していた。

10年ほど前になるだろうか、花粉症かなんかで近所のかたみ眼科クリニックに行ってついでに聞いたら「正常眼圧緑内障じゃないよ」とあっさり言われてしまった。視神経を見て緑内障かどうかわかるらしい。
片見先生は眼科界ではかなりの名医のようで、緑内障でないと言われて安心した。

ところが数年前、片見先生は突然亡くなった。おそらく脳梗塞かなんかだろう。母は目の手術をするというその日の朝、看護師からの電話で知らされた。手術どころでなくなり、ほかの眼科を探すのに苦労した。

今日、初診の眼科で久しぶりに緑内障の検査を受けて、若い先生だったがいきさつを話すと「私も正常眼圧緑内障ではないと診断します」と言われて安心した。

じゃぁ、あの神田の診断はなんだったのだろう。ずっとイヤな思いでいた。
眼科でこうなのだから、もっとややこしい病気はセカンドオピニオンが必要だと感じる。

いま点眼しているのはこんなもの。



眼科の機械も新しくなっており、光線を浴びました。
| 日記・つぶやき | 19:05 | comments(0) | - |


最古のイラストを発掘する
レイルウェイ・ライター種村直樹氏の著作の多くにイラストを描かせてもらったが、最初に描いたのはサンデー毎日の単発記事の原稿である。

1973年に毎日新聞を退社して独立した種村氏は団地の一室を書斎にしていたが、あふれる本にいよいよ限界が来て、1974年、たまたま隣接した空き地に建ったマンションの一室を事務所に購入した。熱心な読者の私はその引っ越しを手伝った。

その後懇意になり、私がかつては漫画家を夢見ていたことなどを話したら、自身の原稿にイラスト、つまり挿絵を描いてみないかと言われた。願ってもないことと同時に寝耳に水で、果たして自分の絵が実際に発行される書籍に掲載されてよいのかと迷いもあったがそれを引き受けた。

挿絵を描いたサンデー毎日はもちろん買って保管しているはずだが、自宅の心当たりを探しても見つからない。捨てるわけがないのだが、どこに行ったかわからない。

種村事務所の蔵書について話し合う機会があったので、おそらくあるだろうとレイルウェイ・ライター事務所にあるスクラップブックを物色したら、見事に発見しました。このスクラップブックは種村氏が自著や鉄道関係の気になる新聞記事を切り抜きしていたもので、事務所には400冊ほどある。

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1976年1月のサンデー毎日のようで、本一冊イラストを描いた鉄道旅行術が1977年の発行だからそれより前だと踏んで探したら、ありました。

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時期的にイラストを描いたのは1975年12月だろう。
サンデー毎日の正月特集の一つで、「正月休みに贈る、ヘンな旅の方法あれこれ」とタイトルがついている。
内容は、3つのヘンな旅の紹介で、
東京→博多 国鉄離れの私鉄・バスツアー
特急に乗らずに、県庁所在地ぐるぐるめぐり
日本列島一周 半月余 のどかにフェリーで


これの挿絵を描かせてもらった。今から思うと、種村氏はこれでテストをしていたのだと思う。サンデー毎日の編集者も「まったく問題ない」とお墨付きをいただき、掲載にいたった。

2枚のイラストのうちの一つは、東京→博多を新幹線などの国鉄を使わない旅行で、実際に一橋大4年の辻聡氏がこの行程を旅したルポがある。イラストにはルート図が入っている。つまり私が描いたわけだ。

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もう一つはヒマそうな下宿人が時刻表を見ながら旅の妄想をしている絵だ。この正月特集のコンセプトのようなものだ。モデルは高校の先輩の下宿である。

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これらの絵にはいわゆるこんにちにつながるキャラクター、つまり種村氏の似顔絵などは出てこない。
サンデー毎日にはほかにも絵を描いたような気がするが、スクラップブックをパラパラとめくったが見当たらなかった。

これが私の、種村直樹氏の著作のイラストの原点だ。

| 日記・つぶやき | 21:18 | comments(0) | - |


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