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ウルトラマン商店街 小田急線祖師ヶ谷大蔵駅前
小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅を起点として3つの商店街がある。

・祖師谷みなみ商店街振興組合 (駅改札左の南口商店街)
・祖師谷商店街振興組合    (駅改札右の北口商店街)
・祖師谷昇進会商店街振興組合 (祖師谷商店街を進んだ先の商店街)

これらをを総称してウルトラマン商店街と呼ぶ。

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駅前にはウルトラマンの像が立ち、各商店街の入り口には
西通り保健センターの前に「ゾフィー」
北通り塚戸十字路に「ウルトラマン」
南の耕雲寺の近くに「ウルトラマンジャック」(帰ってきたウルトラマン)
が飛んでいる。

そのうちの祖師谷商店街振興組合(駅改札右の北口商店街)の街灯はウルトラセブンのアイスラッガーを模しているようだ。

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フラッグはカネゴン(ウルトラQ)のシルエットになっており、ほかのキャラクターも登場している。

古くから開通した私鉄駅前の、狭い狭い商店街にはバスも走る。これは人払いが必要だろう。

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なぜこの3商店街をウルトラマン商店街と呼ぶようになったか。
ウルトラマンを生んだ、円谷プロダクションの本社が砧7丁目に、また円谷英二氏の自宅が祖師谷3丁目(ウルトラマン商店街内)にあったことで、いわゆる誕生の地として、ウルトラマン商店街と呼ぶことにしたそうだ。
近くには東宝スタジオやTMC(東京メディアセンター)もあり、いまだに映像制作が行われている街でもある。

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ただ、祖師ヶ谷大蔵と言えば団地の街のイメージがある。
Googleアースで見るとこのとおり、北部に団地が広がる。
小学校の担任の比木和博先生宅があり、2度ほどお邪魔したことがあった。



ウルトラQ、怪奇大作戦などの円谷作品にはこの近所で撮影したものが多数あり、もう50年も経ってしまった、懐かしの風景が見られて、それはそれで楽しみだ。

  
| 日記・つぶやき | 21:13 | comments(0) | - |


伊能忠敬 没後200年 日本地図を実測で作った男
今年は伊能忠敬没後200年とのこと。
江戸時代に正確な日本地図を作った伊能忠敬(いのう・ただたか)は1745年に生まれ1818年に亡くなった。

千葉県香取市(旧佐原市)出身で商家の伊能家に養子に入り、伊能家を発展させた。
50歳で家督を息子に譲り、それまでやりたかった暦学を高橋至時(よしとき)に学んだ。このとき至時は31歳と、忠敬よりもはるかに若かった。だが、忠敬は終生至時を敬った。不幸にも至時は先に死んで、忠敬の偉業を見届けられなかったし、忠敬も日本全図の完成前に死んだ。

忠敬は商売の成功で蓄えた潤沢な資金をもとに、子午線1度の距離を測りたいという夢に向けて、日本地図の作成にとりかかった。
彼が作った日本地図は衛星写真と比べてもほとんどたがわず、明治期まで実際に使われた。

当時の50歳は今の60歳70歳にもなる年齢であり、1日に40km近くを毎日歩いて測量を続け、正確な日本地図を作ったその情熱は、ときおりサラリーマンの定年後の過ごし方を見つめる手本になっている。

CSの時代劇専門チャンネルでは忠敬が主人公の映画「子午線の夢(加藤剛主演)」と

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ドラマ「四千万歩の男(橋爪功主演)」を放送したので観た。

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どちらも、測量シーンや地図を作図するシーンばかりではドラマにならないので、事件があったり女が絡んだりしている。
ちなみにこれらの作品は2001年に製作されたもので、没後200年を記念しての蔵出し作品だ。

いっぽう、雑誌「一個人」は「没後200年伊能忠敬と日本地図を巡る旅。」を特集している。

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密度の濃い内容で、佐原の伊能忠敬記念館のみならず、各地に散らばる伊能関係の博物館から資料を集めてまとめている。

伊能忠敬記念館

忠敬の測量は1回で終わるわけがなかったので、何回もの測量旅の推移や、測量の具体的な方法、現代の測量方法なども併せて紹介している。
ちなみに私は大学時代に「測量学」を履修したし、測量会社でバイトをしていたので多少心得がある。家にも父が使っていた測量器具があり、息子が小4くらいになったら夏休みの自由研究に平板測量でも一緒にやるかと思っていてそのままになった。

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もう一つは彼の人間としての魅力で、篤志家としての活動なども紹介している。
伊能忠敬は偉人として奉られているが、明治以降の国や主君に忠誠を誓わせる教育のために「話を盛って」伝えられているところもあると述べられており、それは野口英世も同じだな。

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一個人では古地図を持って萩や金沢などの古い街を旅する楽しみ方も紹介していて、読みでがあった。さすがだ。


  
| 日記・つぶやき | 13:59 | comments(0) | - |


東京ディズニーランド JCBラウンジに入る
東京ディズニーランド/シーのアトラクションの多くはスポンサーがついており、ラウンジや優先搭乗など、スポンサー企業の接待施設が秘密裏にある場合がある。

JCBは園内で使える唯一のクレジットカードで、ランドではスター・ツアーズを提供しているが、ここにJCBラウンジがある。

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JCBのブラックカード ザ・クラスの会員向けにメンバーズ・セレクションという特典があり、牛肉やらワインやらがもらえる特典の中に東京ディズニーリゾートへの入場券やラウンジチケットがもらえるコースがあって、これに申し込んで行ってきた。
2017年度はランドかシーへのペア入場券とお買物券1万円分、そしてラウンジ入場券がセットになっており、有効期限がまだ残っていたので利用したのだ。2018年度は改悪されたので、別の機会に書くかもしれない。

さて、予約をして時間になったらスター・ツアーズに行く。
すると、秘密の入口があり、インターホンでおねいさんを呼び出す。おねいさんが入口まで迎えに来てくれて、秘密のドアから中に入る。

中での写真撮影はOKだが、SNSなどへの投稿はNGなのでここからは写真は撮ったけれども一切お見せできない。

エレベーターで3階へ。そしてラウンジへと案内される。
ラウンジはさほど広くなく、テーブルが数卓とゆったりとした椅子、あたかもちょっとした企業の打ち合わせスペースのような感じだ。決して豪華とは言えず、シンプルな感じだ。
ほかに、小さなお子様が遊ぶ囲いがあって、反対側の壁に大型モニターがある。モニターではスター・ツアーズの案内があり、スター・ウォーズのキャラのぬいぐるみと共に写真を撮ってもらうことができる。

ソフトドリンクは飲み放題。
アイスコーヒー
アイスティーストレート(加糖)
生茶
オレンジジュース
アップルジュース
ホットコーヒー
紅茶
が選べる。まぁ、アルコールはないよな。

注文すると、ミッキーの柄のコップで、おねいさんが持ってきてくれる。

ラウンジは予約が必要なので混んでいる印象だったが、ほかに一組、お子様2人連れの夫婦がいただけ。見た目、ザ・クラスの会員ではなさそうな雰囲気であり、おそらくJCBの取引先銀行の行員一家ではなかったか。
ほかのアトラクションのラウンジも、スポンサー企業の取引先(たとえば食品会社だったら食品卸売業の営業や大手スーパーのバイヤーなど)の接待用に使っているというから、JCBだってそうだろう。

スター・ツアーズに乗るなら滞在は20分、乗らないなら30分までラウンジにいられる。乗らないことはないだろうが、老人連れや身長が足りないお子様連れならば乗らない選択肢もあるだろう。

もちろん乗る。
時間になったらおねいさんが呼びに来てくれたので、もう一方のお子様連れとエレベーターで2階に降りると、そこはファストパスよりもファストの、スター・ツアーズの秘密の乗り場だった。たしかに、ラウンジが時々揺れたので、すぐ下の階でスタースピーダーが動いていたのだ。

今度は、スター・ツアーズのおねいさんに案内され、いきなり搭乗口へ。すぐにスタースピーダー1000に乗り込んで、あとはいつもと同じように宇宙の旅を楽しんだ。

これで満足したかと言えば、ん〜ん、どうだろうな。JCBを毎年多額に使ってザ・クラスに入って年会費54000円を払って3万円近い特典なのでよいと言えばよいが、これだけかというとこれだけであり、どうだろう。

年間パスポートを持っていても入れない施設であるには違いないから、そういう子を誘うにはいいかもしれない。

  
| 日記・つぶやき | 20:53 | comments(0) | - |


鉛筆削り器を買う 手動
ときどき鉛筆を使う。
絵を描くのでなく、メモを書くのに使う。コピーを失敗した紙の裏に書く。

昔は電動鉛筆削り器を使っていたけど、大きくて邪魔になるので仕舞ってしまった。
その後はカッターナイフで削っていたけれども、やはり削りにくい。削りカスや芯の粉も出るし、手動の鉛筆削り器を買ってきた。

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近所の文具店で324円だったので思った以上に安かった。製図用のしっかりしたものを買うつもりでいたが、子供用のプラスティックの躯体のものでもよく削れるようだ。

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この鉛筆削り器は株式会社ソニックという、聞いたこともない大阪の会社製だった。
ラチェット機能といって、逆回しにしたら刃が空回りして、正回しにしたときに鉛筆が削られる。つまりくるくる同一方向に回さないで、左右相互にひねるだけで削れていく。

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やってみたらよく削れて、そんなにグリグリしないでもすぐに鉛筆の先端がピンピンになった。

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削りカスは透明なケースに落ちるので、あちこちに飛散しないしカスが満杯になる前に捨てられる。
削り終えるタイミングを考えないと、鉛筆が半分削れてカンナクズみたいな状態でカスが鉛筆に残ってしまった。コツがいるのかもしれない。

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よくできていて、鉛筆を入れる穴には自動的に蓋がされる。だから転がしても穴から削りカスが出てくる心配はない。

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これで書き方の勉強でもしようか。

  
| 日記・つぶやき | 20:36 | comments(0) | - |


東京ディズニーランド開業 1983年のこと
昨日5月10日は開業35周年の東京ディズニーランドに行ってきたわけだが、その35年前の開業時のことを書いてみよう。

まず、昭和でいうと30年代、西暦でいうと60年代のころ、子供雑誌ではアメリカのディズニーランドの特集がときどきされていたし、ダンボ白雪姫などのディズニー映画が上映されていたので、ディズニー作品については一通り知っていた。講談社からディズニーアニメを絵本にした、子供向けの厚紙の本も出ていたので、何冊か持っていた。取っておけばよかったと今になって思う。

ダンボはまだ近所に映画館があった時代に母と観に行った。火事で、ダンボが大きな耳を使って滑空するシーンがあり、それが怖くて「帰ろ、帰ろ」と言って母を困らせ、途中で退席したらしい。

テレビではその名も「ディズニーランド」という番組が日本テレビで放送されていた。アメリカで放送されているものの吹き替えで、毎週、「「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」のディズニーランドの4つの国にちなんだ番組が放送されており、ビーバーがダムを作ったりする作品はいまだに記憶にある。CSでよいから再放送をしてほしいものだが、今から考えるとナショナルジオグラフィックやアニマルプラネットみたいな作品だった。

そのディズニーランドはまさに魔法の国であり、幼い私がアメリカがどこだかもはっきりと認識していないのに、ディズニーランドに行きたいと思うようになっていた。
そして子供雑誌に「日本にもディズニーランドができるかもしれない」と書かれており、日本に来たならぜひ行こうと思っていた。それは不確定な話だったが、「ディズニーランドの経済学(高成田亨)」には、その夢を追いかけていた男の話などが書かれている。

アメリカのディズニーランドに行ったのは1978年のことだ。クイズタイムショックで5週勝ち抜きで優勝し100万円を獲得した私は、うち50万円は旅行を購入しなければならないので、高校時代の友人と二人分を出してアメリカ西海岸の旅に行ってきたのだった。
暗闇を疾走するジェットコースターのスペースマウンテンには大感動して、続けて2回乗ったほどだ。


↑アメリカのマークトウェイン号

そして1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園した。とてもうれしくてすぐにも行こうと思ったが、たぶん6月ごろになったと思う。

クイズのポン友、森田敬和と、

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↑今は亡きスタージェット

ウルトラクイズのハワイで同室だった、今は亡き小室周也さんという、珍な組み合わせで行ってきたのだ。

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↑日本のマークトウェイン号

このころは、チケットが冊子になっていて、アトラクションごとにAチケット、Bチケット、C,Dと、Eチケットまであった。Eチケットが一番エキサイティングなアトラクションのためのもので、スペースマウンテンなどがそれだった。アメリカ初の女性宇宙飛行士サリー・ライドが「気分はEチケットよ」と言ったのはプチ流行語にもなった。
今ではアトラクションに乗り放題だ。


↑紙袋で来た敬和は宅八郎かい。

それにしても色気がないな。
いや、私はちゃんと美女を連れていった。彼女にしたいなぁという段階の関係だった。
奇妙な組み合わせの4人は初めての東京ディズニーランドであれこれアトラクションを楽しんだ。



その後、彼女とどうなったって?
ディズニーランドでデートをしたら、別れる
という都市伝説があるらしいが、それがウソであることを断言しておく。

その後も何回か行ったし、結婚して子供ができてからも当然連れて行った。
1989年にはアメリカフロリダ州のディズニーワールドに行き、その広さやMGMスタジオのアトラクションの面白さにうなった。

2001年に東京ディズニーシーが開業してもちろん行ったし、それなりに忙しかったから年間パスポートを買うほどではないけれども、それなりに行っていたはずだ。

この10年は毎年ランドとシーを交互に行っている。

2016年には再びカリフォルニアのディズニーランドに、2017年には香港ディズニーランドにも行ってきた。

なんだかんだで、好きなのである。

  
| 日記・つぶやき | 20:17 | comments(0) | - |


どこにも出かけなかった大型連休
5月1日2日を休みにしたので結果9連休の大型連休だった。
しかしどこにも出かけず、1日は短時間だが出勤し、あとは家で仕事をしたり身辺整理をしたりだった。

東京地方は比較的好天に恵まれたので、毎朝、ご近所に散歩にでかけた。
そのせいか、体重はどんどん減っている。iPhoneによれば1日2.4km、4500歩程度の運動にもならない散歩で体重が減っているのだから、たいしたものだ。もう一つ、ランチを外食でなく家で食べているのも効果があるのだと思う。

散歩コースは私鉄の隣の駅まで歩いて別の道で戻ってくるコース。

大木があったり、
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木造の古い家が残っていたりで、
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まだのどかな昭和というか武蔵野というか、過去を引きずりたい私の妄想の役に立っている。


昨年、2017年は四国のお遍路にレンタカーで行っており、88カ所札所めぐりが結願した。

北川宣浩

2016年はバイクでお遍路を始めたものの、高知県で転倒しバイクを廃車にした。高知県民はみんな親切でありがたかった。



2015年は札幌から沖縄へ飛ぶ日本最長路線を楽しんで、宮古島から那覇経由で福岡に出た。「俺の割烹」で隣に座ったおじさんが「沖ノ島を世界遺産にする運動をしている」と熱く語ったが、福岡県の沖ノ島は知らなかったが、その後本当に世界遺産になって、さぞおじさんは喜んだことだろう。

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2014年は札幌に行き、レンタカーで宗谷岬まで走った。旭川以北はまったくひっそりとしており、JRが宗谷本線を廃線にしたいのもわかる。

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2013年バイクで東京都桧原村に行き、樵になった同僚を訪ねた。

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2012年は出かけなかったと見えて、目黒で打ち合わせや食事などをしている。
このブログによく登場していた布味家はトラブルを抱えていたようで2017年2月に突然閉店し、ママは行方知らずである。

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2011年は東日本大震災のあと、バイクで静岡県の山間部を横断した。国盗り合戦がはかどった。

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2010年はまず前半は九州の鉄道旅を楽しみ、後半は福岡空港から新千歳空港に飛んで息子と落ち合い、レンタカーで北海道を走った。



2009年一家で北海道の南部を巡った。

ニセコ連山

まぁ、こんなこともブログを検索するとすぐにわかるので便利である。

| 日記・つぶやき | 11:48 | comments(0) | - |


いつも、広告企画書を書いていた
探し物をして奥の物置を開けた。奥の、ということは手前の物置もあるということだが…。
あの箱の中に入っていないかな、棚から重たい埃だらけの箱をおろして確認するのは面倒だったが、今やらないで、私がやらないで、だれがやるのかと、腰を痛めないようにして箱を出してみた。

目指す探し物はここにはなかったのだが、昔書いた企画書のファイルが超久しぶりに出てきた。

企画コンセプトと企画の狙い

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<真夏の味・とれたてのおいしさ>と書いてある。これは約30年前になる、1989年から1990年ごろに書いた企画書ファイルで、クライアントは沖縄県経済連だ。沖縄産のパイナップルを首都圏で売るための広告企画を考えていたのだろう。すっかり忘れていた。

世に出始めたばかりの富士通ワープロOASYSで書いてある。カラープリントなんて夢にも思っていなかった。消しゴムで消さないでもいいから、それだけでもメリットだった。しかも多くの人は一度手書きをして、それを「ワープロ屋」と呼ばれた、かつては和文タイプライターで「清書」をしてくれていたおばちゃんに頼んで、数日後に出来上がってきたものを提出していたのだが、私はこのころから自分で直接ワープロのキーボードに向かっていたのだ。

交通広告プラン。E電が懐かしい。

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別の食品会社クライアントは味覚調査をしたみたいで、アンケートの集計結果はなんと手書きの棒グラフだ。

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今ならエクセルでグラフも簡単に、きれいに描けるのだけれど、たぶんマス目の方眼用紙に定規を使って書いていたのだろう。

CMの絵コンテはまさに「絵」。このCMの撮影は記憶にないから、たぶんボツったのだろう。

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今はインバウンドの仕事が主体だが、当時はアウトバウンドが主体。オーストラリアへの旅行商品を販売するための旅行会社向け企画書。

私が実際にオーストラリアに行ったのはこれから26年後の2016年だった。

しかし、出国人数の推移はワープロにグラフ機能があったとみえて、折れ線グラフが作られていた。
当時としてはかなり高度なワープロスキルだったと思う。

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紙にプリントアウトしたものだから、30年近くたってもこうして見ることができる。
だが、実際は5インチ〜3.5インチのフロッピィディスクに保存していた。

TVクイズまる金必勝マニュアル」を書いたときのフロッピィディスク。富士通ワープロはもうないからこのフロッピィを開けることはたぶんできないだろう。しかしそうなる前にMS−DOSのテキストに変換していたから、今ではHTML化してWEBで読めるんだよ。アメリカ横断ウルトラクイズ クイズ王の本のフロッピィも出てきた。

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重たい思いをして引っ張り出した企画書だが、改めて自分の人生が広告企画書を書き続けていたことを思い知らされた。実はこの連休もある広告企画を家で延々と書いており、どこにも行かないゴールデンウィークは何年ぶりかのことだ。

ちょうど転機なので、昔の企画書を見られたのはよい刺激になった。
探し物は見つからなかったが、自分の人生の足跡を見つけられた
これがおれの人生なんだよな、と、緊褌一番(きんこんいちばん=気持ちを引き締めて物事に取り組むこと)、改めて悟った次第。
| 日記・つぶやき | 14:47 | comments(0) | - |


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