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祖父母の写真をスキャンする
幼いころから、押し入れの奥に麻にくるまれた行李(こうり=荷物箱)があった。
中を開けることはなかったし、「中に何があるの?」とも聞かなかった。
どうやらアルバムがあるらしかったが、46年間は開けていなかった。

叔父が余命いくばくもない時、「あの写真を見たい。もう俺でも誰が写っているのかわからないかもしれない」と言っていたが、結局叶わず、昔のアルバムは日の目を見ることはなかった。

しかしいつまでも放置しておくわけにもいかず、祖父母を知る私自身が行李を見るたびに、多少不気味で、何かしなければならないがどうしようもない状態で、これを息子の代まで残すのはよくないと思った。

そこで昼から雨が上がったので、マスクと手袋をして濡れ縁(屋外)で開けた。

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写真の保管・保存・整理の方法はいろいろあるが、やはりデジタルになったとしても、紙焼きしてアルバムに貼って、日時と場所を明記するのが基本だと思う。さらにが写っているのか、どういうシチュエーションでの写真かもわかればいい。

というのは、結婚式や見合い写真がたくさん出てきたが、誰の結婚式でいつだかまったくわからない。
そういえば結婚式の新郎新婦の名前や日付は写真の台紙に書かないですね。

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言い換えれば、誰だかわかる代まで残せばよいということだろう。

祖母が頼まれたのか、見合い写真らしきものも出てきたが、誰なのだろう。生きていれば相当なお年のはずだ。

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心の重荷の写真だが、捨てるのも忍びない。これはスキャンして映像としては残しておきたい。
でも全部をスキャンするのも無駄なので、誰だか私が理解できる範囲でスキャンすることにした。
幸い、戦後の昭和20年代だろうが、父が祖父のバラバラの写真をB4の上質紙に貼り付けて、祖父が日時やコメントを書いているものが60枚以上でてきたので、手始めにこれをコンビニの複合機でB4でスキャンした。

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祖父が長崎勤務時代にお世話になった今村医師宅での写真。

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祖父は手記を残しており、
昭和16年(1941年)10月中旬、長崎にて10日間の防空演習があった。ある夕方、今村医師宅で遊んだら、主人(今村医師)は大いに喜んで写真を撮影し、下旬になって引き伸ばして持参した。見れば右目尻に泣きボクロがあり、薬師寺(大家の姓、寺ではない)の奥さんが言うには泣きボクロは長子(ちょうし=最初の子供)を亡くしたと聞く。

実際、祖父は長男を幼いときに疫痢で失くしている。大家の奥さんはそれを知っていたのかどうか。今村医師とは、当時長崎県医師会の理事をされていた今村豊光氏と思えるが確証はない。

北京の天国の寺院。

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今も有名な観光地だが、私はここに行っていない。黄河で泳ぐ祖父の写真もあった。

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写真の裏に日付や人名が記されている写真もある。

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祖父と一緒に写っている郭士さんをネット検索したが、同姓同名の若い人しか出てこなかった。旅順での撮影らしいから、中国人なのだろう。丸いサングラスは満州国皇帝溥儀がイメージされるが、当時の中国では意外と普通だったのだろうか。日本では要人の前で盲人でもない限りサングラスはしない。

若いころの父の写真もあった。
これは私が生まれる前の、今の調布市にあるキユーピータマゴの工場を建設中の写真だ。

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父もまだ20代で、そろそろ結婚が決まり張り切って仕事をしていたころだ。キユーピーからはその後クリスマスになると七面鳥を毎年贈っていただいた。今の日本はもっぱらチキンだけれども、欧米のクリスマスは七面鳥で、私は幼いころから七面鳥(ターキー)に親しんでいた。ジャムのようなソースをつけて食べるので、子供としてはおいしいとは思えなかったが。
10年ほど送っていただいていたが、その後キユーピーの仕事はしなかったと見えて、パタッと途絶えた。でも今でもマヨネーズはキユーピーに限る。
この工場は数年前に建て替わった。壊す前にしげしげとみればよかった。今では展示施設になっているらしい。

古い写真は思い出の連鎖を産み出すが、それも知っている世代まで。私の写真もいつまで保存されるのか。
この10年はほとんどがデジカメのため、消去も簡単だ。

| 写真 | 22:18 | comments(0) | - |


大きなアルバムをコンビニの複合機でスキャンする
なくしたと思っていた小学生時代のアルバムが押し入れの奥から出てきた。
46年前の家の建て替えの一時引っ越し時のどさくさで見失い、なくしてしまったと思っていたが、父が気づかぬうちに保管していたようだ。
46年もがっくり来てたのが解消された。貼られている写真にも見覚えがある。

アルバムは大きくて重たく、すでに埃っぽくなっているのでネガフィルム同様にスキャンしてデジタル化したほうが扱いやすい。薄いiPadがアルバム替わりになるわけだ。

家庭用のスキャナーはA4までが多いので、大きめのアルバムなら分割してスキャンしてもきれいにスキャンできない。そこでA3までコピーやスキャンができるコンビニの複合機の出番である。各コンビニに設置されているが、私はセブンイレブンの複合機が一番使いやすいと思っている。

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10万円の定額給付金申請で免許証などをコピーする人が一段落したのを見計らい、ほかの人の迷惑にならないように空いている時間に近所のセブンイレブンに行ってきた。スキャンは1枚30円だが、ある程度の枚数になるとコインで支払うよりもnanacoカードで支払ったほうが便利なので、久しぶりにチャージした。

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アルバムはA3、カラー、400dpiの高解像度でjpgでスキャンしていく。64GBのUSBメモリーに画像を保管する。

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右ページ、左ページとコピーするようにスキャンしていくが、上下が逆になったり横に傾いていたりはタッチパネルで確認して転回できるので、USBメモリに保管するときには天地が正常になっている。

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アルバムが大きいので、綴じてあるノドの部分が浮かないように気を付ける。

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また、写真がはがれないように気を付ける。

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後ろに人が並ぶと気になるが、幸いにも並ばれることがなかった。親切心を出して途中で中断するとどこまでスキャンしたかわからなくなるし、ファイルネームも分断されるので、ここは心を鬼にしたほうがいいと思う。結局はお互い様である。

小さいアルバムはA3で左右両方がスキャンできた。

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こうしてスキャンしたものはUSBメモリからHDDにコピーしておく。必要ならフォトショップなどの画像加工ソフトで1枚単位に切り出すこともできる。

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一部の写真はすでにネガをスキャンしていたものもあったが、人からのもらいものや集合写真は自分でネガを持っているわけでないので、アルバムをスキャンすることになる。

なお、ポケットアルバムやアルバムに貼っていないプリントだけのものは、家庭用のA4スキャナー(たいていはプリンタについている)でもスキャンできるので、家庭用スキャナーを持っているならコンビニの複合機を使わないで済む。

それから、フリーアルバムと呼ばれるシートを剥がして写真を自由にレイアウトできる、糊の要らないアルバムは経年劣化が激しい。糊がダメになってシートがはがれて写真が落ちたり、カビが生えたりして長持ちしない。



せめてその人の人生くらい持ってほしいものだ。お勧めしない。

  
| 写真 | 17:24 | comments(0) | - |


デジタル化した昔の写真に、撮影日時とGPS位置情報を付加する
1970年の写真ネガをスキャンしてデジタル化した。



撮影日や場所はネガホルダーに書いてあるが、そのつどネガを引っ張り出して確認することなどできない。今のデジカメ写真は撮影日時やスマホなどのGPS機能があれば撮影位置情報も記録されるから、ネガをスキャンしてデジタル化した写真にも撮影データを付加できる。Exif(イグジフ)というデータ領域があり、そこに記録される。

そういうことができるソフトがいろいろあるが、jpgMAPが標準と思う。ありがたいことに無料で使える。
本来は、ジオタグ(位置情報)付きのデジカメ写真を地図に表示するソフトだけれども、その逆もできるのだ。

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レイアウトはカスタマイズできるので必ずしも誰もがこのような画面ではないが、私の場合、下部が写真フォルダにしている。

エクスプローラでフォルダを下部にドラッグすると写真のサムネイルが一覧される。並び順は撮影日時(データ作成日時)やファイル名などで変えられる。

写真は1枚ずつでも撮影データを変更できるが、撮影地点の一括変換、撮影日時の一括変換が便利だ。だいたいフィルム単位で同じ日、同じ場所で撮影していることが多いから。
変更したい写真をコントロール+左クリックで複数選択して右クリックをするとポップアップメニューが表示される。

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撮影地点を先に変更したほうがよい。日時を先にすると、地点変更によってまた日時が変わってしまうのだ。
まず撮影地点の一括変換をクリックすると地図が表示される。マウスでスクロールして目指す地点をクリックする。

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ちなみに1970年に横浜市の「こどもの国」にクラスで行ったときの写真だが、こどもの国の具体的にどこかはよほどの目印でも写っていない限りわからない。そこまで厳密にするつもりはなく、だいたいこどもの国であると場所が特定できればいい。

そして左下の設定実行をクリックすると選択した写真に位置情報が記録される。
エクスプローラでプロパティを見ると、緯度・経度が記録されているが、撮影の向き=方位角も記録できるようになっている。

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次に撮影日時の一括変換をする。同じように変換したい写真を選び、右クリック。

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スキャンした写真にexif情報は入っていないので、仮でスキャンした日時が表示される。
メニューから日時を特定したり、○日後、○時間後などのメニューから設定する。

ちなみに日付はわかるけれど時間はわからない。午前と午後くらいはわかるときもあるがそこまで厳密にしておらず、1970年3月10日午前10時とか12時とか、時間は適当だ。

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下部の「設定実行」をクリックし、上部に
□ファイル作成日時を撮影日時に合わせる
□ファイル更新日時を撮影日時に合わせる
の両方にチェックを入れ、右側の「変更実行」をクリックする。

撮影位置・日時が撮影の時のデータが写真ごとに記録された。

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1本のフィルムに日付や撮影場所が違う写真があると1枚ずつ細かく設定しなければならないが、大体である。



ちなみにファイルネームは撮影日を基本としている。

いかに若き自分が撮影した写真とはいえ、ほかの人には何の価値もないのだから、極端に凝る必要はない。むしろ、21世紀になって写真にこんなデータまで付加できることをありがたく思う。

| 写真 | 17:50 | comments(0) | - |


windows98のフィルムスキャナーで、切られたネガをスキャンする
1970年の高校時代のネガフィルムが大量に出てきて、無駄だと思いながらも数万円かけてパレットプラザでデジタル化してもらった。

しかしネガの中には卒業アルバムに使うため、そのコマだけ切ってしまったフィルムがあり、それはパレットプラザの機械にかからずに、未スキャンになっていた。セロテープで貼り付けてつなげてもパーフォレーションの穴がふさがれているため、機械に取り込めない由。

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そこで朝からwindows3.1とかwindows95の時代の、つまりは20世紀、前世紀の遺物とも言うべき、フィルムスキャナーコニカQscanを押し入れから引っ張り出した。デバイスドライバはフロッピィである。



Qscanは、フィルムホルダーに6コマずつ装填してスキャンするため、ネガのコマが切られていてもホルダーに収まるからだ。



しかしQscanは動くのだろうか。
まずはwindowsXPの富士通ノートパソコンLOOXで試してみた。
PCカードスロットに差し込むタイプなのだ。若い奴はこんなインターフェースを知らないだろう。

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デバイスドライバをUSB外付けフロッピィで読み込ませるが、すでに外付けフロッピィディスクドライブが壊れているのか、動かなかった。デスクトップパソコンで試してもダメだった。



するとケンコーがコニカから引き継いだと見えて、ネットにデバイスドライバがあったので、これをダウンロードしてUSBメモリ経由で富士通ノートパソコンLOOXに差し込むと、USBメモリが反応しない。フロッピィもUSBもダメなので、頼みの綱はSDカード2GBだ。いまどき2GBのUSBメモリやSDカードは売っていないので、こういう時のために保管しているのである。



ソフトはインストールできたがXPには対応していないようで、Qscanを認識しなかった。


前置きが長いが、ついにwindows98のソニーVAIOのお出ましである。

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そうしたら、Qscanのデバイスドライバがインストールされていたらしく、特になにもしないでもQscanを認識してくれた。フォトショップの「読み込み」から使うことになっている。



最初からVAIOでやればよかった。

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windows98を侮っていたのがいけなかった。すでに液晶画面は斜めにひび割れてきており、使えるのか心配だったのだ。
ちゃんと使えた。うれしい。ありがとう。

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だが、Qscanを敬遠していて業者に依頼していたのは、スキャン時間がかかりすぎるから。

プレビューの6コマで2分半、

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続いて1コマあたり3分かかり、6コマのネガをスキャンするのに20分以上かかるのだ。36枚撮りだとフィルムチェンジを含めて2時間20分ほどかかってしまう。それがため、業者にお金を払ってスキャンを頼んでいた。

しかもjpgでなくてbmpで保存するというのが20世紀らしい。VAIOは2GBのUSBメモリが反応したので、ちまちまとコピーをして、デスクトップのフォトショップで開くと、妙に茶色っぽい。

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そこでカラー補正をして、普通の白黒写真にした。

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ちなみにこの写真は千葉県勝浦市興津にあった高校の臨海寮で、1年生は夏休みになると水泳訓練に連れ出されるのであった。この時の悲惨な話は改めて書くかもしれません。

かくして20世紀の技術で1コマ単位に切られたネガがスキャンできた。デジタルだけれどまるでアナログだった。半日以上かかり、疲れた。
でも新しくフィルムスキャナーを買わなければならないと思っていたので、1万円は得をしたと思うことにする。

  
| 写真 | 18:19 | comments(0) | - |


1970年 新宿 看板2
東京は昼から雨。
朝から来客やネット会議などをしたけど、特に書くべき事柄でないので、昔の写真を引っ張り出します。

1970年春、高校進学を前にNikon一眼レフカメラのニコマートFTNをぶら下げて、国電新宿駅から西武新宿駅を経て新大久保駅までぶらついた。

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今は線路沿いの道路が拡張されたらしく、世が世ならどんな道になったのかそれこそ撮影に行くのだが、不要不急の外出はいまだにする気になれません。

連れ込み旅館の看板。どんなところだろう、何をするのだろう、おぼろげながらわかり始めたころだ。

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この先にある私立海城高校に合格したので、もし海城高校に通ったならこの道を登下校していたのだろう。

でもこの道はまるで無法地帯で、実に汚い道だった。

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線路の土手もゴミだらけだ。

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鼠も遊び放題だったようで、一斉に駆除運動が行われていた。道路にこんなビラが貼ってあるなんて、後にも先にもこのとき限りだ。

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新宿区が設置した看板がたびたび壊されるらしく、この看板を壊さないことと書かれているが、守る人はそもそもが壊したりしないだろう。

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怪しげな求人広告。
過去は問いません
子供ながらにその意味がわかり、気持ちがふさいだ。

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なぜか住み込みのたい焼き屋の売り子の求人ポスター。

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本当にたい焼き屋だったのか、住所も電話番号も書いてあるから、たぶんそうなのだろう。
しかし過去は問わないとの看板と一緒にあり、こういう方法で求人募集をするのはなぜだったのか。

実演系のポスターは張り紙の上にさらに貼られて、剥がされて、なにがなんだかわからなくなっているが、これはこれで意図が通じる気がした。

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職安通りなのか、表通りはタクシーで混んでいる。イメージは小田急ハルクの脇の通りのようにも思える。

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これは都電が走る新宿通り。
ペトリの看板が目立つが、これは今はなきカメラメーカーだ。ヤシカ、ペトリ…、当時としてもマイナーなイメージがあり、カメラショーで触ったらシャッター音と振動がやけに大きかった。

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新宿西口の小田急新宿駅を出たところから淀橋浄水場跡地を望む。高層ビルが建ち始めているが、この鉄骨は京王プラザホテルになる。

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写真は記録に尽きる。
カメラマンの使命はなにがなんでも「写っていること」が第一。写っていなければ仕事にならない。いかにすごかったか言葉を尽くすのは記者の役目で、カメラマンはとにもかくにも写さなければ、写っていなければ無意味だ。
かつて、知り合いの学生が、カメラマンの卵という友達を連れてきたのでこの考えを話したら「(カメラマンや友達を)バカにしている」とずいぶん経ってからからんできた。そいつの底の浅さを露呈したようで、気の毒になった。

50年の時を経て、この写真はそれなりに意味を持ったと思うし、自分の関係者は一切出てこないけれど、映してよかった、スキャンしてよかったと思う写真だ。

1970年新宿看板 その1 へ。

| 写真 | 20:25 | comments(0) | - |


1970年のネガフィルムをスキャンする
高校時代は写真部だった。今でも写真を撮るのも撮られるのも好きだ。
撮影したネガフィルム・ポジフィルムはすべてデジタル化していたつもりだったが、1970年の高校時代の写真フィルムがいくつか無くなっているのを知っていた。家の建て替えのどさくさで紛失してしまったのだろう。火事で写真が焼けた人もいるくらいなので、記憶の片隅にあるだけマシだったかと思っていたら、物置の箱からネガフィルムの箱が出てきた。

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貴重品の<貴>と書いてある。中身はネガフィルムがぎっしりと詰まっており、なくなったと思っていた1969年と70年の、もっとも写真に入れ込んでいた時のものだった。どうしてこれだけ物置の箱に入れておいたのかわからない。

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そこで4月からチマチマと30〜40本単位でパレットプラザに出して1本550円でスキャンしてもらっていた。ハーフサイズはコマ数が倍なのでスキャンも倍の1100円だ。

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パレットプラザではCD-ROMにしてインデックスまでつけてくれて、丁寧にデジタル化していただいた。

ただし、フィルムのコマを切ってセロテープで貼り付けてあるものは、パーフォレーションの穴がつぶれているため機械が巻き込まないのでスキャンできなかった。お寺の格子模様はフィルムのコマ間と誤認識するらしくて、ずれているものもあった。

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これらのモノクロ写真は自分で家の風呂場で現像までしていたのだ。
しかも現像液は薬品を上皿天秤で計って調合し、自分で作っていた。

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D76とあるのはコダック社の有名な現像液で、調合済みの粉末も売っていたが、私は別々に薬品をヨドバシカメラやさくらやで買い求めて自作していた。

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コニドールファインは小西六写真工業、つまりさくらフィルムが出していた調合済みの現像剤で、粉末を水で溶いて使っていた。富士フイルムはミクロファインという現像剤があり、粉末が缶に入っていた。

あたかも化学実験のようで、物理や化学の成績は5で、趣味と実益を兼ねていた。

だがこの1箱のネガフィルムのスキャンに数万円がかかり、果たしてこれは意味のあることなのか、まったく無駄ではないかと自問自答している。

フィルムスキャナーは1〜2万円程度で今も売られており、買ったほうが相対的に得であるけれど、とにかく時間がかかって面倒。だったら業者に頼むか。しかしそれは従量制でお金がかかり、何のためにスキャンをするのか、結局は自己満足にすぎないことに気付いている。

CD-ROMからパソコンのハードディスクに取り込んで、windows10のフォトアプリで天地を合わせるのだが、時計回りしかなくて、私のカメラの縦位置の構え方は反時計回りに写るらしく、3回転しなければならないので面倒。

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自己満足は手間がかかる。

でも時代はデジタルなので、ちょくちょくブログ記事にしていきます。

  
| 写真 | 21:45 | comments(0) | - |


1970年新宿 看板
1970年。中学生から高校生にかけてクラスメートの影響で写真に興味を持ってカメラをぶら下げてあちこちで写真を撮っていた。
大した写真を撮っていたわけでないが、いま改めてみると、歴史的な価値が生まれていると感じる。
50年の時の流れで、駄作がビンテージものに熟成したのだと思っておく。
このほど50年の沈黙を破ってスキャンされた白黒写真。その中からこれは!と思うものを小出しにしていきます。

カメラのカタログを見るのは今でも好きだ。憧れのニコンのカタログを集め、買えもしないのに日々眺めていた。



このカタログの右下のニコマートFTNを父が買ってきたときは神々しかった。50mmF1.4の標準レンズをつけて、新宿の町に出た。



「万国博はあと178日」。1970年3月19日の撮影なのだが、大阪万博は3月15日に開幕している。どうやらこの電光掲示板は閉会式の日時をカウントダウンしているようだ。

当時の二幸、今のアルタの左わきから歌舞伎町へと続く道。今の地図にはMOA二番街とあるが、この道に2軒の10円寿司屋が軒を並べており、それぞれで客引きをしているのが面白かった。

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高校進学が決まっているけれども、まだ中学生の身分でこんなところをうろついて写真を撮るなど、今からすれば大した度胸だ。
この寿司屋で食べることはなかった。

通りから新宿駅方面を見る。
とんかつ三金は何度か食べたが、今はない(四ツ谷にあるらしい)。

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歌舞伎町の脇を西武新宿駅方面に行くと、新宿くじら会館、夫婦餃子などの看板があるが、今のLABIヤマダ電機かプリンスホテルのあたりだろうか。

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そして西武新宿駅から大久保駅までの国電山手線の通りは看板の無法地帯だった。

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ビラ撒き時給200円即日払いの求人看板。今ならSNSで募集するアブナイバイトの一種なのだろう。

連れ込み旅館の案内看板。

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職安通りを越えて新大久保駅に続く道は、今は広くなったようだが、高級カメラを持った中学生が歩く道ではなかった。

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しかしまもなく休刊してしまうカメラ雑誌の「アサヒカメラ」の影響も大きく、社会性のある写真を撮り、ジャーナリスト、報道カメラマンに憧れていた。

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おとめ荘という連れ込み旅館だろう。
「おい、ぼうず。何を撮ってるんだ」
などとは言われなかった。

鉄条網に電気を通しているとの警告看板が無数に出ている。

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何度も泥棒に入られたのではないか。本当に電気が通っていたのかわからない。

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この先にはロッテの工場や、名門海城中学・高校があった。
海城高校は今もある。

「滑り止め」で受けて合格電報を貰ったが、都立高校にも受かったので都立に行った。家が貧しかったから私立の学費はきつかったのだ。
しかしレベルは海城高校のほうが上で、あのころから人生の歯車が狂いだして、今はブレが大きくなりすぎて狂いに狂っていると思う。

看板写真はまだあるので、そのうち続きます。

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