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迷路パズルをカップ麺に 1980年のプロモーション
新型コロナウィルスで外出もままならないので、物置からの蔵出しシリーズ。

1980年(昭和55年)のこと、新宿の小さな広告代理店で、私は主に食品会社のプロモーションを担当していた。
カップ麺の販売促進で、カップ麺の蓋の裏に忍者キャラクターの対戦カードを作ったこともあった。

また、複雑な迷路がブームになったので、それをカップの蓋の裏に印刷して、カップ麺が出来上がる3〜5分の間に解いて楽しんでもらう企画も実施した。迷路は岸田孝一さんという迷路作家の本から、許可を得て使わせてもらった。迷路がいろいろな絵になっており、それが面白くて一大ブームになっていたのだ。

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「パズルフリークたち、
この興奮を
もう味わったか」


当時、若い男性から絶大な支持を得ていた天下無敵の雑誌ポパイ(popeye)を指定しての雑誌広告も行って、宣伝した。やはり当時、糸井重里らのコピーライターブームで、私は宣伝会議のコピーライター講座に通って、コピーライティングの勉強もして、いずれは糸井重里・中畑貴志のようになり、1行1000万円プレーヤーになりたいと思っていた。
このコピーにはそういう意識があふれている。

この写真はコピーライター養成講座の卒業式で表彰状を持っている私と仲間たち。



迷路一つ一つにもその図柄から凝ったコピーを書いている。

ギター型の迷路には、
エレキギターをかかえたボブ・ディランを見た時の衝撃を、
マスカラを塗ってきたオリーブが再現してくれた。

変化がなければ歴史のコマは進まない。そしてその変化は突然やってくる。だからそれに動じない柔軟な頭脳と強い精神を養っておかなければならない。このパズルならその訓練にぴったりだ。鳴らしてみないか、新しい音で。


ギターの形をした迷路パズルから想像を膨らまして書いた。もっぱらアコースティックギターだったボブ・ディランがエレキギターを使ったエピソードを交えて、地味目の彼女がデートでマスカラを塗ってきて、ドキン!と感じた気持ちを同じ衝撃として、ポパイ読者に媚びたんだな。

SL型の迷路には、
SLは生き物
インディアンが鉄の馬と呼び、ザンギリ頭が陸蒸気と読んだSL。ため息にも似た汽笛。力強いドラフト音。激しく動くピストン。その姿はまさに生き物だ。このSLの木難しさもニンゲン並み。ため息吐くのはキミかSLか。


調子に乗ってコピーを書いているのが分かる。

別の広告は、

DSC08611.jpg

「今、都で流行るもの
ローラー、ウォークマン、
パズル狂い」


これは今からすればかなり挑戦的なコピーだ。ウォークマンという他社の商標が入っている。そして"狂い"という不適切用語も入っている。よくクライアントや媒体社の審査を通ったと思う。

さらにトランペットの迷路には、

ペットといったら。「クミコ」と答えた奴がいる。
カン違いも、ここまでくると表彰モン。(オナじゃなくてトランの話だ。)こんな奴に限って、マイルスもブラウニーの違いもわからない。ましてやパズルのおもしろさなんて猫にポパイ。放っておくがよろし。


こっちもよく審査に通ったものだ。クミコって秋吉久美子か?清水公美子かもしれない。
だが、これがバブル期に向かう時代の吐息だったはず。

そしてカップ麺の蓋を3枚一口で送ると、毎日1名ずつ、合計100名に抽選で5000円が当たった。5000円は郵便小為替で送ったが、これも私の発想だ。郵趣も趣味の一つだったので、送料の高い現金書留でなく定額小為替にしたのだ。

ちなみに、毎日抽選や毎週抽選は締め切り日が近づくほど多くの応募があるので、早めに応募するのが当選率を上げることになる。

1980年は友達の妹をモデルにして写真を撮ったりしていた。

1980-13-10.jpg

夏には第4回アメリカ横断ウルトラクイズでグアムまで進出して新しい友達もできて、準優勝の松澤典子は家も近かったので、マツダファミリア(当時人気だった自動車)でよく遊びに行っていた。



若かったあのころ、何も怖くなかった。
| 経営・マーケティング | 21:32 | comments(0) | - |


ウェディングのラジオCM 厚木ロイヤルパークホテル
1980年代は広告会社の制作で主に食品メーカーを担当していたけれども、自動車ディーラーやホテルというカタイ(物質的に?)業界の仕事も手掛けた。

厚木ロイヤルパークホテルは今ではレンブラントホテル厚木になっているが、1987年当時の経営会社に友人が勤めており、ラジオCMを作って放送する仕事の依頼が来た。もしかしたら「仕事ちょうだい」と珍しく"営業"したのかもしれない。
彼に聞いたけれども、どういう経緯でこの仕事になったのか、そもそもこんな仕事をしたのか、記憶にないそうだ。

厚木市随一のホテルで、もともと厚木には宿泊はもちろん、宴会需要を取り込める施設がほとんどなかったので、このホテルを利用するのは地元民の憧れでもあったはずだ。
おそらくそれまでの宿泊は商人宿、結婚式や謝恩会などは地元の料亭の大広間か公民館ではなかったか。

テーマは「ブライダル市場の取り込み」、ターゲットは神奈川県県央部の適齢期の若い女性たちだが、若い男性でも親世代でも対象と言える。

そして結婚式のみならず、出会いやデート、結婚後の家族での祝い事(子供の誕生日や入学など)にも利用してもらいたいとのこと。
そこで私は出会い、デート、結納、挙式、披露宴、事後の利用と、「旅行に行く前の計画」「旅行中」「旅から帰って思い出の整理」と、旅行シーンをイメージして、適齢期の女性と"地元の"ホテルのかかわりを、時系列的なストーリー性を持ったラジオCMにした。
CMは地元のFM横浜でオンエアーする。記憶にないが、録音もFM横浜のスタジオで局アナで録ったのかもしれない。

コピーはようやく世に出始めたワープロで書いた。クライアントの意向で何度も書き直しがある広告原稿は、描きなおしが簡単なワープロが威力を発揮した。
ワイヤドットインパクトプリンタで出力したコピーとカセットテープが残っている。

DSC08608.jpg

厚木ロイヤルパークホテル ラジオCM 40秒 19870924

●出会い篇
Na ふたりの出会いは、ホテルが似合う。
M
Na 大きく広がるエントランスからロビーへ入ると、
そこはマーブル色の光があふれる、ときめきの空間。
あの人が来るまでの高ぶる気持ちをゆったりと受け止める、
落ち着いた気高さが、ここにはあります。

厚木ロイヤルパークホテルは
おふたりの出会いからご婚礼まで、
幸せのステップをトータルにお手伝いいたします。

いつもの街の、ひときわ華やかなステージ-----。
厚木ロイヤルパークホテルの
エクセレント・ウェディング。


●デート篇
Na ふたりの瞳は、ホテルで映える。
M
Na フランス料理はじめ、日本料理、中国料理など、
お好みに応じた味覚の数々と、重厚なバー。
おふたりの語らいを、より確かなものにする、
洗練された雰囲気が、ここにはあります。

厚木ロイヤルパークホテルは
おふたりの出会いからご婚礼まで、
幸せのステップをトータルにお手伝いいたします。

いつもの街の、ひときわ華やかなステージ-----。
厚木ロイヤルパークホテルの
エクセレント・ウェディング。


●結納篇
Na ふたりの縁は、ホテルで結ぶ。
M
Na ご結納には、しっとりと落ち着いた和室もよし、
気品に満ちたエレガントな洋室もよし-----。
おふたりの未来をしっかりと見つめる
静粛の場が、ここにはあります。

厚木ロイヤルパークホテルは
おふたりの出会いからご婚礼まで、
幸せのステップをトータルにお手伝いいたします。

いつもの街の、ひときわ華やかなステージ。
厚木ロイヤルパークホテルの
エクセレント・ウェディング。


●挙式篇
Na ふたりの愛は、ホテルで誓う。
M
Na 厳粛で格調高い神式結婚式場。
清楚なやさしさが漂うチャペル。
長く育んできた愛を、永遠のものにする、
時を越えた静けさが、ここにはあります。

厚木ロイヤルパークホテルは
おふたりの出会いからご婚礼まで、
幸せのステップをトータルにお手伝いいたします。

いつもの街の、ひときわ華やかなステージ-----。
厚木ロイヤルパークホテルの
エクセレント・ウェディング。


●披露宴篇
Na ふたりの華は、ホテルで咲かす。
M
Na 祝福の言葉を受けて、
まばゆいばかりの宴が繰り広げられていきます。
夢にまで見た、人生最良の日。
その日を、華やかに盛り上げるやさしい心遣いが、
ここにはあります。

厚木ロイヤルパークホテルは
おふたりの出会いからご婚礼まで、
幸せのステップをトータルにお手伝いいたします。

いつもの街の、ひときわ華やかなステージ-----。
厚木ロイヤルパークホテルの
エクセレント・ウェディング。


●アフター篇
Na ふたりの歴史は、ホテルで刻む。
M
Na おふたりのうれしい日を祝う、お食事のひととき。
お友達を招いての楽しいパーティ。
そしてシーズンに合わせた催し物-----。
暮らしを豊かにする輝きが、ここにはあります。

厚木ロイヤルパークホテルは
ご結婚されたおふたりにも、新鮮な日々をお届けいたします。

いつもの街の、ひときわ華やかなステージ-----。
満ち足りた時間(とき)をお約束する、
厚木ロイヤルパークホテル。



<エクセレント・ウェディング>や<満ち足りた時間(とき)をお約束する>などは、ホテル側から提示されたコピーで、「ふたりの○○は、ホテルで▽▽」という展開は、私のアイデアなんだろうな。「いつもの町の、ひときわ豪華なステージ」は、地方都市の厚木のホテルならではのコピーで、横浜や東京のホテルとの差別化をしているつもりだ。

それにしても、こんなにイメージや語彙力が豊富だったとは、昔の俺は偉かったシリーズである。
このラジオCMのように、出会いから結婚まで、このホテルで過ごされた人はいるのだろうか。

うちから厚木は日帰り圏だし、そもそも用事なんてないのだが、この仕事が縁となり、1988年3月にホテルと同年齢の一歳半の幼い子供を連れて家族で泊りに行った。
子供がぐずって豪華なホテルライフを楽しむどころでなかった。

その後、厚木はバイクや電車で通過することはあったけど、ただの一度も降りていない。用がない。
| 経営・マーケティング | 19:00 | comments(0) | - |


明星食品 対決!忍者ワールド カップ麺のおまけゲームカード
1980年代は新宿の広告会社で主に食品メーカーの広告やプロモーションを担当していた。

1986年の暮れごろ、明星食品のどんぶり型(横型とも言った)カップ麺の「どんぶりくん」「コーンラーメン」「うまかめん」の販売促進として、何かおまけのようなものを商品につけることになった。すでに大人気のビックリマンシールがイメージにあったのだろう、いろいろなカードのようなものをつけて集めてもらう=たくさん買ってもらうプロモーションを依頼された。

結果、さまざまなアイデアの中から、カップ麺のフタの裏を利用した、このような忍者軍団が対決するゲームカードを作った。



「どんぶりくん」「コーンラーメン」「うまかめん」はフタがカップヌードルのようにアルミシールの貼り付けなっておらず、カップの上にかぶせるフタだった。いずれも廃版だがCM画像が残っている。フタを置いてあるでしょ。

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フタの上には商品名や調理の一例をデザインをした俗にメンコと呼んでいた紙を載せていた。
これはコーンラーメンのメンコの裁断前のものだ。

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メンコの裏は白だったので、ここに何かを印刷して、それをコレクションしてもらうことになった。
その「何か」は、当時ショーン・コスギのアメリカ映画でも注目を浴びていた「忍者」を取り上げ、忍者軍団の戦いのようなカードゲームを考えた。私の少年時代は忍者マンガが大人気で「伊賀の影丸」「風のフジ丸」「サスケ」など、伊賀忍者と甲賀忍者の戦闘シチュエーションが多かったのだ。

制作するにあたって私は大胆なキャスティングをした。
当時、クイズの実力をつけており、企画会社を森田敬和と立ち上げて間もない道蔦岳史君にキャラクター設定を、絵は友人の後輩で「なんか使ってやってくださいよ」と頼まれていたマンガ家志望の椎名崇さんに依頼した。椎名崇は彼女のペンネームで、今は別のペンネームでマンガ活動をしている。

普通ならこのような素人さんは使わないのだが、私がイラストを種村直樹氏に頼まれたように、要するに使いようだと思っている。もちろんリスクは承知ですべて自分で責任を負わなければならないが、私は二人の力を信じていたし、二人ともそれに応えてくれた。だから頼んだともいえる。

出来上がったメンコの一例。

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対決!忍者ワールドがそのタイトルだ。

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明星食品 対決!忍者ワールド
鷹羽忍軍vsメカ忍軍団
199X年、世界各地で原因不明の大惨事が続発した。
調査にあたった国際連邦警察は、世界支配を企む謎の組織「メカ忍軍団」の存在を明らかにしていた。
そしてこの謀略を阻止するには、忍者の流れをくむ影の組織「鷹羽忍軍」の活躍を置いて他にはなかったのである。
国際的陰謀をめぐらす「メカ忍軍団」と、忍びの血を引く世紀末の英雄たち「鷹羽忍軍」の死闘が、今はじまろうとしている。
果たして勝利はどちらの手に?


199X年というのが未来だった時代だ。しかしこれを読むと今の2020年を表しているではないか。

鷹羽忍軍vsメカ忍軍団それぞれ24キャラずつ、合計48キャラの設定を道蔦君に、その文を読んで椎名さんがイメージを膨らませて絵にしてくれた。少しアップでお目にかけます。




鷹羽忍軍の一例。
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メカ忍軍団の一例。
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全部そろえるとこんなになる。コンビニの複合機でスキャンしてきたのだ。ちょっと大きめに作ってあるので端がケラレるのは仕方ない。

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イラストの脇には持久力とか手裏剣マークとか、ステータスが書かれている。具体的にどういう遊びにするかは決めておらず、子供たちが見せ合って、どっちが強いかを競うようなゲームを自分たちで考えて遊んでもらうものだった。
道蔦君のイメージは軍人将棋で、全部が揃うと軍人将棋の対戦ができたはずだ。

この時代だったので道蔦君はワープロはまだなくて、PC9801mk2で書いたのではないかとのこと。メールもないからプリントした紙の手渡しだっただろう。新宿の会社には常駐のバイトで時々来てもらっていたこともある。
椎名さんのイラストはもちろん紙で、トレーシングペーパーに色指定がしてあったはずだ。それをデザイナーが写植を使って文字を打ってイラストの位置などを指定して版下にして、24枚を面付けして印刷した。

地味なプロモーションで宣伝も最小限だったと思うが、カップ麺を買えば蓋の裏(正確にはメンコの裏)にマンガがあっていろいろな種類があるようだと、モノ好きな人は集めただろう。

ある時消費者から明星食品に来た手紙が私のところに回ってきて「全部集めたいがどれだけあるのか」と聞くので、裁断前の印刷状態のものを送ってあげた。

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そうしたらお礼の手紙が来て「封筒を開けて中を見たら、思わずうわ〜っと声をあげてしまいました」と子供の字で描いてあった。

私が神田の会社に転職するときの業務実績として対決!忍者ワールドのメンコを持っていったら、ちょうどその会社が「広告会社=黒子」の意味として「観光忍者」というフレーズで会社案内を作っていたので、覚えがめでたかった。それだけではないと思うが入社できた。

私は子供が出来てますます働かなければならなかったし、道蔦君はよくうちに来てよちよち歩きの子供の遊び相手をしてくれた。

いまや道蔦岳史君の活躍はテレビその他でおなじみだし、椎名さんは別のペンネームでマンガ本を多数出版しており、いい仕事をしたなと、<昔のオレは偉かったシリーズ>に加えておく。

  

| 経営・マーケティング | 20:25 | comments(2) | - |


明星 麺’s倶楽部 3種類の麺のカップ麺
1980年代は主に食品メーカーの広告宣伝の仕事をしていた。
中でも明星食品はトップクライアントで、日清食品、東洋水産(マルちゃん)、ハウス食品工業の即席めん大手4社がしのぎを削っていた。
物置を整理していたら、懐かしい作品が出てきたので、もう時効だろうからさらします。

カップ麺は大量のCMの投下が必要で、そうしないとスーパーやコンビニにも置いてもらえなかったし売れなかった。また、常に新商品が求められ、明星なら不動の定番チャルメラの周りに無数の新商品が出ては消えを繰り返していた。

その中に満を持して投入されたのが明星麺's倶楽部だ。これは後になってつけられた商品名で開発ネームSXと言って計画していた。

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麺's倶楽部は一つのブランドの中にラーメン、チャンポン、うどんの3種類の麺を味わえるカップ麺シリーズで、具が充実していた。

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3枚チャーシューめん
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にぎやかチャンポン
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デカきつねうどん
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社長の一声で弊社が指名で新発売計画を受注した。通常はコンペだが「戦わずして勝つ」のが最もよい。
私は代理店のクリエイティブディレクターとして、コピーライター・デザイナー(スタジオADB)、CM制作会社(学研クリエイティブ)、スチールカメラマン(谷口征)などを取りまとめた。

ありとあらゆるアイデアから、この商品はこれまでにない麺の集まりだから、普通ではない、フツーを越えたカップ麺をコンセプトに、メインコピーを「フツーは卒業しましょうネ」にした。

商品名は以前から温めていた「麺's倶楽部」に決まった。これは男性ファッション誌のMEN'S CLUBにひっかけて半分冗談で言っていたものである。いくつもの商品名の案を出してスタッフ一同が逡巡していたら、会議の席上、八原昌元社長が「麺's倶楽部はどうだ」とつぶやいた。まるで目からうろこで、さすが老いても社長は違うと思った。いろんな麺の集まり(クラブ)というわけだ。
ちなみにMEN'S CLUB編集部に確認したが、商標はカテゴリーが違うので問題なく、少しお金が欲しいと編集部が言ったので、ジャンルが違うが雑誌に広告出稿をすることで手を打った。

TVCMは必須で、3つの味の違いとフツーでないことを明確にするため、奇妙なスタジオセットを組んで、3人の長身の美女に登場願った。

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メインは当時人気のあったモデルの中島はるみで、チャンポン担当。あとは無名の外人モデルだ。
BGMは中国語や英語で歌われる騒々しいものだった。

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ヘンなことがコンセプトのため、モデルの姿勢は苦しかった。これは後ろに鉄骨があるのだが、同じ姿勢は体が痛くなった由。
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交通広告でB0(1030 × 1456 ミリ)の大型の駅貼りポスターを作った。
当時の印刷物制作は手作業で、これまでこんなに大きなポスターを作ったことがなかったので、色校正を見たら水平線が傾いている。机の上ではわからなかったのだ。締め切りも近いのですぐさま製版をし直した。

さらに電車の中吊りポスターを作ったが、上部は留め具で挟むため3cmの逃げが必要になる。それをデザイナーに指示するとぴったり3cmよけてメーカー名をレイアウトしたので、少し挟み込まれてしまった。
5cmは開けるべきだろう。

取引先の問屋やスーパーで商談するためのセールスブローシャ。

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かなりの力の入れようだった。

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商品の味以外でもユニークな要素を盛り込んだ。フタのタブを3つにして、湯気が漏れにくくした。

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カップは特注で、底が平面で最後の麺まで箸で掬い易くしている。

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この模型はプラモデルが趣味のデザイナーが、工作用の熱線ワイヤーでカップを半分に焼き切った。

CMのほかに当時としてはまだ珍しいプロモーションビデオ(VHS)も作って取引先(食品問屋やスーパーのバイヤーなど)に見せた。しかし3枚チャーシューめんの映像がどういうわけか赤っぽくなり(3種類とも同じ位置で撮影している)、クライアントから撮りなおしを命じられた。撮りなおしはとても大変なのだ。スタジオを借りたり商品を再び用意したり、スタッフも再結集しなければならず、それでいてクライアントは金を出さない。でもやはり赤っぽく映っている。なぜだろう。

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麺's倶楽部の味はまぁまぁだと思うが、あまり売れなかった。CMがわかりにくいという風評が立ち、CMのテコ入れをするので、弊社はクビになり博報堂が担当した。新しいCMは商品特徴をイメージで表現したものだった。クライアントの担当者からすれば、最初から弊社に全部を発注するのはイヤだっただろうが、社長の一声なので逆らえなかった。普通なら店頭販促くらいしか来ない仕事だ。
しかし代理店を変えても売れず、いつの間にか姿を消した。
逆に成功していたら、そばやスパゲッティが加わったのかもしれない。

理由を考えるに、消費者からすればブランドが同じであろうがなかろうが、ラーメンを食べたければラーメンを、うどんを食べたければうどんを食べるのだ。1つのブランドで3種類の麺は受け入れられなかったということだ。
ちなみに1つのブランドで、醤油ラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメンというスープの違いの商品は多い。
CMにウルトラマンなどの著名なキャラクターを使ってシリーズ化と個性を訴えれば、また違っていたのかもしれない。



麺’s倶楽部はその後も「男のスタミナ」シリーズや、50歳以上を対象の麵's倶楽部R50などを発売したが、いずれも短命に終わっている。

  
| 経営・マーケティング | 19:21 | comments(0) | - |


新規事業計画作成セミナーを受講
東京商工会議所からDMをいただき、〜売上アップに向けて〜新規事業計画作成セミナーを受講してきた。東商のホームページを見たら、セミナーや相談会が頻繁に開かれているんですね。各種の補助金事業もあるので、会社経営に悩んでいるなら積極的に利用したほうがいいです。

場所は西新宿の東商ビジネスサポートデスクで。丸の内の本部には何回か行ったが、こんなところにもあるのか。



私自身が新規事業を始めるのはおそらく、ない。
むしろ、クライアントから依頼されて新規事業計画(企画)を作るのが仕事なので、果たしてセミナーでどういうことを教えるのかが興味があった。

風呂で読む本
写真から肖像画
立体造形作家の売り出し
こんなことをまじめに考えるんだから、大変である。

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講師は中小企業診断士の伊藤隆光先生。業務用酒販店の勤務歴があるというので、2009年に亡くなった高野弘之みたいな経歴だったのも受講理由である(嫁の実家が酒屋で日通を退職して仕事を手伝っていた)。
伊藤先生はまだ若いスリムな先生だった。

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セミナー内容は、中小企業経営者が自社の発展のために新規事業を考え、時には経営革新計画を役所に提出して補助金を得ながら事業を遂行していくためのもの。
SWOT分析や市場開拓戦略や5フォースなどのマーケティングではおなじみの言葉や手法が出てきた。実に平易な説明で、通常の経営者はなかなかこういう方面の専門的なことはなじみがないのだなと思った。
僭越であるが、それこそ私も講師ができる。中小企業診断士でも修士でも大学教授でもなんでもないが。

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しかしながら私は役所に補助金申請をする手順を知らないし、事業計画書は書いたことがないので、それこそ私の新規事業で事業計画書の作成代行をするのはかなりハードルが高い。
それらはクライアントに任せて、アイデアを出すのが関の山だと思う。

ところで、東商の研修室の机の脚が斜めになっていました。これは折りたたんで机を重ねた時に脚が邪魔にならないようにする工夫ですね。

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新型コロナウィルスのため、セミナーが中止になるかと思ったが実施されたのはエライ。しかし講師はマスクをつけて、聴講者の多くもマスクをつけて受講した。

| 経営・マーケティング | 20:02 | comments(0) | - |


新規事業 立体造形作家を売り出す
2006年の出来事。
私は家庭では子育て、会社では第一線で働いていた。そして夏は北海道、冬は志賀高原にスキーに行き、日々充実した暮らしをしていた、はず。

仮にFNW社としておこう、印刷会社の子会社の企画会社で、私は仕事を頼む反面、新規事業の相談に乗っていた。
社長は印刷会社の創業者の甥で、頼まれたらイヤと言えない性格の上「エエかっこしぃ」で自分をよく見せようとする人だった。自分自身を「カリスマ経営者」と呼んで周囲からあきれられていた。

社長が世話になっている人から、ある立体造形作家をなんとかしてくれと頼まれたらしい。その人はすでにテレビのニュースやバラエティで政治家やタレントの似顔絵立体造形を作っている人だったが、いわゆるコミ障でせっかくの仕事も継続的な受注につながらず、生活も苦しいらしい。

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社長は二つ返事で引き受け、私に造形作家の生活のために仕事を与えてほしいと言ってきた。
弊社が請け負う広告の仕事でそれがうまくはまるものがあればいいが、あっても一時的なもので長続きしないだろう。むしろFNW社が作家の営業窓口となりマネジメントをして、作家とFNWが継続的なwin-winの関係になるほうが得策だ。

そして作家なのだから展示即売会みたいな方法で作品が売れれば一番いい。
特徴的な動物のキャラクターはとてもいいと思った。FNWが持ってくる新規案件の中では一番的を射ていると思えた。

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(写真はイメージです)

頒布会の企画を考えて、取引のあるデパートやショッピングセンターに聞いてみると、いくつかの方法があるものの、売り上げの何%かを収めるのは当然となる。



また、販売するのにどのような流通チャネルがあるかも考えて調べた。

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画廊ルート、バラエティショップルート、マスコミルート、ノベルティルート…。
出版社にもあたった。作品集を出してもらうためだ。
展示会イベントも考えた。
立体造形のキャラクターが登場するゲームソフトも考えた。
クレーンゲームの景品にするためぬいぐるみ会社も訪問した。
食玩業者にもあたった。
ガチャガチャはいい線まで話がいった。

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(写真はイメージです)

しかし例えばぬいぐるみはクオリティ的に作家がOKと言わないと作れない。逆にこっちが是非と思っても先方が諸般の事情でダメな場合もある。3Dスキャナーや3Dプリンタはまだこの世にないので、同じように造作するのは大変だった。

結局、いいところまで行くものの、いずれも契約成立まではいかなかった。

社長は紹介者への顔があるので、月30万円で6か月だけ世話をすることにした。これは現在であってもとてもいい条件だ。FNWが受けてきた仕事ならサブスクで頼むのだろう。

その後、ガチャガチャに採用された話を聞いた。あの時の売り込みが功を奏したのか、別のガチャ会社なのか、知らない。また、ネット検索をしたら今は彼はそれなりに活躍しているようでご同慶の至りだ。当時、彼を売り込んだ会社のほとんどは検索されなかったのでつぶれたか。

社長は人気プロレスラーを使って映画(Vシネマ)も作ったし、ロシア人女優を使ってエロビデオも制作したし、孫の油彩肖像画も書いてもらったし、やりたい放題をしてこの世の春を謳歌したことだろう。
で、放漫経営の結果としてFNWは2008年に負債を抱えて倒産した。債権者集会には「よぉっ」と出てくる始末で、それはひどいものだったらしい。社長は自己破産をした。

営業担当のエロ鈴木は一足早く2007年に退社して青山の似て非なる会社に勤めたので、また一緒に仕事をした。
しかし目黒の会社を離れたらパタッと音沙汰がなくなった。そういう人間でないと思っていたのに、がっかりした。
もう8年ほど交流がない。その青山の会社も今はない。

| 経営・マーケティング | 18:58 | comments(0) | - |


新規事業 写真から肖像画を画家が描き起こすサービス
2006年のできごと。
仮にFNW社としておこう、印刷会社の企画部門が独立した会社で、新規事業の相談を受けることがあった。

営業のエロ鈴木があきれたような顔をしてもってきた案件は
写真をもとにプロの画家が油絵に描き起こすサービス
をやりたいので市場導入案を考えてくれというものだった。

肖像画と聞くと、政治家や叙勲したじいさまが頭に浮かぶ。
需要が一定の市場に、企業が参入して商売になるのだろうか。
いや、安価にできる強みで一般ピープルにも油彩の肖像画を楽しんでもらう市場開拓精神は素晴らしい。

どうやら社長が拾ってきた案件のようだ。聞いてみると、いわゆる婚礼印刷と呼ばれる招待状や式次第を作っている会社とコラボしたいらしい。

ブライダル市場は少子化に伴ってどんどん縮小しており、それに伴い婚礼印刷の売り上げも減っていた。それを底上げするのに結婚式の記念写真にプラスして肖像画サービスを導入したい由。

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ビジネスの流れをまとめると、有名な婚礼印刷会社を販売窓口にして、FNWは総代理店となり、一手に仕事を請け負う。油彩画を書くのはまた別の会社になるという構図だ。

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営業のエロ鈴木が難色を示しているのは、社長だけが気に入ってすでに孫の写真などを渡してテストと称して油彩画に描き起こしてもらっているのであった。

その油彩画を書くのは美大を出たちゃんとした画家であったが、無名で将来も値が出るものではなかった。しかもフィリピンの画家という。そのため5万円程度で絵にしてもらえるとのこと。そういうカラクリがあったのか。その発想はすごい。

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私はメリットとして、
人物やペットの写真を元に、プロの画家が油彩画を仕立てる画期的なサービス。
画家のもとに赴くことも、画家を家に呼ぶこともなく、写真を送るだけで油彩画になる。
そのため自身の時間が拘束されることはない。
プロに描いてもらうが、1点5万円からと格安。
基本は世界で1枚だけの油彩画。


を揚げ、一方でデメリット(ネガティブ意見)とそれに対する反論を
油彩画にするのは、フィリピンの画家(フランスやイタリアと違って芸術イメージは低いが、画家はすべて美大卒のプロ)。
納期は約1ヵ月半かかる(日本の画家に描いてもらっても3週間近くかかる)。
無名画家で将来値上がりする可能性もなく、投資対象にはならない(あくまでオンリーワンの記念として捉えていただく)。
写真が元になるので、絵の仕上がりは写真の写り具合に左右されやすい(式場の写真館の写真を元にすれば、スナップ写真とは違うのでこの懸念は低い)。

とした。

実際に社長の孫の絵を見せてもらったが、元の写真が単なるスナップ写真であったからでもあるが、なんだかなぁというのが率直な感想である。
だが、事業化を考えるのが私の仕事で、GOか撤退かは社長の意思決定である。

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私は絵のクオリティや顧客の満足度が第一なので、テストマーケティングをして市場導入の可否を判断するよう提案した。
いくつかの式場と組んで、プロモーション価格で結婚式の記念写真を油彩画にしてもらい、客の反応を見るのだ。
当時、ようやく普及し始めたインターネット通販の仕組みも取り入れて、営業コストの低減化も図った。

だが結局このビジネスは動かなかった。
理由はわからない。商売にならないと思ったのかもしれないし、フィリピンの画家たちとつなぐ人がどうかなったのかもしれない。

FNW社は「お風呂で読む本」も市場化されなかった。社長は気前良くふるまうのが好きな人で自らを「カリスマ経営者」と呼び、これは本人がそう言っていただけなのだが、どこからか頼まれごとがくるとイヤと言えず、なんとか事業化しようとした。
社長のポジティブな姿勢は買うべきだろうが、結局はずさんでルーズで金には放漫で、2008年に自己破産する。

今でもこのビジネスはあり得ると思うのだが、どこかでやっていないだろうか。
世田谷区役所の名誉区民の肖像画は写真をもとにして書いているのでは、と思う。



アプリが写真を加工したり、クラウドワーキングみたいな手法でデフォルメしたイラストにする事業はあるから、油彩画もあり得るハナシだ。
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