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朝鮮満洲旅行案内<6> 昭和11年(1936) 釜山・鎭海
昭和11年(1936)、三省堂発行の「朝鮮満洲旅行案内」を読み進める。
ようやく具体的な観光地区の案内になる。大陸の玄関口は釜山だ。
私は関釜フェリーや博多や対馬からの高速ジェット船で釜山に行った。逆に飛行機で行った経験がない。

巻頭地図は色刷りで、北鮮・南鮮が別のページだったがフォトショップでつなげた。

朝鮮満洲旅行案内-5-6s.jpg

京釜線に沿うて
本線は釜山・京城間を通ずる朝鮮の廣軌幹線鐵道で、全長四五〇・五粁。京城で更に京義・京元兩線に接續し、一は安奉線によって奉天に、他は咸鏡線及北鮮管理局線を經て京圖線によって新京に至るもので、日滿交通連絡の重要幹線の一部をなし、毎日釜山から奉天・新京のいづれにも直通旅客列車が各一回、奉天には直通旅客列車が二回往復運轉されてゐる。


まずは幹線の京釜線の説明だ。内地なら東海道本線に当たる最重要路線だ。京城と釜山をつなぐので京釜(キョンブ)線といわれるが、当時は<けいふせん>とそのまま日本語読みをしたのだろう。

釜山
釜山は朝鮮半島の南端にある開港場で、海波三〇浬を距てて壹岐・對馬と相對し、朝鮮海峽の西水道を扼してゐる。下關との間には關釜連絡船が往復し、朝鮮の門口、歐亞大陸交通連絡の一大關門をなしてゐる。まづ關釜漣絡船が朝鮮海峽を越えると、岩礁の亂立する南鮮の島々が眼前に展開してくる。やがて「絶影島」を左に見てこれを廻ると、船は釜山港の第一埠頭棧橋に横附けにされる。

港は南東に開いた廣い港内にある自然の良港で、絶影島によって東・西のニ港に分れ、東港は廣く水深く、設備もよく、埠頭には二箇の大棧橋があって、一は連絡船の專用に供し、他は一般海陸連絡に使用されて居り、二寓噸級の巨船一隻、七千噸級四隻、五千噸級一隻、三千噸級四隻を同時に繋ぐことが出來る。
貿易額は年額二億五千萬圓に達し、輸移出品の主なるものは、米・海産物・大豆・生絲・柞蠶絲・陶器・生牛等で、輸移入品の主なるものは、藥品・綿織物。肥料・機械類等である。


釜山港や釜山駅は大陸への足がかりであり、それは賑わっていたことだろう。
これは1988年の釜山駅前広場。



第一埠頭棧橋から舶を上ると僅か數十歩で、埠頭には京城・奉天方面行の列車が待ってゐて直に車中の人となることが出來る。こゝには待合所・貨幣交換所・電信取扱所・食堂・日本旅行協會案内所等があって連絡設備が完備してゐる。棧橋から土産品を賣る上屋を通り拔けると釜山本驛で、構内には鐵道會館があり、二階は鐵道事務所となってゐる。

朝鮮満洲旅行案内-12-4.jpg

こちらは1988年の釜山駅。



そしてこれは2005年の釜山駅。



驛前廣場に出れば、近郊各地に至る自動車・電車があり、公會堂・物産陳列所・汽船會社・商店が軒を竝べ、内地の都會と外觀は少しも變ぬが、去來する白衣の群と夥しい擔軍(ちげくん)の群とが朝鮮らしい氣分を漂はせてゐる。驛附近から龍頭山附近に至る一帶は内地人商店が櫛比(しっぴ)し、海岸通にかけて最も殷賑(いんしん=にぎやか)な場所である。市内には釀造業を始め、精米・製鹽・罐詰・蒲鉾・水産肥料・車兩・造船等の各種の工場が多く、朝鮮紡織會社・日本硬質陶器會社の二工場は、近代的大規模のものとして朝鮮有數の大工場である。釜山はまた近海漁業の根據地で、鯖・鰮・鯛・鰆・鱶・石花菜(てんぐさ)等の漁獲が多く、水産試驗場・水産製品檢査所等がある。
[人口約二十萬一千]


駅前広場の様子に「白衣」とあるのは、朝鮮人の当時の普通の服装である。昔の写真をネットで探してきた。ちなみに今はこの服を普段から着ている人は、老人を含めて見ていない。



そして、「擔軍(ちげくん)」は漢字も読み方も難しく何だろうと思ったが、荷負夫だとわかった。写真はこちら。




国立国会図書館のデジタルライブラリでは「朝鮮之風光」という本に掲載されており、キャプション入りであった。



これによると、KOREAN COOLIES WITH "CHIGGY"とあり、右から左へと書かれた漢字にルビ(ふりがな)が振ってあり、擔軍(チゲ)と書かれている。擔は松の木を組んだ荷物を運ぶための背負子(しょいこ)とのことで「」の旧字。まさに「かつぐ」だ。

トラックが普及していなかった当時では、内地は大荷物を運ぶのに大八車か牛馬を使っていたと思うが、朝鮮では人夫が担いで運んでいたのだ。たいした力持ちだ。

そして観光モデルコースである「遊覧順路」がある。

〔遊覽順路〕
(A)停車場〜大廳町〜龍頭山〜水産市場〜長手通〜松島〜停車場〜東莱温泉〜停車場。
(B)棧橋〜大廳町〜龍頭山〜長手通〜驛(以上自動車で四〇分、電車で一時間)。
(C) 棧橋〜長手通〜水産市場〜龍頭山〜大廳町〜釜山驛〜草莱〜釜山鎭〜東莱温泉〜驛(以上自動車で四時間半、電車で五時間)。


大庁町は当時の繁華街、龍頭山は今はタワーが建っている観光地だ。水産市場で食べたタコはおいしかった。東莱温泉(とんね・おんせん)は泊まった。

このあとに龍頭山をはじめとする釜山の名所を一つずつ紹介しているが、ここでは割愛し、かつて祖父や幼い父が住んでいた釜山西部にある鎭海(ちんかい、朝鮮語読みチンヘ)を記載する。
鎭海は日本海海戦のとき、連合艦隊が終結した港であり、現在は韓国海軍の基地がある。

鎭海
昌原から岐れる鎭海線の終點。三方に長蛇の如き諸峰を繞(めぐら)し、前面に鎭海灣の紺碧を控えた景勝の要害地で征矢川を間に挾み、市街は中辻を中心に整然たる放射状をなしてゐる。鎭海要港部・鎭海灣要塞司令部・防備隊等が置かれてある。こゝは日露戰役の際、我艦隊の主力を集めてロシヤ太平洋艦隊を邀撃(ようげき)した記念の地である。
[人口約一萬七千]

2004年の鎭海駅。この時の列車は1日1便あるかないかで、私はバスで行った。



[遊覽順路] 驛〜鎭海神社〜日本海々戰記念塔〜清之浦〜千代ヶ濱〜櫻の馬場〜要港部〜徳丸觀音〜羽衣の松〜驛(以上徒歩約四時間、自動車約二時間)。)   

【櫻の馬場】
市街の中央にある。約一粁の間に整然と併植された櫻樹は其の數約一萬本といはれ、滿開の候は花のトンネルを現出し、鮮内屈指の櫻の名所となってゐる。

【兜山】
市街の東方にある。頂上に高さ三六米餘、徑ニ七米餘、鐵筋コンクリート造で、當時の旗艦「三笠」の司令塔をかたどった日本海々戰記念塔がある。また南腹に天照・豐受の二大神を祀った鎭海神社がある。社殿莊嚴しかも市街及び齋藤灣を一眸の裡に收め、眺望絶佳である。

【千代ヶ濱】
齋藤灣頭にある遠淺の海濱で、風景もよく、設備も遺憾なく行屆いて、南鮮屈指の好海水浴場に數えられてゐる。


2004年の兜山。日本海海戦記念塔は展望台に変わっている。鎭海神社はもちろん、ない。



桜の馬場とあるが、鎭海は桜の名所として今でも人気がある。
斎藤湾、千代ヶ浜と、日本風の地名が付けられていた。

| 読書 | 19:26 | comments(0) | - |


朝鮮満洲旅行案内<5> 昭和11年(1936) 朝鮮の概要
続き
昭和11年(1936)三省堂発行の「朝鮮満洲旅行案内」はいよいよ現地ガイドとなり、最初は朝鮮だ。

朝鮮満洲旅行案内-12.jpg

朝鮮の概要

朝鮮はアヂヤ大陸の東部にある一大半島で、日本海と黄海との間を南方に突出すること一千粁、さながら大陸の東海岸に架せられた一大模樣のやうな形をしてゐる。今や我國は、友邦滿洲國との關係益々緊密を加へ兩國民の往來が一層頻繁となりつゝある際、内地人が大陸に伸ぴんとする途上第一歩の朝鮮が、吾人を迎へる大棧橋に似てゐることは、實に壯快の極みと云はなければならぬ。
全鮮の面積は約二十二寓方粁で本州よりは稍ゝ(しょうしょう=少々)小さく、人口は約二千百萬、其の密度は一方粁約百三十七人で、略ゝ(りゃくりゃく=ほぼ)長野縣のそれに近い。


朝鮮満洲旅行案内-12-1.jpg

朝鮮半島はアジア大陸から突き出しており、まさに大桟橋の様相を呈している。

【地勢】北は長白山脈・鴨緑江・幽們江の一部を以て滿洲國及蘇國沿海縣に連り、北方には蓋馬高臺(かいまこうだい=北朝鮮北部の高原)が連亙(れんこう)し、叉狼林・妙香のニ山脈があって、山中には千古の原始林が密林をなしてゐる。
中部以南は山地が一般に低く、大白山脈は東岸に偏して南北に縱走しつゝ分水嶺をなし、脈中には天下の奇勝を以て知られる金剛山がある。西部には廣い平地が展開し、大同江・漢江・錦江・榮山江等の大河が豐沃な地域を流れ、沿海の島嶼・港灣と相俟って半島特有の自然美を構成してゐる。叉洛東江は南朝鮮の諸山脈の間を流れて朝鮮海峽に注いでゐる。


当時の文章を読んで、北朝鮮を含めて朝鮮だったのだなと改めて知らされる。北朝鮮と韓国が分断していても、北朝鮮も普通に旅行が出来ればどれほどいいのかと感じる。

【氣候】南部の海岸地方は暖流の影響を受けて温和であるが、其の他は一般に大陸性で、北に行くほど寒暑の差が著しい。併し一箇年を通じて晴朗な天氣が多く、温度の割合に凌ぎやすく、巖冬の頃でも「三寒四温」といって、數日おきに寒暖の日が交替するので内地よりも却て樂なところがある。此の大陸的の氣候は朝鮮半島の風光を明媚にし、繚亂の春、馬山・京城・平壤の櫻花の美が内地のそれを凌ぎ、新緑の爽快さ、紅葉の艷麗さは、明朗な碧空に映じて、正に朝鮮特有の風景美を現出せしめる。

北朝鮮は寒いイメージしかないが、紅葉というキーワードに、それなりの四季の美しさがあるんだなと思う。

【産業】朝鮮の産業は併合以來著しい發達を途げ、今日では併合嘗時に比して約五倍の生産額を示してゐる。其のうち農業は最重要な産業で、人口の約八割はこれに從事し、生産總額の六割は農産物がこれを占めてゐる。生産品は内地と殆ど同樣であるが、就中米・麥・大豆が多く、開城附近からは特産物たる人參を産してゐる。

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近年に於ては養蠶及棉花の栽培が著しく愛護し、畜産に於ける綿羊の飼養と共に國策經濟の將來に重要位置を占めようとしてゐる。殊に注目に値するのは水利事業の發達で、諸所に大規模な貯水池を設けて、從來不毛の荒地であった所が績々と美田化しつゝある。
水産業は農業に次ぐ重要産業で、鰛・鯖・鯛・明太魚・石首魚(いしもち)等の漁獲が多く、水産年總額九干萬圓を超える。西海岸では天日製鹽が盛に行はれ、年産二億六千萬斤を産するが、更に鹽田の擴張が計畫されてゐる。
林産は北部高原地方に盛で、中部以南にも近年頻に植林が行はれてゐる。鑛物は其の種類と埋藏量に富み、殊に金・鐵・石炭・黒鉛・銅・亞鉛・タングステン、硝子原料の珪砂、陶器原料の高嶺土等の産が多く、金は年産額七千萬圓に達し、鐵の埋藏量五億瓲、石炭の如きは良質の平壤炭を筆頭に、咸北方面を合すれば埋藏量十七億瓲といはれ、最近褐炭による石炭液化工業さへも大に發達を見ようとしてゐる。
織物・紙・酒・陶器等、古來の工産物も年々改良を加へられて來たが、併合以來長足の發展を途げた工業に紡績・砂糖・セメント・製鐵・人造絹絲・木材パルプ・窒素肥料・釀酒・製粉・皮革等の諸工業があり、到る所に近代的工業都市の發達を見せてゐる。而して原料の豐富と、勞銀安と、叉無限の動力を有する未開發水電を控へたことは、將來益々工業の發達を期待せしめてゐる。


産業分野は1910年の日韓併合によって生産額は以前の5倍になったというのは特筆すべきだろう。これまで「日韓併合はいいこともあった」という政治家が更迭されるなどのばかげたことがあった。まさに自虐的歴史観、韓国の思うツボの反応だ。実際にいいこともあったのだ。
そうすると、「その影でひどい仕打ちを受けた」とか「日本のためだ」という人が出てきて堂々巡りになる。
朝鮮のままでは100年経った今でも、遅れた国のままだっただろうと思う。北朝鮮がよい例だろう。

【交通】韓國時代の明治三十三年頃には京城・仁川間に鐵道を通じたのみで、其の他は專ら道路によるのほかはなく、其の道路も多くは不完全のもので、旅客は畦畔を辿り、貨物は人肩馬背によらなければならなかった。然るに今日では鐵道の延長は四千五百粁餘に達し、自動車道の發達また著しく、鐵道延長の約八倍といはれ、いかなる僻地にも自動車の警笛を聞かぬ所はないやうになった。
鐵道は概ね廣軌で、幅員一・三二米、設備もよく整ってゐる。
通信網もこれに伴って發達し、今日では内地とは居ながらにして談話が交はされるやうになった。
内地と朝鮮との間には、下關・釜山間に關釜連絡船が通じ、七千噸級の優秀快速船が一日に二回往復して、百二十浬の海上を僅かに八時間で漣絡してゐる。更に日本航空輸送會社は、内地・朝鮮・滿洲を連絡する定期航空輸送を行ひ、一週六往復を實施してゐるから、福岡飛行場で銀翼に身を倭ねると、僅か一時間四十分で朝鮮海峽を翔破して蔚山飛行場に到着することが出來る。


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交通インフラ、通信インフラとも日韓併合で飛躍的に伸びた。この旅行案内では遠慮がちに書いているみたいだが、かつての道路は田んぼのあぜ道か田んぼの中みたいな道ではなかったか。

これまで教科書などで韓国・北朝鮮を含め各国の歴史や産業について読んできたけれども、時代を変えて読んだのは初めてだ。戦前の朝鮮は日本に虐げられてきただけのように語られているが、それなりに活気あふれ、産業が振興し、それは人々にとってよかったことだと思う。
視点を変えて物事を見るのは大事なことなのだ。

日韓併合時代は北鮮・南鮮それぞれに特色がありよいところだったようだが、政治がいかに重要でそれに市民は左右されてしまうこともわかる。まもなく国政選挙だが、政治家を選ぶのは大事なことなのだと、朝鮮の過去と今を見ると、よくわかる。

(続く)

  
| 読書 | 18:13 | comments(0) | - |


朝鮮満洲旅行案内<4> 昭和11年 団体向けモデルコース
続き
昭和11年に発行された「朝鮮満洲旅行案内」を読み進める。旧字体、旧かなづかい、小さい文字でとても読みにくい。漢検1級レベルではないか?地名や難しい漢字のふりがなを本文中に(かっこ)で示すことにした。

個人旅行の場合
◎内鮮滿周遊券
◎内地朝鮮往復券
◎内地北鮮往復券

のあとに続く、割引切符の案内だ。

2009-2924.jpg

◎内地滿洲往復券
(イ)朝鮮經由。鐵道省線・南滿洲鐵道線の各驛間に發賣してゐる。
運賃二割引。通用期間二ヶ月。
(ロ)大阪商船大連航路經由。鐵道省線南滿洲鐵道線主要驛に發賣してゐる。運賃汽車二割引。汽船二割引。通用期間ニヶ月。


内地(日本本土)から滿洲(今の中国東北部)に行くには、関釜フェリーで下関から釜山に渡り、朝鮮を鉄道で北上するか、大連まで船で行くのが通常の旅程だった。地名、位置は下記を参照してください。

朝鮮満洲旅行案内-36日滿地図.jpg

◎日滿往復券
本邦主要驛と舊(旧)北滿鐵道の雙城堡・哈爾濱・安達・齊齊哈爾・海拉爾・滿洲里との相互間に發賣する切符で、北滿線除く各鐵道は運賃二割引。浦鹽(ウラジオストック)及大連航路汽船一割引、ウズリー線は三等に限り二割引、適用期聞は左の三經路共二ヶ月。
▽朝鮮經由往復券
發驛−下關−釜山−安東−奉天−新京−着驛間往復。
▽大連經由往復券
發驛−神戸又は門司−大連−新京−着驛間往復。(大阪商船大連航路)
▽浦鹽經由往復券
發驛−敦賀−浦鹽−綏芬河−着驛往復。(北日本汽船浦鹽航路)


日滿往復券の紹介がある。これは内地滿洲往復券とどう違うのか。発着驛が指定されている分有利と思うが、ニ割引で通用期間も二ヶ月で同じである。よくわからない。

◎日滿周遊券
本邦の主要驛を發し、滿洲及蘇國(ソビエト)沿海州を周遊する切符で、運賃割引は前記日滿往復券と同一で、通用期間三ヶ月。經路は左の四經路であるが、いづれも蘇國鐵道乘車のため、正式の外國旅行券が必要である。
▽第一徑路。
發驛−下關−釜山−安東−奉天−新京−哈爾濱−綏芬河−浦鹽−敦賀−發驛。
▽第二徑路
右第一徑路の逆。
▽第三徑路
發驛−門司−大連−新京−哈爾濱−綏芬河−浦鹽−敦賀−發驛。
▽第四徑路
右第三徑路の逆。


こちらはソビエトを含めて周遊できる切符で、パスポートが必要となる。
経路図は、掲載を省略する。

◎東亞遊覽券
内地と滿洲又は中國諸港間とに跨り遊覽旅行を成す場合に發賣する最も便利な切符で、鐵道省線・朝鮮鐵道局線及同連絡鐵道竝びに自動車。南滿洲鐵道線・臺灣交通局線・日本郵船・大阪商船・大連汽船・原田汽船の各鐵道及航路を網羅し、本邦發の場合は本邦歸着を條件として、豫め遊覽徑路を定め、依頼により各地のツーリスト、ビューローで發賣するものである。等級は各等又は異等級でも取扱ひ、運賃は各鐵道二割、各航路一割引、通用期間三ヶ月。


こちらは滿洲以外の中国そのものや、当時は日本の台湾を含めて遊覧できる国際的な切符である。運賃はニ割引でほかの割引切符と同じだが、航路は一割引だから、内地滿洲往復券の航路の割引が二割なので、微妙な安さだ。

○學校教職員及學生割引
官公立學校及監督官廳の許可を得て設立した私立學校の教職員及學生生徒が、鮮滿を旅行する場合は監督官廳發行の割引證と引換に、汽車・汽船共一層高率の割引を受けることが出來る。
但し割引等級は教職員二・三等、學生は三等に限る。鐵道省二割引、朝鮮鐵道局四割引。滿鐵五割引、大阪商船三割引。


学割は教職員にも適用されたとみえる。鉄道省、つまり日本国内はニ割引だが、朝鮮は四割、滿鐵は五割と、学生たちの旅行に朝鮮満洲を勧めていたようだ。

團體旅行の場合
旅行は最も經濟的で有效な方法によらねばならない。此の意味から鮮滿への旅行も運賃其の他に特別の割引があり、便益の多い團體旅行を選ぶことが有利である。東京・大阪・下關・門司の各鮮滿案内所では逐年増加する鮮滿向け團體旅行者の無料斡旋をしてゐる。
鮮滿團體旅行券には内鮮滿周遊券、日滿周遊券、東亞遊覽券があり、いづれも前記個人旅行の場合と同一徑路によるもので、其の取扱方は細目に於て多少の相違はあるが、大體同樣である。其の大要を掲げれば次の通りである。
(イ)十人以上から團體の取扱ひを爲し、二十人以上は人數に應じて内鮮滿鐵道は團體監督者を左の割合で無賃待遇する。
二十人以上五十人未滿は内一人
五十人以上は五十人に付内一人
(但し五人を限度とする。)
(ロ)内鮮滿團體に限り、復路は往路の出發驛迄に歸着することを條件とするも、他は本邦を發し本邦に歸着することを條件とし、必ずしも同一驛に歸着するを要せぬ。
(ハ)片道旅行の團體は各鐵道各別の割引規程によって取扱はれる。
(ニ)旅行先で新に支線を旅行する場合は原券と同じ割引が受げられる。
(ホ)教職員及學生團體は一般團體より高率の所定割引が受けられる。
(ヘ)滿洲國の運賃は國幣、中國鐵道の運賃は銀弗、蘇國鐵道の運賃は金弗建であるから、毎月發表される公定率により邦貨に換算して運賃を定める。
(ト)浦鹽經由の團體は外國旅行免状を受けてからでないと切符を求められない。
(チ)日中及日滿連絡學生團體に限り二等乘車を認める。


団体で先の割引周遊券を使う場合は、人数に応じて監督者、つまり先生の分を無賃にする取扱があった。

◎團體旅行申込
團體旅行決定の上は、乘車船及旅館宿泊其他の豫約を確保するため出發前二十日位の餘裕を置き書面又は直接左の事項を明示し鮮滿案内所へ申込まれるのがよい。
イ、各關係の向へ手配通知用として旅行日程表十五部必要。
ロ、團體の總人數及代表者氏名。
ハ、乘車船の等級及寢臺の要否。
ニ、旅館の交渉を托される場合は宿泊料金の一泊豫定額。
ホ、旅館・觀察用車馬・案内者其他に直接依頼したる向の有無。
(附)團體乘車船券及旅館券は鮮滿案内所でも發行してゐる。
◎下表日程中安東・圖們着發は滿洲時刻に依る。費用概算表中普は普通團體、學は學生團體、中は中等學校、專は專門學校を示す。


申し込みには日程表15部を必要とした。今ならコピーをとればなんてことはないが、当時はコピー機がなかったから、15部と言われてもどうしていいのか。配布するガリ版刷りの日程表を追加で刷ったのだろうか。
旅館などの手配を直接したかどうかを聞かれる。していない場合は鮮滿旅行案内所が手配を引き受けたのだろう。
滿洲時刻は日本より1時間遅れで、現在の北京・上海の中国の時差と同じ。朝鮮は今も昔も日本と同じ。

さて、モデルコースが示されている。クリックすると大きくなります。



東京から下関、関釜フェリーで釜山に渡り、鉄道で京城、平壌を経由して滿洲の奉天、新京を通り大連から船で帰るコースだ。
この料金はこちらの通り。クリックで拡大します。



中等学校の10人以上の団体で、81.72円した。かなりの額で今の海外修学旅行のようなもので、富裕層でないといけなかっただろう。おそらくは私立学校が対象だったと思う。大人の三等(今の普通車、二等がグリーン車)128.49円だ。観光そのものへの理解がまだ低い中で、コレだけの金額を出せる人はそういなかったと思う。

朝鮮満洲旅行案内は、いよいよ現地のガイドになります。

続く
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朝鮮満洲旅行案内<3> 昭和11年 内鮮滿周遊券
続き
昭和11年(1936)に三省堂から発行された、朝鮮と滿洲の旅行ガイド「朝鮮満洲旅行案内」を読み解くシリーズ第3弾。
いよいよ、経路や周遊券など、鉄道マニアにはたまらない項目に入る。

2009-2924.jpg

一、經路
◆朝鮮及満洲へ旅行するには次の經路がある。
◎大阪商船經由 毎月二十數回神戸門司・大連相互間を五千噸乃至八千噸級の大型汽船が發着してゐる。
◎朝鮮鐵道經由 朝鮮半島を經由して満洲に向ふもので、毎日朝夕ニ回下關・釜山相互間を七千噸級の鐵道省關釜連絡船が發着・連絡してゐる。
◎北日本汽船經由 月六回敦賀と清津・羅津且雄基相互聞を三千噸級の連絡汽舶が發着してゐる。
◎日本海汽船經由 月三回新潟と清津・羅津及雄基相互間を二千噸級の連絡汽船が發着してゐる。
◎朝鮮郵船經由 月三回新潟と清津・羅津及雄基相互間を二千噸級の連絡汽船が發着してゐる。
◎日本空輸經由 毎日(月曜を除く)東京・大連相互間を旅客飛行機が發着してゐる。途中着陸地は名古屋・大阪・福岡・蔚山・京城・平壌・新義州である。


主要な地名を地図で示す。赤は朝鮮、青は滿洲である。

朝鮮満洲旅行案内-36日滿地図.jpg

福井県敦賀港から航路のある清津(チョンジン)は今は北朝鮮の港町で、父が滿洲に行った時はこのルートだった。清津は北朝鮮工作員の港になっている。

一、乗車船券
◆乗車船券は最も有利に購求せねばならない。朝鮮及滿洲へは内地から連絡切符が發賣されてゐる。此の切符は内地鐵道連絡關係驛で發賣するが、各地に配置されてゐる日本旅行協會(ジャパン、ツーリスト、ビューロー)案内所で購入することが便利であり、殊に朝鮮総督府と満鐵會社が提携して設置してゐる東京・大阪・下關・門司鮮滿案内所内ビューロー案内所では、専門に此の種切符を取扱ってゐるからこれを利用するのが一番便利である。漣絡切符はなるべく割引のない片道でなく、割引のある往復又は内鮮滿周遊券が最も有利である。


内鮮滿周遊券はかつてのJRのワイド周遊券や今の大人の休日倶楽部会員パスのような、フリー乗車エリアがある周遊券とは違ったようで、知る人が少なくなった一般周遊券のようなものだったと思える。2割引なのでお得な切符には違いない。

個人旅行の場合
◎内鮮滿周遊券
(第五頁−第七頁下表参照)往路又は歸路のいづれか片道を大阪商船大連航路又は北日本汽船敦賀清津航路により、朝鮮及滿洲を廻遊旅行する便宜のために發賣されてゐる切符で、運賃は各運輸機關を通じ二割引(但し大阪商船は一割引)。通用期間發行日共二ヶ月間、途中下車随意。
此の周遊券には左記の特典がある 。


(A)下表各號徑路に、經路以外の一定區間割引證添附(省線二割、学生割引に對しては朝鮮線・満鐵北鮮及鐵路總局線は四割引・滿鐵線五割引)しあるほか、清津・朱乙間、安邉・外金剛間(普通賃金片道二等五圓五〇銭、三等一圓五七銭)、又は鐵原・内金剛間(普通片道二等五圓五〇銭、三等三圓六三銭)を往復乗車する場合は三割引をする。
(B)第一號・第三號・第四號・第八號・第九號径路周遊券を以て旅行する場合は左のいづれの徑路によるも旅客の任意になってゐる。


ページ下部にはさまざまな経路が地図入りで示されている。



第一号経路だけ拡大します。よく見えないで申し訳ない。

朝鮮満洲旅行案内-8第1号経路.jpg

(イ)東京−名古屋間は東京−品川−静岡經由又は新宿鹽尻經由のいづれか一徑路。
(ロ)京都−下關間は岡山−廣島−小郡經由、松江−石見益田−小郡經由、松江−正明市−伊佐−厚狭經由又は松江−正明市−瀧部經由の四径路のうち、いづれか一徑路。
(ハ)名古屋−大阪間は米原−大津高槻經由、米原−京都−奈良經由、龜山−奈良經由又は龜山−奈良−大津−京都經由の四徑路のうちいづれか一徑路。
(ニ)神戸三ノ宮−門司間は鐵道省線(汽車)又は大阪商船(汽船)の何れか一路。
【註】第ニ號・第一二號・第一三號徑路は鐵路總局・朝鮮線・滿鐵北鮮線・滿鐵線・大阪商船發のものにて徑路及運賃表を省略する。

▼滿洲國幣(銀圓)建運賃に就いて左記表示の銀圓貨建運賃は毎月変動する為替相場に依り邦貨に換算して下表運賃に合算するものである。

【註】銀一圓は邦貨約一圓十三、四銭位である。




鹽尻は塩尻で、中央本線経由で名古屋に行くのも認められていた。正明市駅は「しょうみょういち」と読み、今の長門市駅である。
そういえば、ワイド周遊券は経路をいろいろ選べて、行き・帰りで違う経路を利用する楽しみもあった。

◎内地朝鮮往復券
鐵道省線・朝鮮鐵道局線・同會社線の各驛間に發賣してゐる。運賃二割引。通用期間ニヶ月。

◎内地北鮮往復券(北日本汽船北鮮航路經由)鐵道省線・滿鐵北鮮管理局線・朝鮮織道局線〔輸城・咸與間)各驛間で發賣してゐる。運賃ニ割引・通用期間ニヶ月。


内鮮満周遊券、内地朝鮮往復券、内地北鮮往復券とさまざまなトクトクきっぷがある。

実はまだまだあります。

(続く)

  
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朝鮮滿洲旅行案内<2> 昭和11年(1936年)発行
続き
昭和11年、1936年の「朝鮮滿洲旅行案内」を読み進める。

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一、撮影模寫禁止
◇左の場所は要塞地帶であるから、要塞司令官の許可なくして寫眞の撮影及模寫は出来ないことになってゐる。
▽下關門司を含む下關要塞地帶内の海陸。(日本
▽長崎を中心とする長崎要塞地帶内の海陸。(日本
▽釜山・馬山・鎭海を合む鎭海要塞地帶内の海陸。(韓国
▽元山附近永興灣要塞地帶内の海陸。(北朝鮮
▽羅津・雄基附近羅津要塞地帶内の海陸。(北朝鮮
▽鴨緑江鐵橋附近一帶。(中朝国境
▽大連・旅順を含む關東州防禦營造物地帶内の海陸。(中国
▽圖們鐵橋附近一帶。(中国

「インスタ映え」に浮かれている今の日本では想像しにくいが、軍事上の理由から撮影禁止の地域は世界にまだまだ多い。上記が現在のどこにあるか、国名を(かっこ)で書いておきました。

一、税關
◇旅行中の携帶品及託送手荷物はすべて税關の檢査を受けねばならない。然し税關手續きは極めて簡單である。普通の旅行用具や少量の土産物は何等心配なく簡單に濟むのであるから、申告は正直に、僞をいうたり、隱匿をしたりすることは絶對禁物である。滿洲旅行の際(朝鮮は別)、旅行中特に注意すべきは寫眞機其の他の課税品で、これらの品物を内地から携行する場合は、出發港の税關で豫め許可證明書を貰ひ受けて置かぬと歸還の際課税される。又商品見本類も同樣であるから、必ず輸出地所在の税關に申告手續をして置かねばならぬ。

◎釜山・下關(關釜連絡船に依る場合)朝鮮行の際及内地歸還の際とも連絡船内に於て日本税關の檢査がある。
◎上三峰・圖們 朝鮮及び滿洲行の際とも安東と同じく日本・滿洲國両税關の検査がある。圖們驛通過滿洲行の旅客は車内で檢査を受けるが、娯樂物特に蓄音器・レコード等は高率の課税がある。また朝鮮行の際、煙草は羅南・清津・雄基の各驛以北の客は一〇本まで、これら驛以東は一〇〇本までに制限され、其超過量には三五割五分の課税を受ける。
◎清津・雄基 上陸の際、朝鮮税關の簡單な檢査がある。
◎安東 朝鮮から滿洲に行く時も、滿洲から朝鮮に入る時も、託送手荷物は構内税關檢査所で、列車内持ち込みの手回り品は列車内で、いづれも朝鮮及び滿洲税關の檢査がある。旅客携帶日用品は大體免税であるが、下記物品は課税される。

貴金屬品・寶玉石・絹織物・毛皮・毛織物・娯樂道具・寫眞機・蓄音器等。煙草は喫煙者に限り、自用として葉卷五〇本、紙卷一〇〇本、刻莨三〇匁以内のいづれか一種までは免税。
◎關東州 鐵道で入る場合は普蘭店以南の汽車中で、又汽船で入る場合は汽船内で檢査がある。
◎大連 陸路北行の際は大連驛前で滿洲税關の檢査がある。
◎下關・門司・長崎・神戸・敦賀・新潟 上陸地點で日本税關の檢査がある(大連航路は連絡船内で行はれる)


税関は今でも海外旅行をしていれば各国境で出会う。
タバコは100本までで超過すると35割5分、つまり355%の税率で課税されるとは驚きだ。
当時朝鮮は日本だったが税関検査が行われていたのも不思議といえば不思議であるが、意外と朝鮮の自治を認めていたのではないか。
昔は免税範囲を考えて買っていたが、何度も海外旅行に出かけると土産を買うのもばかばかしく、しかも酒やタバコは好まないのでわざわざ買う必要もなく、免税範囲を超えて買い物をすることはない。

一、土産物
◇朝鮮・滿洲の各地には珍しいものが相當にあるが、手當たり次第買い込むと、税關では旅行に必要な手回り品以外は課税するのを原則としているから、安いと思ったり、珍しいと思ったりして買ったものが課税されて却って高い土産になったという例が澤山ある。土産物を購入する際は大體次のやうな事柄に就き注意をすることが肝要である。
◎土産物類の購入選擇に就いてはその土地の案内をしてくれる人によく聞き合すこと。
◎課税されてもなほ安いと思われるもの、又は非常に珍しいといふやうなものでなければ買わぬこと。
◎滿洲は關税の關係上、時計・寫眞機等の舶來品は安い筈であるが、内地の相場と比較して買わぬと買い被ることがある。
◎内地製の輸出品を再び買い戻る愚を演ずる人が澤山あるから注意しなければならない。
◎毛皮・寫眞機・麻雀・雙眼鏡・寶石類等の奢侈品は、輸入地市價の十割の輸入税を課せられるから注意を要する。
◎滿洲土産免税標準數量 滿洲にて買求め内地或いは朝鮮に土産物として持歸る品は、輸入品として税關で檢査を受けることになって居り、輸入品は一般に殆んど課税されるのであるが、旅行者自身の用品及び少量の土産物は檢査官吏の裁量で免税通關する事になっている。
併し是は絶對的のものではなく慣例的便法に過ぎぬが、その慣例に依る免税標準數量は大體左記の通りである。


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(備考)
一、煙草は二種以上携帶すれば上記數量の二分の一以内となる。
二、煙草は喫煙者に限る。
三、課税する時は上記數量を控除した超過煙草に對し課税する。
四、上記品目中果實類の内林檎・柑橘(臺灣又は南洋産の蜜柑類)の生果實は輸入を禁止されてゐる。


このみやげものコーナーの説明はおもしろい。今でも通用する。
安いと思っても課税されて高くなったり、海外で日本産のものを買ってしまう愚行は今でもあるだろう。
毛皮、写真機などの奢侈品(しゃしひん=ぜいたく品)は10割(100%)の輸入税がかかるというから、買うときに電卓ならぬそろばんをはじいてどっちが得か、よ〜く考えたほうがいいだろう。
滿洲はいちおう別の国だったので、滿洲で買ったものを内地(日本本土)や朝鮮(日韓併合で日本であり植民地ではない)に持ち込むと税関検査があるというのは理にかなっている。

一、旅行相談所
◇なほ東京・大阪・下關・門司には滿鐵と朝鮮鐵道局とが提携して鮮滿案内所を設け、専ら鮮滿旅行者の相談相手となり、旅行上必要な事柄を斡旋してゐる。
又同所内に日本旅行協會(ジャパン、ツーリスト、ビューロー)があり、一切の切符類も發賣してゐるから、此機關を利用するのが便利である。

◎所在地
東京 麹町區丸ノ内、丸ノ内ビルディング内一階
電話(丸ノ内)(代表)三一三一番

大阪 大阪市東區安土町(堺筋)二ノ五六
電話(本町)(代表)一七〇〇番

下關 下關市西細江町(下關駅前)
電話一九六二番

門司 門司税關前


日本旅行協会(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)は今のJTBである。その英文頭文字だ。
かつて、丸の内の国鉄本社(今のオアゾ丸の内)の隣に「交通公社ビルヂング」があり(今の丸の内北口ビルディング)、日本交通公社の本社があった。ここは3階までが交通公社の持ち物で、その上は三菱地所の持ち物だったと聞いたことがある。

続く

  
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朝鮮滿洲旅行案内<1> 昭和11年(1936年)発行
20年ほど前、祖母の実家から「朝鮮満洲旅行案内」という冊子をいただいた。大伯母が亡くなって遺品を整理していたついでに出てきた古いガイドブックを、私が旅行が好きと知って渡されたのだ。

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細長い、最近の登山地図によくある大きさの本だ。中綴じで二つ折りになっている。
昭和11年4月10日に三省堂旅行案内部が編纂・発行した本で、手許の本は昭和12年4月25日20版発行だ。
内地(日本本土)から、海を渡って当時は日本だった今の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国である朝鮮と、日本と深い関係にあった、今の中国の東北部の国である滿洲への観光旅行をいざなう本で、旅行の心得、さまざまなアクセス方法、朝鮮と滿洲各地の観光案内がなされている充実した内容だ。

昭和12年に支那事変になり、そして世界大戦となるのだから、ギリギリ"よかった"時代の産物だろう。「出征」や「開拓」でなく「観光」なのだ。昭和11年は1936年、レイルウェイ・ライター種村直樹氏が生まれた年でもある。

旧字体の小さい字で印刷や紙も粗悪だが、それを無視して読むと脳内タイムトリップができるとても面白い本だ。この本をどうしようか、かなり迷ったのだが、今回、スキャニング→PDF→OCR→手打ち修正でテキスト化して何回かに分けてその一部を紹介します。粗悪な旧字体の印刷物からの作業のため、誤判読もあると思いますので、ご指摘いただければ幸い。
緑字が元の書籍、黒は私がいれたチャチャです。



鮮滿旅行についての注意
◆どんな旅行でも、出発に先立ってまづ精細なる旅行の計畫をつくる必要のあることは勿論であるが、殊に鮮滿への旅行をなす場合には、内地の旅行とは多少事情を異にするから、充分に各種の参考資料によってその土地の状況を研究して、萬遺漏なき旅行計畫を立てることが最も肝要である。次にそれらの旅行上必要なる注意を列挙する。


事前の情報収集や計画が重要なのは今も昔も変わりない。今はインターネットで世界各国の最新情報が入るので文字通り隔世の感である。しかし当時は人から人への口伝も多かったから、そちらの情報密度のほうが濃いと思う。

一、旅行季節
<春>四月中旬から五月下旬の花期、六月の新緑の候を最も良しとする。
<夏>七月下旬から八月中旬はいはゆる雨季であるが、大陸気候の影響を受け、雨量が少く、野も山も緑滴り、朝夕は涼風吹き来って極めて凌ぎ易い。
<秋>九・十月は紅葉の季節で、春にも優る旅行の好季節である。
<冬>滿洲の冬は三寒四温といつて、寒さが三日續けば、次に暖い日が四回續くといふやうに自然に気候が緩和されてゐる。この時期は滿洲の最も活気のある時期で、農作物の出廻りが盛んで、またスケート・狩猟等の好季節である。


要するに、どの季節も「よい」ということで、これは素晴らしい提案だ。旅行には四季それぞれの楽しみがあるのだ。冬の朝鮮・滿洲はとても寒いと思うが、「農作物の出回りが盛ん」と、本当かどうか、行ったことがないので知らないけれども、そうなんだと思う。狩猟を勧めるのも時代性を感じる。

一、通貨
朝鮮・滿洲等日本の經営する鐵道沿線には日本貨幣及日本銀行・朝鮮銀行の兌換券が流通して居るから旅行上些の不便はないが、滿洲國・中國・蘇國の鐵道沿線に至ると、言語の不通や土地の不案内と共に、通貨の関係が煩瑣になって来る。元来滿洲・中國は銀本位國であるため世界中で一番通貨の複雑な國と云はれて居る通り、各地方により全然流通貨を異にして居る所がある。
但し滿洲國は中國当時の舊態(旧態)を改め、幣制確立し滿洲中央銀行の貨幣並に紙幣が全國到る所通用することになったが、舊来(旧来)の貨幣も当分の間流通する。
各地方の流通貨を左に掲げるが、滿洲圏内に於ける日本貨幣は其日の銀相場に換算することとなる。

◎朝鮮各地 日本銀行發行貨幣及朝鮮銀行発行貨幣(朝鮮銀行發行紙幣は内地歸還の際、船内又は乗下船港の銀行で両替を要する)。
◎滿鐵沿線 朝鮮と同様である。なほ其の外に横濱正金銀行発行の圓銀貨及紙幣が通用してゐる。
◎奉天・錦縣・洮南地方 日本貨幣及滿洲中央銀行貨幣の外に商店の買物等には舊(旧)奉天省發行の貨幣、俗に言ふ奉天票が當分(当分)通用する。

◎吉林・敦化・間島地方 日本貨幣及滿洲中央銀行貨幣の外に舊(旧)吉林省発行の貨幣、俗に言ふ吉林官帖が當分(当分)通用する。

◎廣軌線沿線 蘇國貨幣(金ルーブル)・日本貨幣・滿洲中央銀行貸幣の外に舊貨幣の哈爾濱大洋(ハルピンたいよう=銀行名)が當分通用する。


蘇国はソビエトのことだ。ソビエトはさすがに旅券が要った。
という字は旧の旧字体で舊態=旧態である。ほかにも散見される字なので覚えてください。
滿鐵は南滿洲鉄道のことで、滿洲南部で鉄道事業を営んでいた半官半民の特殊会社。鉄道事業以外にも炭鉱開発(撫順炭鉱など)、製鉄業(鞍山製鉄所)、港湾、電力供給、農林牧畜、ホテル(ヤマトホテル)、航空会社などの多様な事業を行なった。満鉄調査部は当時の日本が生み出した最高のシンクタンクの一つであった。

当時の中国が通貨が複雑とはこの本で知った。要するに朝滿旅行はユーロ導入前のヨーロッパ旅行のようなもので、国境を越えると言葉もお金も異なった時代をイメージすればよいのだろう。若い人にはイメージしにくいと思うが。

続く

  

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北海道気まぐれ列車 種村直樹著 を読み返す
このところ、再び種村直樹氏の著作を読み返すようになった。
理由は、どんな本を書いていたのだろうか、あのころ(20年以上前)の鉄道事情はいかばかりだったのかと、思いをはせるようになったから。

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今回手にしたのは「北海道気まぐれ列車(シグナル刊2004年)」だ。
北海道を舞台としたルポを集めた本で、すでに他の単行本に収録されていたものからの抜粋である。

「気まぐれ列車」とは、きちんとした行程を先に決めておかないで、その場の雰囲気であっちへ行ったりこっちに寄ったりする種村氏独特の汽車旅のスタイルを自ら名づけたもので、たぶんに内田百里痢岼に捨鷦屐廚紡亶海靴燭發里任呂覆いと私は思っている。

この本には
まえがきにかえて 北海道気まぐれ駆け足散歩 2004/06

北海道気まぐれ列車前史 1955/710-8/4

北海道気まぐれ列車 1975/06/02-06/10 1976/02/28-03/09

道北気まぐれ列車 1982/03/08-03/12

北の地を駆けぬける 1984/07/06

北海道ローカル線紀行 1994/01/23-01/27


の6編が収められている。
※以下の写真は私の北海道旅行の写真です。

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「前史」は浪人して大学に入った年の夏休みに中学時代からの友人、横田氏と北海道を巡った"思い出"を鮮明に書き記している。鉄道そのもののウェイトは大きくないが、昔の旅は人との出会いがかくも濃厚にあったのかと思い知らされる。

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何度も作品に登場した"芦別夫人"。車中で知り合ったご婦人の家に泊まらせてもらったものの、帰宅後もお礼のはがきを出さなかったため心配され、「内地ではどんな風習か存じませんが、北海道では旅先で世話になった人には礼状を書くのが礼儀でございます」と逆に手紙が来て恐縮した件。
一ノ関の高校の先生、浦川さんの「汽車の中にはさまざなま人が乗り合わせている。いつも自分たちの仲間だけで話していては発展がないから、つとめて多くの人に接触することだ。ことに年寄りは、誰かと話したいと思っている場合が多いけれど、若い人にうるさがられると困るから遠慮して黙っている。生活の智恵を身につけた老人から有益な話をうまく引き出すのが君たちの務めだ」。
結婚後、浦川先生を奥さんと訪ねたがこのときのことはあまりよく覚えていなかったそうだ。

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「北海道気まぐれ列車」の2編はフリーになってまもないころの作品で、"一番弟子"の辻聡氏と、おもにローカル線を訪れた物語である。国鉄全線完乗の息吹もこのころ芽吹いたと思うが、この2編はルポとしては周辺の描写にあまり力を入れておらず、同行者の様子がメインになっている。これも種村氏の著作に見られるタイプで、旅のスタイルといい作品の構成といい、このころに基本ができたのではないかと思える。

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「道北」は若い読者と、廃線が噂されるローカル線を巡った旅、「北の地を駆けぬける」は札幌から根室まで特急でいっきに駆けぬけた、氏としては珍しく一直線の旅であった。

「ローカル線紀行」はすでに廃線も多くなってしまった道内を、編集者とともに名残惜しむように巡った作品で、コンセプトが違うのか、情景も多く描写されている。

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こうして振り返ると、20世紀末の汽車旅は、仮乗降場だの客車列車だのがまだ残り、いかに楽しかったかといまさらながらに思う。逆に、今では多くの魅力ある路線が廃止された。北海道では夕張支線がまもなく廃止されるし、札沼線も廃止が決まり、被災した路線の復旧はまったくされず、日高本線も鵡川駅から先の廃止はまぬかれようもなく、いや、JR北海道自体が社長が二代続けて自殺をして存続の危機である。

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この窮状を種村直樹氏が知れば、苦言を呈したり激怒するどころではないと思う。いや、今の鉄道旅行のシステムそのものに、もはやついていけないのではないか。
指定券の予約もみどりの窓口が減ってきて、ジパング倶楽部であっても多機能券売機での自力での購入を促される。東海道新幹線に乗るのもスマートEXになり、ケータイしか持っていなかった種村氏はそのためにスマホを買うのだろうか。

編集者は簡易書留で届く読みにくい手書き原稿を敬遠し「お弟子さんかご家族にパソコンで打ってもらってメールで送ってくれませんか」と頼むのだろう。

そういえば、私はかなり早い段階からパソコン(ワープロ)で原稿を書くのを勧めたが一笑に付すというよりもかすかな怒りを得たようだった。
せっかく周囲に若い者が多くいたのだから、浦川先生の話とは逆に、若い者の言葉にも耳を傾けていればよかったのにな。
パソコン、メール、スマホ、スキャナー、ビデオ、新聞記事検索。
みんな無縁だった。いや、スマホはまだなかったか。

  
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