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種村直樹の北海道汽車の旅・山陰汽車の旅 ビクター レコード
2014年に亡くなったレイルウェイ・ライター種村直樹氏は声が良く滑舌明瞭で、名古屋CBCラジオの「ばつぐんジョッキー」のパーソナリティを務めていたことがある。晩年の脳梗塞の後遺症によるろれつの回らない発話は、本人が一番イヤだったと思う。

病気の気配もない1980年初頭、その美声を買われてか、ビクター音楽産業から「種村直樹の北海道汽車の旅」、続いて「種村直樹の山陰汽車の旅」のレコードを出したことがある。このころ、音の素材の普及方法にレコードやカセットテープしかなかった時代、音楽のみならずプロレス中継やSL走行音など、なんでもレコードになって発売されていた。

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私は解説カードのイラストを依頼されたので、北海道汽車の旅はカセットを、山陰汽車の旅はレコードを1つずついただいた。
種村直樹コレクションのあるしばうら鉄道工学ギャラリーにこれを展示しようと、レイルウェイ・ライター事務所を捜索したのだが出てこない。どこかにあるはずだけれど見つからなかったので、とりあえず私の手許の現物をお見せします。

振り返れば、ビクター音楽産業株式会社の雲下直彦ディレクターが種村氏のファンでこの企画が持ち上がった。現地の録音とちなんだ歌、そして種村氏のナレーションで構成されたレコードだった。
解説カードのイラストは、単なる挿絵でなく現地のイラストマップの体裁になったので、雲下氏や種村氏との打ち合わせには私も参加した。そして「北海道だったら札幌市電の"ささら電車"なんてどうですか」などの私のアイデアも採用され、雲下ディレクターが録音しに行った。イラストマップの内容は私がすべて任され、現地取材はなかったけれど、何度か行っているエリアだったので、インターネットはまだないが情報を盛り込んで、楽しく現地を紹介できたと思っている。

種村直樹の北海道汽車の旅
ビクター音楽産業株式会社 1982


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A:
1.イントロダクション
 根室本線 音別-白糠間の波打ち際を走る普通列車
2.<はつかり11号>深夜の青森到着と青函連絡船
3.函館〜根室 714.6km 特急、急行の旅
 <北斗1号、おおぞら1号、ノサップ3号>と納沙布岬
4.釧網本線の旅
 茅沼と丹頂鶴〜浜小清水・北浜間、流氷と644列車。他
5.雪の常紋信号場、スイッチバックで急勾配を登る

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B:
1.函館〜稚内 682.5km 鈍行列車の旅
 函館発旭川行 121列車 13時間26分の旅
 旭川発稚内行 さいはての地を行く321列車の旅
2.日本最北端の地 宗谷岬と稚内港フェリー
3.道内のローカル線を訪ねる

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◎挿入曲「いい日旅立ち」「宗谷岬」 歌/ボニージャックス

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この北海道〜が好評だったのか、1984年に山陰〜が発売された。

種村直樹の山陰汽車の旅


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〈第一面>
「出雲一号」で山陰への旅立ち〜
餘部鉄橋通過〜米子と境線、大篠津〜木次線亀嵩と出雲坂根
〜一畑電鉄と出雲大社、日御崎〜津和野とSLやまぐち号

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〈第二面〉
思い出の日本最長鈍行、824列車の旅
(門司〜福知山595.1km 18時間29分の旅)
門司発〜下関発〜須佐着発〜出雲市着発〜松江着発〜米子
着発〜倉吉着発〜鳥取着発〜餘部鉄橋通過〜福知山着

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種村直樹の山陰汽車の旅2.jpg

挿入曲「遠くへ行きたい」
永六輔作詞、中村八大作曲、小六禮次郎編曲 歌=ボニージャックス
「旅情」
岩谷時子作詞、いずみたく作曲、親泊正昇編曲 歌=ボニージャックス

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ビクター音楽産業株式会社
(C) 1984 MADE IN JAPAN

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音源はすでにMP3にしており、パソコンで聞いてみるとつまらないww。
対象の線区や演出が「ローカル線の旅情」というコンセプトだから、暗いイメージは音からも否めなかった。

著作権は置いといて、しばうら鉄道工学ギャラリーでBGMのように流そうかという案があったけれど、じっと聞けばともかく、音楽のように流して聞く内容でないので、辞めた。
| 読書 | 18:25 | comments(0) | - |


種村直樹 駅の旅 その1、その2 自由国民社
レイルウェイ・ライター種村直樹氏の著作を振り返っている。
今回読んだのは「駅の旅」で、その1、その2の2冊だ。

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もともとは東京新聞(中日新聞)水曜日の朝刊レジャー面に、1995年11月から1998年7月まで、137回の長期連載をした、1駅ずつ紹介するコラムだった。連載開始後から自由国民社の宮下啓司旅行書編集長に目に留まり、単行本化の話が持ち上がっていた由。

だが連載を終えて東京新聞の許可をもらって本にしようと、テーマごとに駅をまとめてみたら、書いていない駅がいくつか見つかり、再取材と巻頭の書下ろしを加えて、その1が発行されたのは奥付から1999年5月、その2は2000年1月になっていた。

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20年前の情報を読み返すと、駅を紹介するデータベースとしてはいささか古くなっているが、それでもwikipediaの無味乾燥とした説明とは違って種村氏の目を通した、味のある生き生きとしたライブ感が伝わってくる。

まず巻頭の書下ろし取材は、その1は「雪の奥飛騨信越気まぐれ列車」、その2は「ぐるり四国気まぐれ列車」で、いずれもカラーグラビア付き。カメラマンはおなじみの荒川好夫さんだ。



屋内の写真はカメラに取り付けたフラッシュを光らせて撮影しているので、ノペっとした写真になっている。当時のプロはリバーサルカラーフィルムを使っており、ISO100程度の感度での撮影だったからフラッシュは必須だっただろう。今のデジタルカメラは画像が多少荒れるけれどもISO6400くらいまで感度を上げられるから、室内でもフラッシュを使わずにきれいに撮影できるようになった。

このころはまだ「周遊きっぷ」というJRのトクトクきっぷがあり、これを利用している。そして時間効率のために飛騨も四国もレンタカーを借りて、冬の奥飛騨は荒さんの運転だが、夏の四国は種村氏も運転している!

書かなければいいのに、苦言の連発。駅弁の内容、下校の高校生、四国の山奥の駅に貼られた北海道ルスツのポスター(意味がない)などなど。

そして香川県の金蔵寺駅で周辺散策のため待合室にザックを置いたままぶらついて戻ってきたら、ザックがなかった。

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どうやらガラの悪い高校生集団に物色されたらしく、ザックは倉庫に捨てられて、筆記用具、500円玉10個、撮影済みのフィルム3本、携帯用ルーペ、薬を入れた袋(女性読者の手作り)、ヘアブラシ、たばこなどが盗られていた。

これまで種村氏は「日本のローカル駅の無人待合室に荷物を留守番させて散歩しても大丈夫」と、日本の治安の良さを書いてきたのに、それが崩れたのが失せ物以上にショックだったという。
そうだろう、20年後は外国人旅行者も増えて、これまでの日本の常識がまったく通用しないのだから、今では無人駅の待合室に荷物を置いてでかけるなどあり得ない。

数年前、ドイツ国鉄のホームのベンチにスーツケースをチェーン錠で括りつけて遊びに出かけた日本人男性が、危険物を放置したと警察が出動した例がある。爆弾は入っていなかったが、お灸をすえられただろう。

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後半の、本来の「駅の旅」は、東京新聞連載時から多少はリライトしているのだろうが、日本の東西南北の駅、高い駅、低い駅、温泉とつく駅などなどのリスト。読み物としては楽しいが、20年経ってもはや実用には適さないだろう。

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意外だったのは、東京駅の復原に種村氏が反対していたこと。戦災で焼けて応急的に角ばった屋根の駅舎になっていたのを、そのままで補修して戦争の悲惨さを後世に伝えるべきとあった。
東京駅復原完成は、まだ種村氏存命の時だったが、外出がままならない身体になっており、その姿を肉眼で見ていない。

私は、さぞ見たかったことだろうとイラストを描いたが、見たくなかったのだろうか。



  
| 読書 | 19:41 | comments(0) | - |


種村直樹 新顔鉄道乗り歩き 1990年 中央書院
このところ、ちまちまと種村直樹氏の作品を読んでいる。

気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥 2000年
バス旅 春夏秋冬 1997年
気まぐれ郵便貯金の旅 ただいま3877局 1997年

鉄道を本業とするレイルウェイ・ライターにしては、
渡り鳥=離島フェリー
バス旅=バス
郵便貯金=旅行貯金

と、さながら異種格闘技のような著作である。だが、1980年代から20世紀末まで種村直樹氏はノリにノっており、「種村」の名をつければ一定数の本は売れると踏んだ出版社が次々と執筆を依頼して、なかば趣味のバスや郵趣にまで踏み出した著作を連発した。
国鉄民営化・第三セクター化によってさまざまな鉄道会社、車両や切符が世に出たことも大きく影響している。
一方で、合理化はますます進み、廃線・廃駅・サービス低下も否めなかった。

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新顔鉄道乗り歩き」は中央書院(2011年自己破産)の「汽車旅ベストコース」の姉妹編の位置づけで、87年から89年にかけての実際の乗り歩きルポをまとめた著作だ。
1988年に開通した青函トンネル、瀬戸大橋をはじめ、全国の第三セクターや地下鉄などの都市鉄道のちょっこしした新線開業のルポで、これぞ本業である。

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まだ、急行、夜行列車、寝台車が各地に走っており、食堂車やワゴンサービスもあちこちで見られた、古き良き時代が活写されており、ついつい「昔はよかった」と思ってしまう。
しかし本書の中でも種村氏は車販の人員削減などを嘆いていたから、現在の姿を知れば、さぞ悲しむことだろう。

本書の「東北の変わり種駅めぐり」は書下ろし、他も「運輸界」「鉄道ジャーナル」などに寄稿した文を修正したものである。また、私が読んだのは1998年の第三版で1990年の初版からの変更点は注記されている。

特に東北の東北新幹線がまだ盛岡どまりで急行が闊歩していたルポは、国鉄車両の匂いまで鼻腔に甦り、昔の汽車旅を懐かしく思えた。

最終章の営団地下鉄(現:東京メトロ)の「片道最長きっぷ」は日本交通公社出版事業局(現:JTBパブリッシング)の「新・地下鉄ものがたり」のための企画で、実際にJTB担当者と乗ったのだが、紙幅が尽きて積み残しになり、思いが立ち切れず本書に収録した由。そういう他社が絡んだ舞台裏は書かないほうが良いと思うが、書くのが種村流である。

巻末の広告を見ると、中央書院の本は「アメリカ大陸乗り歩き」「ぶらり全国乗り歩き」「日本あちこち乗り歩き」と、「気まぐれ列車」の表現を使っておらず、気まぐれ列車のタイトルは実業之日本社に遠慮したのだろうか。中央書院は「乗り歩き」シリーズを定着させたかったのかもしれない。

  

| 読書 | 18:42 | comments(0) | - |


種村直樹 気まぐれ郵便貯金の旅 ただいま3877局 自由国民社
レイルウェイ・ライター種村直樹氏の"趣味"に旅行貯金があった。
旅先の郵便局で少額を貯金し、その郵便局名のゴム印と局長印を押印してもらうことでその土地に行った証にする遊びだ。遊び・趣味と言っても貯金でお金がたまるのだから、よいことだ。一方で、郵便局の正常な業務を妨害しているという意見もあるが、おそらくは旅行貯金という行為よりも、その行為をしている人・特定個人に対しての批判だと思う。

私も種村氏に触発されて、一時は旅行貯金に夢中になっていたことがある。家族での北海道旅行では一家で行く先々の郵便局で貯金をしていたし、会社の同僚馬場浩士君と旅行した時は「旅行貯金で時間が遅れる」と怒られたりもした。今ではすっかり熱が冷め、むしろ「ケータイ国盗り合戦」に魂を奪われているが、コンセプトは同じだと思う。

気まぐれ郵便貯金の旅 ただいま3877局は1997年秋に自由国民社から上梓された旅行貯金関係の本で、その前の1995年にも日本縦断「郵便貯金」の旅を徳間書店から出している。旅行貯金で2冊も本を出しているのだから大したものである。

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この本の巻頭は「みなみ東北気まぐれ旅行貯金」で、編集者の宮下啓司氏とカメラマンの荒川好夫氏との気心の知れた三人旅だ。いずれも旅行貯金が大好きな面々で、示し合わせての書下ろしなのだろう。まだ残っていたオフ局と言われた、オフラインの手作業で貯金業務をする小さな郵便局を訪ねての気まぐれ列車の旅であるが、実に読みづらかった。
なぜなら、昔の話に次々に飛んで、いったいこの旅行が行われたのがいつなのか、さっぱりわからなかったからだ。
三回ほど読み直して、ようやく行中に出発日の97年6月9日の日付を発見したが、
「(旅行貯金を)1979年に始めてから…」
「貯金業務オンライン化は1984年にほぼ完了して…」
「国鉄本社を担当していた1971〜1973年ごろ…」
「1972年4月、鉄道ジャーナル誌に…」
「1973年に僕が毎日新聞を退社して…」
「1988年ごろに(旅行貯金を)ぼつぼつ始めて…」
などなどと、時系列があちこちに飛んでおり、いったい今がいつで何を言いたいのか、わからなかった。
2001年以降の脳梗塞発症後はこういう話が飛ぶ記述が多いが、このころからそうだったとは。

第二章の「郵便局とのおつきあい50年」は一転して読みやすい。郵趣に目覚めた中学時代の物語や、新聞記者として飛騨の山奥の郵便請負人(配達夫)を取材した記事の再録などは目前に髣髴するように鮮やかだ。郵便請負人の記事はスクラップブックで元記事を読ませてもらった記憶がある。特殊切手をシートで買っていたので、事務所のマンションを購入するためにその売却益が役だったと書かれているが、本人からも直接聞いていた。

第四章ではヤングの読者で7000局と1万局の旅行貯金をした猛者の話が出てきている。彼らも現在50歳を過ぎており、まだ貯金を続けているのだろうか。

本日7日から一般公開の<しばうら鉄道工学ギャラリー>の種村直樹コレクションには貯金通帳も展示されており、その情熱の一片を垣間見ることができる。



しかし全国24000局の完訪はまだ誰も成し遂げておらず、子孫に委ねようにもまともな子孫なら「あほらし」と金を引き出して終わりだろう。
際限なしに趣味に没頭するのはいかがなものかと思う。

  
| 読書 | 21:51 | comments(0) | - |


バス旅春夏秋冬 種村直樹著 中央書院 1997年
レイルウェイ・ライター種村直樹氏のルポを読み返している。
今回手にしているのは「バス旅春夏秋冬」である。主にバス・ジャパンや鉄道ジャーナルに寄稿した、バスを利用した旅のルポだ。

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おりしも、テレビでは路線バスがブームになっており、その嚆矢となったテレビ東京の「太川陽介と蛭子能収のローカル路線バス乗り継ぎの旅」が12月25日放送分で終了した。蛭子さんが70歳になり、体力的にかなわないとのことだが、それ以外にも蛭子さんの反応がもはや笑えないレベルで、早めの撤退は得策だったと思う。

先日は「気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥」で離島を結ぶ船旅を読んだが、この「バス旅春夏秋冬」は国鉄終焉から90年代初頭までのバス旅行を記録している。鉄道がメインのレイルウェイ・ライターとしては異業種格闘技というところか。
今はすでに廃線になってしまったバスや鉄道、あるいはまだ新幹線が開業前の北東北や北陸地方の旅が描かれている。普及し始めた高速バス、最長距離路線は東京〜広島便で種村氏はそれに乗ったが、ほどなく東京〜博多便が開業した。このころ種村氏は50歳前後で、まだまだ体力も十分だったので、夜行バスもものともしていない。

驚いたことに、このころのバスはまだ喫煙がデフォルトで、ようやく禁煙「席」が出てきたころで、運転手も「なるべく喫煙は遠慮してほしい」とはいうものの、あちこちの席で煙がたなびいていたのかと思うとぞっとしない。

もちろんケータイ電話やましてやスマホは登場せず、乗客もカセットテープのイヤホンを耳に差していたのだろう(特に記述はない)。座席予約はネットでなくて窓口だ。
このようにバス旅の訪問先やバスの乗り方などに興味がわくよりも、背後にある時代性に興味が向いてしまった。それがちょっと古いルポルタージュの価値なのだろうか。

もっとも、70年もたてばさらに違う価値が生まれる著作だと思うけれども、30年程度の中途半端な年月はズレばかりが目立って、しばうら鉄道工学ギャラリーに「種村直樹コレクション」ができるけれども、著作をデジタル化して復刻したところで、読者はついてこないだろうし、中身に感動する人もいないだろう。

  
| 読書 | 18:38 | comments(0) | - |


気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥 種村直樹
日本列島外周気まぐれ列車」はレイルウェイ・ライター種村直樹氏のライフトラベルで、日本列島の外周を日本橋から逆時計回りに、公共交通機関の鉄道やバスを乗り継いで一周するという壮大な旅だった。1980年に開始し、2009年に完結した。

今回読んだ「気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥(実業之日本社)」は、20世紀末に鹿児島県から種子島、屋久島や吐噶喇列島などの南西諸島の離島をめぐり、沖縄県の日本最西端与那国島まで行って再び九州本土に戻り、下関までの行程を書き綴った書籍である。

気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥

通常は、他の旅行と含めた"気まぐれ列車シリーズ"として単行本化されるが、版元の事情などで3年半の歳月が過ぎたので、外周だけをまとめた書籍として2000年3月に発行された。
種村氏はこの本の刊行まもない2000年11月に(最初の)脳梗塞を患ったので、以後は再び間隔があき、最初に連載していた「旅と鉄道」誌の休刊と復刊を交えつつ、紀行文としては静岡県あたりで連載が途絶えた。最後のゴール部分は雑誌連載もなく、執筆されてもいない。もちろん単行本になっていない。

私は1996年ごろまでは「旅と鉄道」の「種村直樹の汽車旅相談室」のイラストを受け持っており献本いただいていたので、この本に書かれた前半部分は「旅鉄」で読んでいたのだろうが、後半は「旅鉄」がもらえず読んでいないはずだ。

最近、種村本を読み返しており、まとまった外周本を読んで外周気まぐれ列車とは何だったのか、思い返してみた。

一言でいうなら「個人の趣味」であったと思う。
それが延々と本になり、応分の収入につながったのだから、すごい。同行者は素人だから自腹だったのだ。
それにしては、特に本書の範囲は九州・沖縄の離島で、時間も金も体力も必要なエリアで、本の厚みも種村本の1、2位を争うのではないか。

この本に収録されている旅程は、船でないと行けない離島が多く、これでもかこれでもかと、有人離島をきめ細かく回っている。時化などで船が出ないときは本土を先に回ったり、逆にあとから"落穂ひろい"と称して当初行けなかった離島をわざわざ巡りに行くこともあり、必ずしも外周ルートに従っての旅ではなかった。しかも鉄道のない離島だから地名のなじみも薄く、いったいどこをどう巡っているのか、わかりにくかった。同じような小さな島が多くて有名観光地も少なく、本人からすれば違いがあるのだろうが、特色もわかりにくかった。

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種村氏の60歳前後の旅であり、初老とは言え極めて精力的にバスや揺れる船で取りつかれたように島々をめぐる。よくその体力と情熱があって続くものだと感心した。もちろん、これ以外にも乗り継ぎ旅や雑誌依頼の取材もしていたのだから、そのパワーには恐れ入る。

年3〜4回の平日主体のペースで外周旅行をしたが、長期間に亘ったから、同行する取り巻きも出入りが多く、スター性のある取り巻きも少なく感情移入がしづらかった。
実は私は外周の旅にただの一度も参加していない。外周の旅の企画そのものはかなり前のバイト君時代から聞いていたが、実施されるころは会社に勤めてそれなりの仕事をしていたし、ほどなく家庭を持ったので、同行する機会を逸したのもある。そして外周の旅が"人気"を得たころは、入れ替わり立ち代わりの取り巻きの一員になるのがなんとなくイヤで、また、ゴチャゴチャした記述も読みあぐねるところがあり、種村氏が時に同行者に激怒することもあったようで、外周の旅から離れていた。日本橋のゴールにも行かなかった。

ただ、今となっては種村氏のライフトラベルであったのだから、最後の行程部分は同行者による代筆でかまわないし、紙の束でなくて電子出版でよいので全容を完成させ書籍化してもらいたいと思う。

それにしてもこの本の時代背景である20世紀末は公共の宿も多数存在し、島の小さな集落を結ぶ路線バスもそれなりにあったようだが、今はすっかり寂しくなっている。後半ではケータイも登場するけれども、今ではインターネットでバスの時刻表も用意に入手できるし、GPSロガーがあれば種村氏の外周移動軌跡も取得できて、それなりに喜んだであろう。

私も鹿児島県三島村(薩南諸島)や十島村(吐噶喇列島)に行ってみたくなったが、ケータイ国盗り合戦があるにしても、全島を回る元気はない。しかし十島村のガイドブック「トカラ列島秘境さんぽ(松島むう)」を買ってきた。本を読んで夢を馳せるのがいいところではないか。

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「九州・南西諸島渡り鳥」はまだ外周旅行の途中であり、この本を読了しても結論めいたことはないのだが、この本に登場する呑み助とマドンナのその後が気になった。

  
| 読書 | 17:47 | comments(0) | - |


国鉄監修交通公社の時刻表 1964年10月号 本物
東京1964オリンピック開催、東海道新幹線開業した昭和39年10月の「国鉄監修 交通公社の時刻表」が令和元年に完全復刻!と銘打って『時刻表 完全復刻版 1964年10月号』がJTBパブリッシングから販売されている。1500円。
聞けば広告が空欄になっているそうだ。旅館の広告を見るのが楽しいのに。

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ホリプロの鉄道通お二人が帯でお誘いしている。

しかし本物はコレだ。
おまえ、このところ古本ばかり紹介しているな、どうしたんだよ。

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定価150円なので復刻版は10倍の値段だが妥当だろう。
東京オリンピックの開会式は10月10日(昔の固定していた体育の日)、それに先駆け10月1日に東海道新幹線が開業したのだ。当初は東京〜新大阪を4時間10分で結んでいたが、それは日本の鉄道や旅行・経済に大きな変革をもたらした。

巻頭は今も昔も新幹線時刻表だ。

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驚くことに、巻頭地図は新幹線が掲載されていない。間に合わなかったのか、わかってるだろということなのか、東海道本線があるのみだ。

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ところで、時刻表復刻版は過去にも何度か発売されており、朝ドラの主人公が帰省した時刻などはそれを使って調べている。あるときJTBが「ダイヤ大改正の1か月前の時刻表」という復刻版を出したことがあった。

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それには新幹線開業前の、1964年9月号があったので、それと見比べてみた。

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当然ながら巻頭地図は新幹線が載っていないが、10月号にも載っていなかったとは初めて気づいた。

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新幹線開通後も全体的には夜行列車が多く、東京〜大阪であっても夜行列車の利用がまだまだ多い時期だっただろう。今から思うとうらやましい。かといって、タイムスリップしてまで乗ろうとは思わないけど。

  
| 読書 | 20:22 | comments(0) | - |


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