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北海道市町村営の宿100 安くて気軽な公共の宿の原点
引き出しを整理していたら、底のほうから「最新北海道市町村営の宿100」という小冊子が出てきた。JTBの雑誌「(廃刊)」の1995年8月号の保存版別冊付録だ。もう失くしたと思ったが、ここにあったとは。

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この小冊子は、1995年から毎年家族で北海道に行く水先案内人を務めてくれたし、なによりホームページ「安くて気軽な公共の宿」を作るきっかけになった本だ。



公共の宿は、自治体や公共団体が運営する宿泊施設。最近は公共の宿と一般の宿の差がなくなってきたし、なにより公共の宿が使命を終えて閉館や民間に払い下げられる事例が多く出てきた。
戦後、国民の生活が豊かになりだしたときに、公共の宿は国が国民に福利厚生をして割安で泊まれる宿だった。だがそれから50年が過ぎて、建物の老朽化、市町村合併、過疎化、ニーズの多様化、民間宿泊施設の増加などで、サービス面では劣る公共の宿は減っていった。

最初は全国に2200軒くらいあったのが去年あたりは1600軒に減少した。しかも今年は新型コロナウィルスの問題があるので、ますます淘汰が早まるだろう。

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この小冊子は目からうろこだった。これまでも国民宿舎をはじめとして公共の宿をよく利用してきたつもりだったが、市町村営という経営体があることや、北海道にこんなにたくさんの公共の宿があるなんて、感動ものだった。

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1995年の夏休みは子供たちも小さく、初めてのフェリーで北海道に渡り、マイカーのオペルアストラワゴンクラブで深名線をたどった。この年の9月で廃線になった。
この旅行での宿選びはこの冊子が大活躍した。

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公共の宿がこういう一覧にまとまっているサイトが欲しい。そう思って探したがなくて、自分で作ってしまった。タイトルの「安くて気軽な公共の宿」は種村直樹氏が「鉄道旅行術」で題したものをお断りして拝借したが、語感も気に入っている。

この本に出ているいくつかの公共の宿、あるいは当時泊まったいくつかの宿はすでに廃業しているものもある。「旅」も廃刊になったし、私のサイトのアクセス数も落ちているし、「公共の宿」特集のテレビ番組や雑誌はなくなったし、もう公共の宿の時代ではないんだなと感じる。
| 読書 | 21:43 | comments(0) | - |


本が経年劣化で割れてくる
40年ほど前に書いたクイズの本を25年前にホームページ化した。
しかし時代はPCのみならずスマホやタブレットでも見られるレスポンシブデザインになっているので、再度コーディングをし直している。

挿絵のイラストも自分で描いたので当時のスキャナーで本からスキャンしたけれども、当時のスキャナーの性能が悪くて細部がつぶれたりかすれたりしていた。そこでイラストは現在のスキャナーで再スキャンをしてホームページに掲載することにした。



フラットヘッドスキャナーなのでコピーをとるように本を開いてガラス面に載せる。ところが1985年にサンケイ出版より上梓した「TVクイズまる金必勝マニュアル」は、糊で製本しているようで背中が割れてしまった。

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ほかにも昔のサンケイ出版の本があるが、読んでいるうちに割れてしまったものもある。
印刷・製本は凸版印刷だ。

一方で、1980年暮れに朝日ソノラマから上梓した「TVクイズ大研究」はフォト印刷という聞いたこともない印刷会社だが、こちらはいまだに大股を開いても割れることがない。

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朝日ソノラマの用紙はサンケイ出版よりも粗悪で、もはや黄ばんでいるけれども、製本方法が違うようで背割れは起きていない。どちらも無線綴じだと思うが、糊が違うのか工法が違うのか、昔、印刷屋に勤めていた割には何も知らないけれども、紙が黄ばむよりも背割れがしないほうがいい。

新しいスキャナーの性能はまったく問題なく、粗悪な印刷でスクリーントーンを認識しないで黒くつぶれてしまった部分も再現できた。



「TVクイズ大研究」のレスポンシブ化は今月中に終わらせるつもりだが、過去ばかり振り返るよりもクイズならクイズでよいから、新しいことを考えるほうが有効な時間の使い方だと思う。

| 読書 | 20:32 | comments(0) | - |


駅前旅館ざっくばらん 種村直樹著 様似駅前の過去現在
種村直樹氏のあまたある著書の出版社は、鉄道ジャーナル社、JTBパブリッシング、自由国民社、創隆社、徳間書店、中央書院などが知られているが、サンケイ出版からも出ている。「時刻表から旅立つ」「駅前旅館ざっくばらん」がそれだ。

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サンケイ出版からの発行は私が一役買っている。私が同社から上梓した「TVクイズまる金必勝マニュアル」の編集担当者の島津亘男副編集長に種村氏のことを話したら、島津氏が産経新聞社時代に記者クラブで一緒だったことがあったそうで旧交に火が付き、これらの本の出版につながった。種村氏は毎日新聞社の記者だった。

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1986年5月に発行された「駅前旅館ざっくばらん」には、北海道から鹿児島まで種村氏がこの10年で泊り歩いた169駅202館が紹介されている。

冒頭には、
■駅前旅館とは
汽車旅のガイドブックや乗り歩きエッセイに駅前旅館と言う言葉を使いだしてから久しくなる。しかし、改めて「広辞苑」を引いてみるとそんな項目は出てこない。旅の途中で、ふらりと駅へ降り、すぐ近くの旅館やホテルに泊まることが多いので、その総称として用いてきており「駅前旅館」と題する映画があったような気もするが、僕の造語だろうか。

とある。

この中に、もはや風前の灯火となり実質廃線廃駅状態の北海道日高本線様似駅前の旅館が紹介されている。

日高本線様似(様似町)
民宿美鈴荘
日高本線の終点で、襟裳岬の入り口にあたる様似駅前に「駅前民宿」と言う名の民宿があるのを知り、一度泊まってみたいと思っているが、85年8月に電話したものの満員。電話の相手に民宿美鈴荘を教えてもらい4人で泊った。駅前の三叉路を曲がり、駅から5分ほどである。




この本を読んでいたからか、偶然か知らないけれど、様似駅前の「駅前民宿」の写真を撮っている。1986年9月14日の日付が焼きこまれている。

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婚礼着付 ふじ美容室と看板が出ており、1986年ごろは様似町にも結婚する若者がいたということか。

そして種村氏ご一行が泊まった美鈴荘は、現在は味寿々ホテルと名を変えており、2017年6月27日に泊まった。これはこの本の記憶があったからでない。Googleマップで見つけたから泊ったのだ。

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だが、本能なのだろうか、駅前民宿の写真も撮っていた。



婚礼着付の文字はなくなり、建て替えられたのか外壁リフォームをしたのか。看板の電話番号が30年前と変わっていない。

ちなみにどこの駅前か記録も記憶もないが、「駅前旅館」という名前の旅館の前でも写真を撮っていた。前後の状況から苫小牧駅付近と思うが、「駅前旅館ざっくばらん」にはサンルートホテル苫小牧が紹介されていた。

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今でこそインターネットがあるけれど、当時の種村氏の旅行はまさに行き当たりばったりで現場主義。そこに宿があれば泊まり、なければ人づてに宿を紹介してもらい泊まっていた。それも駅前旅館に該当する宿だけで10年で200館以上泊っているとはすごいものだ。それ以外にも温泉旅館などにも泊っている上にだ。
そして印象を含めて詳細な記録がなされているから本を作れる。今のネットによる宿泊予約は「口コミ」が大事で、トリップアドバイザーはもとより、楽天トラベル、じゃらんネット、るるぶトラベルとも、利用者に口コミ投稿を勧めている。
この本はそれに匹敵する「口コミ」が種村氏の主観で書かれているところがもっともすごいところで、さらには泊まる宿を探すだけでなく、読んでいるだけで楽しく、旅をしている雰囲気になるのがすごい。

見知らぬ街の、30年の時の流れをたまたま写真に撮っていたのは、すごいのか。

  

| 読書 | 19:02 | comments(0) | - |


種村直樹編著 日本の鉄道なるほど事典 実業之日本社
レイルウェイ・ライター種村直樹氏の著書を読み進んでいる。今回は「日本の鉄道なるほど事典」である。
"鉄道史から最新きっぷ情報まで、楽しい実益話120"と副題にあるように、あまり種村氏の領域ではないような分野にまで話が広がっている。いや、むしろその要素のほうが強い本だ。

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というのも、<なるほど事典シリーズ>がすでに実業之日本社にあり、深層心理なるほど事典、古代エジプトなるほど事典、我が家の仏教なるほど事典などの1冊として日本の鉄道なるほど事典が加わった形なのだった。ほかのなるほど事典は手に取ったことすらないが。

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2002年11月の発行で、種村氏が入退院を繰り返していた時期の刊行である。本来はもっと早くに発行の予定だったが、氏の病気のため2年遅れた由。

この本は種村直樹編著となっているのだが、当初の企画段階から本文の執筆は元実業之日本社編集者の中田広二氏と当時三菱地所札幌支店の辻聡氏の筆になるもので、構成案はすでにできあがっており、種村氏は全体に目を通して監修すればよいとの条件で気軽に引き受けたら病気になってしまったいわくつきの本だった。

辻氏はもちろん中田氏にもお会いしたことがあり、中田氏は非常にまじめな人で、退社後に編集プロダクション"穏健舎"を立ち上げたとのことで、彼らしい社名だった。今、ネット検索をしても中田さんの名前がヒットしないのでどうされておるだろうか。

「日本の鉄道なるほど事典」は「鉄道旅行術」同様の見開き2ページで1項目。事典とあるものの読み物として構成されており、読み進んで知識を得るようになっている。

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いずれも非常にわかりやすい読み物にまとまっており、発行当時に知っていればぜひものとして推薦していた(上から目線)。

種村氏は章立ての切り替わりに「レイルウェイ・ライター種村直樹 僕の半世紀」と題した、鉄道史と自分史を織り交ぜた文を寄せている。

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一方で、中田さんの筆は種村氏が敬遠していた技術系の話や、未来の鉄道についても触れており、登場したばかりのSuicaや路面電車LRTの将来なども書かれている。

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中田さんは種村氏の「周遊券の旅」の読者で、このような本を作りたいと実業之日本社に入った由。この本の分かりやすい文章や彼のまじめな性格から、編集者のみならず著者としても将来を嘱望されていたはずだが、ネット検索でヒットしないのが気の毒である。

  
| 読書 | 21:16 | comments(0) | - |


講談社ニューワールド英和辞典(1969年版)にtwitter
私が高校生の時から社会人に至るまで使っていたのは「講談社ニューワールド英和辞典」だ。1969年の版である。この辞典が奥から出てきた。

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ネット検索すると今はこの辞典は発行されていないようだが、講談社学術文庫から文庫版としても出ており、この英和辞典、和英辞典、国語辞典の3冊も使っていた。小型だが文庫本は製本がしっかりしておらず、ずいぶんと長い間使っていたがさすがに耐え切れずに捨てた。今は絶版のようだ。

この手許の本は辞書としての製本なので、手垢だらけになってもまだ使える。

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講談社ニューワールド英和辞典は重要な単語や、そもそもが文法に関する単語が別枠で解説されているのがいいけど、今読んでも複雑でわからない。ましてや高校生では。
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そして日本語の説明でわかりにくいものについてはイラストで説明がある。
これは豚の餌箱、▽型でtroughと言うらしい。

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日本語ではトラフで、谷やくぼみの意味で使われ、南海トラフなどと言う。
なるほど、V字型のくぼんでいる餌箱をトラフというのか。

帆船で水兵や海賊が上る縄梯子。ratline、ラットラインというそうだ。
帆船の覆いの間の小さな水平のロープ、と言われてもよくわからないがイラストなら百聞は一見に如かず。

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だが驚くべき?ことはtwitter(ツイッター)が掲載されていることだ。
SNSではない。

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小鳥がさえずる。ぺちゃくちゃしゃべる。くすくす笑う。そわそわする。興奮してどきどきする。震える。
さえずるように話す。胸騒ぎ。

といった意味がある。つまりtwitterはあのSNSのまんまで、昔からある単語だった。

ちなみにfacebook、instagramは出ておらず、新しく作った固有名詞と言える。

この辞書は使いこんでおり、引いた単語に赤線がある。しかしまったく覚えがない。

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| 読書 | 19:19 | comments(0) | - |


種村直樹自選作品集4 鉄道を書く 1975−77 北海道気まぐれ列車
レイルウェイ・ライター種村直樹氏の全集にあたる自選作品集の第4巻は1975年から77年にかけての、レイルウェイ・ライターとしての活動が軌道に乗り始めた時の著作集である。

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この本は2001年11月22日に発行されたが、ちょうど1年前に種村氏はくも膜下出血で倒れた。そのためこの本の発行も遅れた。しかしその直前にこの第4巻の収録作品の粗選びも終わっていたようで、この本の収録作品は術後に調整したものである。そしてあとがきを読むと第1期全6巻という記述があり、確かに「鉄道を書く」は6巻まで出たが、第2期も構想にあったということか。種村氏の度重なる病気と版元の中央書院の倒産でそれも幻に終わった。

この第4巻のメインは「北海道」である。
書下ろしの「新・道南気まぐれ列車」は退院後の2001年の初夏に敢行された。それに1955年夏の京都大学に受かった夏休み旅行の「北海道気まぐれ列車前史」、1975年のレイルウェイ・ライターになってからの若い読者との二人旅の「北海道気まぐれ列車」の3部作である。

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「北海道気まぐれ列車」はレイルウェイ・ライター独立後の種村氏の気まぐれ旅のスタイルや、取り巻きと一緒に巡ってその素行を取り上げる著述のスタイルの原型になった記念すべき作品である。自選作品集のほかにも「気まぐれ列車で出発進行」やシグナル社「北海道気まぐれ列車」でも出版されているので、種村ファンには比較的目に触れる機会も多い作品と思う。

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1975年6月の「北海道気まぐれ列車」は事務所のバイト君でもあった読者の辻聡氏(当時一橋大学)との二人旅で、北海道ワイド周遊券を5月の冬季割引期間中に購入しての2割引きの旅だった。
客車列車で巡る大まかなコースは決めているものの、宿も行先もその時任せ。人づてに話を聞いて面白そうならそこで降り、そちらに向かう気まぐれ旅だった。

初出は「旅と鉄道」1975年秋の号「旅を楽しくする実践講座」で、紙幅の都合もあり、かなりはしょった記述になっている。そのため、文体も他の作品と異なっている。実業之日本社/講談社文庫の「気まぐれ列車の時刻表」およびシグナル社の「北海道気まぐれ列車」に掲載されたルポは翌1976年の旅も加筆してあり、より詳しく旅の内容が分かる。

むしろハイライトは「北海道気まぐれ列車前史」だろう。前史と名づいているのは後付けであり、1975年の旅があったから、学生時代の忘れられない旅を振り返り、それを「前史」としたのだ。
こちらの初出は変わっている。読者の一人の山口晴好氏が主宰する「夢いっぱいの会」のガリ版刷りの会誌「オリオン」に寄稿した作品であり、5回に分けて連載された。
プロがこのような会員誌に寄稿することも、会員誌に5号も連載することも、ということは会員誌が5号以上も続いたことも、今からは想像しがたい出来事であるが、それは現実だった。

1955年、中学時代の同級生で現役で東京大学に受かっていた横田氏と北海道を巡った旅で、飯盒持参の自炊、宿を尋ねた人の家に泊めてもらったり、その家の紹介で別の土地に泊まったり、列車内で知り合った人の家に泊まったりの、今からは信じられないおおらかで心の豊かな時代の旅が再現されている。宿もバンガローだったり番頭の寝室だったりと、金のない学生ゆえの破天荒な施設が出てくる。
私はユースホステルや国民宿舎に何度となく泊まったけれども、それらの登場前の旅だった。
「前史」はまさに冒険に近く、今ならユーラシア大陸横断に匹敵するような旅だったのだろう。この旅行で種村氏は自然と旅の極意を学んだ。



この作品を読んで、いやでも脳裏に浮かぶのは串田孫一氏の「「北海道の旅」である。1962年と、種村氏の前史から7年後の旅もほぼ同じで、まだ馬が交通機関の開拓の血が生きている北海道の姿が蘇る。
串田氏は現地で知り合った朝倉君と二人で回るが、特に連絡先を聞くでもなく別れる。
大勢の取り巻きと回る種村氏と好対照で、手に入るならぜひ読んでほしい一冊だ。

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「昔はよかった」
と老人は言う。明日のダイヤ改定で消える列車、増える列車などがあるが、新型コロナウィルスで減便が予定されている。だが、長距離鈍行が当たり前で、人々の生活に国鉄がしっかり根付いていた時代、人と人とが助け合い、見ず知らずのその場であった人を家に泊める鷹揚さがあった時代。
今の若い人は
「うざったい」
と言うのだろうが、その時代をちょっと知っている私は幸せなのだろうか。

この「前史」で種村氏たちは多くの人々のお世話になり、手紙が続いたり会いに行ったりもした。
「気まぐれ列車で出発進行」の末尾には「人生には無数の出会いがある。その全てをつなぎとめておくことは不可能だ。しかし今、あらためてペンを執ってみると、通り過ぎてしまった出会いのひとつひとつが、宝石のように輝きを増してくる。それぞれに手がかりがあるのだし、この本を刊行したら、できるだけ早い機会に、この方々や関係者をたずね、感謝の意をこめてお渡ししたいようにも思う。その反面、このまま自然に任せておいたほうがいいのではないかという意識もある。何度か考えて、結論を出したい。」
と結んでいる。そして種村氏は自然に任せた。

だが、種村氏の没後に私が書いた「贋作・北海道新幹線気まぐれ列車」にはこれらの人々に会う伏線回収を施しておいた。



   
| 読書 | 18:06 | comments(0) | - |


鉄道を書く 種村直樹自選作品集2 1970〜73
種村直樹氏の<鉄道を書く>は、種村直樹自選作品集とあるように<全集>の位置づけだ。全部で6巻からなり、今回はその2、1970〜1973年の、レイルウェイ・ライターに独立する前、毎日新聞本社勤務の国鉄担当記者時代の記事をメインに、バイトで書いていた鉄道ジャーナルなどの記事のアンソロジーだ。

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版元は今は亡き中央書院。当時も無名の出版社だったが急速に種村氏に近づき、このアンソロジーのほか"乗り歩き"紀行を何冊も出版している。
当時の女社長だった竹森澄江氏とはお会いしたことがあり、種村氏によれば"昔美人"であった。

過去の作品の寄せ集めにしたくなかったのか、書かずにいられなかったのか、巻頭ルポとして書下ろしの「東北・奥羽本線鈍行乗り継ぎ紀行」「2000年スピード乗り継ぎ」「思い出の武蔵野線 今と昔」が掲載されている。

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この本の出版は2000年4月で、最初に病で倒れたのが2000年11月だったから、その半年前となる。2000年上旬はほかにも何冊も出版しており、鉄道作家として地位を築き、宮脇俊三氏と並んでその道の(鉄の道の)第一人者として迎えられていたのだろうと思われる。

「東北・奥羽本線鈍行乗り継ぎ紀行」はすでに山形新幹線も開業していたときに、あえて鈍行で編集担当でのちに中央書院の社長になる芳賀郁雄氏と旅したルポだ。出版が遅れ、このころはまだ原稿の遅れよりも版元の事情だったと思うが、山形までだった新幹線が新庄まで延伸したので急遽その補正をしたとある。

上野から下北半島の恐山までの、峠の力餅やすき焼き弁当を食べながらの、のどかな旅だった。

「2000年スピード乗り継ぎ」は新庄延伸を踏まえた東京から青森の特急早乗り、「思い出の武蔵野線」は1973年のレイルウェイ・ライターとしてスタートした時に開業した武蔵野線の今昔を探る旅だった。

過去の作品では「45時間半・日本縦断特急の旅」は1972年の鉄道百年の記念企画。国鉄最南端の西大山駅から最北端の稚内駅までの早乗りルポだった。この時は鹿児島から岡山まで寝台特急が走っている時代で、45時間半かかった。
ちなみに東北新幹線と夜行の快速はまなすが運用されているときが25時間51分の最短だったが、はまなすがなくなって現在は30時間42分と所要時間は遅くなる。
種村氏は何回かこの早回りに挑戦していた。

これらのタイムリーな記事は今となっては昔話にも記録ならず、私のように往時を知っているものが懐かしむ程度である。しかしエッセイはその類ではない。

「記憶」は1971年の国鉄部内誌の記事だ。
幼いころ車掌に憧れた。しかし車掌にはなれなかったという書き出しで、車掌さんの思い出をつづっている。
1日間違えて指定席に乗ってしまった老婆と孫。車掌は空いている調整席に案内し「安心して乗っていてください、損料は取りませんから」と坊やの頭を撫でた優しい車掌。
グリーン券を持たないで乗って来たスキー客。「好きで乗ってんじゃねえよ、駅の指示で乗ってんだ」とクレーマー客に「次の駅で降りてください」と毅然と対応する車掌。
これは今読んでもほっこりする。

1000年前の紀行文でも現代に読み継がれるものがあれば、情報鮮度は高いが1分で読み捨てられる紀行文もある。どこにターゲットを絞るか、難しいところだ。

  

  

| 読書 | 19:50 | comments(0) | - |


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