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ザ・タイムショック 50周年記念 42年前の最古の映像で"出演"
テレビ朝日のクイズ番組「ザ・タイムショック」が「クイズ・タイムショック」時代から50周年を迎えた。まずはおめでとうと言おう。

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初回の1969年の映像はテレビ朝日に残っておらず、最も古いもので1978年のだそうで、ツイッターなどでそれより古い映像の募集をしていた。古いビデオテープを持っている人はツイッターのDM(ダイレクトメッセージ)で知らせてほしいというのだが、スタッフはツイッターに詳しくないのか、DMが送れないデフォルト設定になっていた。つまり、DMは原則、相互フォローでないと送れないので、設定を変えて誰でも送れるようにしなければならないのだが、そうなっていなかったし、フォローした人をフォローし返すこともしていなかった。

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やむなく、52円時代の年賀はがきに10円切手を貼ってはがきで知らせた。1977年のビデオがあること、ツイッターでDMが送れないこと。普通のはがきを書くのは5年ぶりくらいか?
メアドを書いておいたのでメールで返事が来た。

VHSテープを送ってほしいとのことだったが、すでにデジタル化してあるのでそのファイルを送ったら使えそうらしく、それが本日の放送で使われた。

7時20分ごろの早い時間で、1969年の新聞縮刷版から当時の番組表の紹介があり、

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初回のテープを探したが存在しないで、私の1977年9月29日放送分が最も古かったようだ。
司会は田宮二郎さん。

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そもそも一般家庭に存在している映像資料は、家庭用ビデオデッキのSONYのベータマックスが1975年の発売、ビクターなどのVHSが1976年なので、それ以降と考えるのが普通だ。それ以前でも録画機器はあるにはあったがテープをα型に回転ヘッドに巻き付けるなどの特殊な方式ですぐに廃れたから、そのころの番組を録画して現在も残っていて再生できることは極めてまれだろう。

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私はそれこそクイズタイムショックに勝ち抜いている1977年9月の放送開始前にVHSビデオデッキのビクターHR-3300を25万円で買ったのだ。VHSテープは2時間で4500円した。もちろん、自分が勝ち抜いているクイズタイムショックを録画するためだ。途中で負けたとしても、ある程度の賞金はもらえるのが分かっていたのでビデオデッキの購入資金にもなっていた。

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私はすでにパネルクイズアタック25で優勝しており、タイムショックには「クイズ荒らしになりたい」という触れ込みで出た。インパクトのある自己紹介でないとなかなか出場のチャンスは回ってこないのだ。

そして次々と勝ち抜いて、5週勝ち抜きの優勝を果たした。

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現在の写真が欲しいとのことで、5週勝ち抜きと1985年の全問正解時の優勝トロフィーを天袋から引っ張り出して、それを手に持って撮影して送った。
変わり果てた姿である。42年前に会いたかったね。

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全問正解はまったく取り上げられなかった。
しかし、過去の映像紹介で全問正解時の映像も使われた。この「出た!百万円のド迫力」とは、私のことである。
ちなみに日付が間違っており、1985年9月26日が正当である。

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これが今回は使われなかった全問正解時の映像。

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司会は山口崇さんに代わっていた。

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それにしても、番組スタッフは失礼ながらネットリテラシーが低いと思った。ツイッターのDMもそうだし、クイズタイムショックのWikipediaに私のことは出ているから、私へ連絡したければ比較的簡単にできて録画の有無を問い合わせできるのだが、それもなかった。
クイズ作家の道蔦岳史君に「大木一美さんの連絡先を教えてほしい」と打診があったそうだ。大木さんは1980年前後のクイズ番組を片っ端から録画している変人だった。タイムショックでも私のあとに優勝している。

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大木さんと連絡が取れたのか連絡したのか、わからない。
ちなみに私も大木さんに触発されて1980年から数年間、主要なクイズ番組を全部録画して保存してある。

番組宛てに映像を送ったのは6人とのことだが、これは石野まゆみではないか。

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タイムショックで5週勝ち抜き優勝をした翌1978年、第2回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝して、このビデオデッキで録画した。それはタイムショックでの「クイズ荒らしになりたい」という口上が実現したことでもあった。さらに1985年には全問正解し、1980年前後はクイズで青春が明け暮れたのである。

| クイズ | 21:22 | comments(0) | - |


たけしのこれがホントのニッポン芸能史 クイズ番組 アタック25
9月4日のNHKBS「たけしのこれがホントのニッポン芸能史」はクイズ番組を取り上げていた。とても興味深く視聴した。

過去のクイズ番組の裏話は内容の違いこそあれ、この手の番組を作るのに誰もが思いつくだろうが、細かいところでは「クイズ・クイズ番組」というクイズ番組をテーマにした(99人の壁にもありそうだ)クイズで、出題された問題はいずれもクイズ史に残る名問というか話題のクイズからの問題だった。QUIZ JAPANと日本クイズ協会が企画協力をしていたらしく、なるほどと納得する問題の選び方だった。

中でももっとも興味深く見ていたのは、現在も続く視聴者参加のクイズ番組「パネルクイズアタック25」の舞台裏を取材していたコーナーだ。

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録画前に司会の谷原章介さんを交えて、出場者のプロフィールから問題を読むアクセントまで検討しているシーンを放送していた。

実は1979年、今から40年前に私もパネルクイズアタック25を取材していた。その前年に第2回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝しており、「TVクイズ大研究」という本を書くことになったので、出版社を通じて朝日放送に取材を申し込み、録画当日の模様を拝見したのだ。

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今も変わらぬというか、司会の児玉清さんはじめ、スタッフ一同の打ち合わせシーン。児玉さんは一番奥です。

そしてスタジオの司会者席。パネルの色をコントロールするボタンがある。今ではパソコン仕立てなのだろうが。

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回答者席はアナログチックだ。ここに座ったことがあるが、ボタンはパソコンの「空白キー」より細長いバーだった。ボタンとはいいがたい形状だった。

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なにやら、制御する機械。コンピューターというよりも電子計算機か配電盤だな。
こういうの、すっごく興味深く拝見していた。

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そういえば、当時はアシスタントを紹介しており、彼女がパネルの制御をしていたのだが、今はコンピュータ制御で人手不足解消か働き方改革か、AIに仕事を取られたか。

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パネルの裏側。今は全然違うのだろうな。



スタッフは「(クイズ問題の)間違いは許されないし絶対にない」と豪語していたが、そうなのだろう。緻密な事前の仕込みと打ち合わせがこんにちまで続いている長寿クイズ番組たる由縁なのだと思った。

| クイズ | 22:23 | comments(0) | - |


アップダウンクイズ最終回第1084回 1985年10月6日
アップダウンクイズを知る人も少なくなったが、TBS系列の大阪毎日放送MBSで制作されていた正統派クイズ番組だ。
放送開始は1963年(昭和38年)10月6日、70年代の視聴者参加クイズ番組をけん引し、終了は1985年10月6日で22年間にわたり、日曜日の夜を楽しませてくれた。

私が小学生からの番組で、お茶の間で家族でぼそぼそと答えながら見る習慣があった。
このときの放送局は東京では10チャンネルのNET(現:テレビ朝日)で、ある日司会の小池清さんが「ご覧のチャンネルが変わります」と、次回からTBSで放送すると告げた。1975年4月からのネットチェンジ、東京と大阪の放送局の系列が異なっていたいわゆる"腸捻転"を解消したのである。ずいぶん長いことNETの番組と思っていた。NETは木曜日のクイズタイムショックと日曜日のアップダウンクイズだったのだ。

私はクイズに夢中になっており、伝統のアップダウンクイズはぜひとも出場して優勝するつもりでいた。まず1978年2月に出場して9問正解、あと1問で優勝なのを逃した。



続いて1981年5月に再出場し、10問正解で優勝した。この時はすでにアメリカ横断ウルトラクイズのクイズ王になっており、番組代理店の萬年社(倒産)の藤井洋一さんから「北川さんは極端な人ですな、神様のように言う人もおればボロクソに言う人もおる」と、至極納得する評価をいただいた。藤井さんはアップダウンクイズの予選から出場者の選定、当日のケア、優勝旅行の説明などの全般をしてくれて、当時のクイズマニアはみなお世話になっていた。どうされているだろう。
この前後の優勝者にクイズ仲間が多かったので、日程を合わせて4人でJALPAKでハワイに行ったのは楽しい思い出だ。



さらに1981年秋の20周年全国大会の関東地区に参加させてもらって、優勝したのは道蔦岳史だった。



出題形式は「○○を何という」というオーソドックスな早押しクイズで、「YesNoクイズ(要するに○×)」や「目で見るクイズ」「シルエットクイズ」などがあり、シルエットクイズは時の人がゲストに招かれシルエットやヒントでその人を当てるという趣向だった。
クイズマニアの中には「今に偉くなってシルエットゲストに呼ばれるのが夢」と言ってた者がいたが、その夢はかなわなかった。



予選問題は30問で出場すること自体がたいへんだった(ほかは20問が一般的)。クイズ内容も難しく特に後半の8問9問になっているときに素晴らしいひっかけクイズが出て、一気に下に落ちる人もいたので油断できなかった。
回答者は6名で、ゴンドラと呼ばれたリフトで上下するケージに入って、1問答えると1段アップし10問(10段)正解で優勝、協賛のJALによるハワイ旅行、間違えると9段目であっても一気に下までダウンするルールだった。



そのアップダウンクイズの終焉はどうだったのだろうと、1985年のビデオをラックから取り出したら再生されない。VHSカセットを見たらテープが経年劣化で切れていたので分解してつないだが、もうこのビデオはまともに再生できないだろう。それほど月日のかなたの物語なのだ。



毎週日曜日午後7時から、協賛のJALのCMが入った。



そしてロート製薬1社提供のため、ロート製薬の社屋に鳩が舞うオープニングで明けるのが常だった。これはクイズダービーも同様だった。




ところが1985年8月12日に日航機が御巣鷹山で墜落したためJALはプロモーションを自粛、JALのCMは無くなった。
それまでは優勝者にJALのCAがJALバッグを渡す演出があったが、



事故後はそれもなくなった。ただし事故後最初の放送は9月8日で、それは8月10日に録画していたもののため、CAがバッグを渡すシーンはカットされたが、バッグそのものは優勝者が手に持って映っている。また番組終了時の優勝者を囲んだ引きの絵にはCAが映りこんでいる。



アップダウンクイズは1985年10月6日で放送を終えた。つまり晩年はJALが前に出ることなく寂しく終えたのである。

終了前のチャンピオン大会に水津康夫が出ているが、彼は優勝を逃した。
そして10月6日の最終回は過去にシルエットゲストで登場した有名人が二人一組で回答する趣向だった。

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この時のシルエットゲストは江夏豊。最終回にふさわしい大物だったが、

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私としてはその2年前に司会者を降板した小池清アナに出てほしかった。放送局員なのでそうもいかなかったか。



タレント大会なので問題は易しい。
YesNoで「ワカメが成長するとコンブになる」という問題が出て、談志師匠が「ノーだな」と答えていた。

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タレント大会なのでグタグタ進行していたら、画面が切り替わって司会の西郷輝彦が「最後の問題です」になった。
出題の佐々木美枝さんが「別れの曲として知られる蛍の光の作曲者は日本人・外国人どちらでしょう」という問題を読み、平尾昌晃・中村泰士の作曲家コンビが9問目だったので皆が譲るかと思ったら、

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鳳蘭・麻実れいの宝塚コンビが「外国人…」と答えてしまい、むなしい終わり方をした。

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ラストで出題の佐々木美枝さんは涙ぐんでいた。

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彼女は1978年、私が最初に会った7年前と変わりないですね。吉永小百合に似ているかわいいおねいさんだった。



空になったゴンドラをバックにアップダウンクイズの歴史が字幕で紹介される。
第一回放送 昭和38年10月6日
放送回数 1084回
総出場者数 6816人
10問正解者数 639人
総問題数 48781問

22年間のご声援まことにありがとうございました。

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しかしこの回はいつもより問題数が少なかった。というのは来週から始まる新番組「クイズ!ひらめきパスワード」の予告がかなり長い時間放送されたので、その分、アップダウンクイズの時間が短かった。

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アップダウンクイズの終焉は、一言で言えばコンテンツが時代にそぐわなくなったためだ。セットは上下に動く画期的なものだったにしても、「○○を何という」というオーソドックスなクイズ形式が、バブル期の目まぐるしく変化する時代からするとトロイものになっていた。競合のクイズ番組はタレントが面白おかしく答える形式の、トークバラエティの要素を取り入れたものに変わっていったし、問題も「なぜこうなるのでしょう」といった考えさせるものや、回答の解説そのものが興味の対象になる、今で言えばNHKの「チコちゃんに叱られる!」的なものに変わっていっていた。

テレビの番組は時代ごとにさまざまなコンテンツが生まれては消えている。しかし消えなかったものがある。それはクイズファンたちのクイズへの情熱だった。タレントしか出られないクイズ番組に我慢のならない人たちが出てきた。
私は「テレビ番組に頼らず、いつでもどこでもだれとでもクイズを楽しめる、かつて学生街にあった雀荘のようなクイズ荘」があればいいと常々思っていた。これは1991年、パソコン通信、今でいうインターネットの利用で可能になった。チャットシステムを使って全国の人たちとクイズを楽しめるようになったのだ。
学生たちのクイズサークルは早押し機を自作して校内あるいは近隣の大学とで連盟を作り、互いに対戦型クイズを楽しむようになった。その草野球ならぬ草クイズは発展し、CS放送で競技クイズ大会が開催されるまでに至った。
念願のクイズ荘は、東京のQUIZ ROOM SODALITEを皮切りに、実際に人と人とが対戦する施設ができている。
石川県 クイズスペースモア
徳島県 ここはれ

さらに一般社団法人日本クイズ協会ができ、クイズの普及に努めている。
また、タレントたちの中ではいわゆるクイズタレント、プロクイズプレーヤーも登場している。

アップダウンクイズの最終回のビデオを見直して、この30年の間にテレビのクイズ番組に頼ることなく、クイズへの情熱を燃やし続けた人たちがおり、いつでもどこでもだれとでもクイズを楽しんできたことに改めて気づかされた。かつてあこがれた伝統のクイズ番組がなくなっても、自分たちでクイズを楽しむ術(すべ)を見つけ出し、あまたのクイズ番組の墓標を乗り越えてクイズを楽しんで、あるいは商売にしている人たちの情熱とたくましさに感動している。

クイズの本4冊+アルファ
| クイズ | 17:01 | comments(0) | - |


韓国釜山での日本観光クイズ大会2012
韓国からの訪日客が減っている。
1965年に取り交わした日韓請求権協定で、戦前戦中の日韓の問題は政治的法的に解決したにもかかわらず、韓国の裁判所が韓国人徴用工に対して賠償をしろという不当な訴訟・判決を出したことで一気にこれまでの日韓問題に火が付いた。

もとから竹島、慰安婦に、レーダー照射徴用工が加わり、しかも韓国は北朝鮮に対して国連決議に反するせどりをしていたので、日本は武器に転用される恐れのある資材の輸出を厳格にした。禁輸ではない。手続きがズボズボだったのをほかの国と同じようにしただけだ。

これまで韓国は日本に甘えており、日本には何をしても許される、日本も許してくれると思っていたお子様だったが、日本は初めてくらいに韓国に対して毅然とした態度をとったので、今度は韓国が慌てた。

私は韓国ごときと仲良くすることはなく、国交断絶でも構わない。
かつては韓国の仕事をしていたし、仕事を通じて知り合った韓国の人々はみな良い人たちだった。同じ広告屋は広告屋のマインドが一致して、一緒に仕事をするのは楽しかったし刺激になった。
子供たちを連れて訪韓したこともある。

2012年、東日本大震災で落ち込んだ訪日需要を喚起するために釜山で日本についてのクイズ大会が開催された。この問題の監修をしてくれと言われた。こんな日韓関係もあったということで紹介します。

クイズは韓国でいまだに放送されている人気クイズ番組「挑戦!ゴールデンベル」の形式をとった。

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ジャンルは日本観光、日本食、日本文化の3つ。クイズは○×、四択、筆記、そして決まらないときのための近似値問題を用意した。

いくつか問題をお見せしましょう。

●日本観光○×
Q.도쿄 디즈니랜드는 오사카에 있고, 유니버셜 스튜디오 재팬은 도쿄에 있다?
答えは×ですね。
ちなみに日本語訳は「東京ディズニーランドは大阪にあり、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンは、東京にある?」

Q.홋카이도 후라노지방의 심볼이기도 한 보라빛의 귀여운 꽃을 피우는 식물의 이름은 튤립이다?
これも×。
日本語訳は「北海道富良野地方のシンボルでもある、すみれ色のかわいい花を咲かせる植物の名前はチューリップである。」ラベンダーですな。日本語だと簡単だがハングルだと難しい。それは言語能力の問題だ。でも番組では下関の高校生と韓国語で対決したことがあるらしく、在日だったのだろうか。在日韓国人でも韓国語を離せない人は多数いるはず。

●日本観光四択
Q.일본은 아주 빠른 열차인 신칸센으로도 유명합니다. 그럼, 도카이도 신칸센인 산요신칸센의 열차 이름이 아닌 것은?
A. 노조미 B.고다마 C.히카리 D. 호시노
Dが間違い。こんな名前の新幹線はない。
日本語訳は「日本は高速列車の新幹線でも非常に有名です。では、東海道新幹線・山陽新幹線の列車名ではないのは? A.のぞみ  B.こだま  C.ひかり  D.ほしの」

Q.부산에서 정기편으로 직항 배편이나 비행기로는 갈 수 없는 일본의 도시는 어디일까요?
A. 시모노세키   B. 후쿠오카  C. 나가사키  D. 대마도
これはCで、ほかはすべて乗ったことがある。
日本語訳「釜山から直行定期便の船や飛行機では行くことができない日本の都市はどこでしょうか?  A.下関  B.福岡  C.長崎  D.対馬」
関釜フェリー、博多港からのジェットフォイル、対馬からのジェットフォイルで釜山に行ったことがある。

●日本食四択
Q. 일본 시코쿠지방에 있는 사누키우동이 유명한 현은?
A. 가가와현 B. 고치현 C. 도쿠시마현 D. 에히메현
これはAですね。大好き。
日本語訳は「Q.日本の四国地方で讃岐うどんが有名な県は?  A.香川県 B.高知県 C.徳島県 D.愛媛県」

●日本食筆記
Q.얇게 썬 소고기를 양파와 함께 달달하게 조려내 밥 위에 올려 먹는 음식은 무엇일까요?
答えは규동。
日本語訳は「薄切りの牛肉を玉ねぎと一緒にぐつぐつに煮て、どんぶりのご飯の上にのせて食べる食べ物は何でしょうか?」牛丼だな。

●日本文化筆記
야마구치현 하기시, 니가타현 니가타시, 구마모토현 구마모토시와 자매도시를 맺고 있는 한국의 도시는?
答えは울산시。これは知らなかった。当時の韓国人にしてもかなり難しい問題だ。
日本語訳「山口県萩市、新潟県新潟市、熊本県熊本市と姉妹都市を結んでいる韓国の都市は?」蔚山市(うるさん)
姉妹都市も解消だな。

日本人からすれば簡単だが、韓国人からすれば難しい問題も多かったのではないか。しかし160人80組が参加して盛り上がったので、よかったことにしよう。

今、JNTO日本政府観光局の韓国担当者は苦しいところだと思う。
だが悪いのは韓国。盗人猛々しいのは韓国。
竹島を返して慰安婦問題がウソだと認め、レーダー照射をした理由を明確にして、徴用工判決を無効にして、顔を洗って出直してこい。

  
| クイズ | 21:28 | comments(0) | - |


長戸勇人と行くウルトラクイズの旅
史上最大!第13回アメリカ横断ウルトラクイズから30年 長戸勇人さんと行くロサンゼルス・ボルチモア・ニューヨーク7日間の旅」が、企画協力:日本テレビ放送網株式会社、旅行企画・実施:株式会社JTBで催行される。

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このツアーがどういう経緯でできたのかまったく裏事情を知らない。誰が言い出したのか、どういうルートで話が決まっていったのか、知らない。大人の事情をクリアするために、今回の協力が日本テレビになっているのは想像がつく。旅行取り扱いが当時の近畿日本ツーリストでなくJTBなのは、旅行催行を請け負う会社ならどこでもよかったのだと思う。普通は近ツリに話を持っていくのだろうが、断られたのかもしれない。
目黒のアイケイビル3階にあるJTB外商部ってこんなことまでしてるんだ。

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アメリカ横断ウルトラクイズと同じルートをたどりたい、同じ旅をしたいという要望は放送中からあった。個人的に旅行した人はいたかもしれないが、パッケージツアーにはならなかった。マーケティング的に考えて、コアなファン層である学生が出せる代金ではなかったのだろう。
今では彼らも40代50代になって、9月25日出発催行なら遅い夏休みで休めるし、金もそこそこあるはずだ。

私がモニュメントバレーや国立公園が好きなのは、ウルトラクイズで見たから・知ったからであって、私はウルトラクイズをなぞる旅を実践してきたと言える。



当時のウルトラクイズの旅行取扱いの近畿日本ツーリストが、そういうツアーを出そうと思えば出せたのかもしれないが、大人の事情を別として、レアな土地が多かったので、おそらくは旅行代金がとても高くなって、売れないと判断されたのではないか。

現に、今回の長戸のツアーは長戸に払うギャラがいくらかしらないが、439,000円と、ロサンゼルス、ボルチモア、ニューヨークでこの値段はかなり高い。全行程添乗員付きだし、添乗員と長戸の旅費はタダだから、その分を含めても含めなくてもかなり高い。

第13回の1989年はバブル絶頂期で、私は出張と称してニューヨークに行っており、長戸と永田に会っている。

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先週、私はバンクーバーからカルガリー、トロント、ニューヨーク、ボルチモア(車窓)、ワシントンと、このツアーとほぼ同じコースを大部分を陸路で旅行してきたが、15日間で交通費、宿泊費に加えて食費から観光代まで一切を含めてこの金額程度だったから、これまでパッケージツアーが作られなかったのは、金額がネックだったのではないかと思う。

コースを見ると、成田空港からUAでロサンゼルスへ飛ぶが、ここは番組を提供していたANAにするべきだ。おそらく値段が合わなかったのだろう。それを言うならJTBでなくてKNTだと言いたい。こういうこだわりはこの手の商品に必要だ。

ロサンゼルスでは、サンタモニカ、ビバリーヒルズ、ハリウッド、ローズボウルなどのクイズゆかりの地を巡り、夜は長戸を囲んでの夕食会、おそらくは当時の裏話やクイズ大会などがされるのであろう。

ちなみにこの写真は第13回ウルトラクイズスタッフ一同のニューヨークでの打ち上げ。

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空路、ワシントンDCへ飛び、国会議事堂、ホワイトハウスなどのクイズゆかりの地を巡る。
7月25日のホワイトハウスは警備の都合か、普段より離れた場所からでしか見られなかった。



そしてバスでの移動と思うが、準決勝が行われたボルチモアのフォートマクヘンリー。ここは普通は行かない場所だ。ボルチモアは駅を通ったが、列車が駅名票の場所に止まらなかったので、どこだかわからないよな。ボルチモア駅です。



さらにニューヨークへ向かい、セントラルパーク、メトロポリタン美術館、五番街、トランプビル、ロックフェラーセンター、タイムズスクエア、エンパイアステートビル、ウォール街、911メモリアル、などを散策する。
パンナムビルあらため、メットライフビルにも行くのだろうか。



最後の夜はニューヨークランドマーククルーズでハドソン川を自由の女神へと向かう。

視聴者参加のクイズ番組が終焉し、タレントが出る面白おかしいクイズ番組も終焉し、クイズ王、東大王、頭脳王とクイズタレントが活躍する何回目かのクイズブームになっている。
これは一種の聖地巡礼ツアーになるのだろうが、このようなクイズがらみの旅行企画が実現するのは喜ばしい。ただし最少催行人員15名、募集人数30名(バス1台分)、募集締め切り8月9日(金)で実際に人が集まるのだろうか、それともある程度の見込み客をすでにつかんでいるのだろうか。

先週、アメリカに行っていなければ参加してもよかったのだが、さすがに無理だ。
参加する人は、楽しんできてください。
私だったらルート作成からガイドまで全部請け負うんだけど、お呼びでないでしょう。
| クイズ | 20:47 | comments(0) | - |


韓国のクイズ番組はパクリか 1988年11月
1988年11月、発売間もない日韓共同きっぷで陸路水路で韓国に行った。
ソウルのホテルでテレビを見たが、当時クイズに熱心だった私はクイズ番組を探して見ていた。クイズに興味のない汽車旅仲間の同室者はさぞ迷惑だっただろう。
2つのクイズ番組を紹介します。

장학퀴즈(奨学クイズ)は今もホームページがあるということは、30年以上に亘って続いているクイズ番組だ。これはすごい。Youtubeで見たら規模も大きくなっているようだ。

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見た目はクイズグランプリ。問題が文学歴史や科学のように分類されており、文字で出題される。
題名に「奨学」とついているから学生向けのクイズ番組なのだろう。

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回答者5人もクイズグランプリに同じでセットも似ている。このときはクイズグランプリのパクリと思った。

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↓ ↓ これがクイズグランプリです。もはや知らない人のほうが多いだろう。

クイズグランプリ
クイズグランプリ

もう一つ、퀴즈 아카데미(クイズアカデミー)はYoutubeに映像が上がっているがホームページはないからすでに終わっている番組だ。調べると1992年4月に終わったらしい。少なくとも4年は続いたのだ。

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これは題名どおりかなりアカデミックなクイズで、たとえば英語で出題される。これはすごいと思った。日本なら最近のクイズ王戦、頭脳王戦といったところだろう。

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挑戦者は二人一組なので、これは高校生クイズだ。

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ということは、日本がパクッたか。

韓国のクイズ事情や言葉はほとんどわからないので、わかる人がいたら教えてください。

韓国にもクイズ王がいるんだね。日本同様、新聞や本を読むのがクイズの勉強の基本みたいだ。
| クイズ | 21:15 | comments(0) | - |


第12回アメリカ横断ウルトラクイズ グアムどろんこクイズを見る
今から31年前の1988年は新宿の会社から神田の会社へ転職した年であり、海外旅行4回を含めてあちこちへ旅行をした。すべて自腹での旅行だ。

2月、小田急トラベルのマレー半島縦断鉄道の旅に参加。
4月、鉄道を乗り継いで東京から会津へ。
5月15日、新宿の会社を辞めるので、たまった有給休暇消化で青函トンネルと瀬戸大橋の旅へ。奈良シルクロード博。
5月22日、有休消化で家族でハワイへ。
7月、家族で群馬県榛名湖へ。
9月、第12回アメリカ横断ウルトラクイズご一行と同じANAでグアムへ。どろんこクイズを見る。
11月、日韓共同きっぷで関釜フェリー経由セマウル号でソウルへ。


今から振り返っても面白かったので、当時の写真やビデオを引っ張り出して、昔の旅を小出しに採録してみたい。

まずは9月のグアム旅行だ。

ビデオカメラは6月に買った8ミリビデオカメラのSONY CCD-F340。スチールカメラはカメラマンの金田憲明さんからもらった、フジの防水カメラだった。このカメラはハワイや伊豆でも活躍したが、外装の防水のゴムがベタベタになり、一度無償で交換してもらったが、その後、海に行く機会も減って処分した。

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第12回アメリカ横断ウルトラクイズと日程を合わせ、幼い子供をつれてグアムまで行った。当時のグアムはハワイと並んで日本人向けのリゾート地だった。現在、グアムはほとんど中国人韓国人に占拠されており、日本からの便は少ない。しかも隣のサイパン島は日本からの直行便がなくなった。
神田の会社に転職したばかりだったが、こんな休みを認めてもらえた。時はバブル絶頂期だったのだ。

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9月3日、成田発グアム行きの全日空NH11便の機材はトライスターだった。
成田空港の37番ゲートはじゃんけんに勝ってはしゃいでいる挑戦者が目立った。もちろん一般乗客もいる。

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機内前方はスタッフと挑戦者の席になっており、機材のために椅子を倒して全日空をあげての協力体制だった。

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翌9月4日は早朝からリーフホテルの海岸で○×のどろんこクイズ会場が作られていた。私は挑戦者たちより早く到着し、福留功男アナに挨拶をした。

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グアムは挑戦者数もスタッフの数も多く、やぐらを組んでの撮影もしている。

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第12回ともなればグアムのどろんこクイズは名物となっており、熱心に見物する人もいれば、無関心の人もいる。

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この、犬を連れたおっさんはテレビにも写った。

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○×クイズなので正解のほうにマットを敷く。挑戦者が封筒を選ぶと福留アナが
「□□さんは▽番の札を選びました」
とアナウンスすると、○×ゲートの裏の篠崎プロデューサーが問題番号と照らし合わせて○か×のどちらに正解のマットを敷くか指示をする。

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今から考えるとこのマットはとても大きく、体操競技用か特注ではないか。そもそもグアムまでの輸送がタイヘンだったと思う。○×ゲートは分解して現場で組み立てるが、このマットは丸めてもかなりの大きさだ。

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現場では、泥に落ちた敗者に水をかけるけれど、その水も大きなバケツに入れて会場の砂浜に運ぶのがタイヘンだと思う。砂だからバケツを台車に乗せられないし、近くのホテルからホースで供給するのかもしれないが、十分なロケハンと準備が必要だ。

クイズのシーンはファミリー劇場で再放送もされたから割愛するとして、ギャラリーたちはバブル絶頂期のおねいちゃんたち。みんな元気でかっこいい。
水着のデザインは全般的にハイレグで、今の、貧乳を隠すフリフリつきの水着よりもかっこよく見える。

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セパレートや蛍光色も人気があった。

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パックリ割れた背中もきれいに見える。この子は一人で、かなり近くで見物していた。当時テレビ朝日でキャスターをしていた小宮悦子さんに似ていた。連れがいる気配がなかったので、何しにグアムに来ていたのだろうか。

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国内の海岸同様、ナンパしている日本人も多かった。

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放送ではわからないが、クイズの途中30分くらいの休憩を挟んだが、スタッフたちもたいへんだっただろう。特にマットを置くスタッフは暑くて重くてご苦労だった。翌日は休暇をもらえたのかな。

ちなみに我が家が泊まったグアムプラザホテルは増築工事中で部屋からは工事現場が見えるだけ。
ラッテストーンや恋人岬などの定番観光地をレンタカーで回った。満車ばかりで、やっと借りられたレンタカーはクーラーがなかった。
今から思えば「若さ」がすべてを楽しくしてくれていたのだと思う。
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