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韓国のクイズ番組はパクリか 1988年11月
1988年11月、発売間もない日韓共同きっぷで陸路水路で韓国に行った。
ソウルのホテルでテレビを見たが、当時クイズに熱心だった私はクイズ番組を探して見ていた。クイズに興味のない汽車旅仲間の同室者はさぞ迷惑だっただろう。
2つのクイズ番組を紹介します。

장학퀴즈(奨学クイズ)は今もホームページがあるということは、30年以上に亘って続いているクイズ番組だ。これはすごい。Youtubeで見たら規模も大きくなっているようだ。

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見た目はクイズグランプリ。問題が文学歴史や科学のように分類されており、文字で出題される。
題名に「奨学」とついているから学生向けのクイズ番組なのだろう。

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回答者5人もクイズグランプリに同じでセットも似ている。このときはクイズグランプリのパクリと思った。

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↓ ↓ これがクイズグランプリです。もはや知らない人のほうが多いだろう。

クイズグランプリ
クイズグランプリ

もう一つ、퀴즈 아카데미(クイズアカデミー)はYoutubeに映像が上がっているがホームページはないからすでに終わっている番組だ。調べると1992年4月に終わったらしい。少なくとも4年は続いたのだ。

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これは題名どおりかなりアカデミックなクイズで、たとえば英語で出題される。これはすごいと思った。日本なら最近のクイズ王戦、頭脳王戦といったところだろう。

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挑戦者は二人一組なので、これは高校生クイズだ。

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ということは、日本がパクッたか。

韓国のクイズ事情や言葉はほとんどわからないので、わかる人がいたら教えてください。

韓国にもクイズ王がいるんだね。日本同様、新聞や本を読むのがクイズの勉強の基本みたいだ。
| クイズ | 21:15 | comments(0) | - |


第12回アメリカ横断ウルトラクイズ グアムどろんこクイズを見る
今から31年前の1988年は新宿の会社から神田の会社へ転職した年であり、海外旅行4回を含めてあちこちへ旅行をした。すべて自腹での旅行だ。

2月、小田急トラベルのマレー半島縦断鉄道の旅に参加。
4月、鉄道を乗り継いで東京から会津へ。
5月15日、新宿の会社を辞めるので、たまった有給休暇消化で青函トンネルと瀬戸大橋の旅へ。奈良シルクロード博。
5月22日、有休消化で家族でハワイへ。
7月、家族で群馬県榛名湖へ。
9月、第12回アメリカ横断ウルトラクイズご一行と同じANAでグアムへ。どろんこクイズを見る。
11月、日韓共同きっぷで関釜フェリー経由セマウル号でソウルへ。


今から振り返っても面白かったので、当時の写真やビデオを引っ張り出して、昔の旅を小出しに採録してみたい。

まずは9月のグアム旅行だ。

ビデオカメラは6月に買った8ミリビデオカメラのSONY CCD-F340。スチールカメラはカメラマンの金田憲明さんからもらった、フジの防水カメラだった。このカメラはハワイや伊豆でも活躍したが、外装の防水のゴムがベタベタになり、一度無償で交換してもらったが、その後、海に行く機会も減って処分した。

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第12回アメリカ横断ウルトラクイズと日程を合わせ、幼い子供をつれてグアムまで行った。当時のグアムはハワイと並んで日本人向けのリゾート地だった。現在、グアムはほとんど中国人韓国人に占拠されており、日本からの便は少ない。しかも隣のサイパン島は日本からの直行便がなくなった。
神田の会社に転職したばかりだったが、こんな休みを認めてもらえた。時はバブル絶頂期だったのだ。

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9月3日、成田発グアム行きの全日空NH11便の機材はトライスターだった。
成田空港の37番ゲートはじゃんけんに勝ってはしゃいでいる挑戦者が目立った。もちろん一般乗客もいる。

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機内前方はスタッフと挑戦者の席になっており、機材のために椅子を倒して全日空をあげての協力体制だった。

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翌9月4日は早朝からリーフホテルの海岸で○×のどろんこクイズ会場が作られていた。私は挑戦者たちより早く到着し、福留功男アナに挨拶をした。

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グアムは挑戦者数もスタッフの数も多く、やぐらを組んでの撮影もしている。

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第12回ともなればグアムのどろんこクイズは名物となっており、熱心に見物する人もいれば、無関心の人もいる。

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この、犬を連れたおっさんはテレビにも写った。

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○×クイズなので正解のほうにマットを敷く。挑戦者が封筒を選ぶと福留アナが
「□□さんは▽番の札を選びました」
とアナウンスすると、○×ゲートの裏の篠崎プロデューサーが問題番号と照らし合わせて○か×のどちらに正解のマットを敷くか指示をする。

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今から考えるとこのマットはとても大きく、体操競技用か特注ではないか。そもそもグアムまでの輸送がタイヘンだったと思う。○×ゲートは分解して現場で組み立てるが、このマットは丸めてもかなりの大きさだ。

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現場では、泥に落ちた敗者に水をかけるけれど、その水も大きなバケツに入れて会場の砂浜に運ぶのがタイヘンだと思う。砂だからバケツを台車に乗せられないし、近くのホテルからホースで供給するのかもしれないが、十分なロケハンと準備が必要だ。

クイズのシーンはファミリー劇場で再放送もされたから割愛するとして、ギャラリーたちはバブル絶頂期のおねいちゃんたち。みんな元気でかっこいい。
水着のデザインは全般的にハイレグで、今の、貧乳を隠すフリフリつきの水着よりもかっこよく見える。

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セパレートや蛍光色も人気があった。

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パックリ割れた背中もきれいに見える。この子は一人で、かなり近くで見物していた。当時テレビ朝日でキャスターをしていた小宮悦子さんに似ていた。連れがいる気配がなかったので、何しにグアムに来ていたのだろうか。

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国内の海岸同様、ナンパしている日本人も多かった。

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放送ではわからないが、クイズの途中30分くらいの休憩を挟んだが、スタッフたちもたいへんだっただろう。特にマットを置くスタッフは暑くて重くてご苦労だった。翌日は休暇をもらえたのかな。

ちなみに我が家が泊まったグアムプラザホテルは増築工事中で部屋からは工事現場が見えるだけ。
ラッテストーンや恋人岬などの定番観光地をレンタカーで回った。満車ばかりで、やっと借りられたレンタカーはクーラーがなかった。
今から思えば「若さ」がすべてを楽しくしてくれていたのだと思う。
| クイズ | 19:04 | comments(0) | - |


第1回、第2回アメリカ横断ウルトラクイズ、ニューヨーク上空ヘリのBGM曲
アメリカ横断ウルトラクイズに使われているBGMは、クイズ王の本で紹介して以来、熱心なファンの方がさらに探してくれたりして、充実してきた。私はCDやレコードを買い集め、BGM集を作ってウォークマンで聴いている。

ニューヨーク上空をヘリコプターが飛ぶシーンのBGMは、第3回以降は映画「グレートスタントマン(原題:Hooper)」のサウンドトラックから「ジェームスじいさんのバーボン」が使われている。
しかし、私が優勝した第2回(1978年)と、最初に見て衝撃を受けた第1回(1977年)の曲はそれではなく、探したがどうしても見つからなかった。
音楽検索のアプリ、SoundHoundを使ってもダメだった。福留アナのナレーションが入っているからとも思ったが、ボヘミアン・ラプソディはナレーションが入っていても反応するので、単にデータベースに登録されていないのだろう。それほどレアな曲なのだ。

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実際の放送シーンはこちら。



けれど、ブログ読者様よりこの曲はGary Toms Empire(ゲイリー・トムズ・エンパイア)という8人組バンドのSuite Discoという曲だと教えていただいた。
ありがとうございます。40年間探していました。Youtubeにもアップロードされている。
放送シーンと聞き比べてください。



さっそく、新宿の中古CD店で買ってきた。
ウルトラクイズではほかのBGMを含めて元の曲を編集して使っている。この曲も「♪ディスコ〜、ディスコ、ミュージック!」というボーカル部分は使われていない。

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このSuite Discoは、Gary Toms EmpireのアルバムBest Ofに収録されているが、2枚組CDの2枚目の1曲目で、Amazonを見ると1枚組のものもあり、よく確かめてから買わないと肝心の曲が入っていないことになる。

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手軽にこのSuite Discoだけコレクションしたいのなら、iTunes Storeで売っている。

なお、ウルトラクイズでこの曲のイントロ部分に当たるのは、パーシー・フェイス・オーケストラのThe Oscar(Main Title)である。

もともと、このアルバムは1975年にリリースされたようだ。当時はレコードである。そして1977年の第1回と翌年の第2回で使われた。その後2006年にCDになった。アルバムのサブタイトルになっている7-6-5-4-3-2-1 (Blow Your Whistle)やDrive My Carはシングルカットされているようだ。ネットで探すと、Suite Discoがないものも多いようで、気をつけたほうがいいでしょう。

何はともあれ、私が一番興奮するシーンの曲が手に入って本当によかった。どうもありがとうございます。
| クイズ | 19:24 | comments(4) | - |


第2回アメリカ横断ウルトラクイズ 就活とその後
1978年秋、第2回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝した私は、放送の反響も大きく、ファンレターをいただいたり雑誌や新聞に紹介されたりした。




当時<クイズダービー>で大人気だった漫画家の故はらたいらさんとの対談を六本木の瀬里奈でしたこともあった。あのしゃぶしゃぶはおいしかった。

一方で、会社を辞めてウルトラクイズに出たのだから就職活動をしなければならない。名声と現実のギャップは大きく、それもまた私自身を悩ませることになった。
ちなみに辞めた建設会社の社長が放送を見て「これならいくらでも(会社を)休ませた」と言ったらしいが結果論である。

放送後のある日、ウルトラクイズの企画をしている番組制作会社のジャパンクリエイトの山崎将暉社長から電話があった。山崎氏とはウルトラクイズの打ち上げでも会っていた。「TBSやフジテレビからも、なんでウルトラクイズの企画をうちに持ってきてくれなかったのかと言われたが、あれは日本テレビだからこそできた番組です」と挨拶をしていたのが印象的だった。



山崎氏は私が仕事を探しているのを知っており「日本テレビにまずアルバイトで入り、その後正社員になる道がある」と、まずはアルバイトの口利きをしてくれるようで、日テレに入れるならこれ以上のことはないと、菓子折りを持って西麻布のジャパンクリエイトまで挨拶に行った。

マンションの一室みたいな会社で、ソファに座って山崎氏と話しをした。
ジャパンクリエイトは「笑点」の企画を長い間していると教えられ、意外だった。これはWikipediaにも書かれていない。
山崎氏は「仕事に行き詰った時は海に行ってボーっとするんです」とも話していた。
とにかく「よろしくお願いします」とお願いし、紹介されて日テレの石川一彦制作局長にもお会いしたが、その後芳しい返事はなく、別のルートで日テレの人にこの件を話したら「昔はアルバイトから社員になる人もいたけど、今はねぇ」ということだった。確か福留功男アナも、自伝によれば明大の学生時代から日テレでアルバイトをしていて社員になったと書いていたが、もはやそういうおおらかな時代ではなかったようだ。この話は立ち消えた。

ジャパンクリエイトの山崎将暉氏は第7回まで企画としてスタッフロールに名が出ていたが、第8回(1984年)からは名前が消えている。

さらに、ウルトラクイズの制作を請け負っていたテレビマンユニオンが社員を募集する広告を見て応募した。上智大学でおこなわれた選考会には多くの人が来て、中にはマスコミ就職対策の時事用語集を読んでいるおねいさんもいたけれども、そんなものは出題されなく、試験は受験番号の隣どうして組になって互いを取材して記事にするというユニークなものだった。筆記は通り、面接では懐かしい顔ぶれとお会いしたけれども、落ちた。

そして年が明けて新聞広告を見ていたら、新宿の小さな広告会社の求人広告が目に留まったので応募した。新宿なら近いし、地下道を通って雨に濡れないで通勤できる。
この会社の筆記試験は時の人を解説する文章問題で、武豊、北野武などが出て、たぶん模範解答だっただろう。役員面接になって待合室で和久田部長から「君が本命なんや」と聞かされ、難なく合格したので、春からその会社に勤めた。

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コピーライターとして制作部に勤務し、小さい会社だったけれども、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、イベントと一通りの広告プロモーションを経験し、クライアント業種も食品をメインに自動車、商業施設と多様な経験ができた。

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この会社では広告の基礎から応用までを学べて、とても感謝している。
大学は建築工学科だったが、自分のやりたかった広告の仕事ができるようになって、まさに自分の意思で歩みだしていた。



小さな会社で家族ぐるみのような付き合いだったが、今の時代ではどうなのだろうか。

この会社に営業に来た人と名刺交換をすると顔と名前が一致するようで「ウルトラクイズで優勝した北川さんですか?」とよく言われた。その中の一人に「実は私、ジャパンクリエイトに勤めていたんです」という人がいた。笑点の司会の、春風亭昇太に似ている人だった。
「山崎さんはどうしていますか?」と聞いたら言いにくそうに「大きなイベントを企画して、出資者からお金を集めたりしていたのですが頓挫して…」と、どこでもありがちな話が結末だった。ジャパンクリエイトはなくなり、山崎氏も姿を消した。海に行ったのだろうか。

9年間、この新宿の広告会社にはお世話になったが、もうするべきことはすべてしたと思い、1988年、求人広告を見て、神田にあった中くらいの広告会社に転職した。すでに結婚しており子供も生まれ、私としてはさらなるステップへ踏み出さなければならなかった。

新宿の広告会社はその後四谷に移転し、2013年に倒産した。メインクライアントがTOBで経営体が変わり、仕事が激減したからだった。神田の会社も合併を繰り返して被存続会社になったり存続会社になったりしているが、どちらの会社の人ともいまだに交流があるのはありがたい。
| クイズ | 19:20 | comments(0) | - |


第2回アメリカ横断ウルトラクイズ 優勝は、ひとっつも偉くない
1978年10月1日日曜日、ニューヨークからのパンナム機は昼過ぎに成田空港に着いた。第2回アメリカ横断ウルトラクイズの旅は終わった。

成田空港には日テレ差し回しの車が来ていて自宅まで送ってくれるとのことだったが、優勝賞品の「家族とニューヨーク旅行」に、"家族はウルトラクイズと関係ない"と批判的だった私はずっとふてくされていた。そのため、その車には母と妹が乗り、私は乗らないでリムジンバスで一人で帰った。どこまでも卑屈で偏屈だった。

あとで聞いたらそのクルマはロールスロイスで、近所のおばさんがそれを目撃して、降りたのがうちの母だったからびっくりしたそうだ。

父に、頼まれたリンクスのゴルフセットを買ってきてやり、祖母や親戚にも一通りのみやげがあったはずだ。

祖母は、母が家を空けて自分を差し置いて天下のニューヨークまで行ったのははらわたが煮えくり返るほど腹立たしいことだったに違いないが、クイズの好きな孫が大きなクイズで優勝したのは内心「してやったり」と思っていたのかもしれない。
祖母は高等女学校首席卒業で、なんでも一番が好きな気位の高い人だった。

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けれども、帰国してしばらくして、放送があってからと思うが、急に祖母が「(ウルトラクイズに優勝したのは)ひとっつも偉くない」と言い出した。<ひとっつ>にアクセントを置いて、ののしるように何度も言った。これは意外だったが、その大元は三男の叔父の入れ知恵にあった。

要するに「クイズは知っているか知ってないかの知識だけのことであり、本来は思考や応用が重要であって知っているだけのことは偉くない」という論理だった。大学教授が言いそうなことだ。
無論これには反論できる。
クイズは知識を試すゲームだから知っているか知っていないかはもちろんだけれども、問題文を聞いて先読みしたり、どのような問題が出るのかを推察して考えているから、決して知っている/知らないだけのゲームではない。

しかしそれ以上に、身内が、孫が優勝したのだから「よかったねぇ」くらいの言葉があってもいいのではないか、叔父も。
百歩譲って、3位4位になった人に対して慰めるように「しょせんクイズなんて知っているか知ってないかなんだから、あんなやつみたいにクイズに夢中になっていないで、おまえは早稲田でちゃんと勉強して研究を重ね、人のためになる人間になれよ」ならあるかもしれない。

それを、優勝した孫にののしるように、批判して言うことはないだろう。

さらにニューヨークのヘリコプターシーンで福留アナが「家族(妹)と参加したまさにクイズファミリー」と紹介したものだから、祖母は「クイズファミリーなんてみっともない」と、それにも怒った。


私は生まれてから、母は嫁に来てから、ずっとこのような処遇を受けていた。いつもすることに、あらゆることに非難をされていた。
ほめて欲しいとまでは言わない。しかし自分のやっていることを認めてもよいだろう。それに叔父たちは私に口出しをしすぎたし、父もそれを容認してしまっていた。

今、祖父が死んだ歳を越えて生きていても、何をしても満足感がなく、気持ちが揺れ動き、40年前を振り返ってもウルトラクイズに優勝したことがよかったのかそうでなかったのか逡巡してしまっているのは、幼いころからの、何をしても祖母にとがめられていたトラウマがあるからだろうか。
屈折した性格に育った。
祖父がせめて私が小学生くらいまで生きて祖母の防波堤になっていたら、多少は違ったかもしれない。

しかし、父が勧めた建設会社を辞めてウルトラクイズに参加して優勝したことは、なにがどうであれ、私が自分の足で自分の進むべき道を決めたのであるし、クイズが趣味の人間としてこれ以上の喜びや名誉はなかった。クイズを通じて新たな人たちとの交流が生まれて、鉄道趣味ともども人の輪が広がった。40年経った今でも、ウルトラクイズに優勝したことが飲み屋での話題になり、一目置かれ、もしそうでなかったのなら、どういう人生を歩んでいたのだろうと思う。

ウルトラクイズの優勝は、単に好きなクイズで優勝したと言うだけでなく、まさに私の新しい人生のスタートであった。
どうもありがとうございました。
| クイズ | 18:23 | comments(0) | - |


第2回アメリカ横断ウルトラクイズ 帰国の途へ
1978年9月30日土曜日、第2回アメリカ横断ウルトラクイズの旅は終わり、私たちはこの日11時のパンナム機で帰国の途に就いた。

昨夜は、スタッフの井上雅子さんが勧めてくれたユル・ブリナーのミュージカル「王様と私」を鑑賞した。
「北川くん、これ観なよ、絶対いいから、こんなチャンスないから」

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このときのエピソードは、渡辺謙の「王様と私」に絡めて、井上雅子さんの思い出としてつづっている。英語なので細かいセリフ回しはわからなかったが、熱演は伝わってきた。
雅子さん、本当にありがとうございました。彼女は38歳の若さで世を去ったのだ。
もう一つ残念なのは、妹たちが時差ぼけで観られなかったことだろう。
その後、日本でも何度かミュージカルは見ているし、先日は宝塚デビューした。

29日朝、夢だったかもしれない3週間のウルトラクイズの旅が終わった。フィルムの最後は、エセックスハウスのウェリントン卿の間から見た、朝のセントラルパークの写真だ。

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前年の放送を見てウルトラクイズに憧れ、会社を辞めて参加し、まさか優勝するとは思っていなかったが優勝し、母と妹がニューヨークに来た。振り返るとのような出来事だった。
クイズが好きで「クイズ荒らしと呼ばれたい」と称しており、クイズ王になれた。
これは、夢が叶った以外の何ものであろうか。

でも、私が得たかったのはコレだったのか。
どんなことでも満足がいかず、マイナスに考え、自分を追い込んでしまう性格だった。
私は母たちが結果的に来てしまったことに対しても不愉快であり、不機嫌だった。
「親孝行でしたね、よかったですね、頭がいいんですね、イラストレーターなんですか」

優勝しても晴れ晴れとした気持ちになれない。名声に反して、どうであったらよいのかわからない、相反する葛藤があった。

不完全燃焼な気持ちをくすぶらせて、パンナム機はニューヨークを飛び立った。

| クイズ | 14:23 | comments(0) | - |


第2回アメリカ横断ウルトラクイズ ニューヨークの休日
1978年9月29日金曜日、第2回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝した私は、「家族とのニューヨーク旅行」の賞品を獲得し、日本からやってきた母と妹と、セントラルパークに面した高級ホテルのエセックスハウスのウェリントン卿の間というスイートルームに宿泊した。

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スイートルームはホテルの部屋の中にさらに部屋が分かれている。家族や使用人が一緒に泊まれるようになっている。

居間だか応接間なんだかわからない部屋。

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そもそもの一部屋の面積が広いし、調度品も高級感があふれている。

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佐藤孝吉プロデューサーが「部屋(客室)でかくれんぼができる」と言っていたのもうなづける。まだ部屋がある。

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寝室もいくつもあって、ベッドも広い。

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トイレもキンキラキンで広い。落ち着かない。

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窓の外にはセントラルパークが広がっている。

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朝の散歩にでかけた。

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セントラルパークに面しているメトロポリタン美術館はおのぼりさんの必須の観光施設だろう。建物のなかにエジプトの遺跡があってびっくりした。

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渦を巻いているグッゲンハイム美術館。段差なく、絵画が展示されて歩いていけばグルグルと絵画鑑賞ができる。これは学生時代の西洋建築史に出てきた美術館だ。

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ニューヨークでは地下鉄に乗ってみたが、不安そうな母の顔。しかし2006年に家族で乗ったときにはまったく気にしないで乗れた。911後は治安がよくなったからだそうだ。

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最初からこの「家族を巻き込んだ賞品」に否定的だった私は、正直なところ、母たちが足手まといでますます不機嫌になった。
本来なら、めったに外出できない母をニューヨークまで「連れてこられた」のだから、もっと喜び、感謝し、一緒に楽しめばよかったのだろう。
しかし私にはそういう「心のゆとり」はまったくなかった。クイズが大好きで、ウルトラクイズに出て優勝できたこと自体がこの上もない喜びなのに、その喜びを享受できなかった。

自分の心の貧しさが、楽しむべきところをまったく楽しめない。これは40年経っても変わっていない。常に満足できず、不満ばかりが募る性格だ。


さきほど母に「あのときニューヨークに来てよかったの?」と聞いたら「よかったよ」と言ってくれたので、よいことをしたと思っておこう。

| クイズ | 21:10 | comments(0) | - |


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