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東京ディズニーランド開業 1983年のこと
昨日5月10日は開業35周年の東京ディズニーランドに行ってきたわけだが、その35年前の開業時のことを書いてみよう。

まず、昭和でいうと30年代、西暦でいうと60年代のころ、子供雑誌ではアメリカのディズニーランドの特集がときどきされていたし、ダンボ白雪姫などのディズニー映画が上映されていたので、ディズニー作品については一通り知っていた。講談社からディズニーアニメを絵本にした、子供向けの厚紙の本も出ていたので、何冊か持っていた。取っておけばよかったと今になって思う。

ダンボはまだ近所に映画館があった時代に母と観に行った。火事で、ダンボが大きな耳を使って滑空するシーンがあり、それが怖くて「帰ろ、帰ろ」と言って母を困らせ、途中で退席したらしい。

テレビではその名も「ディズニーランド」という番組が日本テレビで放送されていた。アメリカで放送されているものの吹き替えで、毎週、「「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」のディズニーランドの4つの国にちなんだ番組が放送されており、ビーバーがダムを作ったりする作品はいまだに記憶にある。CSでよいから再放送をしてほしいものだが、今から考えるとナショナルジオグラフィックやアニマルプラネットみたいな作品だった。

そのディズニーランドはまさに魔法の国であり、幼い私がアメリカがどこだかもはっきりと認識していないのに、ディズニーランドに行きたいと思うようになっていた。
そして子供雑誌に「日本にもディズニーランドができるかもしれない」と書かれており、日本に来たならぜひ行こうと思っていた。それは不確定な話だったが、「ディズニーランドの経済学(高成田亨)」には、その夢を追いかけていた男の話などが書かれている。

アメリカのディズニーランドに行ったのは1978年のことだ。クイズタイムショックで5週勝ち抜きで優勝し100万円を獲得した私は、うち50万円は旅行を購入しなければならないので、高校時代の友人と二人分を出してアメリカ西海岸の旅に行ってきたのだった。
暗闇を疾走するジェットコースターのスペースマウンテンには大感動して、続けて2回乗ったほどだ。


↑アメリカのマークトウェイン号

そして1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園した。とてもうれしくてすぐにも行こうと思ったが、たぶん6月ごろになったと思う。

クイズのポン友、森田敬和と、

1983-03-08.jpg
↑今は亡きスタージェット

ウルトラクイズのハワイで同室だった、今は亡き小室周也さんという、珍な組み合わせで行ってきたのだ。

1983-03-27.jpg
↑日本のマークトウェイン号

このころは、チケットが冊子になっていて、アトラクションごとにAチケット、Bチケット、C,Dと、Eチケットまであった。Eチケットが一番エキサイティングなアトラクションのためのもので、スペースマウンテンなどがそれだった。アメリカ初の女性宇宙飛行士サリー・ライドが「気分はEチケットよ」と言ったのはプチ流行語にもなった。
今ではアトラクションに乗り放題だ。


↑紙袋で来た敬和は宅八郎かい。

それにしても色気がないな。
いや、私はちゃんと美女を連れていった。彼女にしたいなぁという段階の関係だった。
奇妙な組み合わせの4人は初めての東京ディズニーランドであれこれアトラクションを楽しんだ。



その後、彼女とどうなったって?
ディズニーランドでデートをしたら、別れる
という都市伝説があるらしいが、それがウソであることを断言しておく。

その後も何回か行ったし、結婚して子供ができてからも当然連れて行った。
1989年にはアメリカフロリダ州のディズニーワールドに行き、その広さやMGMスタジオのアトラクションの面白さにうなった。

2001年に東京ディズニーシーが開業してもちろん行ったし、それなりに忙しかったから年間パスポートを買うほどではないけれども、それなりに行っていたはずだ。

この10年は毎年ランドとシーを交互に行っている。

2016年には再びカリフォルニアのディズニーランドに、2017年には香港ディズニーランドにも行ってきた。

なんだかんだで、好きなのである。

  
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