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下山事件 69年目の夏 下山定則国鉄総裁怪死事件
今から69年前の1949年(昭和24年)7月5日、初代国鉄総裁の下山定則氏が行方不明になった。当時の日本は敗戦により連合軍の占領下にあって、下山総裁は米軍から国鉄職員の大量人員削減を命じられていた。前日も米軍担当者が大田区にある私邸に乗り込んできたくらいだ。

7月5日朝、いつもどおり下山は公用車ビュイックに乗って自宅を出た。普通はそのまま丸の内にある国鉄本社に行くのだが、途中で三越に寄って車を待たせ、行方不明となってしまった。国鉄本社では秘書が出迎えに立っていたがいつまでたっても公用車が来ないので私邸に電話をしたり、大騒ぎになった。
そして夕方のラジオニュースで総裁の行方不明を知った運転手は三越内を探したが総裁の行方は知れず、国鉄本社に連絡をしてようやく総裁の不明が知れるところになったのだ。

明けて6日未明、総裁は常磐線の北千住〜綾瀬間の線路上で死体で発見された。
当初は自殺とみられたが、生体轢断に見られる生活反応がなかったため、死後轢断、つまり他殺されて線路上に運ばれ、轢断されたという他殺説が浮上した。
以後、医学界やマスコミ界をあげての自殺他殺説が入り乱れ、こんにちに至るまで真相は明らかになっていない。
他殺説のほうが不謹慎ながらハナシとしては面白いので、何冊もの研究書が出ているし、ネットでも詳細な解説をしているサイトが多数ある。

下山国鉄総裁追憶碑が死体発見現場の近くにひっそりと立てられている。埋め込まれていると言ったほうが良いかもしれない。

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場所は東武線小菅駅から東京拘置所まで歩き、

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門の前をJR常磐線方面に歩いたガード下の親水公園の脇だ。

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当初は事件現場に建てられていたが、高架工事などでこの場所に移設された。



実際の事件現場はちょっと上野よりに行ったところと言う。このあたりだろうか。上を横切るのは東武線で、当時も東武は国鉄常磐線をまたいでいた。

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東武線から現場付近を眺める。当時とはすっかり光景が変わっている。

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ここまで歩いたついでに帰りは五反野駅まで行ってみた。
下山らしき人物が五反野駅前の末広旅館で休憩したという。他殺説を唱える人は影武者だったと理論づけている。

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末広旅館はこの辺りにあったらしいが、痕跡も残っていない。

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下山事件は謎が多く、簡単に自殺と結論付けられるものではないが、現代の医学や捜査技術をもってすれば、真相は明らかになったかもしれない。

常磐線は日暮里駅から北千住駅まで鋭角なカーブを描いて行く。今ではその上に日暮里・舎人ライナーが走っている。

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下山事件の真相どころか、そういう事件があったことすら知らない人が増えた。
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