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第2回アメリカ横断ウルトラクイズ ハワイで帰る挑戦者
1978年9月13日水曜日午前、第2回アメリカ横断ウルトラクイズは「夢のハワイ」での対戦だ。
当時はできたばっかりで、ウルトラクイズの旅行を担当していた近畿日本ツーリストが販売に力を入れているアラモアナホテルでは、のちに生涯にわたって交流を持った小室周也さんと同室になった。あのときはさほど意識していなかったし、小室さんの名前も覚えていなかったが、その後何かの機会に会って意気投合したのだ。

昨日ハワイに着いた挑戦者20人は、ホノルル市街地東にあるカピオラニパークにてインスピレーションクイズになった。

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フラダンサーたちの踊りやポーズを見て、それが何か当てるクイズだ。
当時大人気だったピンクレディの振り付けなどもあったから、スタッフたちは前日から練習させたに違いない。

正解と思う答えをボード(画用紙)に書いて掲げるのだ。

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正解者にはレイがかけられ、レイ3つで次のチェックポイント、サンフランシスコに行ける。合格者は10人で、10人がアメリカ本土に行けることとなる。

クイズを知らなくてもそんなに難しい問題とは思えなかったが、正解できない人もいて、勝ち進める10人が決まった。間違えて悔しがる挑戦者たちだった。

ぺディキャブという自転車式の人力車で空港まで行く趣向で、勝者は椅子に座って乗っていけるけれども、

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負けた者は罰ゲームで、ペディキャブの車夫や勝者を乗せて自転車を漕がなければならない。

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ペディキャブは決して快適な乗り物とは言えなかった。
祖母が生前、「人力車は楽だったねぇ」と言っていたが、すでに自動車に乗っていたのに、人力車はそんなにいい乗り物かと思っていたけれども、そう思えなかった。

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ハワイでは20人が10人になる。つまり半々になる。
ハワイは当時からすでに来た者も多く、土地勘のある者たちは勝者も敗者も入り乱れて最後の夜を楽しんだ。

中には楽しみすぎて、身ぐるみはがれて「俺はバカだった〜」と悔やむ者も。

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しかしあとで知ったことだが「仕事があるのでハワイでわざと負けて帰る」という者が何人もいたのには驚いた。
こっちは仕事をやめてウルトラクイズに参加しているのに、仕事のためにウルトラクイズをやめて帰国するのか。
間違えて悔しがるのは「演技」だったのだ。

そうなるとあのインスピレーションクイズはクイズ方法を間違えていた。つまり個人戦だからいくらでもわざと間違えられるのだ。ピンクレディの「UFO」の振り付けを「ペッパー警部」と書いても、間違えちゃったで済ませるではないか。
その後のウルトラクイズではグアム・ハワイでわざと負けて帰るのを防ぐために、グループで回答する方式に変えた。戦中の隣組と同じように、連帯責任制を取り入れた。

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