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ノートルダム大聖堂の火災
パリのノートルダム大聖堂が火災になり、尖塔が崩れ落ちた。
その後のニュースで、美術品の多くが消防士たちによって運び出されたし、パイプオルガンも甚大な被害はなかったそうだ。
富豪たちが再建のための寄付合戦をしており、すでに900億円が集まっているらしい。

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産経ニュースより。

私は、言うのも恥ずかしい建築工学科の出身で、西洋建築史の授業にゴシック建築の代表として必ず登場し、桐敷眞次郎先生からいろいろ教わっているはずだ。全部忘れたが。

私は石造りの建築物のため、火災に強いと思っていたけれど、屋根部分と尖塔は木造だったそうだ。確かに石を積んで屋根にするのは難儀だろう。
グーグルアースの3Dで見れば、なるほど木造の屋根だとわかる。今回、知った。

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私はこれまで3回ノートルダム大聖堂に行っている。

最初は1977年パネルクイズアタック25で優勝して初めての海外旅行がパリだった。至れり尽くせりの観光・食事つきの旅行で、同行者もみんなアタック25で優勝した人たちだったので、共通の趣味、テレビで見ていた人!で楽しかった。

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次は1980年にレイルウェイ・ライター種村直樹氏と、開業間もないフランスの新幹線TGVに乗りに行ったとき。

セーヌ川の対岸から。
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おなじみの正面から。
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内部の美しいステンドグラス。
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尖塔の付け根のアップ。
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大気汚染で黒ずんでいたため、足場を組んで洗浄作業をしていたらしい。工事が火災の原因になったという説もあって、法隆寺金堂の火災を思い出した。

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法隆寺金堂内の四方には美しい壁画が描かれており、切手になるほど当時の日本人になじみのある文化財だったが、壁画が経年劣化でポロポロと破損していたので、画家により模写が行われていた。

1949年(昭和24年)1月26日、法隆寺金堂は火災により壁画の大部分を失った。釈迦三尊像なども紅蓮の炎に包まれたが、銅製のため焼失をまぬかれた。
画家が寒さをしのぐ電気座布団が火災の原因だったという説もある。

これを機に文化財保護法が制定された。
焼損壁画は非公開で法隆寺に保存されており、たまに朝日新聞社主催で公開される。この金堂の写真は1994年の公開時のもので、壁画は撮影禁止であった。箱に入れられて、黒ずんでいた。

法隆寺金堂の火災の翌年、1950年に京都の金閣寺が放火により焼失する。三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉の「金閣炎上」はそれを題材にした小説で、映画化もされている。

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炎上前の金閣寺は国宝だったので国費で再建されたが、再建された今の建物は国宝でない。

ノートルダム寺院に話を戻すと、最後に行ったのは2010年だ。

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ステンドグラス部分を外から見る。外からでも美しい。

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内部ではなにやら儀式が行われていた。

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ステンドグラスは宗教的な絵が描かれていて、それぞれに意味があるのだろうが、なんだかわからないのが情けない。

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正面から見上げる。

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焼け落ちた尖塔。たしかに木製かな。

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背面から見ると、肋骨のように出ているフライングバットレス(飛び杼)が美しい。この建築用語はいまだに覚えている。

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フランス政府は2024年のパリオリンピックまでに再建すると言っているが、専門家の中には50年かかるという人もいる。しかしレーザーによる3Dデジタルデータがあるので、このデータが役に立つのは間違いない。

フランス国民の悲嘆は想像つかないが、早くあの美しい姿に甦ってほしいと祈るや切。

  
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