2020.05.11 Monday
祖母の手習い
ブログの更新がとびとびになっています。
いろいろ忙しくて、しかもブログネタにならないようなことばかりで、更新が遅れています。
どうでもいい話を書きます。
仏壇の下の引き出しは滅多に開けない。むしろ開けてはいけない場所のような気がする。開けたら最後、パンドラの箱。
で、開けてしまいました。
中には古い写真、誰だかわからない写真が大部分。
この仏壇は元々祖母の管理で、祖母のものが入っていた。父も祖母が亡くなったときに特に手を付けなかった、つけられなかったのだろう。
先に亡くなった祖母の兄たちの写真のほか、古い手帳が出てきた。
手帳には多くの家庭にあるだろう、いわゆる過去帳が記されていた。先祖や親戚関係の命日の記録だ。
祖父の手記でこのような名前の祖父の兄弟がいることは知っていたけれど、なるほどこういう人生だったのか。あったこともなく、私が生まれる前に亡くなった人たち。DNAはどこかつながっているので、ないがしろにできないが、ここまでのカバーは不可能。それぞれのご子孫(遠い親戚)が供養されているのだろう。
曹洞宗のお経の本。うちの宗派とは違い、調べたら祖母の実家の宗派だった。
祖母は兄たちを思ってひそかに唱えたのだろうか。いや、日々に線香はあげていたけれども、祖父の法事でお坊さんを呼んだとか、お経をあげているのをみたことがないので、お経とは無縁の家と思っていたけれど、経本があったとは意外だった。しかしうちの宗派でないので、いずれ処分しようと思う。そもそもが古すぎて埃が手につくし。
過去帳の手帳は開いている場所にランダムに祖母の忘備録となっていた。
だれかの電話番号の下に
イニシアチブ
率先、主導権、発議権、先手。
ニュースか何かでイニシアチブという言葉を聞いて、何かわからなかったので調べてメモしたのだ。
右のページには
エラリー・クイン(人)
推理小説。
オリエンテーション
方向づけ、進路指導。
脈絡はないが、耳にしたわからない言葉を叔父にでも聞いたのだろうか、ちゃんとメモしてある。
祖母は晩年はボケてしまったので、このメモはその数年〜十年前のものだと思う。
言い換えれば今から50年ほど前にイニシアチブやオリエンテーションという言葉が一般的になったということだ。
しかしわからないことをそのままにしないで、何なのだろうと調べて、書いた場所すら忘れてしまっていただろうが、年をとってもこうやって勉強する姿勢は、さすが俺の祖母というか、祖母の孫というか、口うるさかったがおばあちゃんは偉かったと思った次第である。
私の死後、どんなものが出てきて子孫たちはどう思うか、今から恥ずかしい。
いろいろ忙しくて、しかもブログネタにならないようなことばかりで、更新が遅れています。
どうでもいい話を書きます。
仏壇の下の引き出しは滅多に開けない。むしろ開けてはいけない場所のような気がする。開けたら最後、パンドラの箱。
で、開けてしまいました。
中には古い写真、誰だかわからない写真が大部分。
この仏壇は元々祖母の管理で、祖母のものが入っていた。父も祖母が亡くなったときに特に手を付けなかった、つけられなかったのだろう。
先に亡くなった祖母の兄たちの写真のほか、古い手帳が出てきた。
手帳には多くの家庭にあるだろう、いわゆる過去帳が記されていた。先祖や親戚関係の命日の記録だ。
祖父の手記でこのような名前の祖父の兄弟がいることは知っていたけれど、なるほどこういう人生だったのか。あったこともなく、私が生まれる前に亡くなった人たち。DNAはどこかつながっているので、ないがしろにできないが、ここまでのカバーは不可能。それぞれのご子孫(遠い親戚)が供養されているのだろう。
曹洞宗のお経の本。うちの宗派とは違い、調べたら祖母の実家の宗派だった。
祖母は兄たちを思ってひそかに唱えたのだろうか。いや、日々に線香はあげていたけれども、祖父の法事でお坊さんを呼んだとか、お経をあげているのをみたことがないので、お経とは無縁の家と思っていたけれど、経本があったとは意外だった。しかしうちの宗派でないので、いずれ処分しようと思う。そもそもが古すぎて埃が手につくし。
過去帳の手帳は開いている場所にランダムに祖母の忘備録となっていた。
だれかの電話番号の下に
イニシアチブ
率先、主導権、発議権、先手。
ニュースか何かでイニシアチブという言葉を聞いて、何かわからなかったので調べてメモしたのだ。
右のページには
エラリー・クイン(人)
推理小説。
オリエンテーション
方向づけ、進路指導。
脈絡はないが、耳にしたわからない言葉を叔父にでも聞いたのだろうか、ちゃんとメモしてある。
祖母は晩年はボケてしまったので、このメモはその数年〜十年前のものだと思う。
言い換えれば今から50年ほど前にイニシアチブやオリエンテーションという言葉が一般的になったということだ。
しかしわからないことをそのままにしないで、何なのだろうと調べて、書いた場所すら忘れてしまっていただろうが、年をとってもこうやって勉強する姿勢は、さすが俺の祖母というか、祖母の孫というか、口うるさかったがおばあちゃんは偉かったと思った次第である。
私の死後、どんなものが出てきて子孫たちはどう思うか、今から恥ずかしい。