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寝台特急出雲の思い出
いささか旧聞に属するが、3月17日に廃止となった寝台特急出雲の思い出を書いてみたい。

出雲は東京と山陰本線出雲市駅を結ぶ寝台特急だったが、乗客の減少甚だしく、このたびのダイヤ改正で廃止となった。最終日には鉄道マニアが大勢見送ったらしいが、乗ったことのあるやつはどれほどだったろうか。

私は大昔に1回だけ乗ったことがある。1977年のことであった。あんた、いくつだよ。

祖母らが戦前に島根県浜田市に住んでいたので、その頃少年だった叔父も交えて訪ねたことがあった。我が家の建物はすでに現存していなかったらしいが、隣家のMさん宅に泊めていただき祖母らは旧交を温めた。

翌日、叔父は島根の友人と遊ぶので別れ、私と祖母は米子市に出てかつて祖父の部下だったTさんに会い、ひとしきり話をして、寝台特急出雲に乗って帰京したのだった。米子駅で直立不動で「奥様」を見送ってくれたTさんは今でも印象に残っている。

ま、このころであっても米子から東京に行くのは米子空港から飛行機という選択肢なのだが、私は鉄道マニアなのであえて出雲を選んだのだった。
今回ネガを引っ張り出してスキャンしたが、残念ながらヘッドマークがついていない。

寝台特急出雲

祖母と向かい合わせの下段に座り、夕闇迫るころ食堂車に行こうとしたが、祖母がデッキを渡るのが怖いと言い出し、車両を移れなかった。祖母は祖父の転勤で日本全国を渡り歩いたのだが、70を過ぎるとガチャガチャ揺れる連結器の上を渡るのが怖くなったようで、食堂車は断念し、駅弁にした。あの、デッキの前で躊躇する祖母の姿が今もって眼前に髣髴する。

いよいよ夜になったが私は眠れない。列車の揺れや音が気になり、また、狭くて硬い寝台もそれに拍車をかけたようだった。結局、数百キロという出雲の旅路でほとんど一睡も出来ず、横浜を過ぎたあたりでうとうとしたのだろうか。
祖母も同様だったようで、疲れた祖母に気を使いつつ、家に戻ったのだった。

しかしながら、祖母は旧知の人々に会い、往時を思い出したようで機嫌がよく、その後、旅行で(私が)撮影した写真を送ったりしていた。

その後何回か寝台車に乗る機会はあったが、どうにも寝付けなく、私は寝台車は苦手である。座席のほうがまだ眠れたが、それも40を過ぎると難儀になった。

今では寝台車は飛行機やビジネスホテルよりも高い、豪華なものになってしまった。私個人としては、寝台車はなくなっても仕方ないものだと思っているし、ことさら旅情など感じない。

寝台特急出雲殺人事件
| 旅行・鉄道 | 21:39 | comments(1) | - |


コメント
若い頃を思い出しております、そうそう各駅鈍行と言って
黙々と黒い煙を出し小6でしょうか 東京へ17時間位かけ長旅をした事。
その頃浜田駅も大きいと感じつつ東京駅の大きさにびっくりしたものです。顔・手と特に耳の中・鼻の中が煤煙で真っ黒に・・・・・。
変わりすぎた世の中でも生活していますとこれも今では当たり前に。浜田駅の利用者も少なく寂しい限り、駅も田舎の駅って感じですね。浜田も合併と共に以前の賑わいと活気がほしいものですね。
| queen302 | 2006/03/25 1:59 AM |
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