2009.11.10 Tuesday
島根女子大生殺人事件、ゆめタウン浜田の秘密
毎日、ロクなニュースがない。
木嶋佳苗は自身の結婚詐欺殺人報道が下火になってがっかりだろう。

写真提供:女性セブン
酒井法子は昨日一日だけ再び主役だった。離婚や介護学校とは眉唾だ。
鳥取のホステス35歳による保険金詐欺殺人はこう着状態か。
森繁久彌氏が10日午前、亡くなった。家が近くだったので何度も前を通ったことがあるし、お会いしたこともある。近所の神社の夜祭りにフラリとやってきて、金魚すくいをして豪快に笑っていたのを思い出す。テキ屋が「森繁だぁ〜」と叫んでいた。
英国人女性死体遺棄の市橋達也が整形して逃げていたが、ついに大阪で捕まった。「似ている人がいる」と110番通報があり、フェリーターミナルで捕まったが、1000万円の懸賞金はどうなるのだろう。そもそも整形外科医や潜伏していた建設会社ではなぜもっと前に気付かなかったのだろう。
/////////////////
さて、島根県浜田市の島根県立大学の女子大生平岡都さんが、アルバイト先のショッピングセンターから寮に戻らず、行方不明になって公開捜査になったが、広島県の山中からバラバラの遺体で見つかった。後頭部を打ちつけられたり、身体に生前につけられた刃物の傷もあったらしい。まことに痛ましい事件だ。
バラバラ殺人の多くは身元を隠すため、あるいは激しい怨恨の結果だが、どうもその様子が見られない。となると傷つけ殺すことそのものが目的の猟奇殺人か。
仮に殺すにしても殺し方というのがある。憤りを隠せない。
女性に「声掛け」をしている不審者がいたというが、犯人の目星はまだついていない。
女子大生がアルバイトをしていたアイスクリーム店はゆめタウン浜田にある。
大きな地図で見る
ゆめタウン浜田は浜田市の市街地からやや離れているところにある大きなショッピングセンターだ。

この場所はかつて何だったか、知っている浜田市民も少なくなったと思う。
そこには浜田競馬場があった。
1929年(昭和4)〜1937年(昭和12)のわずかな期間だった。
なぜこんなことを知っているのか、祖父は1934年(昭和9)に当時の島根県那賀郡浜田町に転勤になり、小学生の父や弟たち3人の男児とともに、競馬場=現在のゆめタウンの目の前に住んでいたのである。この場所は今ではゆめタウンの駐車場になっている。

↓祖父が書いた地図。天地を南北に回転した。小学校は原井小学校で平成17年に現在の位置に移転した。

当時の様子を祖父は次のように手記に残している。
浜田に住んでいたとき、毎秋何回となく下府(しもこう=近くの地名)の葡萄畑に遊んだのは一生の思い出だ。むしろ贅沢と思いながらも弁当を持参して一家総出の遠足を、時を得るごとに実施したものだった。そのつど多量の葡萄を持ち帰り子供には露のみを与えた。
浜田にいるときだ。借家の前が競馬場なのを幸いに、秋口に親子4人で毎朝軽装して一周した。朝食がことさらおいしかった。周囲の人は羨望し、私は鼻高々だった。
朝食前に周囲1kmの競馬場の周りを男児三人を連れて散歩をする祖父。子供たち同士でじゃれあいながら、父親に遅れまいと走る姿。祖父のたったこれだけの文章から、当時の模様が白黒映画で眼前に髣髴する。
当時は男児が尊まれていたから、周囲の人が男児三人を連れて歩く祖父を羨望の目で見たのは当然だった。
浜田の暮らしは子供たち(父や叔父ら)の成長過程であったし、日本もまだいい時代であったので、祖母や父から浜田の思い出はいろいろと聞かされている。祖母の晩年、叔父とともに浜田を訪れ、当時のお隣さんと親しく旧交を温めた。
1977年夏、浜田市。

そののどかな浜田でこのような痛ましい事件が起きたとは、なんとも許されない。
上に掲げた事件の主役たちの多くは裁判員裁判にかけられるはずだが、裁判員たちはどういう判断を下すのだろう。
木嶋佳苗は自身の結婚詐欺殺人報道が下火になってがっかりだろう。

写真提供:女性セブン
酒井法子は昨日一日だけ再び主役だった。離婚や介護学校とは眉唾だ。
鳥取のホステス35歳による保険金詐欺殺人はこう着状態か。
森繁久彌氏が10日午前、亡くなった。家が近くだったので何度も前を通ったことがあるし、お会いしたこともある。近所の神社の夜祭りにフラリとやってきて、金魚すくいをして豪快に笑っていたのを思い出す。テキ屋が「森繁だぁ〜」と叫んでいた。
英国人女性死体遺棄の市橋達也が整形して逃げていたが、ついに大阪で捕まった。「似ている人がいる」と110番通報があり、フェリーターミナルで捕まったが、1000万円の懸賞金はどうなるのだろう。そもそも整形外科医や潜伏していた建設会社ではなぜもっと前に気付かなかったのだろう。
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さて、島根県浜田市の島根県立大学の女子大生平岡都さんが、アルバイト先のショッピングセンターから寮に戻らず、行方不明になって公開捜査になったが、広島県の山中からバラバラの遺体で見つかった。後頭部を打ちつけられたり、身体に生前につけられた刃物の傷もあったらしい。まことに痛ましい事件だ。
バラバラ殺人の多くは身元を隠すため、あるいは激しい怨恨の結果だが、どうもその様子が見られない。となると傷つけ殺すことそのものが目的の猟奇殺人か。
仮に殺すにしても殺し方というのがある。憤りを隠せない。
女性に「声掛け」をしている不審者がいたというが、犯人の目星はまだついていない。
女子大生がアルバイトをしていたアイスクリーム店はゆめタウン浜田にある。
大きな地図で見る
ゆめタウン浜田は浜田市の市街地からやや離れているところにある大きなショッピングセンターだ。

この場所はかつて何だったか、知っている浜田市民も少なくなったと思う。
そこには浜田競馬場があった。
1929年(昭和4)〜1937年(昭和12)のわずかな期間だった。
なぜこんなことを知っているのか、祖父は1934年(昭和9)に当時の島根県那賀郡浜田町に転勤になり、小学生の父や弟たち3人の男児とともに、競馬場=現在のゆめタウンの目の前に住んでいたのである。この場所は今ではゆめタウンの駐車場になっている。

↓祖父が書いた地図。天地を南北に回転した。小学校は原井小学校で平成17年に現在の位置に移転した。

当時の様子を祖父は次のように手記に残している。
浜田に住んでいたとき、毎秋何回となく下府(しもこう=近くの地名)の葡萄畑に遊んだのは一生の思い出だ。むしろ贅沢と思いながらも弁当を持参して一家総出の遠足を、時を得るごとに実施したものだった。そのつど多量の葡萄を持ち帰り子供には露のみを与えた。
浜田にいるときだ。借家の前が競馬場なのを幸いに、秋口に親子4人で毎朝軽装して一周した。朝食がことさらおいしかった。周囲の人は羨望し、私は鼻高々だった。
朝食前に周囲1kmの競馬場の周りを男児三人を連れて散歩をする祖父。子供たち同士でじゃれあいながら、父親に遅れまいと走る姿。祖父のたったこれだけの文章から、当時の模様が白黒映画で眼前に髣髴する。
当時は男児が尊まれていたから、周囲の人が男児三人を連れて歩く祖父を羨望の目で見たのは当然だった。
浜田の暮らしは子供たち(父や叔父ら)の成長過程であったし、日本もまだいい時代であったので、祖母や父から浜田の思い出はいろいろと聞かされている。祖母の晩年、叔父とともに浜田を訪れ、当時のお隣さんと親しく旧交を温めた。
1977年夏、浜田市。

そののどかな浜田でこのような痛ましい事件が起きたとは、なんとも許されない。
上に掲げた事件の主役たちの多くは裁判員裁判にかけられるはずだが、裁判員たちはどういう判断を下すのだろう。





