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「旅の終り」 北海道ユースホステルの歌 全7曲フルコーラス
1970年代から80年代初頭にかけて、北海道のユースホステルの愛唱歌として歌いづがれた「旅の終り」。レコード会社各社の競作として、少なくとも7つの作品がある。
その7作すべてをフルコーラスで紹介します。

50代以上の旅好きな人にはたまらなく懐かしい曲です。ギターコードもつけましたので、超久しぶりにギターを押入れから出して?奏でてください。
※初出では6作だったが、その後2010/04/17にダーク・ダックスが歌う「旅の終り」を発掘したので7作とタイトル・内容を変えました。

旅の終り

【作詞・作曲】舟橋俊久
1)
 C  Dm F Am   C F G G7
夢のような旅だった 遠い北の国の

 C Dm F Am     C F G G7
ボクは旅の喜びと  旅のつらさを知った

 C  Dm F Am    C F G G7 
北の国の少女たちと すごした夢のせつな

 C Dm F Am      C F G G7
今日は君も他の街へ ボクも他の街へ

   C Am Em Am      F
こんなつらい旅なんか  もうイヤだ

    G7       C G7
旅を終わろう  汽車に乗ろう

2)
共に山に登ったね  君と手をとりあって
共に海を見ていたね 水は青く澄んで

君の心 清く澄んで 
ボクの心がとりもどす 海の青さ

3)
人と人との出会いなんて  いつも別れで終わる
ボクは君のくれた夢を  明日も 持ち続けよう

こんなつらい旅なんか もうイヤだ 
旅を終わろう  汽車に乗ろう

こんなつらい旅なんか  もうイヤだ 
旅を終わろう  汽車に乗ろう


旅の終り 山名敏晴
1973年のアルバムに収録された「旅の終り」は、おそらく最も早く世に出た作品。山名敏晴は今も名古屋で活躍するフォークシンガーで、作詞・作曲の舟橋俊久氏とも交流があるようだ。


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旅の終り 青木清
1977年 キングレコード。青木清は青木裕史の名前で今も活躍する声楽家。


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旅の終り BOW(ボウ) 
1977年 CBSソニー。BOW(ボウ)は増田哲也・山田譲によるフォークデュオ。本作以外は検索でヒットしない。


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旅の終り 菅原やすのり

1979年 キャニオン。すがはらやすのりの芸名でも多数のCDを出している。歌詞の後半は彼によって前向きな姿勢のものに換えられている。


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旅の終り 芹洋子
1979年 キングレコード。歌詞の一部が芹洋子によって換えられている。


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旅の終り Mr.デーブマン(高田文之)
1979年、CBSソニー。Mr.デーブマンは北海道で人気のDJだった。


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旅の終り ダーク・ダックス
1980年、ポリドール。アルバム「山の讃歌」に収録。


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作詞作曲の舟橋俊久氏についてはこちら>>>


| 芸能・音楽 | 18:30 | comments(32) | - |


コメント
懐かしくて涙が出そうです。
あれから30年以上が過ぎてしまいました。
私は今でも同じ若い気持ちを持ち続けているつもりですけどね(笑)

でも、近頃の若者は覇気がなく、あんな旅を誰もしなくなったとよく聞きます。同じ旅をしたくても、ワイド周遊券も夜行急行もなく、またユースホステルも大幅に減ってしまいました。なんだか、寂しいですね。定年退職したら、同じような旅をしてみたいなあ。
| Tまさやす | 2010/04/11 9:19 PM |
Tまさやすさま、この歌をご存じでしたか。
旅をするためにアルバイトをした時代は終わったみたいです。私はサイクリングで北海道を訪れ、この歌を知りました。今ではバイクで渡道しています。この歌が旅の原点の気がします。
今度、「旅の終り」で一杯やりましょう。
| Admin | 2010/04/11 9:23 PM |
 あの頃を探って 此処へ辿り着きました
70年代急行利尻で稚内そして礼文島
民宿のヘルパーを2カ月しました
旧香深港岸壁で 酒を酌み交わし・・・
皆 元気かい
愛とロマンの八時間コース 今夜は夢を観よう
| 八時間おやじ | 2010/04/22 11:18 PM |
八時間おやじさま、ようこそおいでくださいました。「旅の終り」についてはいくつもの記事を書いておりますので、ブログ内で検索してください。
礼文島の八時間コース、歩かれましたか!私は年をとってから(爆)礼文島に行ったため、残念ながら歩いておりません。いずれ。
| Admin | 2010/04/23 9:47 AM |
ひょんなことでここにたどり着きました。ずっと探していた曲が聴けてうれしいです。かの桃岩荘には行けませんでしたが、70年代後期、高校生の時から何度か北海道をホステリングしました。あこがれの北大を受験しに行った時も今は無き札幌の中之島YHに泊まり、同泊のホステラーと盛り上がって...落ちました...。上野からの急行八甲田号、青函連絡船、広尾線など、いろんなものが無くなってしまいましたが、ずっと心に残っていたのがこの歌でした。UP有り難うございます。
| 旅は続く | 2010/04/27 3:46 PM |
旅は続くさま、
懐かしい思い出をありがとうございます。桃岩荘は今も往時のノリで営業をしていますから、今からでも遅くありません。ぜひ行ってください。
| Admin | 2010/04/27 5:19 PM |
今から27年前、バイクで日本一周の途中に礼文島に渡りました。夕飯食べて玄関先に出たら、夕日の中でヘルパーのギターに数人の男女が歌ってました。「この歌の題名は?」感動したんですよ、ずっと頭の隅に残ってて、時々思い出すあの礼文の夕日の中で、判らないまま一緒に歌ったサビの部分に目頭が熱くなって・・ありがとうございます。これでやっと全部うたう事ができます。
| 昔はライダー | 2010/04/28 1:12 AM |
昔はライダーさま、
礼文島というと桃岩荘でしょうか。
「旅の終り」のサビはすがはらやすのりの歌詞が前向きな姿勢に換えられています。また、芹洋子も2番の歌詞が異なります。それぞれ味わってください。
ちなみに私は今ライダーになりました。3年前に二輪免許を取ったのです。北海道も走ってますよ!
| Admin | 2010/04/28 8:51 AM |
そう、桃岩荘です。ニシンの番小屋だったそうです。「旅の終わり」どの歌詞も味わい深いですね、山名敏晴の歌い方すきです。27年前、当時ヤマハSR500、400にモンキーに‥今は通勤特急オヤジ125にのってます。(^.^)いつかまた北海道を走りたいですね。北海道で思い出深い温泉は、洞爺湖でYHも兼ねてた大きな温泉旅館でしたね。大浴場でたった一人、火傷すれすれの熱い湯があふれてて、湯船につかるどころか歩くことさえ困難を極め、入り口付近で湯を水で薄めながらショボショボ体を洗いましたね〜。その夜は打ち上げ花火が上がり湖岸でひとり観るそれは今でも一番きれいな花火として記憶に残ってますね。バイク楽しんで下さいね。
| 昔はライダー | 2010/04/28 11:20 PM |
素晴らしい記事をありがとうございます。「旅の終り」は私の青春時代そのものです。非常に感謝しております。
私は1981年2月に札幌へ大学の下宿を探しに行くため、中の島YHに泊まった(YH初体験)のが始まりです。当時中の島YHのミーティングは、地下鉄に乗って時計台と大通公園にギターを持って行き、みんなで円陣を組んで歌を歌う日がありました(北海道キチガイYHと言われた中の一つだったらしいです)。2泊したうちの1日が、雪を踏みしめて行く大通公園ミーティング日でした。右も左も分からない高校生の私には衝撃的な出来事となり、以後YHがやみつきになりました。札幌下宿時代は中の島YHに居候みたいによく行きました。桃岩荘、浜頓別、摩周湖、野中温泉、岩尾別、えりも岬と、歌が主体のミーティング楽しかったな〜。
青春時代が昨日のようによみがえりました、ありがとうございます。
| ちいき | 2010/06/13 12:13 AM |
ちいきさま、素晴らしい思い出をありがとうございます。皆様の想い出と私の想い出が増幅されて楽しかった(それでいてつらさもあったのだが)日々が甦っています。
中の島YHは大通公園まで出てミーティングしてたんですかぁ。それはすごいですね。ここに書かれているYHの半分は閉鎖されたのも時代の流れですねぇ。
「旅の終り」の作者舟橋さんについても記事を書いているのでブログ内検索してくださいね。
| Admin | 2010/06/13 10:09 AM |
コメントありがとうございます。舟橋さんの記事も読んで、感動していました。私も電機業界のサラリーマン(夢はYHのペアレントですが、現実が厳しいです)なので、同じ業界の方と言う驚きと、親しみで心がいっぱいになりました。
当時のYHと言うと、「気を付けろYHは急に泊まれない」「飛び込む笑顔に断る笑顔」でしょうか。今とずいぶん時代が違います。でも良かったですし、一人旅のつらさ、寂しさを支えてくれる、ホッと暖かい家族というところが、とっても大好きです。「ただいま!」「お帰りなさい!」「行ってきます!」「行ってらっしゃい!」がその心と言ったところでしょうか。
| ちいき | 2010/06/13 7:56 PM |
ちいきさま、ダークダックスの「旅の終り」の背景に今は亡き浜頓別YHの写真を使っています。
今でもときどきYHを利用しますが、ペンションみたいになって設備もよく、お客さんの年齢層も幅広くて往時の面影はないですね。それでいいと思うのですが、若い人同士の旅行者はめっきり少なくなりました。
| Admin | 2010/06/13 8:53 PM |
引き続き、ちいきです。浜頓別YH。思い出がいっぱいです。駅から跨線橋を渡って、歩いて行ったなぁ。URLのホームページの方が、懐かしい情報(ミーティングの録音)を載っけられています。
ぼろぼろの会員証スタンプ(セロテープがぱりぱりで全部分解されてしまっています)を見ると、1983年3月19〜20日(確か興浜北線は雪に埋まって動かず、泣く泣く路線バス自腹で通過してたどり着いた)と1986年4月2日(ホステラーたった1人で寂しかった)に泊まっています。
浜頓別では接近遭遇していないようですが、ダークダックの旅の終りの写真の1986年は10月に渡道していて、10月4〜5日島牧YH(津波の前の建物)、札幌友人宅に泊まって、9日釧路YH、10〜11日岩尾別YH、12〜13日野中温泉YHとホステリングしています。接近していたかもしれませんね。
YH私も今でも利用します。明らかに雰囲気は変わりました。交流の場では無くなってしまいましたたね。時代と言うことなんですが、若者が皆無、みんな一人旅はしないと言うことに、この国の将来を心配してしまうのです(大げさですが)。
| ちいき | 2010/06/13 11:04 PM |
ちいきさま
ご紹介いただいたみのりさんのHP(浜頓別YHの「旅の終り」生録)は私も聞いています。ありがとうございます。
浜頓別YHは開業まもない1974年に訪れました。食中毒になったとんでもない思い出があるので、いずれブログに書きましょう。浜頓別は2009年にも行きましたが、YHは跡形もなくなってました。駅もなくなりましたね。
1986年はなんと両親と旅行しまして、そのときの写真です。

ヤフーで「廃線前を訪ねて」と検索していただくと、北海道の廃線前の国鉄をHPで紹介してますから、ちいきさんの懐かしい駅も出てくると思います。
| Admin | 2010/06/14 11:48 AM |
25年前、心から感動できる旅をしたくて、桃岩荘へいきました。港での歓迎、20人くらいで1台の車での移動、トンネルでは知性、教養、羞恥心をおいて、帰りにはもってかえる、そんな言葉に「すばらしい」感激しました。夜、この歌を歌い、こられた喜びを感じ、また「愛とロマンの8時間コース」で歩いて礼文を歩けたことは忘れられません。いろいろなところへいったけれど、これほど重く自分にエネルギーをあたえてくれたところはありません。心のそこから礼文のすばらしさ、人のすばらしさ、自然のすばらしさを味わい、しっかり心に刻まれています。涙でるほどなつかしかった!
| チャーミミ | 2010/07/22 7:29 PM |
チャーミミさま、
桃岩荘では今でも往時のノリで出迎えてくれます(港でのお見送りも)。「かつてのヤング」が懐かしんで宿泊しているそうですから、もう一度いかがでしょうか。
| Admin | 2010/07/22 10:12 PM |
今日富安秀行さんのLIVEがあってそこでナターシャセブンの話で盛り上がってNET検索していたらここにあたりました。
 北海道のユースでこの曲を聞いて大変感動しました。
その時はこの曲の作曲者は不明と聞いていたのですが。
 実は舟橋さんが作曲者でかつ高校の先輩でおまけに家が近所ということを後になって聞きました。ブラスバンドの先輩で何度かお会いししたが現在の写真がその方か自信がありません。最近古い曲がYoutubeで見れるようになって懐かしくまたこのような記事にも出会えて感慨深いです。アップありがとうございます。

 桃岩荘も8時間コースも大変懐かしいです。
因みに大学2年のときに美幌YHでひと夏ヘルパーをやりました。おかげで現在もキャベツの千切りはマシンより早いです。
| 近所のトトロ | 2010/08/21 11:32 PM |
近所のトトロさま
楽しい思い出と新たな情報ありがとうございます。
私が学生時代(70年代)にこの歌に出会ったときは、作者が誰かなど、考えることもなかったです。だけれど鮮烈な記憶(想い出)があり、この歌のルーツを探ることになりました。深い深い魅力に満ちた曲ですね。
| Admin | 2010/08/22 7:17 AM |
ちいきです。報告します。旅の終り、本当に久しぶりに2011年11月5日岩尾別YHのミーティングで歌ってきました。涙が出るぐらいうれしかったです(岬めぐりと落陽も踊ってきました)。岩尾別YHは季節営業の開所と閉所時に歌ミーティングをやっているそうです。そのミーティングを楽しむ人たちが集っているのか、1980年代そのままのミーティングを経験できました。
| ちいき | 2011/11/18 9:34 PM |
ちいきさま、
レポありがとうございます。岩尾別YHは前はよく通るのですが、泊まったことはありません。
歌ミーティングをしているとは絶滅危惧種で保護しないと。
おそらくお客さんは50代じゃないかと思われますが、若い人はどう感じるのでしょうね。そして彼らが50代になったとき、何を青春の思い出として浮かべるのでしょう。
| Admin | 2011/11/18 10:16 PM |
ちいきです。度々お邪魔して申し訳ございません。確かに歌ミーティングは絶滅危惧種だとお思います。保護したいのですが、ライフスタイルの変化もあって若者への伝承?は難しいでしょうねぇ。ここのブログで感銘を受け続け、久しぶりのホステリングで青春を思い出しました。私なりの旅の終りの思い出としてブログ投稿に初挑戦してみました。お暇なときにご覧頂けると幸いです。
| ちいき | 2011/11/27 11:42 AM |
ちいきさま、ブログ拝見しました。素晴らしいではないですか!写真や音声の貼りつけもあって、いきなりなかなかできるものではありません。
今の北海道YHの現状を知らせて客数を増やす礎にするのと、昔懐かしいYHの紹介、そして北海道観光の新たな姿の紹介で、充分価値がありすぎるほどのブログになります。今後、拝読させていただきます。よいコンテンツをありがとうございます。
| Admin | 2011/11/27 11:55 AM |
ちいきです。ブログにご来訪いただいた上、過分なお言葉までいただきました。ありがとうございます。とても嬉しいです。情報発信はJUNETのNetNews以来でかなり緊張して作成しました。テキストだけとは格段に環境が異なり驚きの連続でした。YHひとり旅を何とか盛り上げたいなと思いつつ、旅に出る時間がない現状ですが、ぼちぼち投稿していきたいと思っています。
| ちいき | 2011/11/27 1:18 PM |
いやぁ〜驚きました。山名さんの旅の終りが聞けるなんて。
10年ぐらい前、一度探したんですよ。
岐阜のローカル深夜放送でDJをされていた頃、番組でよく流れていました。
この歌の歌詞にあこがれ、とらべるマンを手にし北海道に旅立ったのがつい昨日の事の様に思い出されます。
稚内、桃岩、浜頓別、船長の家、岩尾別、摩周、釧路、きりたっぷり、えりも、遠い昔の事なのですが、これ以上の思い出はありません。
稚内YHでは5台の車が車上荒しに会い、すったもんだしましたが、最後は警官と記念撮影。なんかパワーがありましたね。
この歌を手にしたからには、また旅に出ます。
ありがとうございました。
| waraineko | 2012/06/17 3:48 AM |
warainekoさま
楽しい?思い出をありがとうございます。
私は山名さんを知ったのは「旅の終り」を発掘中で、意外と最近です。「とらべるマン」がもし残っているならかなりのお宝だと思います。
お泊まりされたYHは大部分が廃業や民宿に転業していると思います。残った宿に再び泊まる旅もいいかと思います。
今から思えば国鉄で北海道のどこにでも行けたあのころのほうが、一人旅はしやすかったでしょう。今は車かバイクがないと、あんなに行けません。しかも安く。
| Admin | 2012/06/17 11:00 AM |
ちいきさま
山名さんの旅の終りが聞けて、今だに興奮しています。
実は1973年、私は小学校5年生でした。
深夜放送でこの歌を聞き、北海道、旅に憧れたのでした。
当時、作詞作曲者は不明と話していたように覚えています。
番組をテープに録音して聞いていましたが、そのテープも擦り切れてしまいました。
それから11年後、84年に、やっと友人と旅に出たのでした。
あれから28年が過ぎましたが、北海道には4回だけ旅しています。もっともっと北海道を旅したいのですが、楽しい思い出が壊れる気がして・・・・
こちらに当時の写真の一部をUPしております。
もし、お時間がありましたら、ご覧くださいますようお願いいたします。
http://4travel.jp/traveler/yamiyokarasu/album/
最近サボって更新しておりません。m(__)m
| waraineko | 2012/06/17 11:05 PM |
私も大学受験のため、たしか1980年の3月に札幌の中の島ユースホステルに3連泊しまして、いろいろな歌を教えていただきました。またアイスクリームやビールの工場見学のツアーにも連れて行ってもらいました。とてもなつかしいです。ペアレントさんが
「これがほんとうの札幌ラーメンだから」と近くのお店を紹介してくださって、とてもおいしかった記憶がありますが、お店の名前を思い出せません。もう無くなっているかもしれませんが。
つまらない書き込みですいません。
| ゆうちゃん | 2013/06/20 5:05 PM |
ゆうちゃんさま
人それぞれいろいろな思い出が「旅の終り」に詰まってますね。YHもすっかり数が少なくなり、残っているところは民宿やペンションみたいです。
| Admin | 2013/06/20 5:38 PM |
道内YHのコメント(多数)拝見させて頂き
当時 貧乏学生の頃が懐かしく蘇えって来るものが・・・
実は、最近40数年振りに稚内より礼文.利尻へフェリ−で行きましたがフェリ−岸壁や家並みは新しく現在風に変貌している風景に過去を探している我が身の歳と過ぎた年月を痛感
学生時代は夏休み.冬休み.に毎年のように北海道の山登りや離島を訪れ、その時々にYHにお世話になりました。
お金が無くなるとアルバイトをしながら3ヶ月位道内に居たことも 当時のYHは「米」の持参がまだ一部に残っていた記憶があります、岩尾別YHは電気がなく夜はランプ生活
「岩尾別旅情」の歌詞にもあります、礼文の桃岩荘YHの名声は現在に至るも受継がれて相変わらず元気。
昔 稚内-礼文「船泊」航路に就航していた船は小型の
「宗谷丸・・?」礼文水道では まるでエレベ−タ−ごとき上に下に又右左に大きく揺れる苦行の約2時間は「旅の終わりに」の(こんなつらい旅なんかもういやだ)内容が多少乖離!
船泊港に接岸すると「島しを愛する」山高くして夢のあり♪が
聞こえ 気分新たに上陸しスコトン岬まで歩く途中の小学校から児童の声が聞こえたとき何故か離島の教師でもと、一瞬頭の中をよぎるも結局はサラリ−マンに 定年後の今は非営利団体の職員 かつて旅先やYHで知り合い語り合った彼ら、彼女らも、今は孫のいる世代になっているのかも知れない。
とりとめのない文章になりましたがご勘弁を。


| 相模原の塩田 | 2013/10/19 3:51 PM |
1982年、22歳で札幌に就職した、現在53歳のオジンです。札幌に行った年、夏休みをとって、道東に旅行しました。岩尾別ユースに初めて泊り、皆で「岬めぐり」等を振り付きで踊って、本当に楽しかったなあ。。。それが初めてのYHとの出会い。その後、バイク免許を取って、バイクで北海道中のYHを「はしご」しました。浜頓別、島牧、いろんな人たちと交流して、本当に楽しかった。もうあんな旅はできないのでしょうね。
| shogon46 | 2013/12/15 12:17 PM |
shogon46さま
懐かしい思い出をありがとうございます。
私の青春時代は自転車で北海道を巡り、そのときこの歌に巡り合いました。
50代になってバイクの免許を取得して北海道ツーリングをしましたが、YHは民宿みたいになったし、もう「旅の終り」を知る人はいません。
だからヘルメットの中で一人で歌っています。
| Admin | 2013/12/15 1:02 PM |
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