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大切なことはすべて『鉄道旅行術』が教えてくれた
2013年秋に朝日新聞出版から刊行された「旅と鉄道増刊 種村直樹の鉄道旅行術」に寄稿した原稿を、紙面の都合で割愛した部分を追補するなどしてブログで公開させていただきます。



 30代以上のレールファンの中には、JTBのガイドシリーズ『鉄道旅行術(のちに最新鉄道旅行術)』で育ったという方が少なくないだろう。『鉄道旅行術』はレイルウェイ・ライター種村直樹の代表作であり出世作と言える。また、その後の氏の著作や仕事の方向性を決めた1冊とも言えよう。初版は1977年5月20日付けで、毎年のように版を重ねて1998年10月1日付けを最後の版とし、2004年1月28日付けで絶版となった。
 私はこの本の企画からイラストまで20年にわたって関与させていただいた。私にとっても名誉でありかつ大きな出来事だったし、汽車旅についてはもちろん、仕事の進め方もこの本から学んだ。

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 種村氏は毎日新聞社を退社し独立して数年、大学生の私は2代目のバイト君として毎週金曜日、足立区竹の塚の事務所まで通っていた。憧れの作家先生の事務所で仕事のお手伝いができるのはとてもうれしく、鉄道や旅行関係の生の資料や、印刷前のゲラを見られるのは役得だった。それに、お昼は近所で済ませることが多かったが、夜は奥様のおいしい手料理をいただけて、まだ小学校に行くか行かないかのひかりちゃん・こだまちゃんの遊び相手もして楽しいバイトだった。

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↑昔のアルバムより。キャプションの元ネタ「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺有恒氏も亡くなった。撮影は種村直樹氏。

 1976年秋、鉄道旅行に特化したノウハウ本を出す話が持ち上がった。学習研究社の週刊誌「旅行ホリデー(廃刊)」に連載していた「ヤングの旅行プラン」が日本交通公社出版事業局(現:JTBパブリッシング)の目にとまったのだ。これをベースにヤングの鉄道旅行の、万能の1冊となるガイドブックを作るという。私は「どういう本にするか、何を書くか」という企画段階から参画することになった。

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 ベースの原稿はあるものの、交通公社のガイドシリーズにするにはこの連載だけでは足りないし、1冊の本にするなら全体的なまとまりもいる。そこでふたりで、名刺大のカード1枚にタイトルをひとつずつ書いて机に並べた。「旅程のたてかた」「鈍行のいいところ」……。何が余計で、何が足りないか、どの順番がいいかなどを検討し、新たに書き起こした原稿には私の提案である「推理小説をバッグに」「自転車で走るのもいい」なども入れていただいた。そして大項目ごとに分類し、掲載の順番もカードを並べ替えて検討した。この手法はKJ法という発想法の一つと知ったのは、仕事(広告企画)でも使うようになってからである。

 この本は常に最新データを盛り込むがため改訂の多さが予想された。当時の写植による版を替えるには、写植フィルムをそのブロックごと貼りなおさなければならない。そこで読みやすさと改訂のしやすさから、行送りがそのページ内だけで済む1項目見開き2ページとし、若干の余白を設けて将来の原稿増に備え、イラストスペースとした。
 全体の構成は、旅行の楽しみが「行く前のプランニング」、「旅行中」、「帰ってからの思い出の整理」と3段階あるのでこの流れに沿ってまとめ、「きっぷの知識」に代表される種村直樹ならではのノウハウ部分を盛り込んで章立てをした。

 だが何といっても大きいのは、各項目のイラストを私に任せていただいたことである。私は小学校時代から漫画が好きで、将来は漫画家になりたいと思っていた。当然のごとく周囲の反対にあい、才能もなくすでに断念していたが、漫画好きなことを知った氏は、それまでも何回か雑誌の記事に絵を描かせて、編集者の反応を見ていた。とりあえず合格していたようだが、本1冊となるとイラスト数も責任も違ってくる。
 無謀にも私はそれを引き受け、ケント紙や墨汁、ペンを買い込み、ゲラを読みながら各項目にマッチする絵を、鉄道少年の気持ちになって学業の合間の時間をみつけては描いた。100枚以上におよぶイラストは大変だったが、イラストだけを見ても面白いと思っていただける1コマ漫画のつもりで描いていった。

 最後に、書名はふたりで出したいくつもの案の中から『鉄道旅行術』に決まった。ズバリ内容がわかり、さらには読者の知らない秘密も読めば得られると思わせるタイトルだ。
『鉄道旅行術』が刷り上がり、書店に並んだときは著者もうれしかっただろうが、私も負けずにうれしく、何冊かいただいて、あちこちに配った。

 図らずも私の漫画家になりたかった夢は実現し、結果的にも起用は成功だったようで、「良い仕事をしたければ、良い仕事をすること」の格言どおり、以後「鈍行列車の旅」「汽車旅相談室」「気まぐれ列車シリーズ」など、ほとんどの著作のイラストを受け持たせていただいた。中でも、本人以上に本物らしい氏の似顔絵は多くの読者に愛され、取材先のある駅員からは本人が「イラストにそっくりですね」と言われたとか。それ、逆でしょ。

 時は過ぎ2011年11月に、全通して間もない九州新幹線で鹿児島まで行った。時間がなく、目星をつけていた仙厳園と桜島への行き方を観光案内所で聞いた。30分間隔のシティービューバスがあると教えていただき、荷物をコインロッカーに預け、カメラは首にぶら下げてビューバスに乗って仙厳園に。さらに桜島フェリー乗り場へ…。
そしてふと思った。この行動は『鉄道旅行術』の一連の記述そのものではないか。

I5「荷物を預けて身軽に」=コインロッカー
I6「カメラはケースから出して肩に」=すぐに撮影できるように
I7「知らない町を歩こう」=観光案内所の利用
D16「路線バスと定期観光を活かす」
D13「ときには飛行機やフェリーも」


 知らず知らずのうちに『鉄道旅行術』で旅を学んでいた。あの本は、鉄道を主軸とした旅を効率的に安く楽しく、想い出深い旅にするためのバイブルであるのは間違いない。そして私にとっては、仕事の進め方や「プランニング」という実態の見えないモノを作り出す作業の困難さや秘訣、クライアントへの説得方法、それに「人の使い方・育て方」までも教えてくれた。

 もう一つ、本書に限ったことではないが種村氏は著書に自宅住所を公開し、質問などをどんどん受け付けていた。これが読者ニーズの掘り起こしと新たな作品の糧になったのは言うまでもないし、さらには「友の会」を京大時代からの友人によって組織し、著者と読者の交流の場も作り出していた。これは今のSNSに通じるものであり、時代を先取りしすぎていたのだ。

 『鉄道旅行術』が今も名著と語られるのは氏の病気前に発行が終わっていたのも一因だ。そのためクオリティが保たれたままで終焉した。ご本人も気づいていたが、病後に書いたルポや「汽車旅相談室」には誤謬が散見される。「人間、引き際が肝心」、これも『鉄道旅行術』から学んだ言葉である。

 どうもありがとうございました。私はこれからも旅の楽しさや意義を皆様に伝えていきます。それが、教えていただいたお礼としての社会への還元だと思っています。

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| 日記・つぶやき | 13:21 | comments(6) | - |


コメント
管理人様の遥か後輩、最後から2代目のバイト君です。氏の逝去は「いつか来る日」と思っていたとはいえ、こうやってネット上の記事を読み漁っている自分がいます。

鉄道趣味業界に対する氏の功績は多々語られていますが、一番の功績は「人を遺した」ことだと思うんですよね。私は業界には進みませんでしたが、仕事(業務ではなくて)とは何かを教えてくれたのは、竹の塚のあの事務所でした。

私の両親は氏の著書に夢中になっている幼い日の私にいい顔をしませんでしたが、それでも管理人様の似顔絵には「本人より本物そっくり」と言っていましたよ(笑)
| DaisukeMAEDE | 2014/11/11 6:19 AM |
DaisukeMAEDEさま
バイト君たちはもともと鉄道や旅行が好きだったから、その業界に進んだ者も多かったですね。そうでなくても(大部分は)優秀な者がバイト君になったので、それなりの仕事をしています。

人を育てるといっても、もちろん「これはこうするんだよ」と教わったことは一度もなく、弟子は仕事を「盗む」のであり、体感して「そうするのか」と自然に体得していき、今から振り返ると「あれはそういうことか」とわかったのです。

著書でも人は育ちました。
| Admin | 2014/11/11 7:55 AM |
一昨日、種村さんの訃報のページにコメントした者です。

この内容、「旅と鉄道」誌でも、拝読しておりましたが、
追補された所も含めて、改めて拝見致しました。

ありがとうございます。

私はこの「鉄道旅行術」で、種村さんの存在を知り、何回か質問の手紙を書いたこともありました。


なお、私は、クイズ王である北川さんの、ファンでもありまして、
第二回ウルトラクイズでの、準決勝、バルーンダウンアップクイズで、TVの前で、手に汗握ったことも、思い出しました。
| うていき | 2014/11/11 11:32 PM |
うていきさま

ウルトラクイズのそのシーンを覚えているとはずいぶんなお年とお見受けします。「鉄道旅行術」は非常に思い入れが深い作品ですので、長く受け継がれていきたいと思っています。
| Admin | 2014/11/11 11:34 PM |
本日の告別式のページも拝見しましたが、あまりに恐れ多いので、こちらに。

個人的には、質問ぐらいしかお付き合いの無かった種村さんの葬儀に参列するのは、それもあまりに恐れ多いと思いまして、参列は致しませんでしたが、
祭壇の様子を伝えて頂き、ありがとうございます。

合掌。


第二回ウルトラクイズの準決勝、私の記憶が間違いでなければ、北川さんは、誤答で「3段階」(ぐらい)まで上がってしまい、そこを挽回して2抜けで決勝進出だったような…。
私が小6の頃でした。
(もちろん、北川さんよりも私の方が年下です。)

私が種村さんに初めて質問の手紙を出したのも、確かその頃だったような…。
(「運賃・料金が子供から大人に変わるのは、誕生日基準でしょうか?」のような感じだったと思います。)
| うていき | 2014/11/12 9:50 PM |
私も訃報を聞いて、改めて種村さんの
鉄道旅行術を読み直しました。

本当に、私もこの本から鉄道旅行の
イロハを教えていただきました。
初めて読んだのは、
小学校3年生くらいだったと記憶してます。

正に哀痛の極みです。
| じゅん | 2014/11/13 8:04 PM |
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