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贋作:北海道新幹線気まぐれ列車<5> 木古内にて 種村直樹偽者
レイルウェイ・ライター種村直樹氏が2014年11月6日に亡くなり三回忌を迎えようとしている。わずかな期間だが、鉄道界は大きな変革を遂げている。
この駄文は、2016年5月に仲間内の会報誌に発表した「種村氏が生きていて北海道新幹線をルポした」妄想投稿を加筆修正してお届けします。もちろんフィクションです。ご遺族、関係者の方々にはたいへんな失礼を承知しつつ、どうかご寛容に願います。

続き

 時間が時間なので、駅前飯店急行に行列はできておらず、すぐに入れた。奥さんは元気よく働いており、店内には彼女の若いころの白黒写真が飾られている。焼きそば<並>とビールを注文する。メニューは焼きそばしかないので、あらかじめたくさん作っておけばいいものを、注文ごとに丁寧に作っている。だから出てくるのは遅いが、待つしかない。
 やっと、焼きそばがテーブルに運ばれた。なんとも言われぬ味の焼きそばは、以前と変わりなく、おいしい。ソースの刺激が少ない、とてもやさしい焼きそばなのだ。
隣の席は、僕と同い年くらいのご婦人二人組だった。

芦別さ住んでいたころは、札幌さ出るのも夢みたいな話だったわよねぇ」

聞くまでもなく聞こえる会話から、どうやら二人は芦別に住んでいた友人同士らしい。

「娘時代はまだ蒸気機関車ばかりだったけれど、それが今は東京まで新幹線で行けるようになるなんてね」
「トンネルになると真っ黒になって、青函トンネルの話が出たときは、煙をどうするか、心配したっしょ」
二人は女学生に戻ったように顔を見合わせてケラケラ笑った。
「したっけ、鉄道が好きな京都の学生さんがうちさ泊まったことがあったっしょ」
「そうそう、あんたのお母さん、無事さ帰れたか、たいした心配してたべや」
「お母さん、『内地ではどのような風習か知りませんが、北海道では世話になった人へ感謝の気持ちを込めて、はがき一本書くのが常識です』なんて、はがきを出したっしょ。なまらあわてたお礼のはがきが来たべや」
「そったらこと、あんたのお母さんらしいわぁ」
「そのあと、私が修学旅行で京都さ行ったとき、その学生さんさ京都の町を案内してもらったっしょ」
「その人、なした?」
「知らんねぇ。なんも新聞社さ勤めたってぇ、しばらく年賀状のやりとりはあったけど、早く結婚したようよ」

 顔が赤くなったのはビールのせいではない。それに気付かれないように、あわてて残りの焼きそばを食べ、そそくさと会計を済ませて店を出た。

 急いだのは、帰りの時間が近いためもある。上りの道南いさりび鉄道は16時24分に出る。まだまだ見物客でにぎわっている木古内駅から、再び、見え隠れする海を見て、函館へと戻った。気まぐれ列車だから、函館駅ではなく手前の七重浜駅で降りる。時間がないので、やむなくタクシーを使い、青函フェリー乗り場へと急いだ。
 そう、北海道新幹線気まぐれ列車の締めくくりは、青函連絡船に思いをはせて、フェリーで青森に渡る趣向だ。津軽海峡の海風に当たれば、かつて青函連絡船で戻った時のような、北海道を満喫した充実感と、北海道と別れてしまう寂寥感と、そして次の北海道旅行はどこに行って何をしようかという期待感が入り混じった、あの時の気持ちがよみがえると思ったのだ。

0連絡船tane.jpg

 北海道新幹線は、2030年度には札幌へと延伸予定である。その時僕は95歳。もちろん、北海道新幹線に乗って札幌に行くつもりだ。
辻聡クン(サンシャインシティ勤務)も生きているように祈るや切。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「先生、そろそろ起きて服を着てくださいよ」。
 おやおや、風呂上がりに服も着ないで、すっかり寝てしまったとはいかがなものか。そうか、あれは夢だったのか。それにしても妙に生々しい夢だった。まるで僕が幽体離脱をして40年後の未来に行ってしまったような、北海道新幹線に初乗りする夢。けれども、工事中の青函トンネルが完成し、真っ白な新幹線が団子っ鼻をのぞかせるのは、そう遠くない気がする。
 あわてて服を着て、辻聡クン(一橋大学商学部4年、三菱地所内定)に背中を押されるように温泉旅館を出て、政和温泉仮乗降場に向かった。駅名に惹かれて途中下車をして、ぬるめの湯につかり、腰にタオルを巻いただけのお気軽スタイルでジンギスカンをたらふく食べ、ビールをしこたま飲んで、また温泉へ…。つい、寝てしまったのだった。
 雪を巻き上げて朱鞠内行の深名線列車がやってきた。北海道新幹線が出来れば、北海道ローカル線の旅はさらに実りあるものになるに違いない。汽車旅は、永遠に続くのだ。
 また、汽車に乗ろう。
1976年3月


日本交通公社出版事業局「鈍行列車の旅」/実業之日本社「気まぐれ列車の時刻表〜北海道気まぐれ列車」より

0政和温泉.jpg

* * * * * *
あとがき

昨年の「贋作:北陸新幹線気まぐれ列車」と今回の「贋作:北海道新幹線気まぐれ列車」では、多くの方々にご登場いただき、たいへんな失礼をお許しください。これは、私が種村直樹氏はじめ、みなさんが大好きで、再び三たび、かつてのように一緒に楽しく汽車に乗られたらとの願望・妄想がなしえた結果で、言うまでもなく、すべてフィクションです。ちなみに、実際の「鉄道ジャーナル」は鶴通孝氏と久保田敦Cによる北海道新幹線特集記事でした。

本作品は、種村氏が生きている設定のため、何度も病気を克服した種村氏が、どのようなルポをするか想像しました。最初の退院後の2001年以降の作品は筆力が劣り、本筋とは無関係な記述が目に付き、でも、プロとして書かなくてはならないと思ったのか、思い出したように歴史や蘊蓄がポツンポツンと書かれています。裏付け取材がないままの憶測記事も批判されました。また、特徴的なのは、とんでもない論理や、自身の失敗をこれまで以上に隠さずに赤裸々に書いている点です。さらには、編集者への苦言も、当の誌面であますところなく披瀝する、自分の気持ちにきわめて素直な書き方でした。そして編集者たちはさじを投げており、原稿依頼も数えるほどになっていました。
本作品は、あの2010年の最後の入院から、いつとはわからないけれども退院した状態の設定のため、晩年の書き方や状況がさらに強化されたように表現したつもりですが、もちろんご批判もあるでしょう。重ねてお許しください。

今回は、種村作品に何度となく書かれた北海道でのエピソードをちりばめて、その回収をしましたが、お気づきでしたか(江差と芦別)。これは種村氏と旅先で小さな関わり合いのあった人たちが、今どうしているのか、種村氏のその後の活躍と死を知っているのかという想像から盛り込んでみました。最後の、裸ジンギスカンのオチは、(仲間内の会報誌)編集長から「生きている設定で」と依頼があった時に、それはまだ北海道新幹線が出来ていない2015年夏の、東京湾納涼船内でのことでしたが、その場で思いついた仕掛けです。種村氏と、氏が大好きな北海道の鉄道との、時空を超えた、深い深い永遠のつながりを表したかったのです。

そして、久しぶりにイラストを描いてみました。実際の2016年3月の風景の中で、気まぐれ列車を楽しむ種村氏です。種村氏は北海道新幹線に乗って新函館北斗駅頭に立ちたかったでしょう。それを、私にしかできない方法でかなえました。この設定は本作品用に最初から考えていて、3月26日に北海道新幹線に乗ったときに、この全体の物語の構成を考えて写真を撮りました。

はたして、種村直樹氏は2016年3月26日に北海道新幹線に乗ったのでしょうか。
乗っています。汽車旅はいつも同行二人(どうぎょうににん)なのです。



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| 日記・つぶやき | 19:40 | comments(1) | - |


コメント
最後まで楽しませていただきました。北川さんは種村直樹氏に一番思いをはせている方だと思います。それとともに、かなり毒の強い方だと思います。失礼の段、ご容赦ください。

来年も贋、いや名作を楽しみにしております。
| 新さん | 2016/12/06 9:00 PM |
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