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馬場浩士クンと鎌田有希子さん 急逝した後輩たち
同僚Bクンこと馬場浩士クンが2016年12月21日に急逝したことは何度もこのブログで書いている。しかし、もう一人、馬場ちゃんとも仲が良くて一緒に遊んだ後輩が急逝していた。

5月2日、四国のお遍路さんで松山市の太山寺に参拝していた時、家の電話に留守電が入っていて、その内容がよく理解できなかったので、その番号に電話をしてみた。
電話の相手は前の会社の後輩にあたる(旧姓)鎌田有希子さんの旦那さんで、彼女が1日に亡くなったという。

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にわかに信じられず、それは彼女は小柄だったががっしりした体格で、私よりもよほど体力があって、とても死ぬようには思えなかったのだ。

しかも、馬場ちゃんたちと一緒に「自転車部」と称して、各地をサイクリングして楽しんだ間柄だった。つまり、同じ仲間内の後輩が、半年たたずに別々に二人も亡くなってしまったのだ。
馬場ちゃんは50歳、有希子さんは47歳である。聞けば直腸がんで、1週間ほど前に気づいたときは手遅れだったそうだ。

1997-05B-01.jpg

この一連の写真は、今から20年前の1997年に自転車部で千葉県の館山や、山梨県の石和に行った時の写真だ。
男たちに混じった有希子さんのために旅館に別の部屋を予約しようと思ったが「私、平気です」と、一緒に雑魚寝をした。

1997-05B-11.jpg

むろん、何も起こらず翌朝は再び自転車で走りだした。
私が登るのをあきらめた坂も、彼女は押さずに漕いで登ったし、馬場ちゃんも「鎌田には負けたくない」と、あとから付いて登ったエピソードもある。

1997-09-19.jpg

自転車部といっても、私のオペルアストラのルーフとトランクルームに自転車4台を載せて、半分以上はドライブだった。有希子さんはMDカーステレオに「どんな新曲が入っているか、いつも楽しみなんです」と言ってたから、自転車部の前は「最新のヒット曲」を録音しておいたものだ。

彼女は家も近くて、うちに遊びに来たこともある。
私はどう評価されているか知らないが、何人もの後輩がうちに遊びに来てくれることを思い起こすと、それなりに慕われていたのかと思う。

お遍路さんでは、行く先々の寺で世界平和や国家安寧を祈った上に、馬場ちゃんと有希子さんの冥福を祈った。本来ならば葬儀に参列してよく、それも一駅先の彼女の実家に近い浄土真宗の寺だったのだが、日程は連休中とのことで四国にいるため、それが叶わなかった。

旦那さんとの間に子供がおらず、旦那さんは二駅手前の駅に近いマンションで一人になってしまうはずで、それがお気の毒だ。

ほかにも、暮れには上司でもあった森健次が急逝するし、最近知ったがお世話になったコピーライターの岡部正恭さんが闘病の末亡くなっていたし、近所の眼科医片見睦夫先生も母の眼の検査結果を知らせる前日に急逝するし、訃報をよく耳にする歳になった。

それにしても、私は死なない。死んでしかるべきなのに死んでいない。
なぜなのだろう。まだ社会が必要としているのだろうか。ならば、何をしなければならないのか、何のために生かされているのか、なぜ彼らは亡くなったのか、いつも自問自答している。
| 日記・つぶやき | 07:15 | comments(0) | - |


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