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広島 祖母の1960年のアルバムの撮影場所を訪れる
今回行った広島は祖父母の郷里である。祖父は私が1歳8か月の時に亡くなったのでまったく記憶にない。その後の祖母は時折広島の親せきから物が送られてきたり送ったりしていたが、里帰りをした記憶もない。すでにきょうだいたちは東京に出てきて、広島はわざわざ訪れるような親戚がいなかったのかもしれない。

しかし祖母のアルバムから、1960年に広島を訪れた写真が出てきた。正しくは、家にあった古いネガに祖母が広島を訪ねた写真が写っていたのだ。スキャンしてわかった。祖母は広島に行っていたのである。
なお、この写真を撮影したのは祖母の三男の叔父である。

一枚目の写真は寺の前にいる祖母と甥夫婦だ。

1960-11-012-2.jpg

この場所はどこだろう。階段下に光西寺と書かれたゴミ箱があるから、広島の光西寺を調べてみた。すぐに分かった。広島市西区己斐にあった。
己斐(こい)は祖母の口から何度か聞いたことがある。祖母の戸籍は今の中区小町という都心部で今はビルばかりで住宅などないだろう。己斐は親戚が住んでいたのだろうか。

そこで9月23日の朝、己斐の光西寺まで行ってきた。浄土真宗本願寺派 法輝山 光西寺。車が入れないほどの狭い路地の高台にある寺だった。

DSC_2199.jpg

さすがに寺の風情は変わっていなかった。境内も狭い寺だが、本堂の欄間は立派だった。

この写真と連続して、墓石の前の祖母と、それを拝んでいる写真も出てきた。

1960-11-008-2.jpg

当然、光西寺の墓地だと思ったが、それらしきものがない。
そこで近所の人と、寺の奥さんに聞いてみたら、この寺ではないと言う。そもそも、光西寺は狭くて墓がない。
ではこの墓石はどこにあって誰が眠るのだろう。光西寺の脇に墓石があったのでここかと思ったが、塔がない。

DSC_2210.jpg

碑文も違い、お寺の奥さんも観たことがないと言う。これまで祖母の親の墓と思ったので旧姓を言ってみたが、知らないと言う。結局、この墓はどこにあって誰の墓だか、わからずじまいだった。
帰宅して母に聞いたら、祖母はよく「己斐の墓」と言っていたらしい。光西寺のすぐそばに蓮照寺があるが、ここにもこの墓石はない。祖母の己斐の墓はどこにあったのだろう。
57年の月日は遠い。

次に市街地に戻り、喫茶リラの前で大勢で写っている写真の場所を特定したい。おそらくはわざわざ東京から祖母が出てきたので、親戚一同が食事かなにかに誘った前後ではないか。

1960-11-003-2.jpg

喫茶リラを検索すると、老舗の喫茶店と軽食ができるレストランだったようだが、すでにつぶれているらしい。
◎広島市内で昭和50(1975)年くらいまでは営業していたレストラン
◎場所は今の広電「広島トランヴェールビル」の南側あたり、つまり広島銀行本店の北あたり

写真の左の扉の文字を類推すると広島電鉄観光課 日本交通公社と読めるから、今のJTBが入っているビルだったのだろう。

トランヴェールビルは一等地に建ち、もみじ銀行などが入っている。すでにJTBはない。

DSC_2215.jpg

祖母の写真をよく見ると、後ろは路地で自転車が走っている。もしかしてその路地は隣の日興ビルとの間ではないか。

DSC_2216.jpg

今はこの路地はふさがれているが、当時は文字通りの路地で、日興ビルのプレートあたりが喫茶リラの入口ではなかっただろうか。つまり日興ビルの角に祖母たちは立ち、写真に写ったのだ。

DSC_2221.jpg

と書いたら、なおひこさんから、トランヴェールビルの南西の、鯉城通りにある広島銀行との路地ではないかとコメントをいただいた。ググストで見ると確かに一方通行があり、今は地下道につながる階段がある場所が写真の撮影場所ではないか。この一方通行は駐車場を探すためにクルマで走らせたがノーマークだった。
リラはここにあったのだということにした。

sumi-2.jpg


最後の写真。商店街を祖母と親戚のおばさんらしき人が歩いている。
祖母の脇に「しんや」という看板がある。

1960-11-015-2.jpg

「広島 しんや」これもすぐにヒットした。しんやは金座街に今もある、子供服の老舗だった。
さきほどのトランヴェールビルから歩いてすぐだ。

まだ朝早いので店員さんが掃除をしていたので写真を見せて聞いてみた。金座街は祖母の写真の翌年、1961年にアーケードになったらしい。

DSC_2228.jpg

この写真で疑問は、奥の右に富士銀行(今のみずほ銀行)があるけれど、この場所は福屋百貨店なのだ。みずほ銀行は通りの向こう側にあり、当時の銀行はそうやすやすと移転しないと思う。
と書いたら、わたやんさんからコメントをいただき、昭和30年当時の地図だと、富士銀行は福屋の場所にあった由。つまりしんやは引っ越しておらず、アーケード(屋根)ができる前のこの道を祖母は歩いていたのだった。

DSC_2229.jpg

店員さんは店が移ったのかもしれないがそのころのことがわかる人はいない、孫の代になっていると言った。すると孫らしき男性が来たので聞いてみたら、何言ってんだみたいな憮然とした態度になり、まったく当時のことはわからないと言われ、おそらく生まれてなかったのだろうが、急な話で申し訳なかった。「お父さんかお母さんは来ますか」と聞くと、「午後からなら」とのことで、そこまで待てないのであきらめた。
57年の歳月は街も人もすべて変えてしまったのだ。

ところでこれらの写真のネガはカビだらけでひどく傷んでいた。



そこでスキャンしてフォトショップで補正したのが上の写真だ。
ずっと前から、妄想に妄想を繰り返して、この写真の場所に行くのを楽しみにしていた。
でも、そんな趣味嗜好は私くらいのものらしい。そうなんだ。
過去を振り返ってばかりの人生なのである。

| 日記・つぶやき | 21:50 | comments(5) | - |


コメント
(めだまカフェ日記の者です)
貴重なリラの写真をありがとうございます。
昔の写真があるのはいいですね。
僕の勝手な推理ですが、後ろの電柱の「ONE WAY 」は
今も一方通行の道として続く、広電ビルと広島銀行の間のように思います。
つまり広電ビル(トランヴェールビル)の南西の角にリラが
あったのではなかろうかと。いかがでしょうか。
| なおひこ | 2017/09/28 10:44 PM |
なおひこさま
なるほど、そうかもしれません。こっちの路地は考えていませんでした。しかしマイカーで走りました。お近くでしたら、ぜひ検証してみてください。私は当分行くことはないので(東京在住)。
| Admin | 2017/09/28 11:19 PM |
はい、検証作業、頑張ってみます。
| なおひこ | 2017/09/29 7:28 AM |
広島在住の者です。
昭和30年ごろの地図(復刻版)を確認したところ、たしかにあの場所に富士銀行がありました。
金座街の今は福屋八丁堀本店の一部になっている所です。

なお、現みずほ銀行広島支店は、旧興銀の支店を使っています。
| わたやん | 2017/10/01 7:21 PM |
わたやんさま、ありがとうございます。ということはしんやは引っ越していなかったんですね。
| Admin | 2017/10/01 8:49 PM |
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