CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
Twitter




Amazon左

















MOBILE
qrcode
<< 最後の仙台出張 | main | 心に吹く風 大人の純愛ストーリー 眞島秀和・真田麻垂美 >>
あれから20年、生きてます。
1998年6月1日から20年経った。20年後のこの日を迎えられた。

IMG_5169.jpg

この20年間、いろんなことがあった。生きていたからこその体験だった。

21世紀を前にして父が死んだ。疎んじていた父であったが、いなくなれば家の中での責任もすることも私にのしかかってきて、一気に老けた。父から相続した宇都宮のゴルフクラブ会員権は、息子や友人たちと数回プレイをしたが、何十年やってもまったく上達しないでイヤになり、そのうち放置プレイで2017年に処分した。
2009年に家の外壁や屋根を直した。父(一級建築士)がいれば父がやったが、父が懇意にしていた工務店が恩にきて安くやってくれた。ありがたかった。
2011年の大震災で大きな被害が出なかったのが幸いだ。

毎年、家族で夏は北海道ドライブ、冬は志賀高原でスキーと言う生活を繰り返していた。この二つの旅行は子どもたちの成長の記録でもあった。当時はフィルムカメラで撮影していたけれど、すべてデジタル化して今では簡単に昔の写真が見られる。

その子どもたちは成人して学業を終え、社会人になった。二人とも東証一部上場企業に勤めており親として誇りに思っているが、子どもはいくつになっても子どもで、かわいいし心痛のタネだ。
でも世話になる日がくるのも近いだろう。よろしくお願いします。

その頃の私は名前を言えば誰もが知っている有名企業のグループ会社に勤めており、広告屋稼業は楽しく順調で、旅行会社のプロモーション企画や、ショッピングセンターの集客企画などを考え続けていた。
職場は長らく神田にあったが、2004年から目黒に移転した。白金台をバックにしたプチセレブな街で気に入った。

同僚の馬場浩士君や小倉彰君たちと国内外に旅行をした。会社で仕事をしているという認識はなく、仕事は今でも一番の趣味である。仕事中に、あるいは旅行中に死ねれば本望だと思っているが、まだ死んでない。何回か死にかけているが。

会社の近くに自動車教習所があったのをよいことに、2007年にバイク(普通自動二輪)の免許を取得し、関東近県や北海道、東北などにツーリングした。学生時代のサイクリングを彷彿させ、本当に楽しかった。

2011年の大震災の年は旅行会社のホームページを制作していた。地震の影響も少なからずあったと思うが、会社やグループ全体の経営が思わしくなく、仕事もつまらなくて暮れに退職した。

2012年は1年間ハローワークのお世話になり、求職支援の無料のWEBスクールに通い、若い仲間やロケット巨乳人妻らと楽しく過ごせた。おっさんがハローワークの世話になるのはわかるが、あんな若い奴らが職安かよと日本に疑問を持った。

2014年から御茶ノ水の会社に常勤するようになった。100年続いている割には知名度0の会社で、前の会社とかなりのギャップがあった。ここではインバウンド(訪日旅行者拡大)の仕事を専門にして、この会社のインバウンドビジネスを構築してやった。私のようないい歳のおっさんに、価値ある仕事を任せてくれたのは感謝に耐えない。
4年半続けたがインバウンド部署はもともと儲からないうえに、おいしそうなハナシに手を出してしまい爆赤字になり、私もいつまでいられるか。

頻繁な海外出張は夢だったのがこの歳で実現した。ジャカルタから早朝に帰国して羽田空港で喪服に着替えて神戸に飛んで焼香、新幹線で帰京して家に一泊して翌日はバンコクに飛ぶ、なんて離れ業もあり、2014年は7回、2015年は1回、2016年は10回、2017年は3回、2018年はすでに2回の海外旅行をした。
クレジットカードの利用はかなりの額になり、ANAもJALも上級会員になったし、JCBのブラックカード、THE CLASSも持てるようになった。

旅行の楽しみを増幅させていたバイクは、2016年5月に四国のバイクDEお遍路の際に緩いカーブで転倒し、本人は救急車で搬送、バイクは電源部がイカれて廃車になった。本人は血の一滴も出さずにまったく無傷で、これは弘法様のおかげである。

海外はビジネスクラスでニューヨーク旅行、イエローストーン旅行、ヨセミテ旅行などを繰り返し、ヨーロッパはファーストクラスで行った。今でもとてもよい思い出になっている。テレビに行った場所が映ると「あ、ここ行った」と思うんだよね。
海外・国内とも多くはひとり旅で、よくもあんなに行ったものだと我ながら感心する。

還暦を迎えて、自分に記念品としてニコンD810を28-300mmのズームレンズともども買った。写真は高校以来の趣味なのだ。とてもきれいに映るが、重たいので自動車移動でないと持ち歩けない。

母がボケもせず矍鑠(かくしゃく)として健在なのは、なによりだ。母がいると安心するし、本当はもっと甘えていたい。母には幸せな余生を過ごしてもらいたいし、そうしているつもりだが、やはり心配をかけているのだろうな。子どもはいくつになっても子どもだ。

美女たちと何度もお食事をしたし、いまだにいろんな子に惚れているし、それもこれも、今生きているからこそだ。バカは死ななきゃ治らない。


この20年の間、父や叔父叔母のほか、大河格、前橋英夫、高野弘之、佐藤宣生、稲垣浩、種村直樹、環白穏、池谷正之、小室周也、馬場浩士、森健次、鎌田有希子ら各氏の訃報に接した。ともに働いたり遊んだりの仲間に先立たれた。

けれども私は生きている。祖父が死んだ歳よりも生きている。死にかけても生きている。
この20年間、いろんなことをして、いろんなところを飛び回っていたので、これからは少し「のんびり」しようかな。のんびりとはどういうことはよくわからないのだが、静かに過ごしていけたらと思っている。

この20年間、ありがとうございました。
私は生きています。
再びの成人式を迎えた気持ちで、命の限り、人生を楽しんでいきます。人生を楽しむことこそが生きている証しであり、先に死んでいった人たちへの供養だと思っています。

| 日記・つぶやき | 21:27 | comments(0) | - |


コメント
コメントする