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第2回アメリカ横断ウルトラクイズ サイパンからハワイへ島伝いで移動
1978年9月12日火曜日、サイパンから午後の便で20人がハワイへと飛び立った。
このフライトは乗ってから知ったようなものだが直行便ではなく、島から島へと、南太平洋の島々を伝いながら飛ぶもので、とても印象深いフライトになった。

1978-13-017.jpg

もう一度、あの島々をめぐりたい。
小室周也さんの生前、二人でどこを飛んだのか、記憶を呼び戻しつつ話し合って作った地図がこちらだ。

第2回アメリカ横断ウルトラクイズの太平洋航空路.jpg

サイパン
グアム
トラック島(現在のチューク諸島)
ポナペ島(ポンペイ島)
コスラエ島
マーシャル諸島
ジョンストン島
ホノルル(ハワイ オアフ島)

島に飛行機が降り立つのは一大イベントらしく、島中の人々が空港に集まった。

1978-13-018.jpg

この写真はポナペ島だろうか、空港とは名ばかりの、掘っ立て小屋みたいなターミナルに人々が集まってくる。飛行機も、降り立つ外国人旅客も珍しいのだろう。セキュリティなど、まったく概念にない。

1978-13-019.jpg

スタッフたちも島民たちが珍しいみたいで、互いにはしゃいで写真を撮りあった。
1945年、この1978年の23年前までは日本が統治していたから老婆の中には片言の日本語がしゃべれる人がいて、とても親しみが湧いた。つまり、あの40年前のウルトラクイズよりも"戦前"は最近の出来事だったのだ。
島の人たちからは日本に対する敵意など微塵も感じなかった。おそらく統治によって島は発展したのだろう。なんでもかんでも戦前の日本に悪く言う人がいるが、それはステレオタイプである。

1978-13-022.jpg

素朴なやさしい笑顔の島民たちに、再び会いたい。今でもあの笑顔でいるのだろうか。今でもあの島々にはあこがれている。私はダイビングやサーフィンなどのマリンスポーツは一切しないが、島の人々と触れ合って、美しい光景と笑顔を写真に撮りたい。

1978-13-020.jpg

みやげ物屋なのだろう、机に貝細工を置いて売っている。

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空港は柵があるかないかの施設で、地面がむき出しになっていた。

1978-13-023.jpg

飛んだり降りたりの繰り返しで、私は飛行機に酔って、どこかの空港で滑走路の端で吐いてしまった。滑走路といっても舗装などされていないから、草むらに吐いたのだ。小学生のころは遠足のバスによく酔ったが、物心ついてから乗った飛行機に酔ったのはあとにも先にも最初で最後だ。ウルトラクイズはいろいろな経験をさせてくれる。

日付変更線を超えて、朝のホノルルに着いた。当時でもすでにホノルルに行っていた者は多く、さらにはしゃぎすぎになるのだ。

この島伝いのフライトは今もあるのだろうか。あるいは別々の飛行機を乗り継いで、この島々をめぐれるのだろうか。小室周也さんと再び訪れる日を夢見ていたが、小室さんの死によってそれはできなくなった。

UA155便がグアムから島伝いにホノルルまで行っていると教えていただいた。ありがとうございます。
月水金でグアム発08:20、チューク(トラック島)、ポンペイ(ポナペ)、コスラエ、クェゼリン、マジェロ、ホノルル着02:55で5回乗り継ぎ14時間半かかる由。127150円。水曜日はコスラエには寄らない。
また、UA200便はグアムからホノルル直行で7時間半だ。
| クイズ | 18:13 | comments(0) | - |


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