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群馬県 富岡製糸場と峠の釜めし
11月2日の群馬県こんにゃくパークの続き。

こんにゃくパークから富岡製糸場へはクルマで10分くらいだ。
GPSの走行軌跡で、右下のグルグルがこんにゃくパークで、左上が富岡製糸場になる。



富岡製糸場は2014年に世界遺産になった、群馬県民の誇りであり自慢だ。

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江戸時代末期から幕府は諸外国と貿易を始めるが、日本の輸出の花形は生糸だった。そこで立地的に生糸生産に適した富岡市が選ばれ、明治4年(1871年)からフランス人技師の支援を受けて工事が始まり、翌年には主要な工場が完成した。

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現在は工場として利用されていないが、木造の躯体にレンガ造りの立派な建物と、

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昭和62年(1987年)に操業が停止されるまで使っていた繰糸機が残っている。

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観光施設としては地味でインスタ映えもしないだろうとタカをくくっていたが、行ってみてたいへん立派で残っている建物は造形としても美しく、感動した。

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製糸業の歴史や生糸や絹糸の作り方も詳しく解説されており、

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さらには工女たちの暮らしぶりも当時としては最先端の近代化された恵まれた環境にあると知った。

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女工哀史で描かれた不幸な女の子たちではなく、富岡製糸場は明治になって西洋諸国に追いつけ追い越せと、労働環境まで近代化されたのだ。

たとえば寮があり病院まである。労働時間も1日8時間以下で、日曜日は休みだ。

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今では当たり前の労働環境が当時としては最先端で、ここで働く工女たちは、今で言うなら青山学院大学を卒業してJTBに入るような、エリート女子たちだったのだ。
そのためか、工女が残した日記や手紙は美しい文字で漢字とひらがなで書かれている。それだけ就職するまでの教育レベルも高い子女たちが選ばれて勤めていたのだろう。
工女たちは能力に応じて4段階、のちに8段階の能力給が適用されていた。1等給は1円75銭で、いまなら10万円程度か。しかし寮と食事がついて病院代も会社持ちだから悪くないだろう。

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管理職たちの社宅も残っているが、立派な平屋作りだ。

富岡製糸場は、150年前の建物が残っているだけでなく、製糸業が日本の近代化にいかに役立ったか、そして工場設備のみならず労働環境までもが近代化されたいたという、努力の積み重ねで成り立っていた。

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冬の斜めの太陽光線に照らされたレンガ造りの建物は十分にインスタ映えする。

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その後、横川駅の峠の釜めしでおなじみのおぎのやが正門前に店を出していたので、

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超久しぶりに釜めしをランチでいただいた。

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具も豊富でおいしかったが、やはり塩分濃い目であとあとまでのどが渇いた。

  
| 旅行・鉄道 | 18:44 | comments(0) | - |


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