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日韓共同きっぷで行く韓国の旅 1988年11月
今から31年前の1988年、ソウルオリンピックが開催された。日韓の航空便が満杯になってしまったので、発足間もないJRは韓国国鉄関釜フェリーを使った陸路での交通ネットワークを活かすべく「日韓共同きっぷ(韓日共同乗車券)」を発売した。このきっぷは2015年に廃止されたが、発売間もない1988年11月に鉄道仲間と利用してきたので、その模様を採録してみる。意外にもスチール写真がなく、8ミリビデオの映像だけ残っているのでキャプチャする。

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11月3日、早朝の新幹線で東京から日韓共同きっぷの出発地である新大阪に。

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新大阪から日韓共同きっぷを使ってJR西日本自慢のウエストひかりに乗る。普通車だが左右2人掛けのグリーン車並のゆったりしたシートだった。
食堂車はビデオルームになっており、ビュッフェは軽食を食べられずに駅弁を買った。

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新幹線は関釜フェリーの出発地である新下関には止まらず小倉まで行った。もちろん知ってのことである。

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小倉から門司に出て、関門海峡を渡る渡船に乗って下関に戻ったのだ。

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そして下関駅を訪ねて…

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準鉄道記念物の下関鉄道桟橋跡を眺めた。関釜・関門の鉄道連絡を担っていた次代があったのだ。

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日韓共同きっぷの関釜フェリー用引換券を乗船券に変えるが、料金表を見ると2等Bで8500円だった。

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関釜フェリーは夜行便で、青函連絡船の座敷席を髣髴させるもので、毛布で自分の領域を作って寝た。食堂があるのだけれど、翌朝は下関で買ったパンをもそもそと食べた。



翌4日朝、釜山の波止場に着いて、帰りの航空券を受け取りにJAL釜山支店に行くが、JALがなかなか見つからなかった。そのため、10時の列車で慶州(キョンジュ)に行こうとしていたが、間に合わなかった。



航空券やホテルは、当時日本旅行に勤めていた篠原さんのお世話になったはずだ。今のようにインターネットで海外のホテルや海外発の航空券を簡単に予約できる時代が来るなど、予想も妄想もしていなかった。

帰りの航空券を受け取って釜山駅に行く。

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この日は釜山郊外に泊まる予定なので釜山で丸一日時間がある。慶州に列車で行けなくなったのでバスで行く方法もあったけど、鉄道仲間のためバスに乗る案は却下され、あくまで列車でどこぞに行くことにして、近くの蔚山(ウルサン)に行くことにした。

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当時のJTB時刻表には韓国国鉄の時刻表もおまけについていた。
蔚山は行って帰っただけ。喧騒な街だった。今から考えれば時間のムダだったろう。

そして釜山郊外の東莱(トンネ)温泉ホテルに泊まった。ベッドの部屋もあるけれど、あえてオンドルの部屋を予約した。

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床暖房が効いて暑くて暑くて下着一枚になった。
夜、部屋を間違えたフリをしてマッサージ女がやってきたが当然断る。

5日、釜山駅前に公衆電話があったのでテレホンカードを使って日本に電話をしたらかかった。そりゃそうか。

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釜山駅から特急セマウル号でソウルに向かう。新幹線のKTXは2004年に暫定開業した。つまりセマウル号は在来線の特急なのだ。

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食堂車がついておりハンバーグ定食を食べたが、普通においしかった。ライスも日本のコメのように粘り気のあるものだった。

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ソウル駅に着いた。オリンピックを開催した都市のゲートウェイ駅だ。

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この駅は日本が作った京城駅だった。日本統治時代のものがまだまだ残っていた。

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夜、一番の繁華街の明洞に食事に行ったらデモ隊が出ていた。なんのデモかわからない。火炎瓶を投げるので機動隊が催涙弾を撃った。すごい臭いでくしゃみ・鼻水・涙でべちゃべちゃになった。
夜のニュースでやっていたが、それがなんだったかわからない。後にも先にも催涙ガスを浴びたのは最初で最後である。

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7日は丸一日ソウル見物だ。
景福宮(キョンボックン)の門の奥に立派な石造りの建物があった。国立中央博物館、元の建物は朝鮮総督府である。
この建物は1995年に爆破解体された。

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そして蚕室(チャムシル)総合運動場に行くと、レイルウェイ・ライター種村直樹氏一行と出合った。この旅の模様は「韓国気まぐれ列車」に書かれているが、どうして私たちが別行動していたのか、今となってはすっかり忘れた。

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スチール写真で唯一残っているのは、おそらく種村氏が撮影してくれたビデオ撮影をしている私である。



ソウル金浦空港から、小松経由新潟行のJALで帰国した。

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ソウルを出る直前にあわただしく乗ってきたおっさんが「これ、名古屋行きですよね」というので乗務員があわてていた。

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夕刻の新潟空港に着いて、新幹線で帰京した。


その後、韓国には仕事で行ったし、子供たち二人を連れて行ったりもした。馬場浩士君と対馬から船で釜山に行き、KTXでソウルにも行った。かつて祖父が暮らした釜山西部の鎮海にも行った。

しかし今の韓国は国際国家の体裁をなしていない。慰安婦、徴用工、自衛隊旭日旗、レーダー照射と日本に何をしてもいいと思っている。これは日本がいつも韓国を許してしまう姿勢も影響している。バカなガキだからしょうがないと思ってのことだが、バカだから本来の姿が見えず日本を甘く見てしまっている。
バカにつける薬はないから、日本は韓国に対して経済制裁を含めた毅然とした態度をとらなければならない。
私が韓国に行くことはもうないだろう。

  
| 旅行・鉄道 | 18:35 | comments(4) | - |


コメント
小倉駅も放火された下関駅も駅舎は今やなく、懐かしいですね。
| hamanaga | 2019/01/15 11:08 AM |
濱永さん、ソウル駅もプサン駅も建て変わっています。
| Admin | 2019/01/15 12:26 PM |
あれ、辰野金吾・塚本靖のソウル駅はまだ残っていたような。去年行ったら保存工事してましたけど。もちろん駅機能は新ビルに移ってますけど、まあ丸の内駅舎の中央部分みたいな使い方をするのでしょう。
| hamanaga | 2019/01/15 4:36 PM |
京城駅は残っています。JR奈良駅みたいなものですかね。
KTXの新ソウル駅になったという意味です。
朝鮮総督府も立派な建物だったけれど、使われ方が気に食わなかったのでしょう。
| Admin | 2019/01/15 4:59 PM |
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