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鉄道を書く 種村直樹自選作品集2 1970〜73
種村直樹氏の<鉄道を書く>は、種村直樹自選作品集とあるように<全集>の位置づけだ。全部で6巻からなり、今回はその2、1970〜1973年の、レイルウェイ・ライターに独立する前、毎日新聞本社勤務の国鉄担当記者時代の記事をメインに、バイトで書いていた鉄道ジャーナルなどの記事のアンソロジーだ。

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版元は今は亡き中央書院。当時も無名の出版社だったが急速に種村氏に近づき、このアンソロジーのほか"乗り歩き"紀行を何冊も出版している。
当時の女社長だった竹森澄江氏とはお会いしたことがあり、種村氏によれば"昔美人"であった。

過去の作品の寄せ集めにしたくなかったのか、書かずにいられなかったのか、巻頭ルポとして書下ろしの「東北・奥羽本線鈍行乗り継ぎ紀行」「2000年スピード乗り継ぎ」「思い出の武蔵野線 今と昔」が掲載されている。

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この本の出版は2000年4月で、最初に病で倒れたのが2000年11月だったから、その半年前となる。2000年上旬はほかにも何冊も出版しており、鉄道作家として地位を築き、宮脇俊三氏と並んでその道の(鉄の道の)第一人者として迎えられていたのだろうと思われる。

「東北・奥羽本線鈍行乗り継ぎ紀行」はすでに山形新幹線も開業していたときに、あえて鈍行で編集担当でのちに中央書院の社長になる芳賀郁雄氏と旅したルポだ。出版が遅れ、このころはまだ原稿の遅れよりも版元の事情だったと思うが、山形までだった新幹線が新庄まで延伸したので急遽その補正をしたとある。

上野から下北半島の恐山までの、峠の力餅やすき焼き弁当を食べながらの、のどかな旅だった。

「2000年スピード乗り継ぎ」は新庄延伸を踏まえた東京から青森の特急早乗り、「思い出の武蔵野線」は1973年のレイルウェイ・ライターとしてスタートした時に開業した武蔵野線の今昔を探る旅だった。

過去の作品では「45時間半・日本縦断特急の旅」は1972年の鉄道百年の記念企画。国鉄最南端の西大山駅から最北端の稚内駅までの早乗りルポだった。この時は鹿児島から岡山まで寝台特急が走っている時代で、45時間半かかった。
ちなみに東北新幹線と夜行の快速はまなすが運用されているときが25時間51分の最短だったが、はまなすがなくなって現在は30時間42分と所要時間は遅くなる。
種村氏は何回かこの早回りに挑戦していた。

これらのタイムリーな記事は今となっては昔話にも記録ならず、私のように往時を知っているものが懐かしむ程度である。しかしエッセイはその類ではない。

「記憶」は1971年の国鉄部内誌の記事だ。
幼いころ車掌に憧れた。しかし車掌にはなれなかったという書き出しで、車掌さんの思い出をつづっている。
1日間違えて指定席に乗ってしまった老婆と孫。車掌は空いている調整席に案内し「安心して乗っていてください、損料は取りませんから」と坊やの頭を撫でた優しい車掌。
グリーン券を持たないで乗って来たスキー客。「好きで乗ってんじゃねえよ、駅の指示で乗ってんだ」とクレーマー客に「次の駅で降りてください」と毅然と対応する車掌。
これは今読んでもほっこりする。

1000年前の紀行文でも現代に読み継がれるものがあれば、情報鮮度は高いが1分で読み捨てられる紀行文もある。どこにターゲットを絞るか、難しいところだ。

  

  

| 読書 | 19:50 | comments(0) | - |


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