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種村直樹自選作品集4 鉄道を書く 1975−77 北海道気まぐれ列車
レイルウェイ・ライター種村直樹氏の全集にあたる自選作品集の第4巻は1975年から77年にかけての、レイルウェイ・ライターとしての活動が軌道に乗り始めた時の著作集である。

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この本は2001年11月22日に発行されたが、ちょうど1年前に種村氏はくも膜下出血で倒れた。そのためこの本の発行も遅れた。しかしその直前にこの第4巻の収録作品の粗選びも終わっていたようで、この本の収録作品は術後に調整したものである。そしてあとがきを読むと第1期全6巻という記述があり、確かに「鉄道を書く」は6巻まで出たが、第2期も構想にあったということか。種村氏の度重なる病気と版元の中央書院の倒産でそれも幻に終わった。

この第4巻のメインは「北海道」である。
書下ろしの「新・道南気まぐれ列車」は退院後の2001年の初夏に敢行された。それに1955年夏の京都大学に受かった夏休み旅行の「北海道気まぐれ列車前史」、1975年のレイルウェイ・ライターになってからの若い読者との二人旅の「北海道気まぐれ列車」の3部作である。

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「北海道気まぐれ列車」はレイルウェイ・ライター独立後の種村氏の気まぐれ旅のスタイルや、取り巻きと一緒に巡ってその素行を取り上げる著述のスタイルの原型になった記念すべき作品である。自選作品集のほかにも「気まぐれ列車で出発進行」やシグナル社「北海道気まぐれ列車」でも出版されているので、種村ファンには比較的目に触れる機会も多い作品と思う。

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1975年6月の「北海道気まぐれ列車」は事務所のバイト君でもあった読者の辻聡氏(当時一橋大学)との二人旅で、北海道ワイド周遊券を5月の冬季割引期間中に購入しての2割引きの旅だった。
客車列車で巡る大まかなコースは決めているものの、宿も行先もその時任せ。人づてに話を聞いて面白そうならそこで降り、そちらに向かう気まぐれ旅だった。

初出は「旅と鉄道」1975年秋の号「旅を楽しくする実践講座」で、紙幅の都合もあり、かなりはしょった記述になっている。そのため、文体も他の作品と異なっている。実業之日本社/講談社文庫の「気まぐれ列車の時刻表」およびシグナル社の「北海道気まぐれ列車」に掲載されたルポは翌1976年の旅も加筆してあり、より詳しく旅の内容が分かる。

むしろハイライトは「北海道気まぐれ列車前史」だろう。前史と名づいているのは後付けであり、1975年の旅があったから、学生時代の忘れられない旅を振り返り、それを「前史」としたのだ。
こちらの初出は変わっている。読者の一人の山口晴好氏が主宰する「夢いっぱいの会」のガリ版刷りの会誌「オリオン」に寄稿した作品であり、5回に分けて連載された。
プロがこのような会員誌に寄稿することも、会員誌に5号も連載することも、ということは会員誌が5号以上も続いたことも、今からは想像しがたい出来事であるが、それは現実だった。

1955年、中学時代の同級生で現役で東京大学に受かっていた横田氏と北海道を巡った旅で、飯盒持参の自炊、宿を尋ねた人の家に泊めてもらったり、その家の紹介で別の土地に泊まったり、列車内で知り合った人の家に泊まったりの、今からは信じられないおおらかで心の豊かな時代の旅が再現されている。宿もバンガローだったり番頭の寝室だったりと、金のない学生ゆえの破天荒な施設が出てくる。
私はユースホステルや国民宿舎に何度となく泊まったけれども、それらの登場前の旅だった。
「前史」はまさに冒険に近く、今ならユーラシア大陸横断に匹敵するような旅だったのだろう。この旅行で種村氏は自然と旅の極意を学んだ。



この作品を読んで、いやでも脳裏に浮かぶのは串田孫一氏の「「北海道の旅」である。1962年と、種村氏の前史から7年後の旅もほぼ同じで、まだ馬が交通機関の開拓の血が生きている北海道の姿が蘇る。
串田氏は現地で知り合った朝倉君と二人で回るが、特に連絡先を聞くでもなく別れる。
大勢の取り巻きと回る種村氏と好対照で、手に入るならぜひ読んでほしい一冊だ。

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「昔はよかった」
と老人は言う。明日のダイヤ改定で消える列車、増える列車などがあるが、新型コロナウィルスで減便が予定されている。だが、長距離鈍行が当たり前で、人々の生活に国鉄がしっかり根付いていた時代、人と人とが助け合い、見ず知らずのその場であった人を家に泊める鷹揚さがあった時代。
今の若い人は
「うざったい」
と言うのだろうが、その時代をちょっと知っている私は幸せなのだろうか。

この「前史」で種村氏たちは多くの人々のお世話になり、手紙が続いたり会いに行ったりもした。
「気まぐれ列車で出発進行」の末尾には「人生には無数の出会いがある。その全てをつなぎとめておくことは不可能だ。しかし今、あらためてペンを執ってみると、通り過ぎてしまった出会いのひとつひとつが、宝石のように輝きを増してくる。それぞれに手がかりがあるのだし、この本を刊行したら、できるだけ早い機会に、この方々や関係者をたずね、感謝の意をこめてお渡ししたいようにも思う。その反面、このまま自然に任せておいたほうがいいのではないかという意識もある。何度か考えて、結論を出したい。」
と結んでいる。そして種村氏は自然に任せた。

だが、種村氏の没後に私が書いた「贋作・北海道新幹線気まぐれ列車」にはこれらの人々に会う伏線回収を施しておいた。



   
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