2004.07.29 Thursday
祖父の残像3 2004/07/29(木)雨
あなたはおじいちゃんに遊んでもらった記憶がありますか。
それはいくつまででしたか。
私の父方の祖父は私が1歳半の時に亡くなったのでまったく記憶がない。かろうじて残った写真と父母らの会話から、たいへんかわいがられたそうだ。
母方の祖父は物心が付いたときには寝たきりで、格別遊んでもらったことはなかった。
うちの子は父に正月遊びや遊園地に連れて行ってもらったりしたので、まだよかったと思っている。
父方の祖父は、明治25年(1892年)に瀬戸内海の小島で生まれた。少年時代に勉学のために上京し、就職後は仕事の関係で大陸を含めて全国を点々とした。50歳になろうとする昭和15年(1940年)に九州に単身赴任をし、暇に任せて「思い出の記」という半生記を書いている。このノートがまだ残っている。
文語体で書かれたこの書は、幼児期から就職後にいたるまでの、簡単に言えばいたずら自慢のエピソード集だが、祖父の人に愛し愛された人柄がよくわかり、口語訳中である。そして、住んだ数多くの家や土地の詳細な見取り図・地図が記載されている。40年前の記憶をたどって描いているはずだが、恐ろしく精巧で、空中写真と比べても遜色ない。
祖父が幼年時代をすごした島はどうなっているのだろう、この地図に描かれた家は残っているのだろうか。
そこで、瀬戸内海の出生地へ行ってみた。
驚くことに路地はもちろん、祖父の生家も残っていた。とうの昔に人手に渡っていたが家は残っていた。祖父は恐らく戦後は一度も帰省していないし、東京生まれの父は生涯訪れることがなかった、祖父の生家。逆算すると江戸時代に建てられたのではないか。今は改修されており、充分立派な建物である。
内部を見せていただいた。今では住居としては使用しておらず、物置状態だったが、祖父の書いた見取り図どおりの配置で、畳や家具は入れ替わっていても柱や梁は祖父の時代のままだから、そこには祖父のぬくもりが残っているかもしれなかった。
周囲の家の多くは人手に渡ったり無人化していたが、それでも往時から住み続けている人もおり、素朴な島だったからこそ変わらぬ風情のまま、時だけが過ぎているのだった。
旅好きの私にとって、祖父の書を「解読」し、その地を訪ね、書と照らし合わせるのは、単なる旅では得られない、無常の喜びと楽しみだった。
ふと思った。
「おじいちゃんはぼくと遊んでくれているんだ…」
死してなお、孫の私に楽しみを与えてくれる祖父の偉大さに改めて感動し、尊敬し、幸せを感じるのだった。
-------2020年2月9日 CD-Rにバックアップしていた過去ログから投稿。
北川宣浩-今日の出来事-
したこと、見たこと、思ったこと。
というタイトルの、@niftyのココログを使ったブログ記事はここで終わっている。そして2004年12月31日からyaplogと言うブログシステムで再開している。
結局は自分の記録なので、インターネットアーカイブおよびCD-Rに保存されていたログを、手動でこのJUGEMに取り込んだ。
2002年ごろは@niftyの日記システムでたんたんとその日にあったことを書いているが、2004年ごろから読者を意識した内容や書き方になってきた。
18年の間、いろいろなことがあったが愚かな人生の恥さらしとして残しておきます。ありがとうございます。
それはいくつまででしたか。
私の父方の祖父は私が1歳半の時に亡くなったのでまったく記憶がない。かろうじて残った写真と父母らの会話から、たいへんかわいがられたそうだ。
母方の祖父は物心が付いたときには寝たきりで、格別遊んでもらったことはなかった。
うちの子は父に正月遊びや遊園地に連れて行ってもらったりしたので、まだよかったと思っている。
父方の祖父は、明治25年(1892年)に瀬戸内海の小島で生まれた。少年時代に勉学のために上京し、就職後は仕事の関係で大陸を含めて全国を点々とした。50歳になろうとする昭和15年(1940年)に九州に単身赴任をし、暇に任せて「思い出の記」という半生記を書いている。このノートがまだ残っている。
文語体で書かれたこの書は、幼児期から就職後にいたるまでの、簡単に言えばいたずら自慢のエピソード集だが、祖父の人に愛し愛された人柄がよくわかり、口語訳中である。そして、住んだ数多くの家や土地の詳細な見取り図・地図が記載されている。40年前の記憶をたどって描いているはずだが、恐ろしく精巧で、空中写真と比べても遜色ない。
祖父が幼年時代をすごした島はどうなっているのだろう、この地図に描かれた家は残っているのだろうか。
そこで、瀬戸内海の出生地へ行ってみた。
驚くことに路地はもちろん、祖父の生家も残っていた。とうの昔に人手に渡っていたが家は残っていた。祖父は恐らく戦後は一度も帰省していないし、東京生まれの父は生涯訪れることがなかった、祖父の生家。逆算すると江戸時代に建てられたのではないか。今は改修されており、充分立派な建物である。
内部を見せていただいた。今では住居としては使用しておらず、物置状態だったが、祖父の書いた見取り図どおりの配置で、畳や家具は入れ替わっていても柱や梁は祖父の時代のままだから、そこには祖父のぬくもりが残っているかもしれなかった。
周囲の家の多くは人手に渡ったり無人化していたが、それでも往時から住み続けている人もおり、素朴な島だったからこそ変わらぬ風情のまま、時だけが過ぎているのだった。
旅好きの私にとって、祖父の書を「解読」し、その地を訪ね、書と照らし合わせるのは、単なる旅では得られない、無常の喜びと楽しみだった。
ふと思った。
「おじいちゃんはぼくと遊んでくれているんだ…」
死してなお、孫の私に楽しみを与えてくれる祖父の偉大さに改めて感動し、尊敬し、幸せを感じるのだった。
-------2020年2月9日 CD-Rにバックアップしていた過去ログから投稿。
北川宣浩-今日の出来事-
したこと、見たこと、思ったこと。
というタイトルの、@niftyのココログを使ったブログ記事はここで終わっている。そして2004年12月31日からyaplogと言うブログシステムで再開している。
結局は自分の記録なので、インターネットアーカイブおよびCD-Rに保存されていたログを、手動でこのJUGEMに取り込んだ。
2002年ごろは@niftyの日記システムでたんたんとその日にあったことを書いているが、2004年ごろから読者を意識した内容や書き方になってきた。
18年の間、いろいろなことがあったが愚かな人生の恥さらしとして残しておきます。ありがとうございます。