2005.12.31 Saturday
2005年は濃度3倍の年だった
2005年も残り1時間を切った。
今年を振り返って、一言で言うと濃度(密度)が3倍の年だった感じがする。
悟ったもの、得られたもの、失ったものもあった。
4月9日の祖父の49回目の命日に、自分の残りの人生があと1年だったらどう生きるか、それを考えて懸命に生きてみようと思った。
しかし悟ったのは60代で亡くなった祖父以上に自分は短命だろうということだった。床に伏せる機会が増えた。ならばなおさら残り少ない人生を密度を濃く生きなければならない。
自分の能力の限界を改めて悟り、それでも新たな世界にわずかな才能のつぼみを開けたのは、今年の数少ない得られたものであった。
二人の子供たちはそれぞれ上の学校へ上げることが出来た。
仕事は散々だった。もともとの人嫌いが余計に増幅し、人と交わらないで暮らす道を見出そうと懸命になり、候補とした2つのうちの1つは掴んだ気がする。
欲しいものは金で買えるならすぐ得るようにした。私の欲しいものなど、かわいいものである。会社は買う気はない。
ノートパソコン、デスクトップパソコン、ハイビジョンビデオカメラ、デジタル一眼レフカメラ、32型ハイビジョンテレビ、19型ハイビジョンテレビ、食器洗い乾燥機、浄水器付き蛇口、そのほか昔から欲しかった本や祖父が暮らしていたころの古い写真などを得ていった。
だから今、欲しいものはない。
こうやって、ひとつひとつを噛み締めて生きてきたから、例年の3倍の濃度だったと思える。
来年はどうせ今年よりロクでもない年だろう。大きな期待をしないで、死なない程度にがんばって、今の瞬間を大切に、今日出来ることを明日に延ばして明日に思いを馳せて生きていきたい。
今年を振り返って、一言で言うと濃度(密度)が3倍の年だった感じがする。
悟ったもの、得られたもの、失ったものもあった。
4月9日の祖父の49回目の命日に、自分の残りの人生があと1年だったらどう生きるか、それを考えて懸命に生きてみようと思った。
しかし悟ったのは60代で亡くなった祖父以上に自分は短命だろうということだった。床に伏せる機会が増えた。ならばなおさら残り少ない人生を密度を濃く生きなければならない。
自分の能力の限界を改めて悟り、それでも新たな世界にわずかな才能のつぼみを開けたのは、今年の数少ない得られたものであった。
二人の子供たちはそれぞれ上の学校へ上げることが出来た。
仕事は散々だった。もともとの人嫌いが余計に増幅し、人と交わらないで暮らす道を見出そうと懸命になり、候補とした2つのうちの1つは掴んだ気がする。
欲しいものは金で買えるならすぐ得るようにした。私の欲しいものなど、かわいいものである。会社は買う気はない。
ノートパソコン、デスクトップパソコン、ハイビジョンビデオカメラ、デジタル一眼レフカメラ、32型ハイビジョンテレビ、19型ハイビジョンテレビ、食器洗い乾燥機、浄水器付き蛇口、そのほか昔から欲しかった本や祖父が暮らしていたころの古い写真などを得ていった。
だから今、欲しいものはない。
こうやって、ひとつひとつを噛み締めて生きてきたから、例年の3倍の濃度だったと思える。
来年はどうせ今年よりロクでもない年だろう。大きな期待をしないで、死なない程度にがんばって、今の瞬間を大切に、今日出来ることを明日に延ばして明日に思いを馳せて生きていきたい。