川べりで少女の遺体が見つかったのは、まだ残雪がある4月だった。東北の山深い静かな町に普段は事件らしい事件もない。人々は見知らぬ旅人にもすれ違うと挨拶をするというのどかな町だ。
少女の自宅近くの川原に足を滑らせた跡があり、少女が好きだったというきれいな石がその付近で採れたため、警察は、川で石を採っているときに間違って足を滑らせ10kmほど流されて溺死したのだろうと事故死の判断した。
しかしその途中には堰が2箇所あり、そこを通過したはずなのに着衣は乱れておらず遺体も傷がなくきれいだった。
5月中旬、同じ地域に住む年下の少年が姿を消した。翌日、10km離れた川沿いで首を絞められて死んでいる少年が見つかる。あきらかに事件だった。しかもこの場所は冬期閉鎖で、つい何時間か前にゲートがひらいたばかりだった。
下校後、自宅手前の三叉路で、友人とその母親と別れて家に向かったが、家に帰ってはいなかった。家まで80mしかないのに、誰も叫び声も物音も聞いていない。
顔見知りで地元民の犯行と思える。
しかし最大の謎は、少年の家は少女の家と間1軒を挟んだ至近にあり、少年と少女は交流があったのだ。
短期間のうちにこれだけ近くに住む子供二人が不審死を遂げるだろうか。
少年が最後に目撃された三叉路との位置関係は、三叉路、少女の家、間の家、少年の家の順だ。
少年は家に帰るとき、いやでも少女の家の前を通る。
そのとき少女の家の扉が開いた。
「あら、おかえりなさい。久しぶりに寄っていく?お菓子があるわよ」
「うん」
「おばさんねぇ、おねえちゃんがいなくなってから淋しくて…」
少年は布状のもので首を絞められた。たとえばもがいたときに相手の腕をひっかくときの証拠である皮膚片は爪になく、抵抗した模様はまったくなかったという。恐らく背後から一気に襲ったのか。さらに念を入れもう一度絞められている。
付近の家は「窓を開けていたが何も物音はしなかった」と言う。
その後、黒い布にくるまれて放置現場に運ばれた。少年の身体に無数の黒い繊維があったという。またランドセルから複数の指紋や少年のものではない髪の毛も見つかっている。現場では発見者の男性の足跡のほか、「小さな」足跡も見つかった。
少女の母や祖母は、少女の死に納得がいかなかった。警察に再三話したが取り合ってくれない。少年の事件後、二人はマスコミの取材に応じ「水がキライで一人で川に行くことはありえない」「10km流されたのに服がきれいだ」と語る。たしかに少女の溺死は不自然で納得できない点も多く、元監察医もそれを指摘している。
警察も少年の事件を契機に、少女の件を事故・事件両面から捜査を継続していると、歯切れの悪い回答をし、現に再捜査を始めた。
さらに母は「(少年の事件の)10日から2週間くらい前、家の脇に不審な車が止まっており、中にいた男に聞くと携帯電話の電波を調べていると言った」とマスコミに話す。各社の携帯はバリ3なのに。不審者が登場したことを匂わす。
母親は離婚して少女と二人でこの新興住宅地に越してきたと言う。
母親はどこか負い目を感じている。世間は普通に交流するかもしれないが、母親は小さなことを誤解・曲解する。
2軒隣の家が「お嬢さんがうちの子と遊んでるビデオがありました」とテープを持ってきたけど、「何よ、当てつけなの」。
突然の娘の死。警察は事故と言う。母親は文字通り一人になり、世間からまったく隔離されたことを知る。
そういえばあの2軒隣の家も私たちのことを…。
もし同じような状況で子供が死ねば、娘のこともちゃんと再捜査してくれるだろうか。
だったらあの家の子を…。