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関口知宏が行く ヨーロッパ鉄道の旅
NHKBShiでは「関口知宏が行く ヨーロッパ鉄道の旅」を2日連続で放送する。
7月10日(月) 後9:00〜10:50 イギリス
7月11日(火) 後9:00〜10:50 スペイン


関口知宏クンは、今や司会者として不動の地位を築いた関口宏と「アカシアの雨がやむとき」のヒットがある人気歌手西田佐知子夫妻のボンボンで、ご両親から名前を1字ずつ取った愛情あふれるお子さんだ。

これまで俳優や歌手としてデビューをしていたが目だった活躍はなかったと思える。が、一昨年からのNHK「最長片道切符」「乗りつくし」番組で一躍脚光を浴びた。その後もNHKのドラマに出演している。

演技も歌も今ひとつで、それぞれ単独のプロとしては親の七光りとは言え厳しいと思うが、絵を描くのもうまく多彩でくったくのない人柄が受けるのだろう。この手の番組キャラにはぴったりだ。しかもヒマでも苦労をしない境遇らしく、長期間の取材旅行をこなしている。

  
| 映画・テレビ | 19:53 | comments(1) | - |


方言ブーム
最近は方言ブームだそうで、女子高生が各地の方言をミックスした言葉をしゃべるとか、テレビでも方言をテーマにした番組が人気だとか、方言が脚光を浴びている。

そのせいか、最近方言にちなんだ仕事が多い。もともと観光関係の仕事が多いのでその流れだろう。方言も観光資源であり、その地に伝わる民話を老婆が囲炉裏端で方言で語る…なんてアクティビティは人気があり、涙を流しながら聞きほれる若い女性もいるそうだ。

方言を調べていると、同じ単語や表現に、同じ日本語でありながらかくも豊かに多様に表現があるのかと感銘を受ける。

しかしながら昔は方言は差別の対象だった。
私が小学校の頃、テレビの影響で大阪弁はおもろい言葉という認識だった。吉本新喜劇をテレビで見て、面白おかしく演じる芸人と大阪弁が一致したのだ。
あるとき、大阪から女の子が転校してきた。彼女の大阪弁にクラス一同が笑った。大阪弁は漫才のセリフと思っていたのだ。彼女は真っ赤になり、しばらくしゃべることはなかった。また、東北弁をからかわれて自殺した若者もいたらしい。「東北弁」ならまだよく、「ズーズー弁」とも呼ばれていた。

方言が愛され誇りに思われるようになるまで、さまざまなドラマがあった。

  
| 日記・つぶやき | 19:52 | comments(0) | - |


旅行郵便貯金マニア
CSでこんな番組があるのを発見。
昔見たテレビでは姉妹の旅行貯金マニアがいたけど、いくら貯まったかな。

▼山田五郎アワー「新マニア解体新書」
#16
06/28 深00:00〜深00:30 MONDO 21(279ch)バラエティ 
 こんなマニアいたんだと、山田五郎もびっくり仰天!己のマニア道をとつとつと語り山田五郎の突っ込み、共感、驚きを得てきたマニアたちの「憩いの場」がさらにパワーアップして登場!
#16 【旅行郵便貯金マニア
 鉄道マニアなら誰でも知っている『旅行貯金』。正式には、『旅行郵便貯金』が正式名称であろう。ただ、電車に乗って乗りつぶすのは勿体無い。思い出を何か記録に残したい・・・。日本全国各地、どこにでもある郵便局。観光地でない地に足を運ぶというのも『旅行貯金』の楽しみだ。更に、旅行をしながら貯金をする。今までに行った郵便局は1万局以上!一体幾ら残高があるのか!?国鉄・私鉄とも全駅制覇した『轟 文明』が次の目標にしたのが、全局制覇!旅行郵便貯金の魅力を思う存分語り尽くして頂く。



///////////

見ました。
轟文明(とどろき・ふみあき)さんという会社員の方。やはりベースは鉄っちゃんで、旅行貯金関係の本を読み決意。1万局以上の訪問は全国の郵便局2万局のほぼ半分でこれはすごいこと。テレビ用に群馬県の松井田近辺を巡る様子が映されていましたが、鉄道と路線バス主体で移動していたので、かなりムダが多いと思う。やはりレンタカーでないと厳しいだろう。全局目指すというが、その間にも廃止や新設があり、どうなるかな〜。
| 映画・テレビ | 12:45 | comments(2) | - |


mixiになれなかった@nifty
いっしょに北京に行ったS先生はmixiを楽しんでおり、私の持参したノートパソコンを使って夜な夜な書き込みやその返事をしていた。

ちゃんとした資料が手元になくて申し訳ないのだが、mixiの会員数は400万人を超え、アクセスはヤフーに次いで2位、バナークリック率はヤフーの倍と、短期間で立派なメディアに成長した。当初は「紹介がないと参加できないなんて、オープンなインターネットらしくない」と思っていたけど、それが逆に当たった。

私のブログは1日350PV、1ヶ月で1万PVを超える、無名の個人としてはそこそこのアクセスがあるのだが、付くコメントは誤字の指摘、トラックバックはエロサイトの宣伝と、まったくもってコミュニケーションがなってない。もっともRSSリーダーで長年読まれている愛読者の方もいらっしゃるし、発言内容を別の掲示板に引用してくださる方もいて、話題を心待ちにされているのがわかるが、コメントで対応する気はないらしい。

先生のmixiブログは1ヶ月に2件程度しか更新がないのだが、コメントたるや一晩で10以上ついて、人格の違いを知らされる。先生に言わせるとマイミクに直接知っている人をお友達として多数登録しているため、閲読やコメントが多いとのコト。でもこっちだって私と知ってブログを読んでいる人も多いはず。メールや直接会って感想を言われたことも多々。ならばコメントやトラックバックでもよさそうなのだが…。

今やかつての同級生や恋人とmixi上で再会するケースも少なくないらしい。社内でもかなりの数の者がmixiを利用しているから、裏会社ができているかもしれん。

ところで、mixiの隆盛は喜ばしいけれど、どうにも情けないのは大昔から利用している@niftyである。
ココログというブログシステムをいち早く導入したのはいいけれど、トラブル続きでユーザー離れをしているようだし、@niftyの資産でもあったフォーラムというコミュニケーションサイトは、mixiのようなSNSに発展させられる土壌があったのにもかかわらず、事実上の廃止にしてしまった(まだあるけど…ね)。

かつてのパソコン通信全盛時代は@niftyのフォーラムを通じて多くの素晴らしい友人に知り合えたし、高級出会い系よろしく結婚につながった友人も多かった。
入会も、シスオペと呼ばれる管理者の承諾を得てからのフォーラムも多く、mixiのコミュに近い雰囲気があった。

@niftyのフォーラムは活発かつ大きな組織であったから、それを転用するのがままならず、思い切って捨ててしまったのかもしれないが(まだあるけど)、もう少し冷静にマーケティングをすれば、フォーラムがどれだけ今後も@niftyに貢献できたかわかったろうに。

  
| パソコン・インターネット | 20:31 | comments(0) | - |


北京駅で昭和30年代上野駅を忍ぶ
北京出張の最終日の25日午前、地下鉄を使って国鉄北京駅まで行ってみました。

北京駅

広くて大きい北京駅は立派でしたが、むしろそこに群がる人の方に関心が行きました。

北京駅の人々

おそらく一夜を駅前で明かしたのでしょう、疲れ果てて荷物の上で寝ている人々。見れば荷物の多くは麻袋に入れられています。袋に入れて荷を運ぶのは、今の日本ではあまり見かけません。あって紙バッグでしょう。

まさに昭和30年代の日本

かつて、東北の玄関口と言われた国鉄上野駅では、こういう光景が毎日のように見られたのだと思います。土色に焼けた男や女が、大きな荷物を抱えて夜行列車に揺られて上京し、上野駅から電車に乗り換えて蒲田の町工場に向かったり、手配師に声をかけられて労務者として山谷に行ったのでしょう。上野駅の光景を直接見たわけではないのですが、それを髣髴させる姿がここにありました。
進駐軍のアメリカ兵たちは、戦争に負けて自信を失い、呆然と佇む小さな浅黒い日本人たちを見て、どう思ったのか、想像は広がります。

中国の市場

さらにホテル近くの市場に行くと、そのエネルギッシュなパワーに圧倒されました。多くの客、多くの店員、そして生鮮品である肉と魚は見たこともないとんでもないグロテスクな品が並んでいます。
生々しい肉、蠢く虫…。彼らはこれらを普通の食品としておいしく食べているのです。これまた進駐軍は日本人の粗末な食生活、植物の根や生の魚を好む食生活を目の当たりにして、どう感じたのでしょうか。そんなことを考えてしまいました。

中国の乞食

そして極めつけは市場の前の歩道に横たわり、奇声を発している足の曲がった男でした。
身障者の物乞いは韓国のソウルやパリの地下鉄でも見たことがあり、私の目に別段珍しくはないのですが、身障者の物乞いは昔の日本でも見たことがなかった。あるのは、傷痍軍人と呼ばれた、戦争で手足や目を失った元兵隊たちの寄付を募る姿です。
傷痍軍人は白い病院服のような浴衣を着て頭に軍帽をかぶり、松葉杖を突いたりしながら、アコーデオンやハーモニカのもの悲しい音色で軍歌などを奏でて、寄付を乞うていました。彼らは傷痍軍人会という組織があったようですが、昭和も終わりに近づくと傷痍軍人自体の数が減り、実は交通事故で足を失った人なども中には混じっていたそうです。

ソウルで韓国人に聞いたのですが、身障者の乞食も実は組織だっており、元受がいてそれらが身障者を集めて物乞いをさせているのだとか。寄付された中から一部だけを彼らに与えているそうです。
おそらく中国でも同じでしょう。

S先生は横たわる男の髪の毛を見て、これも手配師による身障乞食だ、なぜなら髪の毛がこざっぱり刈られていると、独特の視点で分析していました。
| 旅行・鉄道 | 00:12 | comments(0) | - |


中国のドアなしトイレ
一週間におよぶ台北&北京の出張から帰ってきました。

最終日は疲れ果てて踏み込んだ記事が書けなかったので、まず一番の思い出の中国のトイレについて書きます。

24日は1日中市内観光をしました。現地ガイドのショウさん(若い女性)の案内で天安門広場から故宮博物院(紫禁城)を巡り、昼食まで時間があるので彼女がしきりに「胡同(ふーとん)行きませんか。三輪車で町を巡って民家に入ってお茶を飲みます」と勧めます。
三輪車とは自転車の後に2人が座れる椅子があるリクシャーのことで、日本の人力車の人力部分が自転車になっているもの。人を乗せて運ぶ自転車は市内の各所で普通に走っているのを見ているので、埃っぽい町をそんなもので走ってもしょうがないだろうと何度も断ったのですが、彼女はしきりに勧めます。聞けば一人200元(3000円)とのこと。

こういう追加観光分が彼女の成績につながるのはわかっていたので、しょうがないので三輪車に乗ることにしました。

すると三輪車は古い家が並ぶやたら狭い道を走り、辻から辻へと曲がります。民家の前ではご婦人が腰掛けてとうきびの皮をむいていたり、腹を出した親父がくつろいでいたりと、それなりに楽しめるのです。

胡同

日本語のできる胡同専用のガイドさんが自転車で後を走り、要所要所で説明してくれたのですが、胡同は「町並み保存地区」で、ワザと古い家を遺しており、観光用に三輪車で巡って楽しんでいただくものと知りました。
ガイドのショウさんは歴史的な町並みとの説明をしなかったので私たちは渋っていたのですが、ちゃんと説明すればすぐにも三輪車に乗ったのに。

そして自転車は古い民家に止まり、ガイドさんの案内で中に入ると、中庭のあるそれは素敵な昔の中国の家でした。
麦茶を飲みながらそこのご主人の話を聞いて、日本でもそうですが、古い家を残して観光用に開放するのはタイヘンなことだと改めて悟りました。

胡同の民家の中庭

しばし民家を見物し、外に出てS先生がトイレを所望したので目の前にあった公衆便所に入りました。
するとそれはウワサに聞いていた中国の便所。大用のドアのない、腰までの仕切りしかない和式ならぬ中式便所だったのです。

中式便所
中式便所

高さがあるので狙いを定め気をつけて小用を済ませていると、ドタドタと男があわただしく入ってきました。そして私たちの間の仕切りに入り込むとおもむろにベルトを外しズボンを下ろし、しゃがみこみました
最初は何のことかわからなかったのですが、中国人の彼は正規の利用方法を実施しているに過ぎなかったのです。

そしてプゥ〜と放屁一発。ボトボトボトと放便したのです。

あまりの突然の出来事に、私たちは笑いを堪え外に出ました。すると奥に壁にステンレスを貼って下に尿路を設けた小用の場所が別途用意されていました。私たちは大用に入っていたのです。

しかしながら、うわさに聞いていた中式便所の使用場面を真横で体感することができ、これはショウさんの言うことを聞いてよかった、これこそが真の中国の姿だと大感動したのです。

まさかショウさんの仕込みじゃないよなと、帰途の三輪車で私たちは再度大笑いをしたのでした。
| 日記・つぶやき | 23:20 | comments(0) | - |


北京市内観光
今日は北京市内を観光した。

私の仕事は、外国から日本へ来ていただくインバウンドが主なのだが、日本人が海外旅行をするアウトバウンドも一部はかかわっているので、今日はアウトバウンドとしての視察の位置づけだ。

朝8時にホテルを出発。こういうときは他のツアーの人たちと混乗するケースも多いのだが、私とS先生の二人のみ。フォルクスワーゲンサンタナに乗り込んで、運転手とガイドのショウさんにお世話していただく、豪勢な観光となった。

紫禁城
↑紫禁城の大和殿など主要な建物は、北京五輪を控えて改修工事中のため見られない。

雨の天安門広場、映画ラストエンペラーで見た故宮博物院(紫禁城)、古い町並みを保存してある胡同(ふーとん)を三輪車で巡るミニツアー、そして小学校の教科書や地図帳以来のおなじみである万里の長城(八達嶺)北京ダックの夕食と、盛りたくさんの内容だった。

万里の長城

夜は部屋に足つぼマッサージを呼んで至福のひととき。
本当はいろいろ書きたいことが山のようにあるのだが、最終日とあって疲れ果てており、要旨のみとする。詳細はあとで。

明日日曜日の午後の便で帰国。長いアジアの旅だった。
| 日記・つぶやき | 21:42 | comments(0) | - |


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