2007.07.29 Sunday
旭山動物園、三本足のホッキョクグマ
大人気の北海道旭川市の旭山動物園。今日も込んだんでしょうね。
なかでもホッキョクグマ(シロクマ)館は大人気で、水槽のガラスめがけてダイビングする姿を見るのは、込んでいて見るのは至難の業らしい。
ところで今から約30年ほど前、片足(片腕?)のホッキョクグマの子供がいたのを知っている人は、古い旭川市民だ。このころは旭川の人しか行かなかったからね。
そのホッキョクグマはコロというオスだった。彼の左前足は父親に噛み千切られたのだ。
1975年(昭和50年)5月17日、時の園長は前の園長の葬儀に出席していたが、驚くべき知らせを受け急遽旭川に戻る。前年の1974年(昭和49年)10月に生まれたホッキョクグマのコロが、父親であるシロウに左前足を噛み千切られ、水槽に落ちて瀕死の重傷であると。
これはホッキョクグマの習性だった。オスは繁殖のためならその邪魔をするものをすべて敵とみなし、それが子供であったとしても母熊にまとわりついていたら殺すこともあるという。小熊のコロは父親にじゃれたのだろうか、自分の檻から父親の檻へ前足を出したところ、父熊はそれを噛み千切ってしまったのだった。
コロはプールに逃げて水は赤く染まり、そのため出血が激しく、ようやく回収したものの手術は困難を極めた。
けれども献身的な看護と驚異的な生命力で一命を取りとめ元気になった。
園長は、このようなホッキョクグマの習性を知っていたにも関わらず、身体の一部が檻の外に出るような構造にしていたことを悔やみ、反省し、コロにわびた。
その後、コロは三本足のホッキョクグマとして旭川の子供たちの人気者になった。1987年にはお嫁さんコユキを向かえた(残念ながら子供はできなかった)。1989年には父親のシロウが死んだ。
コロは一人暮らしをしていたが、1990年(平成2年)4月に15歳で死んだ。
この話はとても動物らしく、これだけ旭山動物園のホッキョクグマが人気であるならなおさら、自然の残酷さと生きていくための厳しさのエピソードとして人々は知るべきだろう。
旭山動物園ホームページ 開園40周年のコーナーに記事がある。
なかでもホッキョクグマ(シロクマ)館は大人気で、水槽のガラスめがけてダイビングする姿を見るのは、込んでいて見るのは至難の業らしい。
ところで今から約30年ほど前、片足(片腕?)のホッキョクグマの子供がいたのを知っている人は、古い旭川市民だ。このころは旭川の人しか行かなかったからね。
そのホッキョクグマはコロというオスだった。彼の左前足は父親に噛み千切られたのだ。
1975年(昭和50年)5月17日、時の園長は前の園長の葬儀に出席していたが、驚くべき知らせを受け急遽旭川に戻る。前年の1974年(昭和49年)10月に生まれたホッキョクグマのコロが、父親であるシロウに左前足を噛み千切られ、水槽に落ちて瀕死の重傷であると。
これはホッキョクグマの習性だった。オスは繁殖のためならその邪魔をするものをすべて敵とみなし、それが子供であったとしても母熊にまとわりついていたら殺すこともあるという。小熊のコロは父親にじゃれたのだろうか、自分の檻から父親の檻へ前足を出したところ、父熊はそれを噛み千切ってしまったのだった。
コロはプールに逃げて水は赤く染まり、そのため出血が激しく、ようやく回収したものの手術は困難を極めた。
けれども献身的な看護と驚異的な生命力で一命を取りとめ元気になった。
園長は、このようなホッキョクグマの習性を知っていたにも関わらず、身体の一部が檻の外に出るような構造にしていたことを悔やみ、反省し、コロにわびた。
その後、コロは三本足のホッキョクグマとして旭川の子供たちの人気者になった。1987年にはお嫁さんコユキを向かえた(残念ながら子供はできなかった)。1989年には父親のシロウが死んだ。
コロは一人暮らしをしていたが、1990年(平成2年)4月に15歳で死んだ。
この話はとても動物らしく、これだけ旭山動物園のホッキョクグマが人気であるならなおさら、自然の残酷さと生きていくための厳しさのエピソードとして人々は知るべきだろう。
旭山動物園ホームページ 開園40周年のコーナーに記事がある。