いわゆる
フリー(自由業・自営業)で仕事をしていると、組織にまみれない気軽さがある半面、通常は職場の同僚とするようなさまざまなことを一人もしくは配偶者や家族としなければならない苦労がある、と思っている。アシスタントを雇えるのはいいほうで、雇ってもその時々の
バイト君であることも多いだろう。
サラリーマンのように、周囲に常に人がいる環境でない人が、仕事の流れを本人しか理解していない人が、突然亡くなったらどうなるのだろうと思う。フリーライターやカメラマンが突然亡くなったら、取引先や遺族はどうするのだろう。その前に、どうやって訃報を知るのだろう。
友人の
フリーの経営コンサルタントが出張先の小倉で倒れ、帰らぬ人となった。講演先で倒れたなら聴衆が救急車を呼んだだろうが、講演前夜のホテルで倒れ、翌日昼にホテル側がマスターキーで部屋を開けると事切れていた。
フリーは一人でいることが多いから死ぬリスクが高いと思った。ましてや独身なら郷里の親に誰がどうやって知らせるのだろう。そもそも親の住所・電話番号を知っている人が仕事先にいるのだろうか。
戦後のLIFE誌(アメリカの写真雑誌)で活躍していた
有名フリーカメラマンが亡くなった時、組織に属していなかったからどうやって葬儀をするのか、誰に知らせるのか、奥さんは何も分からず途方に暮れていた。この先生は名を冠した賞を持っているが、そのような人でもフリーは孤独なのだ。
写真は本文と関係ありません。
IT系のライターとして活躍していた
元麻布春男氏が急逝した。パソコンがこんにちのように普及する前からのパソコン雑誌編集者で、その後フリーライターに転身。私は何度となくその記事で勉強させてもらった。
6月21日、都内で取材に向かう途中急に昏倒し、そのまま搬送先の
日赤医療センターで
虚血性心不全のため亡くなったということだ。
ITライターだから取引先はネット系ニュースサイトが多かったと思える。原稿の受け渡しや打ち合わせもメールや電話が多かっただろう。編集者とライターの関係がこのように希薄なのに、ネット系ニュースサイトでは
お悔やみ記事が多数書かれていたことに驚いた。
元麻布氏はそれだけ親しまれる人柄だったのだと思う。合掌。
メールも使えないようなレトロな作家はそれだけ編集者との接触度が高いと思えるが、亡くなった時にそれまで寄稿していた雑誌にお悔やみ記事を書いてもらえるのだろうか。
サラリーマン生活の終焉を迎えつつある今、今後も食べて行くにはフリーでやっていくしかない。しかし死ぬリスクや死んでもさびしい葬式になることを考えると、フリーでやっている人はえらいなあ、すごいなあと思うのである。