東映系で公開されている映画「
聯合艦隊司令長官 山本五十六」を観た。
予想をしていたけれど、観客はじじい主体。ゲホゲホとうるさい。
山本五十六は太平洋戦争の
英雄とされている。それは戦中においては真珠湾攻撃の立役者、戦後においては開戦に反対していた平和主義者としての姿がある。この2つは相反している事象だ。そこに山本の悩みもあり、それがよりドラマとして取り上げられる趣向となっている。
山本は1884年新潟県長岡市の生まれ。当時の多くの少年の憧れであった海軍兵学校に学び、海軍軍人としての道を歩み日露戦争にも参加している。この時の戦傷で左手の人さし指・中指を欠損した。1936年海軍次官、1939年に
聯合艦隊司令長官を拝命するエリート軍人だ。
映画は
半藤一利の監修で、彼の著作をベースにしていると思われる。
山本を演じるのは役所広司。先任参謀黒島亀人は椎名桔平、山本夫人禮子は原田美枝子で、狂言回しの東京日報記者真藤利一は玉木宏だ。玉木の役名は半藤一利から来ている。
真珠湾攻撃などのシーンはCGが多様されていて、なかなかの出来栄えだ。
最初は連戦連勝だったがミッドウエー海戦の失敗から日本は転落を続け出す。
そして1943年、ラバウル基地から兵士激励のために一式陸攻機でブイン基地へ向かう途中、ブーゲンビル島でアメリカの戦闘機P38の攻撃により墜落、
戦死する。享年60歳。
山本の巡視計画の暗号電報はアメリカに解読されており、待ち伏せにあったのだった。
ドラマでは役所広司の持ち味も出しながら、人間味あふれる山本を描いていた。
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ところで、「
連合艦隊司令長官 山本五十六」という映画がある。山本を演じたのは
三船敏郎だ。威厳の中にも人間味あふれる山本像を出していた。
古い映画ほうが連合の文字を新字にしています。
こちらは1968年の公開であり、戦後23年しかたっていないため、観客の大部分は戦争体験者であり山本の国葬映画を観た人たちも多数いたはずだ。
山本は開戦反対を唱える人物として描かれており、これは本当にそうだったのだ。
なぜなら山本は2回にわたってアメリカに行っており、アメリカの国力をイヤというほど知っていた。そのためもし日米開戦となるなら、初戦でたたき早期講和に持ち込むしかない、でなければ日本は滅びると考えていた。
ミッドウエー海戦前にも講和を考えていたが、世論は連戦連勝に浮かれておりあの時点で講和を言うものなら国賊であった。そしてミッドウエーで大敗し、講和どころでない泥沼にはまっていく。
三船映画はCGなんてなかったから模型の飛行機をつりさげての特撮だ(今のCGも模型で撮影をして画像処理をしている)。飛行機のシーンはともかく、船のシーンは水はごまかしようがないため大きなツブとなってしまっている。これは世田谷区にある東宝の
特撮用プールに模型の船を浮かべて撮影しているのであり、ゴジラが海から出てくるシーンもこのプールで撮影された。
実際に東宝撮影所でプールをみたことがある。
しかし、CGが一般化されてこのプールはなくなったと聞いている。
東宝映画と東映映画の山本のセリフはほぼ同じものもあって、これは史実に基づいての現実のセリフなのだろう。
開戦をうながす幹部に「勝てる見込みはあるのか」と問いただしたり、真珠湾攻撃直前でも「講和がいい出されたらただちに撤収せよ」というシーンなど。
現代の戦争はわずかな日数で終わる/終えると思っている人がいるかもしれないがそれは間違いだ。ベトナム戦争しかり、イラク戦争しかり。太平洋戦争以上の長期化・泥沼化するのが現実だ。
その結果、大義名分の平和はどこかに行ってしまい、結局は民間人の犠牲の山ができるだけだ。
いったん戦争に進んでしまえば、今も70年前もなんら変わりない。
戦争は国際間の最終的な解決手段と、決して思わないことである。