2012.06.30 Saturday
梅ちゃん先生 梅子(堀北真希)が抱える自己矛盾
回を重ねるにつれバカな脚本・演出に磨きがかかっている「梅ちゃん先生」。
今週は「医師の自覚」がテーマで、梅子が大学病院に疑問を抱き地域医療の関心を示すお話だった。
●姉松子が医者嫌いの姑のいる出入り業者の加藤家に嫁ぐ件
月曜日は姉松子(ミムラ)が工務店の加藤正和(大沢健)と結婚すると言い出す。
しかし前週、加藤の母昌子(根岸季衣)が帝都大学病院に入院する段になり、医者に面と向かって「病院は嫌いだ」と悪態をつく母だとわかった。
加藤は一度は松子にプロポーズしたが、母の病気が重篤になって、結婚は病人の看病をさせるみたいだからとプロポーズを撤回していたのだが、おせっかいの梅子(堀北真希)が加藤を大学病院まで呼び出して事の真相を確かめていたのだ。
梅子は入院を勧め、昌子はしぶしぶ従ったが医者は嫌いだとさらに悪態をつく。
戦時中に夫が医者から粗末な扱いを受けて死んだのを根に持っているのだ。
だが松子は昌子を見舞い、そのうち昌子から誘われるようになり、加藤が母を大事にする姿を見て加藤との結婚を決意するに至る。
けれども、誰がどう見てもあの医者嫌いで悪態をつく姑の元に、医者の娘の松子が嫁ごうとは思わないだろう。医者である父や妹や死んだ婚約者を否定しているのだ。昌子も夫の"かたき"とも言える医者一家からわざわざ嫁など取らない。この矛盾はツイッターでもさんざんつぶやかれていたことだ。
そもそも、初対面の相手の職業を嫌いだと面と向かって言うのは非常識にもほどがある。そう思っているにしても礼儀も何もあったものでない。
梅ちゃん先生にはこのような倫理観が欠如した登場人物設定が多すぎる。ドラマだからとはいえ、やりよう・書きようがあるだろう。
しかも松子の父と妹は医者で加藤は下村家の出入り業者。家の格がまだ重要だった昭和30年にこのような矛盾を抱えた自由結婚があり得るだろうか。
あり得るというなら、昌子の医者に対する確執や、家の格の問題をキチンとドラマの展開で整理して欲しい。
そもそも建造は松子を医者に嫁がせたかったはず。だから弟子の吉岡智司(成宮寛貴)や松岡敏夫(高橋光臣)を連れてきた。建造が松子が嫁に行く日に便所にこもって出てこないという、コメディで建造の心理を解決するのではない。
「医者嫌いの出入り業者に松子を嫁がせることはない!」
そしてもっともおかしく謎なのは最後の記念写真。
加藤の母昌子が映っていない。医者の娘との結婚に反対しつづけて式にも出なかったのか、病気で死んだのか、そうではないだろう。叔父の立花陽造まで一緒に映っているのだから、昌子は最低限映っているべきだ。厳密に言えば母下村芳子の兄弟や祖母正枝の縁戚もこの世には存在しているのだろうが、それらはドラマなので省略は構わないが、昌子が結婚式にいないならば、なぜあのような医者嫌いエピで登場させただけなのか、理解に苦しむ。あるいはすべて許したなら満面の笑みで写真に写っている演出が欲しい。
脚本や演出が未熟でいい加減なよい証拠である。
●梅子が急に勉強や仕事ができるようになってしまった件
朝ドラヒロインの定番とも言うべきドジっ子の梅子は、勉強もロクにできないまでも医専は卒業するし、親のコネで帝都大学病院に勤めるし、あらかじめ出来レースとは言え、とんとん拍子に出世した。
だが今週からはこれまでの梅子のキャラ設定とはまったく違った人物になってしまっている。急速にだ。こぶ平のナレで昭和29年の1年を飛ばしたことも影響しているのだろうが、梅子の成長過程を描くことがこのドラマのキモではないのか。いきなりナレで飛ばすことなのだろうか。
ちょっと触診しただけで病名を言い当てる。適した薬を処方する。難しい論文を書き建造も認める。そして助手に昇格させるという。まさにスーパーウーマンである。
バカ女梅子だったのが、スーパー梅ちゃんへの豹変ぶりだ。
確かに人は成長する。出来ない者ができるようになる。それは素晴らしいことであり、ドラマのテーマとしても相応しい。だが、これまでの梅子の出来の悪さはケタ違いであり、そもそもが「医者になる」というキャラクターから外れていた。そういうサジ加減が脚本も演出もできていない。ドジっ子ががんばって医者になった、というレベルではない。まるで別人である。
しかもそれをこぶ平正蔵のナレーション「勉強が苦手という過去はすっかり忘れたようです」で済ます。
ある人は「梅子は双子だったんじゃない?」と。下村悔子と入れ替わったか。
本来は梅子の成長をドラマで描くのがドラマだろう。くだらないコメディばかりをちりばめて肝心な成長はこぶ平正蔵のナレで済ますのも、脚本と演出がバカな証拠である。
4月5月分はなかったことにしたほうがよい。
●梅子の医療行為と今の時代感覚の件
梅子は帝都大学病院で患者を診るほか、坂田医院でアルバイトをしたり、食堂みかみで蒲田の人々の診察を始める。こういう無秩序な医療行為は当時も今も認められていることなのだろうかと、率直な疑問がある。そのためにこぶ平正蔵がいるのだが、ナレーションではまったく説明しない。「医者不足の当時は、こんなことも許されていたのです」とか。
しかも蒲田では病院ではないから薬を出せないのか「汗をよく拭いて」などとのアドバイスにとどめている。良い悪いは別にして、患者は薬をもらって医療行為を受けたと自覚する。梅子に金を払うシーンがないのは梅子は無料で医療行為をしているのだろうか。薬は処方箋を出せば当時も医薬分業はあっただろうからそれで済む。「お薬は処方箋を書いておきますから近くの薬局で買ってくださいね」と言わせれば済む話だ。
金を貰わない医者はプロではない。「カーネーション」の父善作は、洋裁の金をもらわなかった糸子を責める。それは当然だ。梅子はいつまで善人ぶるのだろう。
●「お話だからいいんじゃないんですか」で済まさない松岡の件
松岡と梅子は幼馴染の信郎とその恋人の咲江と4人でダブルデートに出かける。「最終列車」という恋愛ものの洋画を見たようだ。その後喫茶店で4人で話すが、松岡は映画の矛盾点を指摘する。
あのなー、このブログはおまえの矛盾点をさんざん指摘してやってるんだぞ。
呆れた咲江が「お話だからいいんじゃないんですか」とたしなめると「よくないでしょう」とさらに食い下がり「作品を正しく鑑賞するには細部をよく検討しないと」。
そうだろ、これまでこのブログでずっと言い続けてきたことだよ。小原糸子なら「どの口が言わすんじゃ」と激怒するところ。
震災復興とか地域医療をめざす少女とか、大上段に振りかざすなら細部をもっとしっかり固めろ、リアリティがなければ重いテーマは伝わらないとさんざん書いてきたし矛盾点をいくつも指摘してきた。だが6月も終わりでほぼ半分が終わってこの調子なんだから、「梅ちゃん先生」はこれだけの自己矛盾を抱えたまま最終回になるのだろう。
なお、今日は父建造が倒れたけれどまったく問題ありません。いつものフェイントです。気にしないように。
さすがにほかのマスコミも「梅ちゃん先生」の異常さにだまっていられなくなったと見え、こんな記事がある。
産経新聞:テレビ視聴の多様化 こだわるべき「率」より「質」 2012/06/12
「梅ちゃん先生」は敗戦直後の東京蒲田を舞台に、劣等生のヒロインが医学専門学校に進み、地域医療に生きる医師になる、というフレコミのドラマだが、脚本も演出も、最初から「つまらない・ありえない・くだらない」の連続だった…
今週は「医師の自覚」がテーマで、梅子が大学病院に疑問を抱き地域医療の関心を示すお話だった。
●姉松子が医者嫌いの姑のいる出入り業者の加藤家に嫁ぐ件
月曜日は姉松子(ミムラ)が工務店の加藤正和(大沢健)と結婚すると言い出す。
しかし前週、加藤の母昌子(根岸季衣)が帝都大学病院に入院する段になり、医者に面と向かって「病院は嫌いだ」と悪態をつく母だとわかった。
加藤は一度は松子にプロポーズしたが、母の病気が重篤になって、結婚は病人の看病をさせるみたいだからとプロポーズを撤回していたのだが、おせっかいの梅子(堀北真希)が加藤を大学病院まで呼び出して事の真相を確かめていたのだ。
梅子は入院を勧め、昌子はしぶしぶ従ったが医者は嫌いだとさらに悪態をつく。
戦時中に夫が医者から粗末な扱いを受けて死んだのを根に持っているのだ。
だが松子は昌子を見舞い、そのうち昌子から誘われるようになり、加藤が母を大事にする姿を見て加藤との結婚を決意するに至る。
けれども、誰がどう見てもあの医者嫌いで悪態をつく姑の元に、医者の娘の松子が嫁ごうとは思わないだろう。医者である父や妹や死んだ婚約者を否定しているのだ。昌子も夫の"かたき"とも言える医者一家からわざわざ嫁など取らない。この矛盾はツイッターでもさんざんつぶやかれていたことだ。
そもそも、初対面の相手の職業を嫌いだと面と向かって言うのは非常識にもほどがある。そう思っているにしても礼儀も何もあったものでない。
梅ちゃん先生にはこのような倫理観が欠如した登場人物設定が多すぎる。ドラマだからとはいえ、やりよう・書きようがあるだろう。
しかも松子の父と妹は医者で加藤は下村家の出入り業者。家の格がまだ重要だった昭和30年にこのような矛盾を抱えた自由結婚があり得るだろうか。
あり得るというなら、昌子の医者に対する確執や、家の格の問題をキチンとドラマの展開で整理して欲しい。
そもそも建造は松子を医者に嫁がせたかったはず。だから弟子の吉岡智司(成宮寛貴)や松岡敏夫(高橋光臣)を連れてきた。建造が松子が嫁に行く日に便所にこもって出てこないという、コメディで建造の心理を解決するのではない。
「医者嫌いの出入り業者に松子を嫁がせることはない!」
そしてもっともおかしく謎なのは最後の記念写真。
加藤の母昌子が映っていない。医者の娘との結婚に反対しつづけて式にも出なかったのか、病気で死んだのか、そうではないだろう。叔父の立花陽造まで一緒に映っているのだから、昌子は最低限映っているべきだ。厳密に言えば母下村芳子の兄弟や祖母正枝の縁戚もこの世には存在しているのだろうが、それらはドラマなので省略は構わないが、昌子が結婚式にいないならば、なぜあのような医者嫌いエピで登場させただけなのか、理解に苦しむ。あるいはすべて許したなら満面の笑みで写真に写っている演出が欲しい。
脚本や演出が未熟でいい加減なよい証拠である。
●梅子が急に勉強や仕事ができるようになってしまった件
朝ドラヒロインの定番とも言うべきドジっ子の梅子は、勉強もロクにできないまでも医専は卒業するし、親のコネで帝都大学病院に勤めるし、あらかじめ出来レースとは言え、とんとん拍子に出世した。
だが今週からはこれまでの梅子のキャラ設定とはまったく違った人物になってしまっている。急速にだ。こぶ平のナレで昭和29年の1年を飛ばしたことも影響しているのだろうが、梅子の成長過程を描くことがこのドラマのキモではないのか。いきなりナレで飛ばすことなのだろうか。
ちょっと触診しただけで病名を言い当てる。適した薬を処方する。難しい論文を書き建造も認める。そして助手に昇格させるという。まさにスーパーウーマンである。
バカ女梅子だったのが、スーパー梅ちゃんへの豹変ぶりだ。
確かに人は成長する。出来ない者ができるようになる。それは素晴らしいことであり、ドラマのテーマとしても相応しい。だが、これまでの梅子の出来の悪さはケタ違いであり、そもそもが「医者になる」というキャラクターから外れていた。そういうサジ加減が脚本も演出もできていない。ドジっ子ががんばって医者になった、というレベルではない。まるで別人である。
しかもそれを
ある人は「梅子は双子だったんじゃない?」と。下村悔子と入れ替わったか。
本来は梅子の成長をドラマで描くのがドラマだろう。くだらないコメディばかりをちりばめて肝心な成長は
4月5月分はなかったことにしたほうがよい。
●梅子の医療行為と今の時代感覚の件
梅子は帝都大学病院で患者を診るほか、坂田医院でアルバイトをしたり、食堂みかみで蒲田の人々の診察を始める。こういう無秩序な医療行為は当時も今も認められていることなのだろうかと、率直な疑問がある。そのために
しかも蒲田では病院ではないから薬を出せないのか「汗をよく拭いて」などとのアドバイスにとどめている。良い悪いは別にして、患者は薬をもらって医療行為を受けたと自覚する。梅子に金を払うシーンがないのは梅子は無料で医療行為をしているのだろうか。薬は処方箋を出せば当時も医薬分業はあっただろうからそれで済む。「お薬は処方箋を書いておきますから近くの薬局で買ってくださいね」と言わせれば済む話だ。
金を貰わない医者はプロではない。「カーネーション」の父善作は、洋裁の金をもらわなかった糸子を責める。それは当然だ。梅子はいつまで善人ぶるのだろう。
●「お話だからいいんじゃないんですか」で済まさない松岡の件
松岡と梅子は幼馴染の信郎とその恋人の咲江と4人でダブルデートに出かける。「最終列車」という恋愛ものの洋画を見たようだ。その後喫茶店で4人で話すが、松岡は映画の矛盾点を指摘する。
あのなー、このブログはおまえの矛盾点をさんざん指摘してやってるんだぞ。
呆れた咲江が「お話だからいいんじゃないんですか」とたしなめると「よくないでしょう」とさらに食い下がり「作品を正しく鑑賞するには細部をよく検討しないと」。
そうだろ、これまでこのブログでずっと言い続けてきたことだよ。小原糸子なら「どの口が言わすんじゃ」と激怒するところ。
震災復興とか地域医療をめざす少女とか、大上段に振りかざすなら細部をもっとしっかり固めろ、リアリティがなければ重いテーマは伝わらないとさんざん書いてきたし矛盾点をいくつも指摘してきた。だが6月も終わりでほぼ半分が終わってこの調子なんだから、「梅ちゃん先生」はこれだけの自己矛盾を抱えたまま最終回になるのだろう。
なお、今日は父建造が倒れたけれどまったく問題ありません。いつものフェイントです。気にしないように。
さすがにほかのマスコミも「梅ちゃん先生」の異常さにだまっていられなくなったと見え、こんな記事がある。
産経新聞:テレビ視聴の多様化 こだわるべき「率」より「質」 2012/06/12
「梅ちゃん先生」は敗戦直後の東京蒲田を舞台に、劣等生のヒロインが医学専門学校に進み、地域医療に生きる医師になる、というフレコミのドラマだが、脚本も演出も、最初から「つまらない・ありえない・くだらない」の連続だった…