2012.09.30 Sunday
梅ちゃん先生 実は父建造の性格を治す物語だった?
NHK朝の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」が終った。
世にもくだらない低次元の番組だった。
最初から
「懐かしの昭和で楽しく愉快に暮らした一家とお隣さんのコメディドラマ。ヒロイン梅子役は昭和ならおまかせの堀北真希!」
とでも謳っておけば文句を言わないのに
「震災からの復興を戦後の復興に重ね、地域医療振興に尽くした女性医師の物語」
のように大義名分を言うからバカなのである。
■HPにある「みどころ」
昭和20年、終戦直後、焼け野原と化した東京・蒲田(現・東京都大田区)。復興、そして昭和の奇跡の経済成長を支えていく名もなき人々に寄りそって、命を守る医師になっていく一人の女性。挑んで、失敗して、笑って、そして泣いて・・・彼女の周りには、いつも家族や町の人々の笑顔があふれている。
『梅ちゃん先生』は、地域医療に生きようとするヒロインのひたむきで、にぎやかな日々を描きます。
このブログでは、
医療や医療従事者、患者、被災者をバカにしている
倫理観が欠如
時代考証がまったくなっていない
話の流れの整合性が取れない
リアリティがない
などの観点から突っ込みを入れたが、最後の最後もおかしな展開であきれさせてくれた。
梅ちゃん先生記事一覧>>>
それは、いつも仏頂面している父建造(高橋克実)がNHKのど自慢に唐突に出演しテレビの中で笑ったことを最後のエピソードにしたことだ。
戦前戦中戦後の父親像は、ここまで蔑まされ邪魔ものにされ、最後は笑いものにされて「お父さんも変わる」と家屋敷を担保にして医院を開業させてやった娘に、さもこれまでが悪かったように上から目線で言われるのか?
建造がのど自慢に出た理由は「自分が変わるいい機会かもしれないと思った」と語るが、60歳過ぎまでずっとカタブツで来た大学教授で病院長が、何をいまさら変わる、変わらなければならないと思うのか。またそれがドラマの流れでどういう意味があるのだ。
第一、父親の性格を変えるのがこの番組のテーマだったのか?。
実はノベライズでは「のど自慢に当たった人が入院で出られなくなり、代わりに出ないと治療は受けないというので仕方なく」とあり、これも厳しいけれどもまだ整合性が取れる理由かもしれないが、それでも昭和36年の病院長がそういう発想になるとは思えない。これをカットしたのは、のど自慢出場者同士が替え玉になるのをNHKとして是としなかったからだろうか、それとも時間の関係か。
そもそも当時テレビに出るのは雲の上のことで、仮に自分が変わらなければと思ったとしても、テレビに出ようなどと言う発想はあり得ない。あれから20年後の昭和56年だって、テレビにでるのは素人にとっては大きな出来事だった。出ていた私が言うのだから間違いない。
しかもそのスタジオは、安岡幸吉(片岡鶴太郎)が戦後まもないころ、ラジオ放送ののど自慢に出た時(第24回)と雲泥の差。ラジオのスタジオが豪華すぎる。※建造ののど自慢は昭和36年11月。
何はともあれ視聴率はよかったが、ブログや掲示板サイト、ツイッターでは酷評も酷評で、「Yahoo!みんなの番組」は管理者側が悪いコメントを削除しまくっていた。
NHKや民放は、単純に視聴率だけで番組を評価しないで、インターネット時代に対応した評価の得方、アプローチの仕方を考えて、番組制作をしていくべきだ。
NEWSポストセブンでも好評とは言い切れないと指摘している。
■Yahoo!みんなの感想の評価
※初出記事でのど自慢の司会を当時の宮田輝アナの映像と合成したと書きましたが、別人との説もあり、その部分を削除して再UPしました。
世にもくだらない低次元の番組だった。
最初から
「懐かしの昭和で楽しく愉快に暮らした一家とお隣さんのコメディドラマ。ヒロイン梅子役は昭和ならおまかせの堀北真希!」
とでも謳っておけば文句を言わないのに
「震災からの復興を戦後の復興に重ね、地域医療振興に尽くした女性医師の物語」
のように大義名分を言うからバカなのである。
■HPにある「みどころ」
昭和20年、終戦直後、焼け野原と化した東京・蒲田(現・東京都大田区)。復興、そして昭和の奇跡の経済成長を支えていく名もなき人々に寄りそって、命を守る医師になっていく一人の女性。挑んで、失敗して、笑って、そして泣いて・・・彼女の周りには、いつも家族や町の人々の笑顔があふれている。
『梅ちゃん先生』は、地域医療に生きようとするヒロインのひたむきで、にぎやかな日々を描きます。
このブログでは、
医療や医療従事者、患者、被災者をバカにしている
倫理観が欠如
時代考証がまったくなっていない
話の流れの整合性が取れない
リアリティがない
などの観点から突っ込みを入れたが、最後の最後もおかしな展開であきれさせてくれた。
梅ちゃん先生記事一覧>>>
それは、いつも仏頂面している父建造(高橋克実)がNHKのど自慢に唐突に出演しテレビの中で笑ったことを最後のエピソードにしたことだ。
戦前戦中戦後の父親像は、ここまで蔑まされ邪魔ものにされ、最後は笑いものにされて「お父さんも変わる」と家屋敷を担保にして医院を開業させてやった娘に、さもこれまでが悪かったように上から目線で言われるのか?
建造がのど自慢に出た理由は「自分が変わるいい機会かもしれないと思った」と語るが、60歳過ぎまでずっとカタブツで来た大学教授で病院長が、何をいまさら変わる、変わらなければならないと思うのか。またそれがドラマの流れでどういう意味があるのだ。
第一、父親の性格を変えるのがこの番組のテーマだったのか?。
実はノベライズでは「のど自慢に当たった人が入院で出られなくなり、代わりに出ないと治療は受けないというので仕方なく」とあり、これも厳しいけれどもまだ整合性が取れる理由かもしれないが、それでも昭和36年の病院長がそういう発想になるとは思えない。これをカットしたのは、のど自慢出場者同士が替え玉になるのをNHKとして是としなかったからだろうか、それとも時間の関係か。
そもそも当時テレビに出るのは雲の上のことで、仮に自分が変わらなければと思ったとしても、テレビに出ようなどと言う発想はあり得ない。あれから20年後の昭和56年だって、テレビにでるのは素人にとっては大きな出来事だった。出ていた私が言うのだから間違いない。
しかもそのスタジオは、安岡幸吉(片岡鶴太郎)が戦後まもないころ、ラジオ放送ののど自慢に出た時(第24回)と雲泥の差。ラジオのスタジオが豪華すぎる。※建造ののど自慢は昭和36年11月。
何はともあれ視聴率はよかったが、ブログや掲示板サイト、ツイッターでは酷評も酷評で、「Yahoo!みんなの番組」は管理者側が悪いコメントを削除しまくっていた。
NHKや民放は、単純に視聴率だけで番組を評価しないで、インターネット時代に対応した評価の得方、アプローチの仕方を考えて、番組制作をしていくべきだ。
NEWSポストセブンでも好評とは言い切れないと指摘している。
■Yahoo!みんなの感想の評価
※初出記事でのど自慢の司会を当時の宮田輝アナの映像と合成したと書きましたが、別人との説もあり、その部分を削除して再UPしました。