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目黒のランチ:すし処佐藤
連休の谷間。今にも雨が降りそうな空模様の下をとっとと歩く。

すし処佐藤はJR目黒駅西口から左側の権之助坂の左側を歩いて、坂を下って目黒新橋を超えて、大鳥前商店街のアーケードをくぐって山手通りに出て、大鳥神社側に渡って左へ左へと歩き、歩道橋の先、東京新聞の2階。

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ランチはお客さんが混んでいれば早く終わってしまう。ランチ用のネタが終わったら閉めてしまうということだろう。だからいつもはダラダラ歩くけれど、今日はとっとと歩いた。
運よく開いていた。

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店頭にも店内にもメニューがなく、
おかみさんから「どうしますか?」と聞かれたけれど
「握り」とまでは言ったが、さていくらか。

ネタが回らない寿司屋に入るのは久しぶりで、しかも値段がわからない状態で頼むのは初めてである。

するとおかみさんは「1人前、1.5人前、2人前とありますが…」
と言うから、
「1人前は何貫ですか」
と聞いたら7貫というので、それはさすがに少ないだろうと1.5人前を頼んだ。巻物が増えるらしい。

しかし値段はわからない。

親父さんが冷蔵ケースからネタを取り出して包丁で切り、握り始めた。
卓上の青いチップが「1.5」の意味なのだろう。

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そして3貫+2貫の5貫を皿に載せる。

しばし見とれて写真を撮っていたら…

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「どんどん来ますから早く食べたほうがいいですよ」
と言われたので、鮪(中トロ)を食べてみる。
煮切りがかかっているが、ほんの少し醤油をつける。

するとなんということでしょう。
すっごく柔らかくとろ〜り溶けるくらいの食感で、寿司ネタが口内に入って行った。

思わず「やった〜」とニンマリしてしまうくらいのおいしさだ。

ネタの鮮度と言い温度と言いシャリといい握り具合といい、素晴らしい。

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白身魚もイカも、まったく抵抗なくするすると食べてしまった。

魚臭さの微塵もない。ネタが違うのか下調理が違うのか、おそらく両方が違うのだろう。

あさりだと思うが貝の江戸風の下ごしらえも珍しく、ランチに「ほんものの」カニも個人的には珍しく、充分堪能した。
ちなみにみそ汁は甘エビの頭が3個あり、それぞれジュルジュルとかじりました。

気になった値段だが1575円とリーズナブル!

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これは夜も素晴らしいことであろう。
| グルメ | 21:53 | comments(0) | - |


羊山公園にシバザクラ(芝桜)を見に
埼玉県秩父市の羊山公園に芝桜(しばざくら)を見に行った。
例年は渋滞や混雑を避けるために仕事を休んで平日に行くのだが、今年はどういうわけかゴールデンウィーク前半最終日の昭和の日になってしまった。

世田谷の家を8時25分に出発して10時45分には着いたのだからいいほうと言えよう。美の山トンネルで渋滞した程度だった。

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さすがに休日だけあってかなりの人出。
しかも芝桜は満開状態。

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色とりどりの芝桜が咲いており、匂いも強い。

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観光客はみな一様に写真を撮っていた。

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しかし満開とは言え、ところどころにぽっかり花が植わっていないところが。

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中国人が盗んだのかと思ったが、花壇のヘリから1尺くらい入ったところだからわざわざ遠いところの花を盗むか?。土壌が悪くて枯れたのか。よくわかりません。

このあと、はいから亭秩父店でランチ、JA寄居野菜直売所、花園フォレスト(大混雑)、道の駅はなぞのでお買い物をして、コストコ入間倉庫店に寄って、山田うどん所沢山口店で夕食をして帰宅しました。
疲れた。

○過去の羊山公園芝桜記事。意外と休日に行っていた。
2012年5月7日 月曜日

2011年4月24日 日曜日

2010年4月25日 日曜日

2008年4月28日 月曜日

| 旅行・鉄道 | 22:09 | comments(4) | - |


旧新橋停車場 情景作家〜昭和のミニチュア展
新橋駅からちょっと銀座方面に戻り、パナソニックビルの下手に位置するのが旧新橋停車場だ。

♪汽笛一声新橋を〜の鉄道唱歌に歌われた、我が国の鉄道開業当時の新橋駅の位置に復元されたもので、中は小さな展示スペースがある。

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会館10周年企画展として「情景作家〜昭和のミニチュア」を7月21日まで開催している。入場無料。

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鉄道模型は小さな車両が動くだけでも楽しいが、ジオラマが昔懐かしい田畑や街並みだと余計に楽しい。
まさに異次元世界へ旅立たせてくれる。

特に、情景描写にすぐれた模型作家を情景作家として、山田卓司、戸塚恵子、諸星昭弘、坂本衛の4氏の素晴らしい作品が展示されている。

残念ながら内部の撮影はできないので、編集長敬白をご覧ください。

「昔は良かった」と、誰もが回顧する昔があるからではなく、そこに詩情があり、小さな人型にも命が吹き込まれて、語り、泣き、笑っているのが目に浮かぶような素晴らしい作品だから、素晴らしいと思うのだろう。

こういう作品、いや、単に電車がぐるぐる回るだけの模型でもいいから作りたいが、そういう才能を持ち合わせていない。

停車場裏手は「ホーム」と「線路」が伸びており、エリートサラリーマンたちの憩いのカフェになっている。

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| 旅行・鉄道 | 18:37 | comments(0) | - |


あまちゃん 天野春子の半生 小泉今日子・能年玲奈・有村架純
NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。
アキ(能年玲奈)が念願のウニが採れるようになり、4月分がいちおう終わって来週から新たな登場人物が加わって次の章に入る。

アキの母天野春子(小泉今日子)はふるさと北三陸がイヤで高校3年の夏、家出をして東京に出てしまった。当時の回想シーンで春子を演じるのは有村架純

有村架純

彼女はどういう半生を送ってきたのだろう。
2008年7月で42歳ということは1966年(昭和41)生まれと推察される。
以下、物語に従って年表を作ってみた。※適宜追加しています。

西暦元号年齢春子
1964年 昭和39年 - 母、天野夏19歳、橋幸夫ショーで花束贈呈。すでに天野姓を名乗っている。
9月6日、夫となる黒川正宗、世田谷区富士見台2丁目15で、黒川勝・節子の長男として生まれる。
1965年 昭和40年 -  
1966年 昭和41年 0歳 4月12日、天野忠兵衛・夏夫妻の長女として北三陸で生まれる
岩手県北三陸市袖が浜3丁目7
1967年 昭和42年 1歳  
1968年 昭和43年 2歳  
1969年 昭和44年 3歳  
1970年 昭和45年 4歳  
1971年 昭和46年 5歳 このころ、母夏に海に突き落とされる 
1972年 昭和47年 6歳  
1973年 昭和48年 7歳 小学校入学、1年生
1974年 昭和49年 8歳 小学2年生
1975年 昭和50年 9歳 小学3年生
1976年 昭和51年 10歳 小学4年生
1977年 昭和52年 11歳 小学5年生
1978年 昭和53年 12歳 小学6年生
1979年 昭和54年 13歳 小学校卒業、中学校入学1年
1980年 昭和55年 14歳 中学2年
1981年 昭和56年 15歳 中学3年、パーマをあてる。東京への思い募る。
1982年 昭和57年 16歳 中学卒業、北三陸高校1年
1983年 昭和58年 17歳 北三陸高校2年
1984年 昭和59年 18歳 北三陸高校3年の6月30日、組合長が市長を連れて海女になるよう依頼。
7月1日、開通した北三陸鉄道に乗り、家出して上京。
オーディションを受けまくるが落ちる。原宿の喫茶アイドルでバイトをする。
1985年 昭和60年 19歳荒巻太一から鈴鹿ひろ美のゴーストシンガーを依頼される 
1986年 昭和61年 20歳  
1987年 昭和62年 21歳  
1988年 昭和63年 22歳  
1989年 平成1年 23歳 傷心のあまり帰宅しようとするも、タクシー運転手黒川正宗と知り合い結婚。
1990年 平成2年 24歳  
1991年 平成3年 25歳 11月23日、長女秋(アキ)、生まれる。
1992年 平成4年 26歳  
1993年 平成5年 27歳  
1994年 平成6年 28歳  
1995年 平成7年 29歳  
1996年 平成8年 30歳  
1997年 平成9年 31歳  
1998年 平成10年 32歳 秋、小学校1年
1999年 平成11年 33歳 秋、小学校2年
2000年 平成12年 34歳 秋、小学校3年
2001年 平成13年 35歳 秋、小学校4年
2002年 平成14年 36歳 秋、小学校5年
2003年 平成15年 37歳 秋、小学校6年
2004年 平成16年 38歳 秋、小学校卒業、進学校の中学1年
2005年 平成17年 39歳 秋、中学2年
2006年 平成18年 40歳 秋、中学3年
2007年 平成19年 41歳 秋、中学卒業、高校(三高)1年
2008年 平成20年 42歳 6月末、大吉からの偽メールで24年ぶりに帰省。
秋、9月に北三陸高校2年に編入。
暮れに黒川正宗と離婚。
2009年 平成21年 43歳 アキは上京してアイドルグループGMTに。朝比奈学園高校芸能コースに編入する。
春子はすっかり北三陸に定着してしまう。
大向大吉からプロポーズを受ける。 
2010年 平成22年 44歳 3月、アキは高校を卒業。
アキに鈴鹿と太巻と3人の秘密を語る
上京してスリーJプロダクション設立、社長に就任。東京都世田谷区富士見台5丁目32番12号507 
2011年 平成23年 45歳 3月5日、アキとひろ美が主演の映画「潮騒のメモリー〜母娘の島〜」が公開。
3月11日、東日本大震災に東京の事務所で遭遇。アキはその後北三陸へ。
8月、春子は黒川正宗と再婚。
2012年 平成24年 46歳  
2013年 平成25年 47歳  

ドラマでよく登場する過去のシーンは1981年と1984年。
1981年は中学3年で東京に憧れ髪にパーマをあてて不良ぶっていたころだ。
灯台の下にマジック(NHKではフェルトペン)で<東京・原宿・表参道>などと落書きをしていた。表参道ヒルズができるなど夢にも思っていない時代。

1984年7月1日で春子は北三陸を離れるのだが、天野家の2階の隠し部屋であった春子の部屋はその当時のままで残されている。

壁には松田聖子のポスター、吉川晃司安全地帯ジャガー横田唯一のレコード「愛のジャガー」などが貼られている。これらは当然1984年以前に発売されたものだ。



さらに床にはファミコンカセットが落ちていた。
任天堂ファミリーコンピュータは1983年7月15日に発売されたので、東北の漁村に住んでいたにもかかわらずかなり早くに手に入れたことになる。



そのファミコンカセットは安部小百合(片桐はいり)の名前が入っていたので、借りたままで返していなかった。ということは小百合もかなり早くにファミコンを入手し、しかもそのゲームは一通りやってしまったのだろう、春子に貸したのだ。



当初は「ドンキーコングJr」などゲーセンで一世を風靡した数種類のゲームしかでていなかったから、それらの一つなのだろう。だがよく見るとNHKスタッフが作った小道具の架空のゲームのようだ。

春子は田舎がイヤで東京に出ていったのだが、いや、あるいはそのころの自分がイヤだったのだが、



それでも昔は懐かしく、隠し部屋でアキから「ママ」と呼ばれたことに抵抗を感じて、
ママになる前のママもいるんです、いたんです
と語る。



青春時代が缶詰にされたタイムカプセルのような部屋で、春子はアキと同世代に戻っていた。
しかしその後、港でアキから「春ちゃん」と呼ばれたことにも違和感を持つ。

母でもあり女でもあり、時に少女に戻る、そんなビミョーな心理を宮藤官九郎の脚本とキョンキョンの演技が冴えている。

上京後しばらく経った1989年、暮らしに疲れて東北に戻ろうと、世田谷からタクシーを拾って上野駅に向かうがやはり世田谷に戻る。



このときのタクシー運転手は往復とも黒川正宗(尾美としのり、若き日は森岡龍)で、その後交際に発展し同年に結婚、2年後にアキが生まれたというからアキは1991年生まれだ。↓字幕は「2年後に結婚して」とあるがセリフは「その年に結婚して」だ。そうでなければアキの学齢が合わない。



ただし今(2008年)は離婚話が出ている。だがまだ正式に離婚はしていないが、春子はすでに天野姓を名乗り、アキも編入した北三陸高校は黒川秋と名乗るが、先生から「天野と聞いてるが」と言われ、天野秋を名乗る。

これまで「ゲゲゲの女房」「おひさま」「カーネーション」「梅ちゃん先生」「純と愛」をウォッチしてきたけれども、「カーネーション」とは違うテイストの、優れた作品に出合えてよかった。

  

| あまちゃん(NHK) | 13:25 | comments(0) | - |


ここはパリ?ニューヨーク? いや目黒です
五反田から目黒へ山手線沿いに外側(西側)を歩いていると(あるいはその逆に歩いてもいいが)、どこか日本離れした風景が見えてくる。

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まるでパリの街角。
自転車だってレトロというかヨーロピアンというか。

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金髪青い目の少女が出てきそうな雰囲気だ。

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あるいはニューヨークのアパートか。

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思わず、誰が住んでいるのか、中を見たくなる。

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しかしこれらは撮影用のセットというか、撮影用に特別に作られた一種のスタジオなのだ。

EASE(イーズ)という会社が運営しており、外観や内装はこのような外国の町や部屋をイメージしており、小道具も外国製のものが置かれている。

目の前を成田エクスプレスが走るのも、なんとなくいい感じ。

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電車に乗っていると、このトンネル状の中を走って目黒駅に行くので、「外国の」建物は一部しか見えない。やはり歩いたほうが楽しい。

裏手には杉野服飾大学(ドレメ)があるので、最初はその関係で欧風レトロファッションが似合う架空の街並みをディズニーランドのように作ったのかと思ったが、そうでもないらしい。

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有料のスタジオだけれど、彼女を建物の前に立たせて1枚くらい写真を撮るのはいいでしょう。

| 写真 | 09:32 | comments(0) | - |


目黒のランチ:一升瓶 居酒屋
一升瓶はその名の通り居酒屋の二毛作でランチをやっている、ようだ。

JR目黒駅西口から左の権之助坂の左側を下りに下り、目黒新橋の先の大鳥前商店街のアーケードを下り、喫茶店ヴィーナスの先の階段を降りて、さらに左側のビルの地下にある店。

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坂の下の、崖の下の、ビルの下の、ポニョもびっくりの店である。

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階段上に今日のメニューが出ている。日によってビミョーに違う。

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似て非なると思われた近くの松喜で焼鮭定食を食べたので、ここでは刺身を頼むことにした。

階段を下りて降りての店の戸を開けると、カウンターにはお父さんがウーロンハイを飲みながらハラスを食べていた。
その奥に座る。

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真後ろにはテーブルが1卓あり2席のみ。
小上がりもあってつめれば8人くらい入るか、いや6人がいいところか。
小上がりにはデジアナ変換のテレビがあった。

そして刺身定食900円ができるのを待っていたら、ガラガラと戸が開いて、お客さんがやってきた。

なんと、まめぞうさんである。目黒の新大御所である。
よくもまぁ、こんな店で、しかも二人とも初めての店で遭遇するものだ。以前、ほとんど示し合わせて亭屋で会ったのが初めての出会いだったが、こういうこともあるもんだ。

カウンターの奥から「まめぞうさん!」と手を挙げて呼ぶが反応がなく、やむなく本名を呼んだら反応があった。

そこで入口付近のカウンター席に座りなおして、「なんで」「どうして」と二人していぶかしがる。
どこで飯を食おうがこっちの勝手だが、ここまで奇遇とは。

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まめぞうさんはハラス定食750円を頼み、二人でちょっとずつ分け合い、いただきました。

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私は刺身とごはんの加減を間違えてごはんをお代わりをしてしまった。お代わりは50円。20円分くらいでいいといったが50円取られたが、そりゃそうか。

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肝心の味だがハラスの勝ち。
刺身自体は悪くないのだが、解凍が不完全状態。

ごはんは、おかみさんがよそって待機するのが早くて最初はやや冷えていたが、お代わりは熱かった。

この店は秘境店巡りというカンジで冒険・探検で入ったが、もう二度と行くことはあるまい。あったとしたらそれは怖いもの見たさである。

そこでまめぞうさんと会えたのは千載一遇だった。
まめぞうさんは「午後の予定はないけど」と言いながら会社に戻って行った。
予定がないなら映画でも見て夕方適当に会社に戻ればいいのにと思った私はナンなんだろ。

まめぞうさんの食べログ記事>>>
| グルメ | 18:55 | comments(2) | - |


五反田のランチ:あげ福 とんかつ
ミート矢澤が牛肉ならぬ豚肉を使った料理店をオープンしたとのことで行ってきた。
JR五反田駅西口から目黒川の手前を右に、しばらく歩いた角の店。

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とんかつ専門店「あげ福」で、ミート矢澤の左側、駅から国道1号線を歩くと「奥」に相当する場所だ。
以前は「彩たにや」という店だったようだ。

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ランチタイムに行ったら、店の前の反対側の道路に列ができているので並んだら、どうやらミート矢澤の列だった。
あげ福は店頭で並ぶようだが、並んでいなかった。

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しばし待って呼ばれて店内へ。
カウンター基本でテーブルは1卓4人掛け。

カウンター内外で計4人のスタッフが動いている。
調理は2名のようだ。客席数からすれば多いが、開店1週間少々ならば慣れていないため仕方ないかもしれない。
事実、食器を落としたり秘伝のソースを厨房テーブルにぶちまけたり、注文を2度とったりといかがなものかの事態が短時間で発生していたが、目をつぶる。

この厨房のレイアウトが悪く、流れるような作業でさばいて行けない。

上ロース定食1800円を頼む。
ランチで1800円とは、とんかつにしてもかなりの金額だ。

能書きによると「肉のプロフェッショナルが考える理想のとんかつを形にした」とある。
確かに、ミート矢澤やホルモン稲田ならば、このセリフがうなづける。

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素材は繊細でち密な肉質と、まろやかで上品な脂を持った岩中豚のSPFポーク・油はヘルシーで香ばしい米油を使用、とある。

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トレイには香味野菜を凝縮したオリジナルソースとトリュフ塩が用意されており、まず塩で食べるよう勧められたので、そうしてみた。

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確かにこの塩はうまい。
だがもっとおいしいのは生姜などを使ったオリジナルソースだ。これはおいしい。

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それにキャベツにかけるドレッシングもおいしく、キャベツはおかわりした。
豚汁もコクがあって野菜たっぷりで生姜の香りもよく、おいしかった。

だが、おいしいのは調味料ばかり。
肉はやや固く、ちゃんと揚がっているが揚げ色が薄くシズル感に欠ける。油のせいかもしれないが。

カウンターにある普通のとんかつソースをかけると逆に大した味ではない。

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うがった見方をすればオリジナルソースとの相性を最大限にする味づくりなのかもしれないが、やはりとんかつソースをかけて食べてこそのとんかつだろう。特殊なとんかつを食べにくる客は少ないと思う。

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牛肉があんなにいいのに豚肉料理になるとこの落差とはいかがなものか。
ましてや隣のミート矢澤が1000円のハンバーグを出しているのに、ほぼ倍の値段でコレである。
値段が1000円以下ならばまだしも、この味で1800円ならそこらの「食堂」の700円のとんかつのほうがまだマシというものだ。

サービス業はあまり期待させ過ぎてもダメ、落差がダメージになるというマーケティング理論そのものであった。
これは完全に目黒のかつ壱に軍配が3つくらい上がる。かつ壱はおやじさん一人で調理をしているのに、実に見事だ。

あげ福がミート矢澤グループの足をひっぱらないことを祈ります。


| グルメ | 19:13 | comments(0) | - |


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