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バル高野山駅 鉄旅ナイト
高野山と南海電鉄のコラボ企画「高野山カフェ」の1コーナーの「バル高野山駅」の中の1イベント、鉄旅ナイトにちょい役で出てきた。

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数年前から続く、高野山南海電鉄の東京地区でのプロモーションで、これまでは写経やらお坊さんのありがたい話やら精進料理やらの、お寺さんにシフトした企画だったが、今回初めて南海や鉄道に関した企画も盛り込まれ、バーを借り切ってのイベントがあった。

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鉄道ファンにはすっかりおなじみの、シンガーソングライター オオゼキタクさんと、スカパー鉄道チャンネルの局アナ久野知美さん、それに南海電鉄の濃い社員渡辺さんとのトークショー。オオゼキさんと久野さんはわざわざムーンライトながらで南海に乗ってきたそうで、すごい・エライ。

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久野さんはこれまで会った鉄子の中で一番の美女
うちのケーブルテレビはJ:COMで鉄道チャンネルは映らない。スカパーを契約している妹のところで録画してもらおう。



そして難解な南海や鉄道にちなんだクイズ。
この一部の作問と監修をさせていただいたのだ。

DSC08847.jpg

もうクイズ王でもないんだけど、いちおう反応あり。
「鉄道旅行術」のイラストといっても反応あり。
ありがたいことです。

クイズは2択で、最初から難しいかと思ったけれど、トークショーの話題がかなりヒントとなって、脱落者は少なく多くの人に楽しんでもらえたと思う。優勝者は南海電鉄の社名刻印入りの鉄道懐中時計が進呈された。

このイベント「高野山カフェ」は新丸ビルの7階で。9月5日も鉄旅ナイトはあります。

  
| 旅行・鉄道 | 22:20 | comments(0) | - |


狭山のランチ:レストランニックス ステーキ・ハンバーグ
レストランニックスは埼玉県の入間基地脇にある。
西武池袋線稲荷山公園駅から徒歩10分程度だろうか。稲荷山公園の外れに位置する。



入間基地は、戦前は陸軍航空士官学校<修武台>だった。
戦後、米軍に接収されジョンソン基地になった。オーナーの荒井氏は当初はジョンソン基地内の将校クラブを運営していたが、1960年からこの場所で営業をしている。ニックは荒井氏のニックネームだった。ジョンソン基地は1978年に全面返還された。
そのため、ジョンソン基地で働く米兵の溜まり場にもなり、今でもアメリカの雰囲気が出ていて、店内には往時の写真も多数飾られて、懐かしい時代の雰囲気を醸し出している。



私は中学生のころに父とジョンソン基地を訪ねており(その顛末はこちら)、今から思えば将校クラブらしきところでアメリカ人のレセプションも参加したので、それは荒井氏の運営だったのだろう。

店員さんの対応はとてもよくて、誇りを持って仕事をしているのが感じられる。



かつての基地名をつけた、ジョンソンバーガーという大きなハンバーガーが名物らしいが、ステーキもハンバーグも食べたくて、迷った末にプレミアムハンバーグにした。猛暑の中を歩いたので、ビールも。
ビールはアサヒだった。しかしかつてジョンソン基地を訪れたとき、初めて見たバドワイザーのロゴ入りナプキンが気に行ったので、バドワイザーを置いてほしかった。仕入の関係なんだろうけど。



ランチはライスかパンが付いた値段がでている。ライスは七穀米か白米かが選べるので白米にした。ハンバーグのソースはおろしかデミグラスが選べるのでおろしにした。

そうして鉄板に150gのハンバーグが乗ってきた。1480円。おろしソースがあるが、塩や胡椒でも召しあがってくださいと店員さん。



まずはハンバーグを半分に切り、半分におろしソースをかける。
おそろしくおいしいおろしソースで、これだけでも食べられるほどだ。
しかしぽん酢の味が際立っているので、肉もとてもおいしい肉なのだが、肉の味を殺してしまっている。
そのため、おろしは少しにしたほうがいい。たっぷりかけてしまった。



また、塩で肉そのものの味を楽しむのもいい。

付け合わせの玉ねぎやニンジンも大きく、とても付け合わせ程度には思えず、ホクホクのじゃがいももついていて、鉄板全体が楽しめた。

また行きたいが、うちから遠いのが玉にきずだなぁ。
| グルメ | 19:38 | comments(0) | - |


父の帰還 昭和20年8月 武蔵高萩駅から修武台へ、そして帰宅
続き

父は陸軍航空士官学校でパイロットになる訓練を受けていた。
場所は満州国牡丹江の海浪飛行場である。
昭和20年8月9日のソ連参戦を受けて貨車に乗って南下。平壌、京城、釜山から博多港へと出て、直江津経由で陸軍航空士官学校の本部、修武台(しゅうぶだい=今の埼玉県入間基地)があった最寄りの国鉄武蔵高萩駅へとたどり着いた。昭和20年8月28日(火)である。

そこで私は68年後の夏の日に歩いてみた。
ちなみに今の私は当時の父の年齢(20歳)を超えているどころか、実家で出迎える祖父の年齢さえも超えている。

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まずは世田谷区の自宅から電車でJR川越線武蔵高萩駅へ。
この駅は修武台があるがため、昭和天皇が3回行幸したので、貴賓室や防空壕のある小さいけれども優雅な駅舎だったが、平成16年、高架駅になったときにこれら施設はなくなった。構内に往時の写真が飾られている。

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武蔵高萩駅を10時20分に出発。駅前は桜並木があり、あとはハンディナビのお世話になる。すぐに日高バイパスになるが、この道は当時からあって空中写真にも出ている。舗装はされていなかっただろうが、今はトラックが爆走する。ゴルフ場を過ぎると工場や倉庫、自動車ディーラーなどが点在する殺風景な通りになり、さらに歩くと茶畑が見えてくる。

CIMG5978.jpg

ハンディナビは狭い農道へ曲がるように指示し、車もすれ違えない道、階段道路までも指示して、さすがに徒歩モードだ。
おそらくは68年前に父が歩いた農道なのだろう。ナビがなければ歩けない。

CIMG5979.jpg

小川と言うよりドブ川が流れる小道は、小川に小魚やコイまで泳いでいて、おそらく68年前と変わらない光景なのだろう。

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父は炎天下の埃が舞うこの道を、敗北のみじめさと、これまで賭けてきた目的を失った虚無感と、生活と言うよりどうやって食べて行くかの不安が入り混じった、複雑な思いで歩いたと思う。生きて帰れた喜びなどなかっただろう。

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入間川を渡り、2時間かかって稲荷山公園駅まで出た。入間基地は当然ながら中には入れなかった。しかたない、11月3日の航空祭で来ることとする。

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GPSで取得したルートはこちら。


1946年(昭和21年)の空中写真はこちら。
武蔵高萩駅1946.jpg

父たちは8月29日(水)に修武台で解散式を行い、30日の午後に世田谷の家に帰還した。

当時13歳だった叔父(父の弟)の手記によれば
『午後、突然兄が家に帰ってきた。家の玄関に入る時の最初の言葉は「コンチクショウ」であった。今までの人生設計が根底から崩れたことに対する腹立たしさと、情けないのと両方が、その言葉になったのではないかと想像している。』
とある。

父は陸軍航空士官学校を繰り上げ卒業式すらしていなかったのだが、のちに卒業証書が渡された。
戦後の父は、建築会社で働きながら我が国の復興と家族の生活を支え、大学に通ってさらに学び、一級建築士となり、21世紀を見ずして亡くなった。
(了)
| 日記・つぶやき | 18:31 | comments(0) | - |


父の帰還 昭和20年8月 釜山から博多へ、そして修武台に
続き

父は陸軍航空士官学校でパイロットになる訓練を受けていた。
場所は満州国牡丹江の海浪飛行場である。
8月9日にソ連が参戦し、もはやこれまでと貨車に乗って南下し、釜山港に到着した。

8月22日(水):夕方、釜山港を出港、甲板で寝る。
8月23日(木):博多港着。貨車の都合がつくまで3晩野宿。


とにもかくにも父は日本本土にたどり着いたのだ。同期生を含め多くの人がシベリア抑留になったのを考えると、父はツイていたというべきだし、あのような負け戦は逃げるが勝ちなのだ。
また、他の方の手記には日付がずれているので、意外と船は毎日運航されていたようだ。

8月24日(金):陸軍士官学校の徳川好敏校長(中将)が博多まで来て、倉庫内で終戦の詔勅を謹聴。兵器返納。

校長が博多までわざわざ来て(=連絡が取れている)訓話を垂れるなど、敗戦の混乱を感じさせない秩序が守られた行動があった。

8月26日(日):列車で博多出発。二十六日博多出発、岩国駅附近で猛爆の跡を見て、夜広島を通過したが、何も建物が見えず、原爆の凄じさに驚いた。米原より直江津経由。
おそらく東海道本線のどこかが爆撃かなにかで通過できなかったのだろう。

8月28日(火):川越線武蔵高萩駅着。
他の同期生の手記だと、直江津から長岡に出て上越線経由で高崎駅から八高線とある。八高線川越駅から川越線に乗ったのだと思う。

1946年の武蔵高萩駅の空中写真。


武蔵高萩駅修武台(しゅうぶだい=陸軍航空士官学校本部のあった今の入間基地)最寄りの国鉄駅であり、昭和天皇が行幸時に利用されたが、西武の稲荷山公園駅のほうがより近く、当時から存在していたのでどうして西武線を利用しなかったのだろう。私鉄でも官費で乗れたと思う。



武蔵高萩駅から8kmの道を父たちは歩き、懐かしい修武台に帰還した。
空中写真の、左上が武蔵高萩駅、右下が修武台だ。

武蔵高萩駅1946.jpg

翌8月29日(水)に解散式を行い、30日(木)、父母と弟が待つ世田谷の家に戻ったのである。

続く
| 日記・つぶやき | 18:44 | comments(2) | - |


父の帰還 昭和20年8月 満州国牡丹江から朝鮮半島を経て釜山へ
続き

父は戦局の悪化が色濃い昭和20年夏、陸軍航空士官学校でパイロットになる訓練を受けていた。
場所は満州国牡丹江の海浪飛行場である。

8月9日のソ連参戦からはまさに逃避行になる。同窓会誌の手記をもとに構成する。地名や表記は当時のもの。

8月 9日(木):午前3時30分ごろ非常呼集、ソ連参戦。ソ連偵察機飛来。
8月10日(金):不寝番=寝ないで番をする。
8月11日(土):荷物梱包、貨車への積み込みで忙殺。
13時30分ごろ、貨車は引き込み線を発車。機材上に毛布を敷く。座っても頭が貨車の天井につく。


引き込み線はGoogleマップに出ている。線路を赤で強調する。
今の空中写真には引き込み線の先に学校のような建物群が見えるが軍隊(中国人民軍)なのだろうか。



ソ連からの回避と、そしてもう戦争に負けるのは時間の問題であったから、列車で逃げる準備である。今から考えれば賢明だ。
同乗した民間人はロクに食事していなかったので、持ってきた米や缶詰を進呈して感謝された。

牡丹江(ぼたんこう)駅。父は牡丹江の町は海浪飛行場に移送される途中、トラックで通過しただけで終わった。
牡丹江駅.jpg

温春(おんしゅん)通過
温春は牡丹江の南13km程度の町で、今の列車で18分。飛行場があって一部の同期生はここで訓練を受けていた。ソ連機が攻撃したが無事だったとのこと。

8月12日(日):図們(ともん)着
図們は中国(満州)と朝鮮(北朝鮮)の国境の町だ。一昼夜を貨車の荷物の上で過ごしたのだ。

8月15日(水):早朝通化着。民間人から食糧をもらう。
河を渡って飛行場着。


図們から通化まで時間がかかっているが、図們から朝鮮との国境を超えずにいったん吉林駅まで戻るようにしてから再び南下したのだと思う。
この日、日本では天皇によるラジオ放送があり、戦争が終わる。日本は負けたのだ。

通化駅から河を渡って飛行場に行ったと手記にあるが、今の通化飛行場は50km以上離れており、鉄道のルート上にあるから途中下車するか、再び列車で戻ったのか。あるいは当時の飛行場は河(渾江)のすぐ近くにあったのだろうか。
なお、飛行機で逃げる案もあったが1機飛んだだけで、結局は列車で南下することとなった。

8月17日(金):午後になり、4人1組で徒歩でもいいから釜山まで行けとの命令がある。
徒歩は現実には不可能だろう。歩けたとしても途中で襲われる。
飛行場に行ったのは飛行機を調達して空路で逃げようとしたのだろうが、それもかなわなかった。

8月18日(土):早朝、通化を列車で出発。数時間走り数時間停まり…。
満浦から北鮮に入ると鮮人が日の丸を黒く巴に塗り、鮮語で蛍の光を歌っていた。
平壌ではソ連の侵攻に備え、銃に弾を込める。


平壌駅
平壌駅.jpg

満州を抜けて平壌辺りに来ると、気が気でなかったと思う。すでに日本は戦争に負けており、朝鮮人たちも何をどうするかわかったものではなかった。北鮮は反抗的だったが南鮮は比較的好意的だったと言う。
なお、北鮮・南鮮は北東北・南東北と表現するのと同じで、当時は国が分断していたわけではない。

京城駅
朝鮮-京城駅.jpg

京城(今のソウル)で乾パン受領。
大邱でリンゴ売りが来て1個50銭(高い)。

こうして列車に乗り、なんとか食糧らしきものも調達して、釜山に向かった。列車もよくぞ動いたものだ。

8月21日(火):釜山に朝着。貨物船に荷物を積み込む。

ここまでのルートを新潮社「日本鉄道旅行地図帳」にプロットする。



たとえば図們から北鮮の清津港に出て船で帰還はできなかったのだろうか。できなかったのだろうな。

この鉄道移動距離は2183.5kmになった。東京〜下関の往復に相当する。大陸は広かった。

続く

  
| 日記・つぶやき | 18:29 | comments(0) | - |


父の帰還 昭和20年8月 満州での訓練とソ連参戦
大正生まれの父の青春時代はまさに戦争のさなかだった。父は昭和20年8月末に満州から東京都世田谷区の家に帰還した。
68年の時を経て、父のその足跡をたどってみようと思う

父は昭和18年(1943年)に陸軍予科士官学校に入った。すでに戦局は誰の目にも不利であったが、だからこそ自分たちでなんとかせねばと志願したのである。
そして当時の少年の憧れ中の憧れである陸軍航空士官学校に進み、パイロットを目指していたが「あと2週間で出撃」というところで戦争が終わって命を得た。つまり8月末に繰り上げ卒業が行われどこかの部隊に配属、命日は昭和20年9月某日だっただろう。
ちなみに陸軍には歩兵や戦車などもあるが、航空を選んだと言うことは死への最短距離を意味する。

修武台.jpg

父は当時の埼玉県豊岡町にあった修武台、今の航空自衛隊入間基地での訓練(操縦基礎、グライダー、航法、射撃など)ののち、4月17日に深夜の貸切列車で富山県高岡に向かい、伏木港から江の島丸で荒れる日本海を渡り朝鮮の清津港に着く。

清津港
朝鮮 清津港.jpg

そこから同期生たちはそれぞれの配属に従い、父は当時の滿洲国牡丹江の西にある海林飛行場へ移動した。昭和20年(1945年)4月27日(金)である。以下、同窓会誌に書かれた父の手記をもとに構成する。このときの父は満20歳である。地名や表現は基本的に当時のもの。

父の練習機。
海林海浪飛行場-1.jpg

5月 2日(水):操縦訓練班編成
5月 5日(土):飛行機着
5月14日(月):操縦訓練開始
7月 7日(土):速成班はトラックで海浪飛行場へ。海浪の普通教育班は入れ替わりで海林へ。


速成班とは上達の遅い者を引き上げるのではなく、できる者を速く戦地に送る意図からである。
海浪飛行場は今でも牡丹江の飛行場として供用されている。Googleマップで検索すると海林と海浪は28km46分程度なので、当時は1時間だっただろう。



7月30日(月):四式練習機(俗に赤とんぼと呼ばれたキ86ドイツユングマン練習機)での訓練終了、99式練習機に。
8月 8日(水):防空演習
8月 9日(木):午前3時30分ごろ非常呼集、ソ連参戦。ソ連偵察機飛来。


わずか3カ月、38時間少々の飛行時間。自動車の教習並で、どう考えても充分な訓練とは思えないところにソ連参戦と、まさに激動である。

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実際、陸軍も特攻しか考えていなかった。

続く


| 日記・つぶやき | 20:00 | comments(0) | - |


映画「ガッチャマン」を観賞 松坂桃李・綾野剛・剛力彩芽
漫画やアニメの実写化が相次いでいるが、実写版の映画「ガッチャマン」を観賞してきた。

1972年のテレビアニメ放送や、のちの夕方の再放送を見ており、ギャラクターは毎週ものすごく大きな機械を投入する割にはいとも簡単に負けており、あの生産能力と資金力はいったいどこにあるのかと、不思議に思っていた。



映画は近未来が舞台。
謎の侵略者により地球の半分が壊滅した。しかし「石」と呼ばれる結晶体の力を出せる適合者が800万人に一人の割でいることが分かり、人類は適合者を集めて特殊エージェントとして訓練を強制した。
石を駆使する忍者、ガッチャマンである。

配役は、健=松坂桃李、ジョー=綾野剛、ジュン=剛力彩芽、甚平=濱田龍臣、竜=鈴木亮平。南部博士=岸谷五朗、そしてベルクカッツェは初音映莉子。初音は今上映中の「終戦のエンペラー」でも重要な役どころを演じており、最近の活躍は要チェック。

特筆すべきはそのVFXのすごさで、「ALWAYS三丁目の夕日」を手掛けた白組による。冒頭の新宿の街並みをギャラクターのタイヤ型の兵器が破壊していく様子は、特撮の神様円谷英二が見たら腰を抜かすだろう。逆に、アニメや漫画の実写版が増えている背景には特撮技術、CGの進化による。
日本の特撮もここまで来たかと感心した。

肝心のお話だが、荒唐無稽はかまわないが今一つ感情移入ができなかった。それは脚本か役者の演技・演出のせいだろう。
仲間の絆、仲間割れ、胸キュンすべき悲恋などの要素が盛り込まれているのだけれども、どうも滑った。

●余計なひとことふたこと
・ギャラクターが強い。強すぎる。アニメはスターウォーズの兵隊ロボのようにいとも簡単にやられていたのに逆にこっちがやられてしまう。

・VFXがすごいのだが、新宿の実写の街並みで戦ったり破壊したり、都庁前に戦車が登場したり、海中から浮かび上がる巨大な要塞の水しぶきなど、昔の模型ではこうはできなかった。

・21世紀の感覚でのリメイクだが、音楽はどこかにかつての「誰だ、誰だ、だれっだ〜」のオマージュが欲しかった。

・ウィルスが悪さをするってのは、最近の荒唐無稽映画のお決まりなのでしょうか。

・ベルクカッツェが女性設定はよいけれども、初音映莉子じゃなくて仲里依紗だったらもっとボンテージ感が増したな。初音であってもグラマーにするとか、衣装で方法はいくらでもあったはず。ただしあの複雑な演技は初音だからこそ。どっちをとるか、かな。

・続編がありそうな結末でした。今度の敵役は…。

  
| 映画・テレビ | 18:33 | comments(0) | - |


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