2014.10.31 Friday
心の友 Kokoro no Tomo 五輪真弓 インドネシアで大ヒット
歌手の五輪真弓は40歳以上の人なら「恋人よ」で知っているのではないか。あるいはデビュー曲の「少女」もメロディが浮かぶだろう。
しかしそれ以上の大ヒット曲がある。
それは「心の友(Kokoro noTomo)」だ。しかし日本人で知っている人はほとんどいない。
だが、インドネシアの人は日本語ができなくても日本語で歌うことができる。インドネシアでは国民的愛唱歌になっているのだ。インドネシアの人口は日本の倍、2億4千万人いる。
1982年、五輪真弓のコンサートでこの歌を聴いたラジオ局に勤めるインドネシア人が、国に帰ってラジオで放送したところ大反響を呼び、当時シングルレコードも出ていなかったのに、1986年には国民的歌唱曲になってしまったのだ。
インドネシア人は親日家が多くてそれも追い風になり、日本語を勉強する人もこの歌がきっかけになった人が多いという。
とてもよい歌詞だが、インドネシアの人はどうやって意味を知ったのだろう。
心の友
作詞・作曲 五輪真弓
あなたから苦しみを 奪えたそのとき
私にも生きてゆく 勇気が湧いてくる
あなたと出会うまでは孤独なさすらい人
その手のぬくもりを 感じさせて
愛はいつもララバイ
旅に疲れたとき
ただ心の友と
私を呼んで
信じあう心さえどこかに忘れて
人は何故 過ぎた日のしあわせおいかける
静かにまぶた閉じて心のドアを開き
私をつかんだら 涙ふいて
愛はいつもララバイ
あなたが弱い時
ただ心の友と
私を呼んで
愛はいつもララバイ
あなたが弱い時
ただ心の友と
私を呼んで
インドネシアの駐在に赴任したらみんな歌わされるらしい。
日本人は心の友を全く知らないので戸惑い、インドネシア人は日本人のくせに知らないのかと驚くそうだ。
わしも覚えるか。「♪愛はいつもララバ〜イ…」
しかしそれ以上の大ヒット曲がある。
それは「心の友(Kokoro noTomo)」だ。しかし日本人で知っている人はほとんどいない。
だが、インドネシアの人は日本語ができなくても日本語で歌うことができる。インドネシアでは国民的愛唱歌になっているのだ。インドネシアの人口は日本の倍、2億4千万人いる。
1982年、五輪真弓のコンサートでこの歌を聴いたラジオ局に勤めるインドネシア人が、国に帰ってラジオで放送したところ大反響を呼び、当時シングルレコードも出ていなかったのに、1986年には国民的歌唱曲になってしまったのだ。
インドネシア人は親日家が多くてそれも追い風になり、日本語を勉強する人もこの歌がきっかけになった人が多いという。
とてもよい歌詞だが、インドネシアの人はどうやって意味を知ったのだろう。
心の友
作詞・作曲 五輪真弓
あなたから苦しみを 奪えたそのとき
私にも生きてゆく 勇気が湧いてくる
あなたと出会うまでは孤独なさすらい人
その手のぬくもりを 感じさせて
愛はいつもララバイ
旅に疲れたとき
ただ心の友と
私を呼んで
信じあう心さえどこかに忘れて
人は何故 過ぎた日のしあわせおいかける
静かにまぶた閉じて心のドアを開き
私をつかんだら 涙ふいて
愛はいつもララバイ
あなたが弱い時
ただ心の友と
私を呼んで
愛はいつもララバイ
あなたが弱い時
ただ心の友と
私を呼んで
インドネシアの駐在に赴任したらみんな歌わされるらしい。
日本人は心の友を全く知らないので戸惑い、インドネシア人は日本人のくせに知らないのかと驚くそうだ。
わしも覚えるか。「♪愛はいつもララバ〜イ…」