>2014年11月6日に亡くなった種村直樹氏が、2015年3月14日開業の北陸新幹線に乗っていたらどんなルポを書いたのだろうとの妄想をしたためた。一周忌の追悼文集から転載する。
<
続き>
慌ただしい二人と別れ、さて、我々はこのあとはどうしようか。
「第三セクターに乗って高岡に戻り、氷見線に乗りませんか。」と高野が提案した。
そうだ、特急や寝台列車が駆け抜けていたJR北陸本線から、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道の第三セクターになってしまった在来線も見ておきたい。
氷見線も、そのうちあいの風とやま鉄道に組み込まれてしまうのか、あるいは氷見鉄道株式会社という独立した第三セクターになってしまうのだろうか。
「そうなったら先生、公募駅長に応募しましょうよ」
高野がけしかける。第三セクターやローカル私鉄で、公募駅長や公募運転士が流行っているから、いずれ元JRといえども北陸の第三セクターでもそうなるのは、よろしくないがあり得ない話ではない。
「タマ駅長よりは人気が出るんじゃないですか」と稲垣が続ける。
猫のタマ駅長にタネ駅長が負けるのはぞっとしないが、駅長になったら、地元の人にも、鉄道が好きでわざわざ訪れる人にも、愛され楽しめる路線にしたいものだ。
「そのときは僕がコンサルをしますから」
と、高野は自分を売り込むのを忘れなかった。
金沢駅のコンコースの中央が、IRいしかわ鉄道の改札口だ。昨日まではJR北陸本線の改札口だったのだ。金沢発10時7分の泊行に乗り込む。これも昨日まではJRとして運行されていた車両だ。
混んでいる車内の雰囲気はJR時代と変わりないが、車内アナウンスはIRいしかわ鉄道のもので、倶利伽羅駅からはあいの風とやま鉄道の車掌となり、アナウンスも変わった。
“ローカル駅”にしては立派過ぎる橋上の高岡駅に、10時47分に着いた。高岡市の新幹線駅はやや内陸部に新高岡駅が出来、城端線に新しく乗換駅まで作ってJRは連絡させている。高岡駅は2007年から橋上駅化工事が始まり、2011年から供用開始された。新幹線が市の中心部に来ない「お詫び」のような工事の感じがしないでもない。
氷見線は駅の端、7番線ホームに発着する。地元の大学生が、氷見駅まで行く客に氷見市のガイドを付ける実証実験をしていた。氷見線の観光利用の利便性の向上をしなければ、氷見線の存続にもかかわるからだろうけれど、はたしてどれだけの効果があるだろうか。氷見線は、言うまでもなく雨晴駅付近の車窓を僕のベストとして掲げている。終着の氷見市だけではなく、氷見線全体として魅力を打ち出したほうが効果は高いと思う。
11時12分の1両編成の氷見線に乗り込むが意外と混んでいる。おそらくは新幹線効果で北陸地方にどっと観光客が繰り出して、北陸全体に観光客があふれたのだろう。よい傾向だが今日だけではダメで、いつまで維持できるか、それが最大の課題である。
越中国分駅を過ぎると、車窓右手に青々とした海が広がった。しかも振り返って左手を見ると、白い雪をかぶった立山連峰がそびえる。これこそが氷見線の魅力なのだ。高野と稲垣も久しぶりに見るのだろう、言葉もなく見入っている。
まもなく海に女岩(めいわ)が見えてきた。てっぺんに松が1本生えているのがチャームポイント。僕も窓にかぶりついて車窓を楽しむ。そういえば僕の追悼出版ともいえる、実業之日本社の「鈍行最終気まぐれ列車」の表紙のイラストは、女岩付近を走る氷見線だ。ついでに奥付の発行日は2015年3月7日で僕の誕生日であり、岩野裕一本部長と村上真一編集長に感謝しておく。
11時32分に雨晴駅に到着し、何人かが降りるのでそこは気まぐれ列車、氷見まで行かないで僕たちも一緒に降りた。高岡市雨晴観光案内所が改札業務を請け負っているようで降車客は老窓口氏に切符を渡している。委託であっても駅に人がいるのは安心につながる。記念きっぷや絵葉書を売っていたけれど、今の僕には増収協力ができないのが残念だ。
駅の裏側から海沿いを、つまりは線路沿いを歩いて、女岩を臨む展望台のようになっている護岸壁に出た。立山連峰はかすんでいるものの、ちゃんと見えている。その手前の絵になる女岩。逃避行の義経が隠れたという、義経岩とその上の神社。よい天気と相まって、雨晴の魅力を堪能した。ほかにもちらほらと観光客がいて、写真を撮りあっている。
よく見たら北川宣浩夫妻が、観光客に交じって写真を撮っている。金沢駅では会わなかったが、おそらくは北陸新幹線の初乗りで富山か金沢まで来て、氷見線に足を伸ばして、雨晴駅で降りたのだろう。護岸壁に立って二人並んで三脚で撮影している姿はほほえましく、声をかけられるなら高野・稲垣ともども冷やかすところだった。
まもなく次の下り列車の音が聞こえてきた。義経岩の向こうにヘッドライトが見える。北川が望遠レンズをつけて列車の写真を撮りだした。海沿いにカーブを描いて走ってくる列車は、地元キャラクターのイラスト列車だ。どうやら北川たちは、この列車の氷見駅折り返しに、雨晴駅から乗って富山方面に戻るらしい。では僕たちもそれで戻るとしよう。
雨晴駅には10人ほどの乗客がいて、なかなかの盛況だ。さきほどのキャラクター列車が氷見駅から戻って入線してきた。僕たちが北川夫妻の後ろから乗りこんだら、座席で手招きをしている初老の男がいる。辻聡だ。一瞬、僕を呼んでいると思ったが僕が見えるわけがなく、北川たちと声を掛け合って同じボックスに座って歓談を始めた。話を聞いているとどうやら別々の新幹線で金沢に来たらしく、辻はさっき氷見駅まで乗ってそのまま折り返した由。
列車が走り出すと、すぐに車窓左手は女岩の絶景になった。遠くに立山連峰がうっすらと見える。海と山、まさにこれぞ氷見線、これぞ日本のローカル線だ。
辻が、もそもそとバッグをかき回したかと思うと、写真立てを取り出した。なんと僕の写真だ。
「今回は遺影を持ってきていてね」と北川夫妻に言いながら、窓側にそれを置いて外に向けた。僕に氷見線の車窓風景を見せてくれているのだ。
なにやらじんわりする光景だ。辻も北川夫妻も、わざわざ氷見線に乗っているということは、僕の「追悼乗車」に違いない。高野、稲垣ともども顔を見合わせてうなずいた。
高岡駅から第三セクターに乗り換え、富山駅に着いて辻たちは雑踏の中に消えていった。
「次は来年の北海道新幹線開業ですかね」「そうだなぁ」
高野と稲垣と三人で、いや、たぶん辻たちとも再び新幹線開業に乗れるとはあれうれしや。新函館北斗駅、というらしいが、函館には白井朝子フォトグラファーや高橋摂エディターもいるので、にぎやかに開業を祝えることだろう。
僕たちは、このあとはそれぞれの家にちょっと寄って、冥土に戻ることにした。
これからも、みなさんが汽車に乗れば、僕もそこに乗っている。みんなには見えないけれども、僕は一緒に乗っている。北海道新幹線開業であっても、廃線が噂されるローカル線であっても、いつもの電車であっても、僕も一緒に乗っている。
僕は汽車旅の楽しさを直接伝えることは出来なくなったけれども、みなさんが乗る列車には僕も乗っているのだ。
汽車旅は、いつも、僕と、同行二人(どうぎょうににん)だ。
僕の永遠の願いは、君たちがいつもいつまでも汽車旅を楽しんでくれて、その魅力を広めてくれることなのだ。
また、汽車に乗ろう。
<了>
この作品は3月14日に北陸新幹線に乗った時から構想があった。氷見線車中で辻氏と「先生ならどんなルポを書いただろうか」と話していた。
先に読んだ人から「どうしてこういう発想ができるのか」「なんでそっくりな文章が書けるのか」と、驚きの感想をいただいた。それは私が絵を描けて文章を書けてと、非凡で並はずれた才能を持っているのと、種村直樹氏に対する深い思いに他ならない。
この作品で私が言いたかったのは、最後のセンテンスに集約されている。お分かりいただけると思う。
贋作:北陸新幹線気まぐれ列車 1 に戻る