2016.10.31 Monday
贋作:北海道新幹線気まぐれ列車<4> 道南いさりび鉄道 種村直樹偽者
レイルウェイ・ライター種村直樹氏が2014年11月6日に亡くなって三回忌を迎えようとしている。わずかな期間だが、鉄道界は大きな変革を遂げている。
この駄文は、2016年5月に仲間内の会報誌に発表した「種村氏が生きていて北海道新幹線をルポした」妄想投稿を加筆修正してお届けします。もちろんフィクションです。ご遺族、関係者の方々にはたいへんな失礼を承知しつつ、どうかご寛容に願います。
続き
今度は乗り遅れないようにと、早めに新函館北斗駅に戻る。<はこだてライナー>はすでに入線していた。気動車ではなく新幹線アクセスに特化した電車であり、ラベンダー色の帯と側面のマークがまぶしい。けれど、車内に入るとロングシートで、これはまさに通勤電車。旅情もなにも、あったものじゃない。そのうち、新幹線が到着したようで、だんだん混みだした。僕は座れたからよいものを、立錐の余地もなくなって発車した。
都会の通勤電車以上に混雑している<はこだてライナー>は函館駅へと向かう。五稜郭駅に止まって、多少の客が降りた。五稜郭駅から五稜郭公園はかなり離れているので、五稜郭に行くなら函館駅まで行って路面電車で向かったほうがよいとのアナウンス。なかなか親切だ。
満員の乗客で、周囲の様子もあまり見えないまま函館駅に着いた。なお、札幌駅から函館駅を結ぶ特急はすべて新函館北斗駅に止まるから、列車さえ来れば特急に乗るのも手だ。25kmまで自由席310円の設定があるから、これなら負担は低い。
北海道新幹線の多くの乗客がそのまま函館駅まで来た。改札口で、やはり切符に無効印を押す係員がいて、もちろん乗車券に押印してもらった。コンコースはすごい人だかりだ。一階の売店や二階のレストラン部分も改装されており、そこもたいへんにぎわっていた。
東京を6時32分のはやぶさ1号に乗り、函館駅に11時25分に着くところが、はこだてライナーに乗り遅れて1便あとの12時49分着になったが、それでも早いと言えば早い。
乗り遅れたとはいえ、そこは気まぐれ列車。乗り遅れたなりの気まぐれで、今日開業した道南いさりび鉄道に乗ることにする。函館駅改札口右側はJRの自動券売機だが、老婆が、と言っても僕より若いのだろうけれど、運賃表の地図を見て困っている。そこで「どちらに行きますか?」と聞いたら「北斗」と答えた。
一瞬、わが耳を疑った。新函館北斗でも、新函館でも、ましてや大野や渡島大野でもなく、北斗と言う。北斗市なんていう新興の市名がこうも通用しているのか。「360円ですよ」と教えたが、びっくりぽんだった。
道南いさりび鉄道の券売機は改札口左側だ。いまどき食堂にもないような小さな券売機で、終点の木古内は1110円だった。第三セクターで運賃が値上がりした上に、五稜郭駅まではJRなので、運賃計算が切り替わるために起きる弊害だ。そういえば、新幹線自体、新青森で特急料金は打ち切り計算になるので割高だ。
改札口はJRと一緒で、自動改札に切符を通して構内に入る。旧JR江差線のホームだから一番手前だ。キハ40にグリーンとラベンダー色の帯がついて、しかも正面の銘版が<道南いさりび鉄道>になっている。昭和54年の新潟鐵工所生まれで、なんだか妙な感じだけれども、このようにちゃんと化粧が施されているので、思わずニヤリとした。
進行方向左側に席を取る。もちろん、海を間近に見るためだ。2両編成の車内はほぼ満席になった。13時29分発で、しばらくは市街地を走る。駅名票も道南いさりび鉄道のものに代えられており、上磯駅を過ぎると海が見えた。海の向こうには函館山がそびえる。「見慣れた風景」と言うと大げさだが、これまではスーパー白鳥で通り過ぎるだけの風景が、まさにローカル線の旅であり、時折乗ってくる老婆の服装に地方を感じる。14時33分に木古内駅に着いた。
木古内駅は新幹線駅でもある。かつての小さな駅がウソのような変貌ぶりだ。すると、在来線ホームを長い貨物列車が轟音と共に駆け抜けた。そのまま青函トンネルに入っていくのだ。あらためて、青函トンネルが在来線と新幹線の共用であることに気付く。木古内駅の西南のシェルター内で、二つのレールは一つになって、青函トンネルに向かう。
木古内駅の道南いさりび鉄道の小さなホームの跨線橋を上がり、駅本屋に上がると、そこは小さな改札口で、ここでもローカル線を感じさせられる。昨日までは、JR江差線の改札口だったので、行先案内は白い紙をかぶせて隠してある。狭い通路で新幹線側と結ばれており、下に降りると、駅の北口、つまり裏側に出た。不釣り合いの広いロビーと新幹線用の自動改札があるが、客は少ない。ちょうど新幹線が上下線とも行ってしまったのだろう。駅を出ても、閑散とした街に広いロータリーが目立つだけだ。
次いで、駅の南側に出てみる。こちらが表口だ。駅の右手駐車場はイベント広場になって、小屋がたくさん建っており、大勢の人が見守る中、ステージでは着ぐるみのキャラクターが踊っていた。そして広いバスロータリーの向こうには「道の駅みそぎの郷きこない」の茶色い建物が出来ていた。これは驚いた。昔の木古内駅前のさびれた姿を知っている僕からすれば別世界だ。いや、木古内の人こそ、それを感じているだろう。発展する郷土が現実のものとなったのだ。
地元料理などを提供しているプレハブ小屋の脇を通って道の駅に行く。道の駅の中は、多くは地元民だろうけれども、たいへん混んでおり、軽食や土産が飛ぶように売れている。僕が増収協力をするまでもなく、長い列ができているので、早々と街中に出てみた。
駅から一歩離れた街中は、一転して静かだった。いつもの木古内とあまり変わりない。このような変わらぬ“お出迎え”もまたよいものだ。その木古内でぜひ行ってみたい店があった。それが<駅前飯店急行>だ。木古内駅を出てすぐ左手にあった小さな中華料理店で、たぶん道の駅の場所にあったのだろうが、新幹線工事のため移転して、警察署の前で再開した。そのため、函館駅では食事をしないでおいたので、いささか空腹である。
店名の<急行>とは、いずれは木古内駅に急行が停まってほしいとの願いからつけられた店名らしいけれども、急行どころか“超特急”が停まるようになってしまった。亡くなったご主人は、さぞうれしいことだろう。
続く
この駄文は、2016年5月に仲間内の会報誌に発表した「種村氏が生きていて北海道新幹線をルポした」妄想投稿を加筆修正してお届けします。もちろんフィクションです。ご遺族、関係者の方々にはたいへんな失礼を承知しつつ、どうかご寛容に願います。
続き
今度は乗り遅れないようにと、早めに新函館北斗駅に戻る。<はこだてライナー>はすでに入線していた。気動車ではなく新幹線アクセスに特化した電車であり、ラベンダー色の帯と側面のマークがまぶしい。けれど、車内に入るとロングシートで、これはまさに通勤電車。旅情もなにも、あったものじゃない。そのうち、新幹線が到着したようで、だんだん混みだした。僕は座れたからよいものを、立錐の余地もなくなって発車した。
都会の通勤電車以上に混雑している<はこだてライナー>は函館駅へと向かう。五稜郭駅に止まって、多少の客が降りた。五稜郭駅から五稜郭公園はかなり離れているので、五稜郭に行くなら函館駅まで行って路面電車で向かったほうがよいとのアナウンス。なかなか親切だ。
満員の乗客で、周囲の様子もあまり見えないまま函館駅に着いた。なお、札幌駅から函館駅を結ぶ特急はすべて新函館北斗駅に止まるから、列車さえ来れば特急に乗るのも手だ。25kmまで自由席310円の設定があるから、これなら負担は低い。
北海道新幹線の多くの乗客がそのまま函館駅まで来た。改札口で、やはり切符に無効印を押す係員がいて、もちろん乗車券に押印してもらった。コンコースはすごい人だかりだ。一階の売店や二階のレストラン部分も改装されており、そこもたいへんにぎわっていた。
東京を6時32分のはやぶさ1号に乗り、函館駅に11時25分に着くところが、はこだてライナーに乗り遅れて1便あとの12時49分着になったが、それでも早いと言えば早い。
乗り遅れたとはいえ、そこは気まぐれ列車。乗り遅れたなりの気まぐれで、今日開業した道南いさりび鉄道に乗ることにする。函館駅改札口右側はJRの自動券売機だが、老婆が、と言っても僕より若いのだろうけれど、運賃表の地図を見て困っている。そこで「どちらに行きますか?」と聞いたら「北斗」と答えた。
一瞬、わが耳を疑った。新函館北斗でも、新函館でも、ましてや大野や渡島大野でもなく、北斗と言う。北斗市なんていう新興の市名がこうも通用しているのか。「360円ですよ」と教えたが、びっくりぽんだった。
道南いさりび鉄道の券売機は改札口左側だ。いまどき食堂にもないような小さな券売機で、終点の木古内は1110円だった。第三セクターで運賃が値上がりした上に、五稜郭駅まではJRなので、運賃計算が切り替わるために起きる弊害だ。そういえば、新幹線自体、新青森で特急料金は打ち切り計算になるので割高だ。
改札口はJRと一緒で、自動改札に切符を通して構内に入る。旧JR江差線のホームだから一番手前だ。キハ40にグリーンとラベンダー色の帯がついて、しかも正面の銘版が<道南いさりび鉄道>になっている。昭和54年の新潟鐵工所生まれで、なんだか妙な感じだけれども、このようにちゃんと化粧が施されているので、思わずニヤリとした。
進行方向左側に席を取る。もちろん、海を間近に見るためだ。2両編成の車内はほぼ満席になった。13時29分発で、しばらくは市街地を走る。駅名票も道南いさりび鉄道のものに代えられており、上磯駅を過ぎると海が見えた。海の向こうには函館山がそびえる。「見慣れた風景」と言うと大げさだが、これまではスーパー白鳥で通り過ぎるだけの風景が、まさにローカル線の旅であり、時折乗ってくる老婆の服装に地方を感じる。14時33分に木古内駅に着いた。
木古内駅は新幹線駅でもある。かつての小さな駅がウソのような変貌ぶりだ。すると、在来線ホームを長い貨物列車が轟音と共に駆け抜けた。そのまま青函トンネルに入っていくのだ。あらためて、青函トンネルが在来線と新幹線の共用であることに気付く。木古内駅の西南のシェルター内で、二つのレールは一つになって、青函トンネルに向かう。
木古内駅の道南いさりび鉄道の小さなホームの跨線橋を上がり、駅本屋に上がると、そこは小さな改札口で、ここでもローカル線を感じさせられる。昨日までは、JR江差線の改札口だったので、行先案内は白い紙をかぶせて隠してある。狭い通路で新幹線側と結ばれており、下に降りると、駅の北口、つまり裏側に出た。不釣り合いの広いロビーと新幹線用の自動改札があるが、客は少ない。ちょうど新幹線が上下線とも行ってしまったのだろう。駅を出ても、閑散とした街に広いロータリーが目立つだけだ。
次いで、駅の南側に出てみる。こちらが表口だ。駅の右手駐車場はイベント広場になって、小屋がたくさん建っており、大勢の人が見守る中、ステージでは着ぐるみのキャラクターが踊っていた。そして広いバスロータリーの向こうには「道の駅みそぎの郷きこない」の茶色い建物が出来ていた。これは驚いた。昔の木古内駅前のさびれた姿を知っている僕からすれば別世界だ。いや、木古内の人こそ、それを感じているだろう。発展する郷土が現実のものとなったのだ。
地元料理などを提供しているプレハブ小屋の脇を通って道の駅に行く。道の駅の中は、多くは地元民だろうけれども、たいへん混んでおり、軽食や土産が飛ぶように売れている。僕が増収協力をするまでもなく、長い列ができているので、早々と街中に出てみた。
駅から一歩離れた街中は、一転して静かだった。いつもの木古内とあまり変わりない。このような変わらぬ“お出迎え”もまたよいものだ。その木古内でぜひ行ってみたい店があった。それが<駅前飯店急行>だ。木古内駅を出てすぐ左手にあった小さな中華料理店で、たぶん道の駅の場所にあったのだろうが、新幹線工事のため移転して、警察署の前で再開した。そのため、函館駅では食事をしないでおいたので、いささか空腹である。
店名の<急行>とは、いずれは木古内駅に急行が停まってほしいとの願いからつけられた店名らしいけれども、急行どころか“超特急”が停まるようになってしまった。亡くなったご主人は、さぞうれしいことだろう。
続く