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贋作:北海道新幹線気まぐれ列車<4> 道南いさりび鉄道 種村直樹偽者
レイルウェイ・ライター種村直樹氏が2014年11月6日に亡くなって三回忌を迎えようとしている。わずかな期間だが、鉄道界は大きな変革を遂げている。
この駄文は、2016年5月に仲間内の会報誌に発表した「種村氏が生きていて北海道新幹線をルポした」妄想投稿を加筆修正してお届けします。もちろんフィクションです。ご遺族、関係者の方々にはたいへんな失礼を承知しつつ、どうかご寛容に願います。

続き

 今度は乗り遅れないようにと、早めに新函館北斗駅に戻る。<はこだてライナー>はすでに入線していた。気動車ではなく新幹線アクセスに特化した電車であり、ラベンダー色の帯と側面のマークがまぶしい。けれど、車内に入るとロングシートで、これはまさに通勤電車。旅情もなにも、あったものじゃない。そのうち、新幹線が到着したようで、だんだん混みだした。僕は座れたからよいものを、立錐の余地もなくなって発車した。
 都会の通勤電車以上に混雑している<はこだてライナー>は函館駅へと向かう。五稜郭駅に止まって、多少の客が降りた。五稜郭駅から五稜郭公園はかなり離れているので、五稜郭に行くなら函館駅まで行って路面電車で向かったほうがよいとのアナウンス。なかなか親切だ。
 満員の乗客で、周囲の様子もあまり見えないまま函館駅に着いた。なお、札幌駅から函館駅を結ぶ特急はすべて新函館北斗駅に止まるから、列車さえ来れば特急に乗るのも手だ。25kmまで自由席310円の設定があるから、これなら負担は低い。
 北海道新幹線の多くの乗客がそのまま函館駅まで来た。改札口で、やはり切符に無効印を押す係員がいて、もちろん乗車券に押印してもらった。コンコースはすごい人だかりだ。一階の売店や二階のレストラン部分も改装されており、そこもたいへんにぎわっていた。
 東京を6時32分のはやぶさ1号に乗り、函館駅に11時25分に着くところが、はこだてライナーに乗り遅れて1便あとの12時49分着になったが、それでも早いと言えば早い。

 乗り遅れたとはいえ、そこは気まぐれ列車。乗り遅れたなりの気まぐれで、今日開業した道南いさりび鉄道に乗ることにする。函館駅改札口右側はJRの自動券売機だが、老婆が、と言っても僕より若いのだろうけれど、運賃表の地図を見て困っている。そこで「どちらに行きますか?」と聞いたら「北斗」と答えた。
一瞬、わが耳を疑った。新函館北斗でも、新函館でも、ましてや大野や渡島大野でもなく、北斗と言う。北斗市なんていう新興の市名がこうも通用しているのか。「360円ですよ」と教えたが、びっくりぽんだった。
 道南いさりび鉄道の券売機は改札口左側だ。いまどき食堂にもないような小さな券売機で、終点の木古内は1110円だった。第三セクターで運賃が値上がりした上に、五稜郭駅まではJRなので、運賃計算が切り替わるために起きる弊害だ。そういえば、新幹線自体、新青森で特急料金は打ち切り計算になるので割高だ。
 改札口はJRと一緒で、自動改札に切符を通して構内に入る。旧JR江差線のホームだから一番手前だ。キハ40にグリーンとラベンダー色の帯がついて、しかも正面の銘版が<道南いさりび鉄道>になっている。昭和54年の新潟鐵工所生まれで、なんだか妙な感じだけれども、このようにちゃんと化粧が施されているので、思わずニヤリとした。
 進行方向左側に席を取る。もちろん、海を間近に見るためだ。2両編成の車内はほぼ満席になった。13時29分発で、しばらくは市街地を走る。駅名票も道南いさりび鉄道のものに代えられており、上磯駅を過ぎると海が見えた。海の向こうには函館山がそびえる。「見慣れた風景」と言うと大げさだが、これまではスーパー白鳥で通り過ぎるだけの風景が、まさにローカル線の旅であり、時折乗ってくる老婆の服装に地方を感じる。14時33分に木古内駅に着いた。
 木古内駅は新幹線駅でもある。かつての小さな駅がウソのような変貌ぶりだ。すると、在来線ホームを長い貨物列車が轟音と共に駆け抜けた。そのまま青函トンネルに入っていくのだ。あらためて、青函トンネルが在来線と新幹線の共用であることに気付く。木古内駅の西南のシェルター内で、二つのレールは一つになって、青函トンネルに向かう。
 木古内駅の道南いさりび鉄道の小さなホームの跨線橋を上がり、駅本屋に上がると、そこは小さな改札口で、ここでもローカル線を感じさせられる。昨日までは、JR江差線の改札口だったので、行先案内は白い紙をかぶせて隠してある。狭い通路で新幹線側と結ばれており、下に降りると、駅の北口、つまり裏側に出た。不釣り合いの広いロビーと新幹線用の自動改札があるが、客は少ない。ちょうど新幹線が上下線とも行ってしまったのだろう。駅を出ても、閑散とした街に広いロータリーが目立つだけだ。
 次いで、駅の南側に出てみる。こちらが表口だ。駅の右手駐車場はイベント広場になって、小屋がたくさん建っており、大勢の人が見守る中、ステージでは着ぐるみのキャラクターが踊っていた。そして広いバスロータリーの向こうには「道の駅みそぎの郷きこない」の茶色い建物が出来ていた。これは驚いた。昔の木古内駅前のさびれた姿を知っている僕からすれば別世界だ。いや、木古内の人こそ、それを感じているだろう。発展する郷土が現実のものとなったのだ。
 地元料理などを提供しているプレハブ小屋の脇を通って道の駅に行く。道の駅の中は、多くは地元民だろうけれども、たいへん混んでおり、軽食や土産が飛ぶように売れている。僕が増収協力をするまでもなく、長い列ができているので、早々と街中に出てみた。

0駅前飯店急行tane.jpg

 駅から一歩離れた街中は、一転して静かだった。いつもの木古内とあまり変わりない。このような変わらぬ“お出迎え”もまたよいものだ。その木古内でぜひ行ってみたい店があった。それが<駅前飯店急行>だ。木古内駅を出てすぐ左手にあった小さな中華料理店で、たぶん道の駅の場所にあったのだろうが、新幹線工事のため移転して、警察署の前で再開した。そのため、函館駅では食事をしないでおいたので、いささか空腹である。
 店名の<急行>とは、いずれは木古内駅に急行が停まってほしいとの願いからつけられた店名らしいけれども、急行どころか“超特急”が停まるようになってしまった。亡くなったご主人は、さぞうれしいことだろう。

続く

| 日記・つぶやき | 19:55 | comments(0) | - |


贋作:北海道新幹線気まぐれ列車<3> 新函館北斗駅到着 種村直樹偽者
レイルウェイ・ライター種村直樹氏が2014年11月6日に亡くなって、まもなく三回忌を迎えようとしている。わずかな期間だが、鉄道界は大きな変革を遂げている。
この駄文は、2016年5月に仲間内の会報誌に発表した「種村氏が生きていて北海道新幹線をルポした」妄想投稿を加筆修正してお届けします。もちろんフィクションです。ご遺族、関係者の方々にはたいへんな失礼を承知しつつ、どうかご寛容に願います。

続き

 特急スーパー白鳥とは比べ物にならない早さで、奥津軽いまべつ駅到着。ホームに地元民が旗を振ってお出迎えしてくれる。窓越しに見ると、狭いホームだのにさらにホームドアがあるからますます狭く感じる。今日は見物客がチラホラいるけれども、青函トンネルに万一のことがあった時の避難駅の色合いが濃いので、普段の乗客はほとんどいないだろう。また、在来線の津軽二股駅との乗換駅でもあり、青春18きっぷはオプション券の購入で、奥津軽いまべつ駅〜木古内駅に新幹線を利用できる配慮がされた。

 速度が落ちてきて、いよいよ青函トンネルだ。長い工事期間がかかったが、1988年の開業以来、ついに新幹線が通るとは、多くの人が感慨深いのではないか。計画途中で新幹線規格に変更され、傾斜も緩やかになったので、いつの日にか新幹線が通ると、夢見ていた人もいただろう。
 僕は、工事中の取材で訪れて以来、何度となく在来線でお世話になっている青函トンネルだが、1988年の開通にも増して、今日は喜ばしい。
 車内アナウンスは、青函トンネルの歴史や長さなどを語り始めた。在来線のスーパー白鳥は、ドア上の電光掲示板でトンネル内の位置を示すけれども、新幹線車両にはその設備がないらしく、特段の案内はない。H5系はどうなのだろう。
貨物列車に風圧の影響を出さないため、速度を落としてずいぶんと長い時間をかけてトンネルを通り抜け、まだ雪の残る北海道へと上陸した。新幹線を通すために、まさに命を懸けて工事をしたトンネルマンたちも感慨無量だと思う。

 北海道はよく晴れており、残雪がまぶしい。車内から拍手が聞こえた。知内川の土手にある展望台はカメラの放列だ。ほどなく木古内(きこない)駅に到着した。木古内駅でも狭いホームで旗を振る地元の方々でいっぱいだった。こんなところの駅など、誰が利用するかと思ったけれども、何人かは降りたので、それなりの価値はあるようだ。
 木古内から江差に向かう江差線先端部分は2014年に廃止され、木古内〜五稜郭間はJR北海道が引き続き運営していたけれども、今日をもって第三セクターの道南いさりび鉄道に転換された。並行在来線の宿命だ。
 ゆっくり北海道の景色を楽しむ時間もなく、いつの間にかに新函館北斗駅に着くアナウンスがあったが、なにやら奇妙な一団が通路を通った。はやぶさPR隊という団体らしく、全身緑の服に頭に新幹線の模型をかぶっている。かなり大きくて通路をふさぐほどの模型で、迷惑この上ない。いったいJRの許可は取っているのだろうか。通路のドアを通るのも一苦労である。祝いたい気持ちはわかるが、いかがなものか。苦言を呈しておく。

 定時の10時58分に新函館北斗駅に着いた。ホームでは地元の観光業者や、一般の見物客が旗を振ってお出迎えだ。すべての客が下車して、ぞろぞろと出口に向かう。ここからは在来の函館本線を走る<はこだてライナー>で函館駅まで向かわなければならない。たった3両しかなく、新幹線の700人を超える乗客をどうやって函館まで運ぶ気だろう。中には、在来線特急で札幌方面に向かう客もいるのだろうが、新函館北斗駅で降りる客などほとんどいないはずだ。乗換の利便は、第一に考えなければならない課題だ。
 新函館北斗駅は昨日まで渡島(おしま)大野(おおの)駅で、周囲は何もない田園地帯だったからこそ、新幹線駅が作れた。函館駅は津軽海峡に突き出す位置にあるため、新幹線を在来線の函館駅に持ってこられなかった。ところが、この渡島大野駅は函館市ではなく大野町にあり、上磯町と合併して北斗市になった。計画中の駅名は新函館駅となっていたが、北斗市長が、北斗駅にするように提言を始めた。北斗市など、2006年にできたばかりの市で、誰も知らないし東京や札幌から用もないだろう。北斗市長が手柄にしたいのだ。知名度や歴史が抜群の函館市は容認できるわけがなく、当然反対した。すったもんだの挙句、新函館北斗という、三階建てのような駅名になってしまったが、僕は新函館駅がよかったと今でも思っている。それよりも、函館市が大野町を編入すればよかったのだ。
 新幹線出口は大混雑で、乗換のエスカレーターもびっしりだ。二階のコンコースに出ると、在来線との乗換窓口で、なんと切符に無効印を押してくれるサービスをしていた。これは去年の北陸新幹線開業日で学んだことだろう。しかも無効印は北海道の形をしている。これはうれしい。もちろん押してもらった。

 <はこだてライナー>の乗り換え時間は11分しかない。けれども、新幹線ホームもコンコースも、乗客と見物客とで混雑している。切符に無効印を押してもらい、キヨスクも眺めていたので、いつのまにか時間がかかってしまった。エスカレーターを上り下りして、ようやく在来線ホームにたどり着いたときは、発車のアナウンスが鳴り響いている。
 <はこだてライナー>の1番線ホームは切り込み式だった。小走りに向かうが、大勢の客がいて、どの車両も満席どころか、ドアからあふれんばかりの乗客だ。今日明日は増結するべきだが、3両編成はそうもいかないのだろう。僕は長引く入院生活のため、歩く速度がすっかりゆっくりになってしまい、切り込みの手前に着いたと思ったら、ドアが閉まって発車してしまった。
 なんと言うことだ、乗る客をおいてけぼりにするとは。振り向くと、駅員ではないと思うが、北斗市職員だろうか、案内の係員が困惑した顔をしている。「お客様、申し訳ありません。満席ですので、次の列車をお待ちください」というが、次の列車はいったいいつだ。
 係員は何やら紙を見て、「次のはこだてライナーは12時34分ですが、普通列車が11時19分にあります」と言った。けれども、どうせなら<はこだてライナー>に乗りたい。1時間半近くも待つのは、昔の僕なら激怒しただろうが、しかし、これはよいチャンスだと思う。おかげで新函館北斗駅や周辺をゆっくり見物できる。

 在来線から新幹線側に戻ってみると、2階部分の線路にかかる通路の壁がガラス張りで、新幹線ホームが見えるようになっている。2線はレールが敷かれて新幹線が止まっているが、もう1線、左側は路盤はあるもののレールはなく、これは札幌延伸時のホームになるのだろう。真上から新幹線を眺められる機会はあまりなく、これは粋な計らいだ。
 ガラス張りの脇に大きな周辺地図があるのだが、道南いさりび鉄道にことごとくシールが貼ってある。少しはがれているシールがあったのでめくってみたら「道南いさびり鉄道」になっていた。なんという誤植だ。何か所もあるのに、制作側の誰も気づかなかったとはいただけない。僕も「旅と鉄道」誌の誤植には悩まされたが、これはひどい。きれいに印刷されてガラスのカバーのかかる立派な地図だけれども、みっともないシールは辞めて、ただちに作り直すよう、関係者に猛省を促したい。

0新函館北斗tane.jpg

 表に出て振り返ると、黒い真四角な駅舎が見える。左上はJR新函館北斗駅、右上には北斗市観光交流センターの看板が出ている。どうやら、駅名に北斗とつけてやった見返りに、駅舎の建設費用の一部を北斗市に払わせたのだろう。周囲はレンタカー屋と、新幹線見物のための駐車場で、びっしり満車だ。新幹線に乗る人のための駐車場は別途用意されているけれども、見物客用の広大な無料駐車場があって、それが満車とは、北海道新幹線は単なる見世物に過ぎないのだろうか。
 新幹線を当て込んだ分譲住宅や、欧風のレストランなどが点在するが、コレといったものはなく、ホテルを建設中のクレーンが高くそびえていた。はたして、こんなところに泊まる客なんているのか。函館にはいいホテルがたくさんあるし、湯の川温泉も控えている。

続く
| 日記・つぶやき | 11:58 | comments(1) | - |


贋作:北海道新幹線気まぐれ列車<2> 新青森駅発車 種村直樹偽者
レイルウェイ・ライター種村直樹氏が2014年11月6日に亡くなって三回忌を迎えようとしている。わずかな期間だが、鉄道界は大きな変革を遂げている。
この駄文は、2016年5月に仲間内の会報誌に発表した「種村氏が生きていて北海道新幹線をルポした」妄想投稿をベースに、加筆修正してお届けします。もちろんフィクションです。ご遺族、関係者の方々にはたいへんな失礼を承知しつつ、どうかご寛容に願います。

続き

 <はやぶさ1号>の最後部付近では、JR幹部やタレントが集まり、出発式が行われた。<こまち1号>が先頭車両になるが、北海道へ渡る最後部の<はやぶさ>側で行ったため、あとでテレビを見たら、あっという間に視界から新幹線が消えてしまい、なんとも残念な出発式だった。
 僕の指定席券は5号車の通路側C席だ。ABは空いたまま発車した。けれども、大宮から夫婦らしき中年カップルが座ってきた。開業日にこの列車に乗っているということは、特段の用事もないのに、わざわざ選んで記念に乗っているということだろう。ならば、仮に大宮に住んでいても東京駅まで出てフルに乗ったほうがよいのにと思うが、いかがだろうか。大宮駅を過ぎると、さすがにビルや住宅は減って田畑が目立ってきた。宇都宮駅には止まらず、福島駅も飛ばして、次は仙台駅だ。

0座席tane.jpg

 北海道新幹線の経済価値を考えれば、<はやぶさ>を宇都宮に止めて、北関東の人々を東北・北海道へ誘導すればよい。実際、栃木県や宇都宮市はJRに陳情したようだが、叶わなかった。東京と北海道・函館のアクセスは、どう考えても飛行機に軍配が上がる。北海道新幹線は、東京から最速4時間2分と謳うが、函館市街地には、さらに<はこだてライナー>に乗り換えなければならず、実際は4時間半かかる。ならば、羽田空港や仙台空港に出るのがたいへんな北関東に<はやぶさ>止めることで、新しい客を北海道に取り込めるのではないだろうか。けれど、JR東日本としては、自分のところの新青森までの速達性を優先しているのだ。たかだかJR北海道の函館のために宇都宮に止めて、全体の所要時間が延びるのはよしとしなかったのだろう。
 青函トンネルは貨物列車と共用だから、高速の新幹線の風圧で、貨物列車が脱線しないように、速度を在来線特急並に落としているハンデがあるけれども、目玉商品として八戸駅に止めない列車を1本だけ作り、それで3時間58分くらいにして、最速列車を標榜できないものだろうか。そうすれば、北海道に行くなら、北海道新幹線は速いという意識が、国民に生まれる。あるいは、青函トンネルをもう1本掘って、新幹線と貨物を分離したらいかがだろうか。下北半島側は、距離は短いものの水深が深く、もろい土壌のため、青函トンネルは津軽半島側になった経緯がある。しかしトンネル技術は進んだから、今なら大湊線の先から貨物用の第二青函トンネルが建設でき、貨物と新幹線を分離させられる。さらに鹿部から室蘭へ、内浦湾にトンネルを掘れば、札幌により早く着ける。

 仙台駅ホームではちょっとした開業イベントがあり、多少乗客の入れ替えがあった。なんだ、新函館北斗駅まで乗らない客もいるのだ。せっかくの開業列車なのだから、北海道まで行けばいいのに。
 周囲の景色はすっかりローカルっぽくなり、雪はほとんど消えているが、東北の遅い春を感じさせられる。隣のAB席の中年夫婦にそれとなく話を聞いてみると、奥さんは江差出身で、今はご主人とさいたま市に住んでいるという。北海道新幹線が出来たので、久しぶりに夫婦で旅行に出かけた由。
 「江差ですか。それは、帰省が便利になりましたね」
 「はい、でも兄夫婦になり足が遠のきました。それに鉄道はほとんど利用したことがないんですよ。江差駅がどこにあるのかも、中学生のころまで知らなかったんです。内地から来た人に駅の場所を聞かれて『駅なんて行ったことがないから知らん』と答えたことがあります」
 …なんだか、ぞっとしない記憶がよみがえってきたが、江差線が廃線になっても、格別の思いはなかったそうで、それならば僕のほうが、残念に思う気持ちが強かっただろう。

 座席前のポケットには、JR東日本の車内誌「トランヴェール」が入っているので、もそもそと取り出す。ところが、JR北海道の「THE JR HOKKAIDO」は置かれていない。北海道新幹線にも置くと、従来の8万部を13万部に増刷しなければならず、設置や乗客の持ち帰りの補充にも費用がかかるため、断念したようだ。けれども、これから北海道に向かう乗客が、車内誌を読んで遥か北海道に夢を馳せ、道内の情報を知るのは、JR北海道にとっても有効だと思うが、置かないのはJR北海道が金がないだけでなく、大部分の行程を担うJR東日本が、いけずでもしたのだろうか。どうも、JRのやり方には疑問を呈すばかりだ。
 <こまち>の切り離しで停車時間が長かった盛岡を過ぎて、左側車窓に岩手山が大きく見えた。車内販売で弁当を買おうとするが、なかなかやってこない。どうやら居眠りをしているときに通るとみえる。新幹線グッズの売り子も特段の声をかけるわけでなく、そそくさと通り過ぎるので、何も買えなかった。

 それにしても…、東京駅では土屋武之宮原編集長沖Cから身を隠すようにした自分に腹が立ってくる。土屋が車番を控えに列車内をうろうろしないかと、仙台付近までは、気づかれないように身を固くして、顔を通路からそむけていたけれども、どうやらグランクラスにふんぞり返っているだけのようだ。こちらから挨拶に行こうとしてもグランクラスには原則入れないので、このままにしていよう。

 停車する必然性を感じられない八戸駅に止まって、新青森駅に。いよいよここからが北海道新幹線だ。すると車掌のアナウンスが変わった。まずはテープの日本語と英語の当たり障りのない放送に続いて、車掌の肉声が流れた。
本日は北海道新幹線をご利用くださいましてありがとうございます。これから先、青函トンネルを通り、はるか北海道までご案内します。本日、多くのみなさまのお力添えのもと、北海道新幹線、新青森〜新函館北斗間が開業しました。北海道と本州とを結ぶ大動脈として、沿線地域にお住いの皆様をはじめ、多くのお客様にご利用いただきますよう、すべてにわたって安全を最優先として、また、お客様との出会いを大切にし、社員一人一人が最高のおもてなしでお迎えすることをお約束します。これから始まる北海道新幹線をどうぞ末永くご利用くださいますよう、よろしくお願いします
 開業の喜びと、誇りを感じさせるアナウンスだ。何より「安全を最優先」という言葉が、今のJR北海道の使命を表している。安全が最優先なのは当たり前なのだが、あえて強調しないことには、もはやJR北海道は存続できない。それに「社員一人一人が最高のおもてなしをする」とは思い切った宣言をした。もっとも僕が行くような土地は、無人駅やワンマンカーがほとんどで、社員と遭遇すること自体が稀有だと思う。

続く

| 日記・つぶやき | 15:06 | comments(0) | - |


贋作:北海道新幹線気まぐれ列車<1> 東京駅ホームにて 種村直樹偽者
レイルウェイ・ライター種村直樹氏が2014年11月6日に亡くなってまもなく三回忌を迎える。その間も、鉄道界は大きな変革を遂げている。
この駄文は、2016年5月に仲間内の会報誌に発表したものをベースに、加筆修正してお届けします。




昨年11月末に投稿した「贋作:北陸新幹線気まぐれ列車」はおかげさまで大好評、冥界から下界に降りてきた種村直樹氏が汽車旅をする妄想だった。そして今年は北海道新幹線である。初出の仲間内の会報誌の編集部より「先生が亡くなっているのはかわいそう、生きている設定で」とのことなので、度重なる病気を克服して退院した種村氏はじめ、みんな生きている!
ご遺族、関係者の方々にはたいへんな失礼を承知しつつ、どうかご寛容に願います。


 2016年3月26日土曜日、新青森駅〜新函館北斗駅の148.4kmが開通し、北海道民の悲願であった新幹線が、青函トンネルを超えて北海道に上陸した。北海道新幹線の開業だ。これで鹿児島中央駅から新函館北斗駅まで、日本列島を新幹線が手を結んだ。
 しかしJR北海道は、北海道新幹線と魂を引き換えたと思える。駅の無人化の促進、さらには「ご利用が極端に少ない駅」の廃止、列車本数の減便、キヨスクやJR北海道プラザなどの付帯施設の閉鎖などなど、既存のサービスをどんどん切り捨てていった。振り返れば2011年の石勝線トンネル内での特急の脱線火災事故で、なおざりにされていた安全対策が露呈して、世間の厳しい目にさらされるようになった。すると出るわ出るわ、車両検査の未実施、保線検査結果のねつ造、運転士の覚せい剤使用など、人命を預かる企業としてあるまじき愚行が相次いだ。その中で、労使間のいざこざ、中島尚俊社長の自殺、続いて坂本眞一社長も自殺する異常事態で、経営管理がまったくできていない企業になってしまった。
 あんなに大好きな北海道の鉄道が、こんなことになってしまうとは、僕はとても悲しくなった。だが、魂を引き換えた北海道新幹線ならば、なおさら乗らねばなるまい。乗るなら3月26日の開業日をおいて他ならない。
 
 1か月前の2月26日金曜日、僕はJR金町駅のみどりの窓口に、早朝より並んだ。世が世なら、鉄道ジャーナル社がチケットの手配をしてくれるはずだけれども、ちょっと声をかけてみたがつれない返事だった。2008年以来、僕に原稿の依頼はないし、今や成美堂出版傘下だ。そこで、かたや朝日新聞出版傘下になった「旅と鉄道」の、旧知の芦原伸編集長に電話をしたら「旅鉄は季刊誌なので発行の端境期になってしまい、北海道新幹線は特に取り上げないんです」と、特集記事にはしないと言う。外周の旅の連載が完結したときも、全行程をまとめた単行本を出さないかと打診したら「それは実日さんと相談してください」と、これまたつれなかった。けれど、2013年のレイルウェイ・ライター40周年に、旅鉄増刊号で僕を取り上げてくれたので、よしとする。
 思い余って鉄道ジャーナル元編集長の竹島紀元氏に電話をしたら、「は、種村さん…?、私 もう 会社を 離れていますので、よく わかりません」と、どうも僕のことを忘れてしまっているようだった。僕も竹島さんが、すでに、まったく影響力がないとは思っていなかった。これは自腹で乗るしかない。
 けれど、一緒に乗ろうと思った妻由子は、その日は御婦人方の寄り合いがあるので行けないと言い出した。ならばと、神戸市の和尚こと環白穏(法西寺住職)は、新婚旅行が北海道だったから、格別な思いがあるだろうと声を掛けたら「行きたいのはやまやまなんやけどな、まだ寒いんで法事や急な葬式があるんや。この時期の土日は寺をあけられへん」と、3月は寺の書き入れ時らしく、こちらも断られてしまった。
 かつて親衛隊と呼んでいた熱心な読者たちも、僕の作品を読む機会がすっかりなくなってしまった。それに、家庭や職場の重要なポストを持つようになり、僕との汽車旅に行きづらくなったようで、結局、一人で開業列車に乗ることになってしまった。開業列車は、東京駅から乗る、新青森駅から乗る、新函館北斗駅から乗ると、いくつかの選択肢があったが、僕が東京に住んでいるので、結局、東京駅から乗ることとした。
 金町駅では行列の二番目だったが、あれうれしや、東京駅発一番列車の<はやぶさ1号>の普通車指定席券がとれた。みどりの窓口を、混雑する北千住駅を避けて金町駅にしたことと、グランクラスにしないで、普通車にしたのがよかったのだろう。こういう時は、小さな駅で、席数が多く競争が少ない車両を選ぶに限る。しかも<のぞみ>と違い、<はやぶさ>にはジパング倶楽部割引があるのも、懐具合からうれしい限りだ。

 3月26日の早朝から東京駅に行ってみる。通路やコンコースには北海道新幹線開業の幟が立ち、マスコミ関係者があわただしく動き、乗客もこの時間にしてはすごい人数だ。
 自動改札機に切符を通し、まずはホームに上がる。カメラを持った少年たちが、目を輝かせている。僕の乗る<はやぶさ1号>は<こまち1号>を携えており、緑と赤のコントラストの連結部分は特に人気だ。すると、子供連れの若いお母さんが、子供たちを<はやぶさ>の前に立たせて写真を撮りだした。これがママ鉄と呼ばれる人たちなのだろう。幼いころから子供たちを鉄道に親しませていれば、大きくなってから僕の読者になるに違いなく、うれしい限りだ。
 まずは列車を眺めてみよう。残念ながら、ラベンダーカラーの帯がさわやかなJR北海道のH5系ではなく、JR東日本の見慣れたE5系だ。新函館北斗駅始発の<はやぶさ10号>は、テレビ映りもあるのでH5系にしたようだが、もともとH5系の編成数が少なく、これに乗るのは難しい。
 側面の行先案内板には「はやぶさ1 新函館北斗 指定席」と表示されている。電光掲示なので昔のサボみたいに、盗まれる心配はなく、少年はおろか大人たちまで、ケータイで写真を撮っている。

0東京駅tane.jpg

 グランクラス車両の前まで行ってみたら、どこかで見た顔がいる。あれはたしか土屋武之クンだ。何度か僕の汽車旅についてきた。談笑している相手は、鉄道ジャーナルの宮原正和編集長ではないか。見送りに来たのだろうか。脇で写真を撮っているのは、僕と何度となく取材に出かけてくれた沖勝則カメラマンだ。そうか、ジャーナルは土屋にルポを依頼したのか。それで僕にはつれなかったのだ。
 確か2009年の暮れだ。飯田橋のジャーナル社で「旅と鉄道」が廃刊する話を、竹島編集長から聞いたときに、列車追跡の打ち合わせにジャーナル社を訪れていたのが土屋だ。僕は鉄道ジャーナル誌からの依頼がなくなり、唯一「旅と鉄道」に外周の旅を連載していたが、それも廃刊で続けられなくなって気落ちしていた。その僕に、<雷鳥>のルポをすると意気込んでいた。思わず「頑張ってください」と声をかけてしまったが、競争相手に仕事を取られて、頑張ってもあったものではない。そういえば、2011年3月の九州新幹線開業のルポは、たしか土屋が書いていた。そのちょっと前、2010年の暮れに僕はまたも発病し、長い入院生活を余儀なくされ、東日本大震災も病床で体験したのだった。
 だが、ここで「やぁ」と出ていくのはいかにも気まずい。3人に気付かれないように、ホームの裏手に回った。

続く
| 日記・つぶやき | 19:41 | comments(4) | - |


御茶ノ水のランチ:三日酔 カレー・バー
お茶の水と言うより小川町だが、老舗洋食店の松栄亭の前にある。
三日酔という店名どおり、カレーは二毛作でカウンターの正面の壁一面に洋酒が並んでいた。

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三日酔カレーが初心者向けのおすすめとのこと。
それにしよう。

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きわめてシンプルな和風カレーが出てきた。

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元同僚Bクンはあいがけカレー。三日酔と牛すじカレーという、この店自慢の二品が一度に味わえるのだ。

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三日酔カレーはじゃがいも、ニンジン、豚肉、玉ねぎなどの基本の具材が、軽く煮込まれている。じゃがいもはまだシャキッとしていた。

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肝心のカレーはさわやかな辛味というか、ちょっと刺激があるけれども、それが心地よい辛味。

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おいしいけれども惜しいのは量がやや少ない。ランチにしては安めの750円だから仕方ないかもしれない。
コールスローが口直しでついている。

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この店はレコードを真空管アンプでかけている店で、夜の酒もイケるのではないかと思った。
| グルメ | 20:59 | comments(0) | - |


横浜ロケ ズーラシア・新横浜ラーメン博物館
横浜ロケの最終日。
なんと小田急線が人身事故で動かない。やむなくバスで渋谷まで出た。
カメラマンに電話やメッセンジャーをするも「電波の届かないところにいるか、電源が入っていないためかかりません」朝から待ち合わせがあるのに電源を切っているのか。何度電話してもでないので、孤独死をしたか心配した。そういう兆候があったのだ。
あるいはボロボロのiPhoneがついにご臨終になったのか。
どうやら後者のようで、向こうも気づいて公衆電話から連絡してきた。電源再投入で復活した。

渋谷からは東横線で横浜に出て関内でモデルを拾い、タクシーでズーラシアに。なんと10時の待ち合わせ時間に間に合った。

ズーラシアは初めてで、来たかった場所。とても広くて感動した。スタッフの女の子もかわいくてみんなとても熱心。

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サバンナゾーンは、行ったことがないけれどまるでアフリカ。広い園内に動物がほぼ放し飼い状態で、素晴らしかった。

ついで、新横浜ラーメン博物館に。ここは三度目だ。

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ムスリム向けは難しくて無理なので、ベジタリアンラーメンとして、豚肉などを使わないラーメンをいくつかの店で提供している。
麺に卵を使っていないビーガン向けのラーメンもある。

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そして桜木町に戻り、水陸両用バスを見学。今度は乗りたいね。

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横浜駅地下の崎陽軒でSDカードの確認をした。

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3000枚以上の写真があるが、欲しいシーンでないものもあって、再撮影かな。撮っているときは夢中だし、状況的にあれこれ指示をするのが困難な場合もあり、一度で思うようにはいかない。
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磯子のディナー:イスカンダル インドネシア料理
雨の磯子駅から歩道橋を渡って道路を超え、雑居ビルの二階のイスカンダルへ。
インドネシアから客人が来ているので、何でもかんでも日本的・横浜的なものを見せたり食べさせたりするのではなく、日本人が海外旅行をすると和食が食べたくなるのと同じで、インドネシア人ならインドネシア料理が食べたいだろうと、ネットで調べてインドネシア料理のイスカンダルを予約した。
雨のためか、終始客は我々だけだった。

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この店はハラール対応ではなく豚肉メニューもあるが、インドネシア料理はノーポークだ。だからうるさいことを言わないムスリムには良い店だと思う。

ソトアヤム 鶏だしスープ。野菜がたっぷり。茹で卵の刻んだのが入っている。味は濃くなくてそれでいて日本ではなかなか味わえない微妙な加減がよい。

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プリチンアヤム 茹で鶏とインゲンのサンバル和え
つまみである。混ぜて食べる。サンバルは辛い調味料。確かに辛い。

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ウダンバラード エビの唐辛子炒め。さほど辛くなかった。パクチー味だ。

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インドネシア人は現地の味と、現地の音楽のBGMを聞いてゴキゲン。鼻唄まで出て、これはよいですね。こういうリラックスをしてもらわないと、連日の激務に耐えられないだろう。
しかし彼は小食のため、さらに日本人が追加する。

ナシゴレン。これは定番だ。

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せんべいを割って全部かき混ぜる。サンバルも入れて混ぜる。

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そこらのナシゴレンよりも、チャーハンよりも、よほどおいしい。

そして、なんだかわからないが、ルンダンサピ 牛肉のココナッツスパイス煮
ココナッツカレーの味。パンかごはんで食べるが、さきほどのナシゴレンにかけて食べるとことのほかおいしかった。

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横浜にエスニック店は少ないが、それでもこういう店があるとムスリム招請の強い味方になる。
おいしかった、ごちそうさまでした。
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