2017.10.31 Tuesday
新潟市周辺をレンタカーで散策 せんべい王国・豪農の館
お仕事なのに旅する気分。
火曜日は予定外に新潟に滞在するハメになり、朝からシンガポールからの客人をご案内して、レンタカーを借りての新潟市周辺の散策である。
しかし、レンタカーは建前で、レンタカーだったらいいな〜というコースをマイクロバスで回るのである。どうも、東南アジアの人たちの運転免許保有率はかなり低いようだ。
まずはピアBandaiへ。ここは肉野菜魚の市場で、観光客も地元民も多い。
せめていまどき英語表記くらいしておいてほしいが、広くて面白いところだった。
続いて新潟せんべい王国へ。栗山製菓がやっており、工場見学やせんべい焼き体験、巨大な袋入りのばかうけを買えたりする。
幼稚園児が見学に来ており、「みんな、おせんべいは何から作るか、知ってるかなぁ」「お米〜〜」さすが新潟の幼稚園児である。
お行儀もマナーもよかった。机の上をちゃんと拭いているのである。
さらに北方文化博物館豪農の館へ。
日本一の大地主だった伊藤家の邸宅で、広くて手入れが行き届いており、見事としかいいようがない。
ちゃんとした一眼レフを持ってくるのだった。そして紅葉の盛りまであと10日ほどではないか。
戦争に負けて日本に進駐軍が入ってきた。豪農の伊藤家は目をつけられ、進駐軍のライト中尉をリーダーとする調査団がやってきた。対する七代目当主の伊藤文吉。彼は流暢な英語でライト中尉をもてなした。
こんな地方都市にこんな豪勢な建物や庭があるなんて。しかも伊藤氏は英語を話す。
「YOUはどこでエイゴを学んだの?」
「アメリカのペンシルベニア大学に留学していたんですよ」
「えっ、うっそ〜、余もペン大OBであるぞよ」
なんと戦前に新潟の農家のせがれの伊藤君はアメリカに留学しており、しかもライト中尉とは同じペンシルベニア大学出身だった。庭には二人のレリーフがあり、いわれが書かれている。私はとても感動した。
ちなみにトランプ大統領もペン大である。
当初、進駐軍はこの家をぶっ壊して別の建物を建てる計画だったという。しかしライト中尉と友情が芽生え、建物を壊すどころか戦後初の私立の財団法人が設立され、こんにちまで保存されている。
回遊式の庭園は丁寧に保存されていて、紅葉がアクセントになっている。
しばし見とれるシンガポーリアン。ベースが中華系なので、こういう庭もアリなのだ。
なんでも60以上の部屋があるらしく、要するに会社のようなものである。
昼食は豪農の館のレストランで羽釜で炊いたコシヒカリ定食。
さすがのさすがで、おいしかった。
ここと市内の旧斉藤家別邸が新潟のおすすめ邸宅である。
その後、三条市に南下して三条鍛冶道場へ。
400年以上の伝統を誇る金属加工の街で、今では少なくなった手作業での加工体験ができる。
釘を熱してたたいてねじって、ペーパーナイフを作る体験をしてもらった。かなりの工程があって、実際はもっと手が込んでいるのだろうから、こちらもさすがだった。
最後は燕三条地場産センターで刃物研ぎの実演を見て、弥彦温泉にお泊り。
私は燕三条駅から新幹線で帰京した。
ところが駅の多機能券売機では3列シート中央のB席しか残っておらず、ACDE席は満席。やむを得ずB席で指定券を予約したら、ガラガラ。これは高崎あたりから乗ってくるのだろうと思っていたら、まだガラガラ。熊谷駅からC席に小太りの男が座り、吉野家の牛丼をにおいプンプンで食べだしたが、ADE席は空いている。そして大宮駅でもだれも座らず、Cの男はE席に移った。
これはどういうことだ。あのB席しか残っていないと言う表示はJRの詐欺ではないか。3列の中央のB席は窮屈なので不人気だからわざとそこに誘導しているのか。けしからん。いかがなものか。
火曜日は予定外に新潟に滞在するハメになり、朝からシンガポールからの客人をご案内して、レンタカーを借りての新潟市周辺の散策である。
しかし、レンタカーは建前で、レンタカーだったらいいな〜というコースをマイクロバスで回るのである。どうも、東南アジアの人たちの運転免許保有率はかなり低いようだ。
まずはピアBandaiへ。ここは肉野菜魚の市場で、観光客も地元民も多い。
せめていまどき英語表記くらいしておいてほしいが、広くて面白いところだった。
続いて新潟せんべい王国へ。栗山製菓がやっており、工場見学やせんべい焼き体験、巨大な袋入りのばかうけを買えたりする。
幼稚園児が見学に来ており、「みんな、おせんべいは何から作るか、知ってるかなぁ」「お米〜〜」さすが新潟の幼稚園児である。
お行儀もマナーもよかった。机の上をちゃんと拭いているのである。
さらに北方文化博物館豪農の館へ。
日本一の大地主だった伊藤家の邸宅で、広くて手入れが行き届いており、見事としかいいようがない。
ちゃんとした一眼レフを持ってくるのだった。そして紅葉の盛りまであと10日ほどではないか。
戦争に負けて日本に進駐軍が入ってきた。豪農の伊藤家は目をつけられ、進駐軍のライト中尉をリーダーとする調査団がやってきた。対する七代目当主の伊藤文吉。彼は流暢な英語でライト中尉をもてなした。
こんな地方都市にこんな豪勢な建物や庭があるなんて。しかも伊藤氏は英語を話す。
「YOUはどこでエイゴを学んだの?」
「アメリカのペンシルベニア大学に留学していたんですよ」
「えっ、うっそ〜、余もペン大OBであるぞよ」
なんと戦前に新潟の農家のせがれの伊藤君はアメリカに留学しており、しかもライト中尉とは同じペンシルベニア大学出身だった。庭には二人のレリーフがあり、いわれが書かれている。私はとても感動した。
ちなみにトランプ大統領もペン大である。
当初、進駐軍はこの家をぶっ壊して別の建物を建てる計画だったという。しかしライト中尉と友情が芽生え、建物を壊すどころか戦後初の私立の財団法人が設立され、こんにちまで保存されている。
回遊式の庭園は丁寧に保存されていて、紅葉がアクセントになっている。
しばし見とれるシンガポーリアン。ベースが中華系なので、こういう庭もアリなのだ。
なんでも60以上の部屋があるらしく、要するに会社のようなものである。
昼食は豪農の館のレストランで羽釜で炊いたコシヒカリ定食。
さすがのさすがで、おいしかった。
ここと市内の旧斉藤家別邸が新潟のおすすめ邸宅である。
その後、三条市に南下して三条鍛冶道場へ。
400年以上の伝統を誇る金属加工の街で、今では少なくなった手作業での加工体験ができる。
釘を熱してたたいてねじって、ペーパーナイフを作る体験をしてもらった。かなりの工程があって、実際はもっと手が込んでいるのだろうから、こちらもさすがだった。
最後は燕三条地場産センターで刃物研ぎの実演を見て、弥彦温泉にお泊り。
私は燕三条駅から新幹線で帰京した。
ところが駅の多機能券売機では3列シート中央のB席しか残っておらず、ACDE席は満席。やむを得ずB席で指定券を予約したら、ガラガラ。これは高崎あたりから乗ってくるのだろうと思っていたら、まだガラガラ。熊谷駅からC席に小太りの男が座り、吉野家の牛丼をにおいプンプンで食べだしたが、ADE席は空いている。そして大宮駅でもだれも座らず、Cの男はE席に移った。
これはどういうことだ。あのB席しか残っていないと言う表示はJRの詐欺ではないか。3列の中央のB席は窮屈なので不人気だからわざとそこに誘導しているのか。けしからん。いかがなものか。