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第2回アメリカ横断ウルトラクイズ サイパンの敗者復活戦
1978年9月11日(月曜日)、第2回アメリカ横断ウルトラクイズは、いよいよ海外でのクイズが始まった。
最初のチェックポイントサイパンはマイクロビーチにひな壇になっての○×クイズだ。

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午前中だけれどさすがにサイパンの日差しは強く、日焼け止めなど塗っていないのでじりじりと肌が焦げていく。40人中20人が合格してハワイに行けるという。

「サイパンは南半球にある」という、今からすれば考えられないほど簡単な問題から始まった。
しかし3問目の「サメにエラはない」という問題に多くの挑戦者が×を出したが、○が正解でエラはないとのことだった。この問題で私は間違えてしまった。しかしながら、サメエラ問題は、今となっては解釈が分かれる問題で、クイズとしての出題はしにくいだろう。
半数以上が間違えた。正解した者はみなハワイに行けることになった。

会社を辞めてきたのに、もうサイパンで負けてしまった。

だが、これは敗者復活戦だなと思ったが、その場で敗者復活のクイズにはならず、先の問題に間違えた人たちを含めていきなり罰ゲームになった。つまり、沖の筏までスーツケースを持って海を渡り、その船をこいで空港まで行くという趣向だ。やっぱり日本に返されてしまうのか。どうするんだ、明日から。そんな思いがよぎる。

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実はスーツケースの中身はカラである。旅行をしながらクイズをしている印象を深めるために、クイズ会場には必ずスーツケースなどの旅行道具一式を持参して撮影するのだが、今回は「海岸で撮影するので、中身が濡れるかもしれないので中身を出してきて良い」との指令があったのだ。その後の回では海中でのクイズなどもあったのだから、あれはあれでたいへんだっただろう。
中身がカラでもなければ頭上に担げない。

そして筏に乗り移り、オールで漕いで行った。しかし暑い。暑さに耐えかねたバカが海に飛び込んだら足が立たない。しばらく泳いでいたが力尽きて「助けてくれ〜」と叫んだ(本当)。海でおぼれかかって「助けてくれ」と言った人を見たのは最初で最後である。誰かに引き上げられた。

漕ぐシーンを適当に撮影し、海岸に戻ってバスで空港まで行った。自分はこのまま終わってしまうのだろうか。
しかしサイパン国際空港前で、敗者復活戦になった。数字カルタ取りクイズだ。答えがすべて数字で答える問題なのだ。これは負けられない。

1問目の「ハワイの頭文字はHですが、Hはアルファベットの何番目?」という問題にすぐに答えがひらめき、8の札を目指してジャンプした。
中学校のクラスがG組まで7クラスあったので、すぐにわかったのだ。

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これでハワイまで行けるようになった。ほっとしたのでカルタ取りクイズの写真を撮っている。
本当に空港前でやっているのだが、のどかなものだ。

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午後は自由時間となった。そのため名所で写真を撮っている。上半身裸で、まだ見られる体型だ。

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プールサイドで内田貢市君とくつろぐが、今の二人とは想像できない姿である。

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常に不安はあるものの、クイズが終わって次に進めると決まれば、安堵して異国の旅を楽しんだ。

この日の夜はコンチネンタルホテルのプールサイドで、サイパン州政府の偉い人が勝者やスタッフを集めて歓迎会を開いてくれた。ウルトラクイズの舞台に訪れたいという人は少なくなく、それなりのPR効果がある。
「北川君、ギターを弾きなよ」とスタッフの石戸さんから言われた。ギターは弾けたものの、当時は「戦争を知らない子供たち」みたいな歌しか弾けなかったので、サイパンでさすがにそれはマズイということになった。

芸がないので、石戸さんが服を着たままプールに飛び込んだ。
まだ、和気藹々(わきあいあい)としていたころである。
| クイズ | 16:49 | comments(0) | - |


第2回アメリカ横断ウルトラクイズ 成田のじゃんけんと機内クイズでサイパンへ
1978年9月10日(日曜日)、第2回アメリカ横断ウルトラクイズが実質的に始まった。昨夜、成田エアポートレストハウスに泊まり、今朝は5時に起こされてそそくさと朝食になり、ロビーにて国内第2次予選になった。昨年の放送ではじゃんけんだったが、今年はどうなのだろう。たぶんじゃんけんだな。

おおかたの人の予想は当たり、じゃんけんとなった。三勝で通過になりサイパンへ行ける。
妹の洋子がエントリー番号1番で最初にじゃんけんをし、どんくさいためにすぐに負けた。こうなったら妹の分も頑張らなければならないと思うのが普通だろう。

自分の番になり、大きい声で「じゃん・けん・ぽん!」と掛け声をかけるが、最初は負けてしまった。しかしその後は勝ち続け、なんと勝ってしまった。これで少なくとも日本は脱出できるのでとてもうれしく、福留功男アナウンサーに抱き着いてしまった。今から思うと情けないことをした。
100人のうち、50人がサイパン行のチケットを手にできた。

成田空港のロビーでセルフタイマーで写真を撮っている。

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後ろをスタッフが走って、写真を撮っているやつを見て思わず立ち止まっている。今ならともかく、20世紀のフィルムカメラの時代だから、なんてやつだろうと思われただろう。スタッフの石戸さんのようにも見えるが誰だろう。

機内では500問の三択ペーパークイズが出た。第1回は800問だったので、採点がかなりたいへんだったと見えて問題数が減った。しかし半分の250問をやって問題用紙はいったん回収し、後半の問題用紙が配布される。つまり、後半を回答している時にスタッフは前半の採点を始めるのだ。

クイズの優勝経験はパネルクイズアタック25とクイズタイムショックの2勝だったので、まさかこの機内ペーパークイズで負けるとは思っていなかった。つまりじゃんけんに勝てばサイパンは確約状態だった。でも、クイズマニアでじゃんけんで負けた人もいて、あまり強い人が残らなかったのも結果的についていた。

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その余裕があるのか、機内クイズはトップ通過。サイパン国際空港ではあとから飛行機を降りてくる人を撮影している。今はこういう写真は撮らせてくれるのかな。50人のうち、10人が通過できずに日本に帰り、40人となった。ちなみに、乗ってきた飛行機にそのまま乗って帰るようにテレビでは演出しているがそんなことはなく、いったんイミグレを通ってサイパンに入国している。飛行機の都合では勝者とは別のホテルに泊まらせてくれて、翌日に帰国だけれど、このときは帰りの飛行機で帰ったと思う。

サイパンに来るのは初めてで、当時はグアムとならんで日本人の南国リゾートの代表で新婚旅行も多かった。けれど現在は日本からの直行便もないらしく、日本から行くには仁川経由で、韓国人・中国人だらけだと思う。

コンチネンタルホテルサイパンに泊まり、まさに南国。

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外に出ないように指示されたので、海にも街にも行けず、ホテルの窓から外を眺めるだけだったが、この景色だけでも日本を脱出したのがわかり、満足していた。



夕食はサイパンに来られた40人たちでわいわいと、つかの間の勝利を楽しんでいた。

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もう、普通の海外旅行のようなはしゃぎっぷりだが、これは「楽しく海外旅行をしながらクイズに答える」という番組の演出マジックにまだかかっているのだ。
でも、クイズと海外旅行という私の二大趣味を一度に味わえるのだから、ウルトラクイズはまさに私の趣味の権現のようなものだった。
| クイズ | 21:02 | comments(0) | - |


第2回アメリカ横断ウルトラクイズ 退職し成田空港へ
40年と1週間前、第2回アメリカ横断ウルトラクイズ後楽園球場国内第1次予選に通過してしまった私は、アメリカロケの3週間を休むべく、会社を辞めるしか選択肢がなかった。1978年9月4日月曜日に上司に「(建設業の)仕事が自分には向いていないから辞めたい」と話し、すべてを了解していただき、1978年9月9日の土曜日を迎えた。この日は午前中は仕事で、夕方に麹町の日本テレビに荷物をもって集合し、成田空港に向かう日だった。

土曜日だけれど午前中に飯場に出勤し、上司と建設会社の本社に向かった。この1週間ですべての話はつけられたと見え、役員が退職届を受理して正式に退職した。
役員が言うには、いろいろな建設現場があるが、私にあてがったのは基礎から学べるいい現場とのことだった。それだけ期待されていたのでもあり、申し訳なかったが、もう建設現場はこりごりだった。身体も気持ちも、これ以上持たない。

ではなぜ建設会社に入ったのか。それは父の影響だった。父は軍人の夢が断たれた戦後、建設業に従事し、妻子のみならず親や弟たちを養ってきた。父は働きながら学び一級建築士の資格を得て、設計の仕事をしていた。今から思うと、相当な苦労があったはずだ。いずれ私に建築設計事務所を継がせたかったに違いない。そのため大学は工学部建築学科に入ったものの、父の敷いたレールに反発し、ほとんど勉強しなかった。それでも父の勧める建築会社に入り、振り返れば自分は優柔不断で結局は父の敷いたレールを揺れながら走っていた未完成の列車であった。イヤだイヤだと言いながらも、父の言いなりになっていた。今とは違って親の力が強い時代だったけれども、自分は意志薄弱だった。

ウルトラクイズを口実にして建設会社を辞めたのは、自分のレールを敷いて、走り出そうとしたのだろう。遅すぎる判断だったのか、あるいはちょうどいいタイミングだったのか、結果がすべての現実から振り返れば、後者なのだろう。

作業着やヘルメットなど一式を持って、飯場を後にした。先輩や職人さんがひっそりと声をかけてくれた。
「ウルトラクイズに出る」とは言っていない。みんなが、仕事がイヤになって辞めるのだと思っていたし、それはそれで正しいのだった。少なくともあの飯場を去るときは、先輩たちからは人生の脱落者と思われていたのだろう。それも正しいのだった。

その後、あの現場に新人が補充された話は聞いていない。どうなったのだろうか。のちに現場を訪れたら、建物は建っていたけれども。

いったん家に帰って今度はスーツケースを持って、後楽園予選に一緒に通過していた妹とともに麹町の日本テレビに向かった。100人が集まったのだが、どうやら一人二人は欠けていて、補欠が呼び出されているようだった。

皆の前に立ってあいさつした偉い人(日テレの役員)の話では「私もどんな問題が出るのか、どんなクイズ内容なのか聞かされていません」と言っていた。本当かどうかはわからない。

その後、バスに乗って成田空港へと向かった。
前年に、クイズタイムショックの優勝旅行でアメリカ西海岸に行ったのは羽田空港からで、成田空港は初めてだった。バスは暗くなった酒々井サービスエリアに止まり、あとで知ったが宿泊先であり国内第2次予選会場の成田エアポートレストハウスの、セットの準備状況をスタッフが確認しているのだった。携帯電話はないから、サービスエリアの公衆電話からだ。

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成田エアポートレストハウスに到着し、順番に部屋割りされて知らないおじさんと同室になり、世間話をいくつかして、明日は5時にロビー集合とのことで早めに寝たと思う。
しかし、仕事のこと会社のことこれからのこと、考えても考えてもキリのない状態に、眠れたのだろうか。

ニューヨークまで行って優勝できるとは思っていなかったけれども、新たな歴史は動き始めていたのである。もう、後戻りはできなかった。

単に「この仕事がイヤだから」「クイズが好きだから」「ウルトラクイズに出たいから」「海外旅行をしたいから」ではない、人生の転換をウルトラクイズに求めていた。

| クイズ | 23:01 | comments(0) | - |


マレーシアMATTA FAIR 2018始まる
3月と9月に開催されるマレーシア最大の国際海外観光展MATTA FAIR 2018が、クアラルンプール市のプトラワールドトレードセンターで始まった。9日まで。
半年前の3月に「これが最後」「卒業旅行」と全力を振り絞ってあるブースの運営をしたら、またマレーシア訪問の機会を得てしまった。
すべて皆様のおかげとたいへん感謝している。

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日本もいくつかの自治体・企業が参加しているが、台風21号の高潮で被災した関西空港と北海道胆振東部地震が起きた新千歳空港の供用がまともにできていない状態で訪日誘客をしている状態であり、決して風評被害まではないのだが、旅行を計画している人はみな日本の現状を知って心配している。
関空は連絡橋の復旧と、水没した器具の修理、新千歳空港は電力の回復とアクセスの確保が当面の課題だろう。

北海道ブース。
そもそもが、日本から来たスタッフは台風をようやくやり過ごしてやってこれた上に、未明の大地震が家族を襲ったのだから気の毒だ。しかも全道にわたる停電で連絡もままならない。帰るに帰れない。

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関西地区は2つの団体で出ているが、キモとなる関空の復旧は遅れるだろう。伊丹空港や神戸空港に振り返ると言っても限度があろう。水害被害のあった岡山県も出展だ。

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ジャパンパビリオンを上空から見た写真。
こうなっては、日本のどこに行っても散々な目に合うのだから、覚悟が必要だろう。

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ランチは会場裏口からちょっと歩いて、名もなき汚い中華料理屋に行った。熊本出身者と北海道出身者の被害自慢、死者の数や風評デマのライオンが逃げたとか断水するとか…、ウソです。

ワンタン麺らしきものを食べたが、おいしかった。

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ところでジャパンパビリオンとコリアパビリオンは並んでいて、各自治体が参画している。
群馬県や茨城県の知名度は低いが、韓国側もチョルラナンドとかキョンサムホクドとか、エリアのなじみがない。

日本がやっているイベントは輪投げ

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韓国は棒投げ

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どちらも古くからある遊びなのだろうが、輪を棒にさすか、棒を輪に通すかの違いで、これって男女の関係性を示しているのではないか。日本は女から襲う。韓国は男が狙いを定める。なんのことだよ。

浴衣にお着替えをして写真を撮る日本。

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チマチョゴリにお着替えして、写真を撮る韓国。

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さすがにムスリム服に着替えての写真撮影はなかった。

東京とソウルの首都は会場の隅に追いやられていたし、主催者側からすれば平等にレイアウトをしたのではないか。

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夜9時までは疲れる。帰って食事をすると深夜になる。せめて8時、理想は7時に終わってほしい。
次回の参加は、あればあったで行けるのだろうか。
| 旅行・鉄道 | 23:55 | comments(0) | - |


KLタワーのスカイデッキとスカイボックス
今日の昼間の仕事がなくなったので、やむなくクアラルンプールタワー(KLタワー)に行く。

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かつてマレーシアの駐在員と来たとき、スカイデッキと言われる、アクリルの柵だけで上がスカスカの、スリルと臨場感満点の展望台が半分工事中だったけれども、完成したと聞いて、行ってみたいと思っていた。
高さ350mと、東京タワーよりも高い。

105RM(3100円)と高いのだが、シニア割引があって10%オフだった。ありがたや。

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あいにく、曇り空で景色は半分かすんでいる。

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スカイデッキにはスカイボックスという、外にせり出した床もガラス張りの箱が2か所にあって、写真を撮ってくれる。もちろん有料で販売している。

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足元がスカスカ。東京タワーにも東京スカイツリーにも足元がガラスの部分があるが、まるまる外に飛び出している分、スリルがあるし、カメラマンがいろんなポーズを取らすので、よけいにおもしろい。

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遠足か社会科見学か、小学生たちが列をなしていた。

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ペトロナスツインタワーは2本がちょうど重なってしまう位置にあった。どっちか、相談して作ればよかったのに。

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こちらはおそらく幼稚園なのだろう、ひときわ小さな女の子の団体。みんなヒジャブをまとっていてとてもかわいい。中には泣いてしまう子やおもらしする子もいて、どこも子供は同じだ。

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展望台を一周したら、曇り空がいよいよ雨空になってしまった。ちょうど室内に戻るときで、よかった。室内展望台もあるのだ。
外はまったく見えない。このままいてもしょうがないので、下に降りたらどしゃぶりがよくわかった。

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その後、雨も止んでプトラワールドトレードセンター(PWTC)でいよいよお仕事。

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夜は行きつけと言ってもよい客家飯店(ハッカレストラン)でおいしい中華料理を楽しんだ。

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明日から頑張ります。
| 旅行・鉄道 | 23:13 | comments(0) | - |


クアラルンプールのディナー:nando's ナンドス チキン料理
3月にクアラルンプールに来たときは、これでマレーシアに来るのは最後、海外旅行も最後になるかもしれないと思っていた。それが、またクアラルンプールに来られた。ありがたいことです。

成田空港のJALさくらラウンジでカレーライスの朝食。
ANAのラウンジにもカレーがあり、両社は競うように味を磨いているが、JALのほうがコクがあっておいしい。

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機内食はハヤシライス。味そのものは悪くないけどエコノミークラスのためか、肉は細々と。

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夕方に蒸し暑いクアラルンプールに到着し、サンウェイモールで夕ご飯となった。夕方ではなくて8時を過ぎていたが。
ここはショッピングモールとレストラン街か各階にあって、あれこれ選べる。
地下街のnando'sというチキン料理の店に入った。ヒンズー教徒やムスリムが多いので、どの宗教でも食べられるチキンの店が多い。

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グリルチキンにサイドメニューを二種類選べる。
ガーリックトーストとコールスローにした。

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ペリペリというソースがあり、とりあえず辛さを選べる。



さらに好みで酸っぱいソース類を自由にかけていい。



辛いだけでなく酸っぱさもあって、日本にない味になった。チキンも臭みもなくてやわらかくておいしかった。

モールにはスーパーマーケットもあって、カラフルなりんごがたくさんあった。とにかく種類が多い。マレーシア人は日本のフルーツの種類が多いことをほめていたけれども、マレーシアはリンゴだけでもこんなにあるんだ。

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しばらくクアラルンプールに滞在します。
| グルメ | 23:21 | comments(0) | - |


第2回アメリカ横断ウルトラクイズ 3週間の休みのため退職届を出す
1978年9月4日月曜日、第2回アメリカ横断ウルトラクイズの後楽園球場国内第1次予選を通過した私は、少なくとも成田空港まで行けることになった。第1回は羽田だったから成田から飛び立つ最初のウルトラクイズでもある。

参加手引書には
5. 注意
○ 第2次予選参加者は、優勝を想定して、9月9日から10月1日(日) までの海外渡航のすべての準備を完了し、すべての荷物を持参して下さい。

とある。
ニューヨークまで行けるとは思っていないものの、その準備をしなければならないと、忠実に参加手引書を読解した私は「これは会社を辞めるしかない」と判断した。

当時の私は建設会社に勤めており、月に2回程度しか休めなかった。つまり土曜日も日曜日もだいたい出勤していたのである。
そして仕事は現場監督だった。見習いと言ったほうが正確だろう。

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毎日、朝8時から夜8時ごろまで、炎天下で刺青だらけの職人相手の仕事である。
当時担当していた現場は隅田川の近くだったので花火大会がチラ見できたのが唯一の役得だろうか。

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何でこんなものまで写真に撮っているのか。スマホもデジカメもない時代だよ。コンパクトカメラのコニカC35FDでセルフタイマーで撮影したと思う。大学自転車部のサイクリングの記録でも活躍したカメラだ。当時すでにあったオートフォーカスではない、ピントを自分で合わせる二重像合致方式のレンジファインダーカメラだった。

コニカC35FD
<コニカC35FD ヤフオクより>

しかし、この仕事が私に向いているわけがなかった。今の私を知る人から想像もできない仕事だろう。
ウルトラクイズ後楽園通過は退職のきっかけだった。

4日月曜日の夜、飯場で上司に申し出た。そのときの模様を「クイズ王の本」から抜粋しよう。

 この仕事に向いてなく、前から辞めたいと思っていましたので、後楽園通過は一つのきっかけでした。夜、現場の仕事が一通り終わって飯場で書類整理をしている時、思い切って現場所長に話をしました。「ちょっと個人的なお話があるのですが」と。

「じゃ、あっちへ行こうか」所長は話の内容を察したらしく、他の社員から目の届かない部屋へ僕を連れ、裸電球の下、2人で椅子に腰掛けました。「どうにも向いてませんから、会社を辞めさせていただきたいのです」と切り出しました。

 所長は、いつも苦虫をかみつぶしているような、こわい顔の人でした。僕はひどく怒られるかと覚悟していました。それでも一度決めたのだから、なにがあっても辞めると決心していました。しかし、所長は意外にもやさしい顔で、
「一度きりの人生なんだ。嫌いなことをやって一生を過ごすより好きなことをしなさい」
と、あっさりと認めてくれたのです。


このとき、「ウルトラクイズに出る」とか「3週間休まなければならない」とかは言っていない。
だが所長の 「一度きりの人生なんだ。嫌いなことをやって一生を過ごすより好きなことをしなさい」という言葉は的を射ており、「捨てる神あれば拾う神あり」と同様、座右の銘みたいなものになっている。

石塚所長にはあの時以来、40年お会いしていないがご存命だろうか。今となってはありがたい人だったし、ご迷惑をかけたと思っている。申し訳ありません。

成田空港に向かう9日の土曜日まで、仕事を悶々と続けた。

| クイズ | 19:07 | comments(0) | - |


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