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薬を半分にする、錠剤カッター
年寄りなので何粒か薬を飲んでいるが、症状が緩和されたので医師が

「やめましょうか、う〜ん、半分にしましょう」

と、これまで1錠飲んでいたある薬を半分でよいと言い出した。
すでに1カ月分処方されているから自分で半分にしなければならない。

工作用カッターナイフで切ってみたら、切れた拍子に薬が飛んでしまい、床を探す羽目になった。
これは専用のカッターがあるに違いない。
Amazonを探したら、あった。錠剤カッター、ピルカッターという名前らしい。
399円なのでさっそく注文した。

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黄色いガイドに薬を置いて、ふたを閉めるようにするとパッツンと薬が半分に割れ、青い容器の中で薬は飛び跳ねるけれど、容器内に収まっている。

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こうして1カ月分の薬を半分にした。
黄色いガイドに薬を置いても、ちょっとずれる時があって、真っ二つではなく偏って切れる時もあったが、トータルでは変わらないだろう。

来月はこの薬はもらわないで済む。半分にしたものが残っているから。

  
| 日記・つぶやき | 20:54 | comments(0) | - |


広尾の豪邸 3億5000万円? 売れる
渋谷区広尾は高級住宅街で知られる。
そのなかでもひときわ豪華な邸宅があった。マンションと思うような4階建ての造りだが一軒家だった。

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実はこの家のあるじを知っている。都内の地下街の少なくとも2つにネクタイ屋を出すご主人だったが、政治家とも通じ、むしろネクタイ屋は隠れ蓑ではないかと言われていた。ネクタイを売るだけでこれだけの豪邸は建てられまい。

2015年7月10日、この家の前を通ったらなんと売りに出ていた。その額3億5千万円。

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バブルがはじけたあとの中古物件とは言え、高額には変わりない。
おそらくは主が亡くなり、遺族もこの家に住めなくなって手放したのだろう。

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音楽スタジオやアトリエまであり、お嬢さんが利用していたのか。

そして1年後の2016年8月9日、前を通ったら不動産屋の看板はあるものの金額を書いた立札はなくなっており、ガレージのシャッターは曲がり、表札にはガムテープが貼って隠されていた。

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1年間、売れなかったのだ。

だが、2017年11月7日、前を通ったらガレージ部分に白い壁ができていた。中で工事をしているのだろうか。あるいは上層階の内装工事の資材置き場なのか。



主の表札はそのままだったが(モザイク処理をしています)、インターフォンが外されていた。



買い手が付いたのだろうか。

そして2018年6月、新しい表札が出ていた(モザイク処理)。個人名のようでもあり、会社名のようでもあり。
前の表札にかぶせるような表札だ。



白い壁で隠されていたガレージには小型の外車と、門前には自転車が二台止まっている。



まさか3億5000万円ではないと思うが、買い手がついたのだ。



周囲は表札も出していない豪邸が軒を連ねている。この屋敷の新しい主はどのような人でどのような夢を見るのだろうか。屋敷にふさわしい幸せな人生を歩んでほしいと、紀州のドン・ファンと呼ばれた資産家の行く末が報じられている昨今、そう願うのである。

| 日記・つぶやき | 18:31 | comments(1) | - |


東京コミュニティバスを乗りこなせるか
東京の鉄道、JR、私鉄、地下鉄を乗りこなすだけでも大変なのに、バスを乗りこなせられる人は相当なつわものだと思う。
鉄道は、決まった線路の上を走るからまだしも、バスは道路の上なので、どこをどう走るのか、よくわからない。
バス会社によっては中乗り・前降りのように、乗降口も異なって、慣れない土地に行くと旅慣れているつもりだが、混乱する。

過疎の地方部ではコミュニティバスはよくあるが、東京のバスにも市区町村が運営しているコミュニティバスがあって、小型のバスでかなり細かいところを走る。

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コミュニティバスは経路検索アプリに登録されていないものもあり、PDFの路線図があるからそれだけでもありがたいが、うまく使いこなせば、とても便利だ。

大田区はたまちゃんバス、港区はちぃばすといった愛称がつけられており、それぞれの役所のサイトに詳細がある。

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大田区は比較的シンプルだが、港区は何路線もあって複雑だ。しかも小さな路地も走るので、大通りを走る都営バスとはまったく違った光景が楽しめる。



1時間に2〜4本程度の運行で、必ずしも行けばすぐ乗れる状態ではないが、運賃も100〜150円程度と安く、さらに高齢者はたいていのコミュニティバスに敬老パスで無料で乗れる。そのため、杖を突いた老人たちが多く乗ってくるので、ああ、こういう人たちのためにあるんだなと納得する。
| 日記・つぶやき | 19:34 | comments(1) | - |


小学校の同窓会名簿
私は生まれてからこんにちまで、ほぼ同じ場所で過ごしている。そのため転校の経験がない。
それに幼稚園から大学まで同じ区内だったから、いまどき稀有な例と言えよう。

手許に小学校時代の同窓会名簿がある。
私たちのクラスは都会の学校には珍しく3年生から6年生までの4年間、クラス替えがなくて、きょうだいのように育った。多くは母親の顔も覚えているし、何人もの家に遊びに行ったし、広い庭のある我が家にも遊びに来てくれた。

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この名簿は小学校卒業から数年後の高校時代の同窓会名簿で、地方に越した者もいて、大阪や長野県の住所が掲載されているが、大部分は小学校時代と同じ家に住んでいるのがわかる。

年を取ると昔を懐かしがってばかりいて、いい趣味かどうか、かつての友人たちはどうしているだろうと思う。
中には、私のように同じ場所に住み続けている者もいるが、それは東京では珍しい部類ではないか。
実家として残って本人は転居したり、家族ともども転居している者も多いだろうし、家そのものが区画整理で無くなった者もいる。たとえば川崎市はまだ区がなくて住居表示そのものが変わった。
女子の多くは結婚して別の姓になって、実家が残っているかどうか。

小学校時代はずいぶんと遠い、うちから学校を挟んで反対側に住んでいる者も多かったけれど、地図で見れば普段車で通っているところだったりと、子供の行動範囲の狭さに逆に驚く。自転車で遠くまで走って遊びに行ったつもりが、ついそこにある。むろん、徒歩なら遠いと感じる距離なのだが。

ググストで見ると、新しい家に建て替えられていたりする。そういえば我が家も建て替えてずいぶんと経つ。
木造のアパートに住んでいた友人宅も瀟洒なアパートに建て替えられているから、たしかに建築物の耐用年数からしても、小学校の時のままの家は珍しくなっているのではないか。

共に学び、遊んできた同級生たちは、すでに還暦を過ぎて、孫のいる者もおるだろう。残念ながら死んだ者もいる。
同窓会の音頭を取るガラではないが、どんな暮らしをしてきたのか、気にならないでもない。


| 日記・つぶやき | 13:16 | comments(0) | - |


あれから20年、生きてます。
1998年6月1日から20年経った。20年後のこの日を迎えられた。

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この20年間、いろんなことがあった。生きていたからこその体験だった。

21世紀を前にして父が死んだ。疎んじていた父であったが、いなくなれば家の中での責任もすることも私にのしかかってきて、一気に老けた。父から相続した宇都宮のゴルフクラブ会員権は、息子や友人たちと数回プレイをしたが、何十年やってもまったく上達しないでイヤになり、そのうち放置プレイで2017年に処分した。
2009年に家の外壁や屋根を直した。父(一級建築士)がいれば父がやったが、父が懇意にしていた工務店が恩にきて安くやってくれた。ありがたかった。
2011年の大震災で大きな被害が出なかったのが幸いだ。

毎年、家族で夏は北海道ドライブ、冬は志賀高原でスキーと言う生活を繰り返していた。この二つの旅行は子どもたちの成長の記録でもあった。当時はフィルムカメラで撮影していたけれど、すべてデジタル化して今では簡単に昔の写真が見られる。

その子どもたちは成人して学業を終え、社会人になった。二人とも東証一部上場企業に勤めており親として誇りに思っているが、子どもはいくつになっても子どもで、かわいいし心痛のタネだ。
でも世話になる日がくるのも近いだろう。よろしくお願いします。

その頃の私は名前を言えば誰もが知っている有名企業のグループ会社に勤めており、広告屋稼業は楽しく順調で、旅行会社のプロモーション企画や、ショッピングセンターの集客企画などを考え続けていた。
職場は長らく神田にあったが、2004年から目黒に移転した。白金台をバックにしたプチセレブな街で気に入った。

同僚の馬場浩士君や小倉彰君たちと国内外に旅行をした。会社で仕事をしているという認識はなく、仕事は今でも一番の趣味である。仕事中に、あるいは旅行中に死ねれば本望だと思っているが、まだ死んでない。何回か死にかけているが。

会社の近くに自動車教習所があったのをよいことに、2007年にバイク(普通自動二輪)の免許を取得し、関東近県や北海道、東北などにツーリングした。学生時代のサイクリングを彷彿させ、本当に楽しかった。

2011年の大震災の年は旅行会社のホームページを制作していた。地震の影響も少なからずあったと思うが、会社やグループ全体の経営が思わしくなく、仕事もつまらなくて暮れに退職した。

2012年は1年間ハローワークのお世話になり、求職支援の無料のWEBスクールに通い、若い仲間やロケット巨乳人妻らと楽しく過ごせた。おっさんがハローワークの世話になるのはわかるが、あんな若い奴らが職安かよと日本に疑問を持った。

2014年から御茶ノ水の会社に常勤するようになった。100年続いている割には知名度0の会社で、前の会社とかなりのギャップがあった。ここではインバウンド(訪日旅行者拡大)の仕事を専門にして、この会社のインバウンドビジネスを構築してやった。私のようないい歳のおっさんに、価値ある仕事を任せてくれたのは感謝に耐えない。
4年半続けたがインバウンド部署はもともと儲からないうえに、おいしそうなハナシに手を出してしまい爆赤字になり、私もいつまでいられるか。

頻繁な海外出張は夢だったのがこの歳で実現した。ジャカルタから早朝に帰国して羽田空港で喪服に着替えて神戸に飛んで焼香、新幹線で帰京して家に一泊して翌日はバンコクに飛ぶ、なんて離れ業もあり、2014年は7回、2015年は1回、2016年は10回、2017年は3回、2018年はすでに2回の海外旅行をした。
クレジットカードの利用はかなりの額になり、ANAもJALも上級会員になったし、JCBのブラックカード、THE CLASSも持てるようになった。

旅行の楽しみを増幅させていたバイクは、2016年5月に四国のバイクDEお遍路の際に緩いカーブで転倒し、本人は救急車で搬送、バイクは電源部がイカれて廃車になった。本人は血の一滴も出さずにまったく無傷で、これは弘法様のおかげである。

海外はビジネスクラスでニューヨーク旅行、イエローストーン旅行、ヨセミテ旅行などを繰り返し、ヨーロッパはファーストクラスで行った。今でもとてもよい思い出になっている。テレビに行った場所が映ると「あ、ここ行った」と思うんだよね。
海外・国内とも多くはひとり旅で、よくもあんなに行ったものだと我ながら感心する。

還暦を迎えて、自分に記念品としてニコンD810を28-300mmのズームレンズともども買った。写真は高校以来の趣味なのだ。とてもきれいに映るが、重たいので自動車移動でないと持ち歩けない。

母がボケもせず矍鑠(かくしゃく)として健在なのは、なによりだ。母がいると安心するし、本当はもっと甘えていたい。母には幸せな余生を過ごしてもらいたいし、そうしているつもりだが、やはり心配をかけているのだろうな。子どもはいくつになっても子どもだ。

美女たちと何度もお食事をしたし、いまだにいろんな子に惚れているし、それもこれも、今生きているからこそだ。バカは死ななきゃ治らない。


この20年の間、父や叔父叔母のほか、大河格、前橋英夫、高野弘之、佐藤宣生、稲垣浩、種村直樹、環白穏、池谷正之、小室周也、馬場浩士、森健次、鎌田有希子ら各氏の訃報に接した。ともに働いたり遊んだりの仲間に先立たれた。

けれども私は生きている。祖父が死んだ歳よりも生きている。死にかけても生きている。
この20年間、いろんなことをして、いろんなところを飛び回っていたので、これからは少し「のんびり」しようかな。のんびりとはどういうことはよくわからないのだが、静かに過ごしていけたらと思っている。

この20年間、ありがとうございました。
私は生きています。
再びの成人式を迎えた気持ちで、命の限り、人生を楽しんでいきます。人生を楽しむことこそが生きている証しであり、先に死んでいった人たちへの供養だと思っています。

| 日記・つぶやき | 21:27 | comments(0) | - |


ウルトラマン商店街 小田急線祖師ヶ谷大蔵駅前
小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅を起点として3つの商店街がある。

・祖師谷みなみ商店街振興組合 (駅改札左の南口商店街)
・祖師谷商店街振興組合    (駅改札右の北口商店街)
・祖師谷昇進会商店街振興組合 (祖師谷商店街を進んだ先の商店街)

これらをを総称してウルトラマン商店街と呼ぶ。

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駅前にはウルトラマンの像が立ち、各商店街の入り口には
西通り保健センターの前に「ゾフィー」
北通り塚戸十字路に「ウルトラマン」
南の耕雲寺の近くに「ウルトラマンジャック」(帰ってきたウルトラマン)
が飛んでいる。

そのうちの祖師谷商店街振興組合(駅改札右の北口商店街)の街灯はウルトラセブンのアイスラッガーを模しているようだ。

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フラッグはカネゴン(ウルトラQ)のシルエットになっており、ほかのキャラクターも登場している。

古くから開通した私鉄駅前の、狭い狭い商店街にはバスも走る。これは人払いが必要だろう。

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なぜこの3商店街をウルトラマン商店街と呼ぶようになったか。
ウルトラマンを生んだ、円谷プロダクションの本社が砧7丁目に、また円谷英二氏の自宅が祖師谷3丁目(ウルトラマン商店街内)にあったことで、いわゆる誕生の地として、ウルトラマン商店街と呼ぶことにしたそうだ。
近くには東宝スタジオやTMC(東京メディアセンター)もあり、いまだに映像制作が行われている街でもある。

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ただ、祖師ヶ谷大蔵と言えば団地の街のイメージがある。
Googleアースで見るとこのとおり、北部に団地が広がる。
小学校の担任の比木和博先生宅があり、2度ほどお邪魔したことがあった。



ウルトラQ、怪奇大作戦などの円谷作品にはこの近所で撮影したものが多数あり、もう50年も経ってしまった、懐かしの風景が見られて、それはそれで楽しみだ。

  
| 日記・つぶやき | 21:13 | comments(0) | - |


伊能忠敬 没後200年 日本地図を実測で作った男
今年は伊能忠敬没後200年とのこと。
江戸時代に正確な日本地図を作った伊能忠敬(いのう・ただたか)は1745年に生まれ1818年に亡くなった。

千葉県香取市(旧佐原市)出身で商家の伊能家に養子に入り、伊能家を発展させた。
50歳で家督を息子に譲り、それまでやりたかった暦学を高橋至時(よしとき)に学んだ。このとき至時は31歳と、忠敬よりもはるかに若かった。だが、忠敬は終生至時を敬った。不幸にも至時は先に死んで、忠敬の偉業を見届けられなかったし、忠敬も日本全図の完成前に死んだ。

忠敬は商売の成功で蓄えた潤沢な資金をもとに、子午線1度の距離を測りたいという夢に向けて、日本地図の作成にとりかかった。
彼が作った日本地図は衛星写真と比べてもほとんどたがわず、明治期まで実際に使われた。

当時の50歳は今の60歳70歳にもなる年齢であり、1日に40km近くを毎日歩いて測量を続け、正確な日本地図を作ったその情熱は、ときおりサラリーマンの定年後の過ごし方を見つめる手本になっている。

CSの時代劇専門チャンネルでは忠敬が主人公の映画「子午線の夢(加藤剛主演)」と

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ドラマ「四千万歩の男(橋爪功主演)」を放送したので観た。

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どちらも、測量シーンや地図を作図するシーンばかりではドラマにならないので、事件があったり女が絡んだりしている。
ちなみにこれらの作品は2001年に製作されたもので、没後200年を記念しての蔵出し作品だ。

いっぽう、雑誌「一個人」は「没後200年伊能忠敬と日本地図を巡る旅。」を特集している。

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密度の濃い内容で、佐原の伊能忠敬記念館のみならず、各地に散らばる伊能関係の博物館から資料を集めてまとめている。

伊能忠敬記念館

忠敬の測量は1回で終わるわけがなかったので、何回もの測量旅の推移や、測量の具体的な方法、現代の測量方法なども併せて紹介している。
ちなみに私は大学時代に「測量学」を履修したし、測量会社でバイトをしていたので多少心得がある。家にも父が使っていた測量器具があり、息子が小4くらいになったら夏休みの自由研究に平板測量でも一緒にやるかと思っていてそのままになった。

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もう一つは彼の人間としての魅力で、篤志家としての活動なども紹介している。
伊能忠敬は偉人として奉られているが、明治以降の国や主君に忠誠を誓わせる教育のために「話を盛って」伝えられているところもあると述べられており、それは野口英世も同じだな。

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一個人では古地図を持って萩や金沢などの古い街を旅する楽しみ方も紹介していて、読みでがあった。さすがだ。


  
| 日記・つぶやき | 13:59 | comments(0) | - |


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