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種村直樹 気まぐれ郵便貯金の旅 ただいま3877局 自由国民社
レイルウェイ・ライター種村直樹氏の"趣味"に旅行貯金があった。
旅先の郵便局で少額を貯金し、その郵便局名のゴム印と局長印を押印してもらうことでその土地に行った証にする遊びだ。遊び・趣味と言っても貯金でお金がたまるのだから、よいことだ。一方で、郵便局の正常な業務を妨害しているという意見もあるが、おそらくは旅行貯金という行為よりも、その行為をしている人・特定個人に対しての批判だと思う。

私も種村氏に触発されて、一時は旅行貯金に夢中になっていたことがある。家族での北海道旅行では一家で行く先々の郵便局で貯金をしていたし、会社の同僚馬場浩士君と旅行した時は「旅行貯金で時間が遅れる」と怒られたりもした。今ではすっかり熱が冷め、むしろ「ケータイ国盗り合戦」に魂を奪われているが、コンセプトは同じだと思う。

気まぐれ郵便貯金の旅 ただいま3877局は1997年秋に自由国民社から上梓された旅行貯金関係の本で、その前の1995年にも日本縦断「郵便貯金」の旅を徳間書店から出している。旅行貯金で2冊も本を出しているのだから大したものである。

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この本の巻頭は「みなみ東北気まぐれ旅行貯金」で、編集者の宮下啓司氏とカメラマンの荒川好夫氏との気心の知れた三人旅だ。いずれも旅行貯金が大好きな面々で、示し合わせての書下ろしなのだろう。まだ残っていたオフ局と言われた、オフラインの手作業で貯金業務をする小さな郵便局を訪ねての気まぐれ列車の旅であるが、実に読みづらかった。
なぜなら、昔の話に次々に飛んで、いったいこの旅行が行われたのがいつなのか、さっぱりわからなかったからだ。
三回ほど読み直して、ようやく行中に出発日の97年6月9日の日付を発見したが、
「(旅行貯金を)1979年に始めてから…」
「貯金業務オンライン化は1984年にほぼ完了して…」
「国鉄本社を担当していた1971〜1973年ごろ…」
「1972年4月、鉄道ジャーナル誌に…」
「1973年に僕が毎日新聞を退社して…」
「1988年ごろに(旅行貯金を)ぼつぼつ始めて…」
などなどと、時系列があちこちに飛んでおり、いったい今がいつで何を言いたいのか、わからなかった。
2001年以降の脳梗塞発症後はこういう話が飛ぶ記述が多いが、このころからそうだったとは。

第二章の「郵便局とのおつきあい50年」は一転して読みやすい。郵趣に目覚めた中学時代の物語や、新聞記者として飛騨の山奥の郵便請負人(配達夫)を取材した記事の再録などは目前に髣髴するように鮮やかだ。郵便請負人の記事はスクラップブックで元記事を読ませてもらった記憶がある。特殊切手をシートで買っていたので、事務所のマンションを購入するためにその売却益が役だったと書かれているが、本人からも直接聞いていた。

第四章ではヤングの読者で7000局と1万局の旅行貯金をした猛者の話が出てきている。彼らも現在50歳を過ぎており、まだ貯金を続けているのだろうか。

本日7日から一般公開の<しばうら鉄道工学ギャラリー>の種村直樹コレクションには貯金通帳も展示されており、その情熱の一片を垣間見ることができる。



しかし全国24000局の完訪はまだ誰も成し遂げておらず、子孫に委ねようにもまともな子孫なら「あほらし」と金を引き出して終わりだろう。
際限なしに趣味に没頭するのはいかがなものかと思う。

  
| 読書 | 21:51 | comments(0) | - |


バス旅春夏秋冬 種村直樹著 中央書院 1997年
レイルウェイ・ライター種村直樹氏のルポを読み返している。
今回手にしているのは「バス旅春夏秋冬」である。主にバス・ジャパンや鉄道ジャーナルに寄稿した、バスを利用した旅のルポだ。

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おりしも、テレビでは路線バスがブームになっており、その嚆矢となったテレビ東京の「太川陽介と蛭子能収のローカル路線バス乗り継ぎの旅」が12月25日放送分で終了した。蛭子さんが70歳になり、体力的にかなわないとのことだが、それ以外にも蛭子さんの反応がもはや笑えないレベルで、早めの撤退は得策だったと思う。

先日は「気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥」で離島を結ぶ船旅を読んだが、この「バス旅春夏秋冬」は国鉄終焉から90年代初頭までのバス旅行を記録している。鉄道がメインのレイルウェイ・ライターとしては異業種格闘技というところか。
今はすでに廃線になってしまったバスや鉄道、あるいはまだ新幹線が開業前の北東北や北陸地方の旅が描かれている。普及し始めた高速バス、最長距離路線は東京〜広島便で種村氏はそれに乗ったが、ほどなく東京〜博多便が開業した。このころ種村氏は50歳前後で、まだまだ体力も十分だったので、夜行バスもものともしていない。

驚いたことに、このころのバスはまだ喫煙がデフォルトで、ようやく禁煙「席」が出てきたころで、運転手も「なるべく喫煙は遠慮してほしい」とはいうものの、あちこちの席で煙がたなびいていたのかと思うとぞっとしない。

もちろんケータイ電話やましてやスマホは登場せず、乗客もカセットテープのイヤホンを耳に差していたのだろう(特に記述はない)。座席予約はネットでなくて窓口だ。
このようにバス旅の訪問先やバスの乗り方などに興味がわくよりも、背後にある時代性に興味が向いてしまった。それがちょっと古いルポルタージュの価値なのだろうか。

もっとも、70年もたてばさらに違う価値が生まれる著作だと思うけれども、30年程度の中途半端な年月はズレばかりが目立って、しばうら鉄道工学ギャラリーに「種村直樹コレクション」ができるけれども、著作をデジタル化して復刻したところで、読者はついてこないだろうし、中身に感動する人もいないだろう。

  
| 読書 | 18:38 | comments(0) | - |


気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥 種村直樹
日本列島外周気まぐれ列車」はレイルウェイ・ライター種村直樹氏のライフトラベルで、日本列島の外周を日本橋から逆時計回りに、公共交通機関の鉄道やバスを乗り継いで一周するという壮大な旅だった。1980年に開始し、2009年に完結した。

今回読んだ「気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥(実業之日本社)」は、20世紀末に鹿児島県から種子島、屋久島や吐噶喇列島などの南西諸島の離島をめぐり、沖縄県の日本最西端与那国島まで行って再び九州本土に戻り、下関までの行程を書き綴った書籍である。

気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥

通常は、他の旅行と含めた"気まぐれ列車シリーズ"として単行本化されるが、版元の事情などで3年半の歳月が過ぎたので、外周だけをまとめた書籍として2000年3月に発行された。
種村氏はこの本の刊行まもない2000年11月に(最初の)脳梗塞を患ったので、以後は再び間隔があき、最初に連載していた「旅と鉄道」誌の休刊と復刊を交えつつ、紀行文としては静岡県あたりで連載が途絶えた。最後のゴール部分は雑誌連載もなく、執筆されてもいない。もちろん単行本になっていない。

私は1996年ごろまでは「旅と鉄道」の「種村直樹の汽車旅相談室」のイラストを受け持っており献本いただいていたので、この本に書かれた前半部分は「旅鉄」で読んでいたのだろうが、後半は「旅鉄」がもらえず読んでいないはずだ。

最近、種村本を読み返しており、まとまった外周本を読んで外周気まぐれ列車とは何だったのか、思い返してみた。

一言でいうなら「個人の趣味」であったと思う。
それが延々と本になり、応分の収入につながったのだから、すごい。同行者は素人だから自腹だったのだ。
それにしては、特に本書の範囲は九州・沖縄の離島で、時間も金も体力も必要なエリアで、本の厚みも種村本の1、2位を争うのではないか。

この本に収録されている旅程は、船でないと行けない離島が多く、これでもかこれでもかと、有人離島をきめ細かく回っている。時化などで船が出ないときは本土を先に回ったり、逆にあとから"落穂ひろい"と称して当初行けなかった離島をわざわざ巡りに行くこともあり、必ずしも外周ルートに従っての旅ではなかった。しかも鉄道のない離島だから地名のなじみも薄く、いったいどこをどう巡っているのか、わかりにくかった。同じような小さな島が多くて有名観光地も少なく、本人からすれば違いがあるのだろうが、特色もわかりにくかった。

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種村氏の60歳前後の旅であり、初老とは言え極めて精力的にバスや揺れる船で取りつかれたように島々をめぐる。よくその体力と情熱があって続くものだと感心した。もちろん、これ以外にも乗り継ぎ旅や雑誌依頼の取材もしていたのだから、そのパワーには恐れ入る。

年3〜4回の平日主体のペースで外周旅行をしたが、長期間に亘ったから、同行する取り巻きも出入りが多く、スター性のある取り巻きも少なく感情移入がしづらかった。
実は私は外周の旅にただの一度も参加していない。外周の旅の企画そのものはかなり前のバイト君時代から聞いていたが、実施されるころは会社に勤めてそれなりの仕事をしていたし、ほどなく家庭を持ったので、同行する機会を逸したのもある。そして外周の旅が"人気"を得たころは、入れ替わり立ち代わりの取り巻きの一員になるのがなんとなくイヤで、また、ゴチャゴチャした記述も読みあぐねるところがあり、種村氏が時に同行者に激怒することもあったようで、外周の旅から離れていた。日本橋のゴールにも行かなかった。

ただ、今となっては種村氏のライフトラベルであったのだから、最後の行程部分は同行者による代筆でかまわないし、紙の束でなくて電子出版でよいので全容を完成させ書籍化してもらいたいと思う。

それにしてもこの本の時代背景である20世紀末は公共の宿も多数存在し、島の小さな集落を結ぶ路線バスもそれなりにあったようだが、今はすっかり寂しくなっている。後半ではケータイも登場するけれども、今ではインターネットでバスの時刻表も用意に入手できるし、GPSロガーがあれば種村氏の外周移動軌跡も取得できて、それなりに喜んだであろう。

私も鹿児島県三島村(薩南諸島)や十島村(吐噶喇列島)に行ってみたくなったが、ケータイ国盗り合戦があるにしても、全島を回る元気はない。しかし十島村のガイドブック「トカラ列島秘境さんぽ(松島むう)」を買ってきた。本を読んで夢を馳せるのがいいところではないか。

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「九州・南西諸島渡り鳥」はまだ外周旅行の途中であり、この本を読了しても結論めいたことはないのだが、この本に登場する呑み助とマドンナのその後が気になった。

  
| 読書 | 17:47 | comments(0) | - |


国鉄監修交通公社の時刻表 1964年10月号 本物
東京1964オリンピック開催、東海道新幹線開業した昭和39年10月の「国鉄監修 交通公社の時刻表」が令和元年に完全復刻!と銘打って『時刻表 完全復刻版 1964年10月号』がJTBパブリッシングから販売されている。1500円。
聞けば広告が空欄になっているそうだ。旅館の広告を見るのが楽しいのに。

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ホリプロの鉄道通お二人が帯でお誘いしている。

しかし本物はコレだ。
おまえ、このところ古本ばかり紹介しているな、どうしたんだよ。

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定価150円なので復刻版は10倍の値段だが妥当だろう。
東京オリンピックの開会式は10月10日(昔の固定していた体育の日)、それに先駆け10月1日に東海道新幹線が開業したのだ。当初は東京〜新大阪を4時間10分で結んでいたが、それは日本の鉄道や旅行・経済に大きな変革をもたらした。

巻頭は今も昔も新幹線時刻表だ。

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驚くことに、巻頭地図は新幹線が掲載されていない。間に合わなかったのか、わかってるだろということなのか、東海道本線があるのみだ。

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ところで、時刻表復刻版は過去にも何度か発売されており、朝ドラの主人公が帰省した時刻などはそれを使って調べている。あるときJTBが「ダイヤ大改正の1か月前の時刻表」という復刻版を出したことがあった。

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それには新幹線開業前の、1964年9月号があったので、それと見比べてみた。

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当然ながら巻頭地図は新幹線が載っていないが、10月号にも載っていなかったとは初めて気づいた。

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新幹線開通後も全体的には夜行列車が多く、東京〜大阪であっても夜行列車の利用がまだまだ多い時期だっただろう。今から思うとうらやましい。かといって、タイムスリップしてまで乗ろうとは思わないけど。

  
| 読書 | 20:22 | comments(0) | - |


チャレンジくん 荘司としお 国鉄完乗を目指す?マンガ
チャレンジくんという1980年前後のまんが本を入手した。
これは当時国鉄が「いい旅チャレンジ20,000km」という国鉄全線を走破するキャンペーンをしていたので、それにタイアップした形で、国鉄系の弘済出版社から発行されたマンガである。全5巻。

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作者は自転車で日本一周をする漫画「サイクル野郎」などの作品のある荘司としお先生。自転車が鉄道に置き換わったような作品だ。

国鉄の「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンは1980年〜1990年の10年をかけて行ったキャンペーンで、宮脇俊三氏の国鉄全線を乗りつぶす紀行文学「時刻表2万キロ」に触発されたものである。それまで一部のマニアの金字塔のような"遊び"が一躍脚光を浴びたのだ。

「いい旅チャレンジ20,000km」は、全国鉄の路線242線区を走破しようとするもので、まずどこかの国鉄路線の始点と終点の駅で撮影した、駅や本人が分かる写真を事務局に送る。すると会員証が送られてくる。以後は各線区の始点と終点の写真を送り、10線区、20線区などの節目には認定証や副賞がもらえた。キャンペーン開始当時は242線区あったが、ちょうど国鉄⇒JRの端境期にあたり廃線も多く、最終的には200線区を下回っていた。
私も国鉄美幸線に乗って会員登録をして会員証をもらったが、その後はキャンペーンとは関係なしに完乗をした。会員証は捨てていないが、今回心当たりを探したが出てこなかった。

「チャレンジくん」はその後「チャレンジ」として「国鉄」を「JR」に差し替えるような修正をして100均のダイソー文庫から2002年に1、2巻が発行されたが、そこはダイソーで3巻以降が発行されることはなかった。だから全巻を読みたかった。

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今ではAmazon Kindleなどの電子出版でも読めるので、電子化は有益だ。

第1巻「いい日 旅立ち」
鉄道模型(Nゲージ)が好きな中学3年生・速見真吾は、学友・角野 学とともにチャレンジ20,000kmを始めた。
だが、乗車中、偶然にも銀行強盗犯と同乗してしまい、ついには人質となってしまう。拳銃を突きつけられた真吾は生き延びることが出来るか?
(原書:1981年9/1刊行)

第2巻「山陰と男の涙」
チャレンジ20,000kmを始めた中学3年生・速見真吾と、学友・角野 学は、偶然、ホテル王のお嬢様で同学年の小暮エミと知り合う。
エミに「本当の母親が別にいるので、その実母捜しを手伝って欲しい」と言われ、3人でヒントを求めて山陰地方へと鉄道を使って向かうのだった。
(原書:1981年12/1刊行)

第3巻「吹雪の中のローカル線」
チャレンジ20,000kmがきっかけとなりホテル王の一人娘・小暮エミと知りあった中学3年生・速見真吾は、エミの実母を捜して青森に向かった。そしてついに二人はエミの実母・中沢シズエと出会う。だが、シズエの本当の子はエミではなく真吾だという。戸惑う真吾。さらに、シズエを付け狙う殺し屋が現れ、シズエに向かってライフルを構える。秘密を抱えたままシズエは殺されてしまうのか?
(原書:1982年2/1刊行)

第4巻「終着駅とハマナスの花」
チャレンジ20,000kmを続けている速見真吾と友人・角野 学は無事高校生になった。
時間的制約がなくなり、日本各地の鉄道を走破する二人。だが、その最中も真吾は、行方不明になっている実母・中沢シズエが気になっていた。そんな時、暗号めいた不思議な手紙が届き、それに誘われるように、北海道に向かうことになる。物語、ついに佳境…!
(原書:1982年4/1刊行)

第5巻「無情の最終列車」
チャレンジ20,000kmを続けている高校1年生・速見真吾は、実父を殺したホテル王・小暮大造のアリバイを崩そうと行動を開始する。
そして、ついに鹿児島県指宿で大造と直接対決する。
真吾の隠された秘密とは…。そして、大造のアリバイは崩せるのか? ついに完結!
(原書:1982年7/1刊行)

このあらすじでわかるように、紀行漫画ではなく殺人事件を追うようなサスペンス漫画である。そして本物の鉄子には絶対にいないような美女が随所に登場して混浴にも入るが、ありえません。
「いや、それはおまえだからないのであって、おれはあるよ」と言う人はコメント欄でお知らせください。

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老後の楽しみに全5巻を読んでみよう。
って、一気に5巻全部を読んでしまった。老後も終わってしまったか。
複雑な人間関係が入り乱れた面白い作品だった。
そして、1980年ごろの列車旅、今は亡き夜行列車、寝台列車、ローカル線、丸い顔の新幹線などが出てきて、昔の汽車旅を思い出させてくれた。

  




| 読書 | 14:44 | comments(0) | - |


ミニ周遊券とお寺の宿 種村直樹著 1973年
レイルウェイ・ライター種村直樹氏の初期の著書に「ミニ周遊券とお寺の宿」がある。1973年に講談社から出版された、もはや絶版どころか古書店でも手に入らない幻の著書だ。

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まずミニ周遊券から説明しなければならない。
当時の国鉄では特定エリアに乗り放題の均一周遊券があった。これはのちにワイド周遊券と改名されている。
特定エリアと言っても北海道全域や東北など、かなり広い地域で乗り放題だった。ちなみにその周遊エリアに行くまでの往復の乗車券もセットされており、急行の自由席なら追加料金ナシで乗れた。

ミニ周遊券はワイド周遊券から乗り放題エリアを絞ったきっぷで、京阪神や函館・大沼などの有名観光地・大都市エリアが対象だった。

ワイド周遊券、ミニ周遊券は国鉄分割民営化もしばらくは発売されていたが、現在は廃止されている。利用者にとってはお得な料金で、JRとしてはいちいちきっぷを販売する手間がないよいきっぷで、私は何度となく愛用していた。

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そしてお寺の宿は今もある宿坊である。

このミニ周遊券とお寺の宿は1970年の万博輸送後の輸送人員落ち込みを防ぐ意味もあったお得で便利なミニ周遊券と、宿坊を組み合わせてモデルコースや宿坊の所在地を示した著書である。

種村氏が毎日新聞社を辞めてフリーになる端境期の本で、しかも天下の講談社からの発売だったが、ターゲットが絞り込まれ過ぎたのかあまり話題にならずに知る人ぞ知る本で消えていった。

宿坊については種村氏の友人の環白隠氏の実家が神戸のお寺だったことから親近感があったのかもしれないし、国鉄からの要請で宿坊をもっと開放しようという働きかけが仏教界にあったのかもしれない。なんでお寺の宿かというと、確証がない。
当時からお寺のユースホステルはあったし、キリスト教ではYMCAに安価で宿泊できた。

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私は2016年に四国のお遍路さんをしたときにいくつかの宿坊に泊った。もう21世紀だったからかもしれないが、部屋や設備については共用部分もあるけれど申し分なかった。食事も十分なものが出た。朝のお務めは強制ではなかったが、異次元体験として参加した。旅行好きなら一度は利用してよいと思っている。

徳島市の大日寺の宿坊と料理 ↓ ↓
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ミニ周遊券とお寺の宿のサブタイトルに「女性のための快適気軽旅行」とある。ディスカバー・ジャパンに触発された若い女性が、パッケージツアーでない個人旅行をし始めたころで、しかしながら女性の一人旅には偏見が残っていた時代だ。その点、お寺の宿なら女性一人でもグループでも対応してくれてしかも安心感があったのだろう。

いま、民泊やゲストハウスに人気があるけれども、お寺の宿はそれほどのブームにならなかったのが残念だ。今でも宿坊は各地にあるし、復権する市場要素はあると思うけれど、運営側の雇用やクレーム処理を考えると、やはり難しい時代なのだろうか。

  
| 読書 | 20:52 | comments(0) | - |


小西由稀の札幌おささる味手帖 〜飲・食・買のおいしい店〜
札幌を中心に活躍するフードライターの小西由稀さんの久々の新刊。
小西由稀の札幌おささる味手帖 〜飲・食・買のおいしい店〜」(財界さっぽろ)がオーストラリア出張中に届いていたので、ようやく紐解いた。

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まず、タイトルの"おささる"。この言葉は北海道弁に通じているつもりの私も知らなかったが、「押す」+「さる」で、ついつい押してしまう状態をいう由。

スマホがカバンの中でおささる。

のように使うらしい。
この場合の「おささる」は、読むと行ってみたいなあと心のスイッチが「おささる」。「飲まさる」「食べらさる」「買わさる」ということだ。

57の札幌の店が紹介されており、この数倍の店を訪れ、味わい、食材から背景から調べて一冊にまとめるのは相当な苦労があったと思う。

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私は札幌も函館も北海道はすっかりご無沙汰だが、小西由稀さんは私の地元の世田谷区にまで足を延ばして味覚を求めており、私の知らない店を教えてくれており、恐れ入る。

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あまたある札幌の飲食店だが、美しい写真と気の利いた文章で、どこの店も入りたくなる。そして極端に高い店はほとんどないし、あってもやはり「おささる」。

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そしておそらくは自分の地元にも「おささる」店はあるのだろう。それを見出していないか、見つける眼力(舌力)がないだけなのかもしれない。

既成のメディアでは、彼女のホームタウンの札幌主体の店の紹介にどうしてもなってしまうから、北海道以外の店はSNSで紹介されるのを期待したい。

  
| 読書 | 19:40 | comments(0) | - |


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